第3章 立ち塞がる者-8
「おら、行くぞ」
ざり、と琉衣夜の靴底が地面を蹴る。
瞬間、漆黒の悪意によって強化された肉体が一気に夜闇を引き裂いて肉薄する。
その右手が怪しく揺らめくも、青年—ヴェインも即座に対応した。
振り上げられる敵の右手を迎撃するべく、ヴェインも右手を握る。
その腕には魔力が白く輝き、迎え撃つばかりかそのまま相手を破砕するための力が宿されていた。
刹那、両者の力が正面から激突した。
漆黒の波動と純白の光輝がその場を蹂躙し、互いの拳の間でばぢばぢと音を立てて衝突する。
互いの力が弾け、二人の腕が離れた。
が、両者ともにさらに踏み込んで攻撃の意思を見せる。
「は、今回は随分とやる気じゃねえか」
「るせェ、テメェはさッさとくたばれ!」
「くたばるのはテメエだ、クソ野郎!」
ヴェインの表情には焦りと苛立ちが現れている一方で、対する琉衣夜はこの状況を楽しむ余裕さえ見えている。
秒の間に互いの腕が、足が、放たれている力が、主の意のままに動き敵を打ち倒すべく交錯する。
だが、ヴェインが倒れる気配はない。
それに、琉衣夜は内心舌打ちをしていた。
(“黒”は別に手加減をしていない。この魔力も、“黒”で処理されている。特に問題はない。ない、はずだ)
敵が放つ魔力は、魔導の形を成していない。
最低限攻撃をするための方向性は持っているものの、魔導として洗練されていない以上“黒”で蹴散らすのは容易い。
そして、相手は肉体強化や魔力放出で少しずつ魔力をすり減らしている。
このまま戦闘が続けば、状況はこちらへ傾いていくだろう。
どこかの分岐点を越えた途端、一気に形勢はこちらのものとなる。
その、はずだ。
だというのに。
(何だ、この底知れない感覚。出力自体は予想できる範囲、だがストック量が見えない!)
普通の魔導師であれば、“黒”に取り憑かれれば一分と保たない。
“東方不敗”たる静であっても、数分で食い尽くされることだろう。
だが、この男からはその底が見えない。
未だに全身から放たれている魔力量に陰りはなく、その動きもいまだ健在。
“黒”が直接食いついていないとはいえ、少しずつしかし確かに削り取られているはずの魔力は、その底を見せない。
「テメエ、何やりやがった」
「……さァてな。こッちもくッちャべッてる余裕なンざねェンだ。続けるぞ」
ヴェインの表情には、相変わらず余裕がない。
だが、その体から放たれる魔力はさらに鋭さを増していく。
全身から放たれる魔力量に変化はない。
しかし、その状態を戦闘開始から今に至るまで維持し続けているのが、もはや異常だった。
「……そうかよ。なら、こっちも遠慮なんざしねえぞ」
「構わねぇよ。テメェを越えられねェンならこの先になんざ進めねぇ」
ぎり、とヴェインが力強く奥歯を噛みしめる。
深く、深く息を吸い、吐き出すと同時にその瞳がさらに力強く輝いた。
「ぶッ潰す」
その言葉とともに、琉衣夜の背中をぞくりとした悪寒が走り抜ける。
刹那、琉衣夜はその全身に秘めた“黒”の濃度をさらに上げていた。
応えるように、ヴェインの全身から放たれる魔力の量が一気に増幅する。
ザザザザザザ!! とその体から巻き起こる力はもはや嵐の領域まで至っており、渦を巻き、うねりを上げて敵が今まさにそこにいることを誇示していた。
そして、練り上げられた力がまとめ上げられ、一つの形を成す。
その形は、まるで一対の翼だった。
大きさは腕を伸ばしたほどだろうか。
まるで、と付けたのはそのあり方が本当に翼を模しているのかわからなかったからだ。
魔力によって何かを模して形作るのは、別に珍しくも何ともない。
魔力に意味を持たせて増幅させるのが魔導であるがゆえに、わかりやすく方向性を持たせることができる形というのは非常に大きな意味合いを魔力に含ませる。
しかし、ヴェインの背から生み出されたその“翼”は、生き物のそれを模したとは思えない有り様だった。
その翼はまるで工場で作られたかのように一定の大きさに形作られており、生き物の翼というよりプラスチックで作られたナニカのような印象を受ける。
されどその翼が放つ威圧は、先ほどまでの全身から放たれていた魔力量をはるかに上回る。
あれを単純に振るわれるだけで、肉の体はおろか、鋼鉄だろうがあっさりと引き裂かれることだろう。
その在り方と形に、琉衣夜はどこかで見た記憶があった。
だが、それを認めることに彼の脳は拒否反応を示している。
だって、そうだろう。
そんなことを認めてしまったら、そんなことを理解してしまったら。
何かが変わってしまう。
その在り方は、まるで。
「天使、だと……」
彼の口はポツリとつぶやいていた。
そう、ヴェインの背から生み出された純白の両翼は、まさに天使の翼だった。
瑠奈のうちに眠る大天使ほどの威容はない。
大天使ほどの魔力量は、今はまだ見えていない。
だが、その力の一部であったとしても、意識的に振るうことに成功しているだけで大いなる脅威と言える。
なにせ、天使の力は単なる魔導師単独で勝てるようなものではないのだ。
天使を制することができるのは、天使のみ。
そのはずなのだから。
「……お前、どうしてその力を」
「……わざわざテメェに言ッてやる義理もねェだろ」
ひゅう、ひゅうとヴェインの口から呼気が漏れる。
しかし、その瞳はギラギラとした輝きを見せており、その呼吸は手負いの獣であることを証明するに過ぎない。
そして眼前の敵が放つ闘志は先ほどまでの魔力量とは桁が違う。
……軽口を叩く余裕は、もはや無いらしい。
「ぶッ潰す」
やけに聞こえる囁きと共に、ヴェインの体が前傾姿勢に移る。
刹那、爆風と衝撃が場を引き裂いた。




