第3章 立ち塞がる者-9
ふと、琉衣夜は考えたことがある。
今の自分は、果たして天使にどれほど通用するのだろうか、と。
かつて彼が対峙した天使と、もしも今再度対峙したのであれば果たしてどれほど戦うことができるのだろうか。
かつて瑠奈を救うべく大天使と戦った時。
あの時、琉衣夜はまだ一般人に等しい存在だった。
“黒”は制御できる段階になく、魔導を使える訳でも無い。
あの時勝利できたのは、司と美咲が準備した状況を全面的に利用できたのが一番の要因だ。
彼が強かったから、勝ち取ることができた訳では無い。
では、もう一度初めの問いに戻るとしよう。
今の琉衣夜が天使級の敵と相対したとして。
果たして、琉衣夜はその敵と戦うことがそもそもできるのか。
その答えが、少年の眼前に現出していた。
「随分とまあ、暴れ散らしてくれるもんだ」
荒々しい息を吐き出しながら、琉衣夜は目前の敵から視線を外さない。
否、もはや視線を外すほどの余裕はない。
それほどまでに、相手の力は増幅していた。
「…………」
対するヴェインは、何も答えない。
ただその背中から現出した力を己の意思が赴くままに振るい、勝利を手に入れんとばかりに進撃する。
彼が見せる動きは単純だ。
右の腕を上げ、琉衣夜を指差す。ただ、それだけの動き。
それだけの動きで、目の前の景色全てが閃光に塗り潰された。
それに対応するべく、琉衣夜も右腕を目の前に掲げる。
ずるり、と気色の悪い音と共に這い出た“黒”が彼の腕を纏い、眼前の閃光を食い潰すべく立ち向かう。
瞬間、純白の光と漆黒の汚濁が激突した。
ジジジジジ! と互いに反発するような音を立てながら、双方一歩も下がることなく力が拮抗する。
されど、これまで何度も何度も同じ攻撃を受けている琉衣夜に、対応策が無い訳がない。
右腕に宿したものとは別の“黒”が地中から湧き上がり、間欠泉の如く下方からヴェインの閃光を襲撃する。
一対一で拮抗していたのであれば、別の何かが加われば崩壊するのは目に見えている。
瞬きする程の間に真っ白な光輝は食い潰され、その分の魔力が琉衣夜にも充填された。
瞬間、反撃のために琉衣夜は魔導を起動する。
汚れた黒濁から魔力を絞り出し、即座に術式を展開する。
その数は六つ。
両手で展開できる高速、かつ高威力の魔導を瞬時に編み出し、一呼吸で発動した。
「行け、『殲光』」
瞬間、大天使の光輝を模倣した殲滅の光が放たれた。
三つが真っ直ぐヴェインめがけて突き進み、主の敵を消し飛ばさんと真正面から襲いかかる。
対し、ヴェインは両足に力を込めて跳躍した。
『殲光』は一つ一つが大人二人分の大きさをしているにも関わらず、それをあっさりと跳び越えてしまう。
だが、跳躍の最高点で彼を取り囲むように三つの魔導陣が現れた。
出現した魔導陣は先ほどと同じ構成、すなわち『殲光』の術式だ。
一つは足元、一つは前方、一つは後方に展開されている。
単純に空中であることもそうだが、攻撃範囲も鑑みればまずもって回避は難しい。
それを確認した琉衣夜の口元が動く。
「食らっとけ」
刹那、耳が痛くなるような高音と共にさらに三つの輝きが解き放たれる。
触れれば岩石だろうが鋼鉄だろうが問答無用で飲み込む程の光の奔流が、ヴェインの体を消し飛ばさんと動き始めた。
だが、ヴェインの表情は動かない。
「この程度で死ねるかッてンだよォ」
不敵な言葉と共にその背から生えている翼が動く。
左右それぞれに動いた翼は今まさに炸裂しようとした光のうち二つをあっさりと両断し、残っていた下側の『殲光』もまるでプリンか何かのように叩き切ってしまう。
発動の核となっていた魔導陣すら丸ごと斬り裂かれた『殲光』はそのまま爆発することすら許されず、淡い光を残して消失する。
しかし、琉衣夜の表情も変わらない。
「まあ、そうだろうな」
淡々と呟く。
この程度で終わってくれるなら、これまでのやり取りはもはや存在していない。
『殲光』は普通の魔導師に対しては切り札たり得るが、一定以上の実力を持つ者に対しては牽制以上になり得ない。
だが、裏を返せば牽制はできる。
そして、牽制に気を配ってくれるのであれば、さらに一手を加えられる。
淡い光が消失した途端、ヴェインを中心としてまるで塵のような何かがばら撒かれた。
そう認識した瞬間、塵はブグリブグリと肉肉しい音を立てて膨らみ始める。
漆黒の塵は瞬時に真黒の槍へと変貌し、数百数千の連撃となって一気にヴェインへと襲いかかった。
それが十重二十重と群がってくる様子は、まるで砂糖の山に蟻が群がるようですらある。
一本でも突き刺されば、そこから魔力を無限に食い散らかし始める致命の一撃。
ただ一撃。
ただ一撃が入るだけで、この戦闘の趨勢が決まる。
「とか考えてンだろォが」
無数に群がってくる漆黒の槍を見据えながら、ヴェインは呟く。
その囁きに応えるかのように、背中の翼がふるりと震えた。
瞬間、襲いかかってくる黒の群れに、純白の翼が躊躇なく振り抜かれた。
両腕ほどしかなかったはずの翼は今や数十メートルに達するほどの長さに達し、ただ振り回すだけで鋼鉄をバターのように引き裂く。
金属的な鋭さと生物的な柔らかさを保つ“黒”といえど、それほどの威力あるものを高速で振り回されれば砕かれてしまう。
しかも、砕かれた破片がさらに別の黒槍に干渉し、その軌道を捻じ曲げてしまう。
無論、捻じ曲げられた黒槍はさらに別の槍へと干渉し、連鎖と連続が想定され得ない空白地帯を生み出してしまう。
それで終わりだ。
敵の攻撃は無効化された。
ならば、次はこちらの攻撃する時間だ。
振り回した両翼がぐぐっ、と力を込めるように折りたたまれ、次の瞬間風を切り裂く轟音と共に琉衣夜へと放たれる。
その威力は先ほどの“黒”への対応で見せた通りだ。
ただの閃光よりも現実的な威力を持ち、ワンテンポ必要とする閃光よりも連続性に優れる。
たとえ左翼を避けたとしても、追撃の右翼が敵を狙い穿つ。
互いの距離は未だ離れたまま。
いくら琉衣夜が強大な力を振るうことができるとしても、近づかれない限りは極論これを繰り返しているだけでいつか勝てる。
あとは、近づかせなければいいだけなのだから。
「とか考えてるのかもしれないが」
そう、こちらへ迫りくる両翼を視界に収めながら琉衣夜は呟く。
その体にはすでに十分な量の“黒”が満たされていた。
いつか“東方不敗”と戦った時ほどの量ではないが、両腕両足はすでに漆黒の憎悪に浸されている。
そして、これだけの量があればあの翼とも一時的に拮抗状態を作ることができる。
二段構えの攻撃が強力なのは、単純に一撃目を回避したことによって生まれた隙を容赦無く刈り取ることが出来るからだ。
二撃目にも即応できる状態を保っていれば、その理論は成立しない。
そして、敵は両翼を持っているかもしれないが、こちらも使える腕は二本あるのだ。
一撃目を片方の腕で潰し、二撃目をもう片方で砕く。
単純な理論。
明快な論理。
眼前に迫る片方の翼に対し、琉衣夜は爪も肌も真っ黒に染まった左手を伸ばす。
激突した瞬間、ギチギチと軋むような音が響き、衝撃が琉衣夜の全身へと広がっていく。
例え質量が大したことがなかったとしても、振り下ろした威力によっては十二分に敵を叩き潰す鉄槌たり得る。
だからこそ、琉衣夜はそれを真正面からは受け切らない。
翼の先端を掴むように手を伸ばし、滑らせるように横へ往なす。
激突するということは、こちらからも干渉できるということだ。
そして干渉することが出来るなら、往なすことも逸らすことも出来る。
ただ躱すだけならその隙を狙われるだろう。
だが、往なしながら近接することができれば、こちらの攻撃も届く。
往なした左腕は微かに痛むものの、この程度なら問題ない。
“黒”でズブズブに浸し切った体は常時魔力による補強と回復を受けているようなものだ。
一瞬で粉々に砕かれたりでもしない限り、修復できる。
秒を待たず襲来する片翼を同様に往なし、琉衣夜は踏み込む。
その背に現れるのは漆黒の翼。
無機質なありようを見せるヴェインの翼に対し、有機質の禍々しさを表す真っ黒な噴出。
大地にひび割れをもたらすほど強く、強く踏み込んで琉衣夜は一気に距離を殺す。
空中は翼持つものの場所。
互いに翼を現出させたのであれば、五分以上の戦闘ができる。
そして、“黒”に浸された全身は穿つべき敵を求めている。
例え一撃触れただけと言えど、そこから“黒”が敵の体に侵食すればそれだけで状況を傾かせることが出来る。
「とでも考えてンだろォが」
「とか考えてるのかもしれないが」
互いの呟きが交錯し、両者の動きがさらに激化する。
双方ともに敵の思考を読み取りながら、さらにその奥へ奥へと踏み込むように一手また一手と進める。
互いに殴り合う以外の方法を持っており、しかも両者の実力が拮抗しうるのであればその戦場には駆け引きが発生する。
最速で殴り込むことが出来るのであればそれが最も単純だが、それを迎撃する方策があるのであればそれは最適解たり得ない。
如何に敵を動かし、如何に敵を追い詰め、如何に敵に攻撃を当て、如何に敵を潰すか。
単純な攻撃の応酬の裏には、それを生み出した読み合いが生まれ、その読み合いがさらに戦闘を流動させ新たな攻撃を生む。
次の交錯。
次の一手。
両者はさらに思考を進めながら、戦場を駆け抜ける。
白き翼と黒き翼。
両者の激突は未だ果てを見せない。




