第3章 立ち塞がる者-2
「大天使が外出許可?」
「ええ。一応取っておきたいとのことで」
部下が持ってきた情報に眉をひそめながら、ミランはふむと顎に手をやる。
そういえば、彼女がここに到着してから缶詰になっていたような気がする。
被験者のストレス値が上がりすぎるのはこちらとしてもあまりよろしくない。
時間を無駄にはしたくないが、そのせいで研究の進捗が思ったように進まない方が問題になるだろう。
「まあ、構わないでしょう。あなたは随伴するのですか?」
「いえ、彼らは自分の移動手段を持っているので……」
「ああまあ“黒翼”と“大天使”ですから自分の翼でどうにでもなるでしょうね。車と同速でも、道に阻害されない分翼の方が早いでしょうし」
なるほどなるほど、とミランはロレンツォから視線を外した。
「可能であれば面倒事が起きた時の対処用についていてほしい所ですが……彼らほどの魔導師であればそれも要らぬ心配でしょうね。理由もないのだから、あなたがついていくのも難しいでしょう」
「ええ。恥ずかしながら、足手まといにしかならないので」
「構いません。何かあれば対応できるようにはしておきなさい」
「ありがとうございます。それでは、そのように皆さんにもお伝えしておきます」
「ええ、よろしくお願いしますね」
ぺこりと一礼をして、ロレンツォはミランの研究室から退室していった。
それにひらひらと手を振りながら見送ると、「さて」と再びミランはテーブルの上に置いてあった書類へと目を通す。
これまでの研究結果をまとめたものだ。
とはいえ、自分のために乱雑に書きなぐったものがほとんど故に、それをまとめ直している最中といった所だろうか。
これまで何度も観測を続けていただけあって、面白い情報が出そろい始めていた。
「しかし、こうなってくると逆に器の方が制約になっている気がしますね。……いや、大天使を人の器に留めておくと考えると、このぐらいはやらないと安定しないんでしょうね」
観測しているうちに、彼女の内に大天使を留める為の仕掛けも色々と察しがついていた。
七重もの封印魔導を連鎖させた上に、その上で“破れぬ誓い”なんてとんでもない封印を上から掛けているのだ。
普通の人間ならそれを維持するだけで魔力枯渇を起こすだろう。
だが、“大天使”の力の一部を封印へ誘導しているが故にガス欠を起こすこともないらしい。
おまけに他者との魔力同調を常に行なっている関係で、安定感も抜群ときたものだ。
なるほど、“罪咎の巣”の総力を挙げて封印しただけのことはある。
「とはいえ、それが枷になってしまっているのも確かな話。可能な限り色々と引き出したいところではありますが、やるとしたら面倒なことにはなりそうです」
そう呟きながら、彼は近くにあった書類のひと束を手に取る。
そこに記されているのは、耐久性特化のスライムが果たしてどれだけの威力を受けて消滅したかの数値。
瑠奈自身が研究所を吹き飛ばさないように手加減していること、研究員が総出で施設そのものの耐久性を引き上げるべく日夜術式強化に励んでいること、そして何よりスライムの耐久性の急激な向上に伴って、これまでとは比較にならないほどの速度で進捗が出ていた。
しかも少女の言葉を信じるのであればこの力さえも大天使という氷山の一角に過ぎないらしい。
数百人の魔導師が連携したとしても届き得ない数値へただ一人で軽々と超えてみせるそのありようは、まさしく人知を超えたナニカだった。
なるほど、これを鎖に繋ぐことなく放置していればまず間違いなく世界崩壊のカウントダウンが始まっていたことだろう。
“罪咎の巣”の即時対応には全く頭が上がらない。
あれ専用の部署が存在するというのもあながち過剰対応とは言えない程の出力だった。
そして。
それ故に。
それほどの力持つ者が実在すると知ってしまったが故に、なお研究者は深い笑みを浮かべるのだ。
「あれを再現することができるようになれば、我々はさらなる境地へと至ることでしょう」
“罪咎の巣”以外の組織に所属していたのならば、まず間違いなく即処刑されるであろう一言。
だが、魔導の発展のためにあらゆる清濁を併せ持つが故に生まれた特異点は狂笑を浮かべながら、書類へを目を落とす。
想像してほしい。
数十年もの研究の成果が、ただ一日で覆される瞬間を。
試行してほしい。
これまで自らが立ててきた課程がほんのわずかな瞬間でぶち壊される瞬間を。
そして、考えてみてほしい。
人は、人類は、この境地へ至ることが可能なのだと、数十年にもわたる夢に希望が与えられた瞬間を。
すでに失われた遺物をこねくり回して理論を想像する必要はない。
古い文献を洗いざらいひっくり返し、その文脈に隠された意図をたぐる必要もない。
目の前に、これほどまでにわかりやすく、結論が現れたのだから。
人は、これだけの力を保有しうるのだと。
であれば、あとは試行するだけの話だ。
どのような条件を揃えれば、あれだけの逸材を再現しうるのか。
どのような理論を実行すれば、これほどの力を御しうるのか。
そして、その過程が全て完了したならば。
まず間違いなく絵空事の世界が生まれるだろう。
これまでの常識の全てが叩き壊され、新たな理の元に全てが運用されるようになるだろう。
そして、あの少女は、その礎たりうるだろう。
そう、考えるだけで喜びが止まらない。
この数日眠ることをしていないが、そんなことさえも些事に感じるほどの幸福感が彼を満たす。
それほどの逸材が、彼の手の中にあるのだから。
「……まだまだ、探り足りない」
ポツリとこぼす研究者の瞳は、狂気的なまでの光を宿している。
タイムリミットは決まっている。
それまでにやらないといけないことは、腐る程にたまっていた。
「まだまだ時間は足りないのですよ、大天使。心ゆくまで付き合っていただきますからね」
ささやき、微笑む。
されど、それを解する者はここにはいない。




