第2章 追い縋る者-12
時はわずかに遡る。
瑠奈は今日も今日とて陰湿メガネことミランの研究室に訪れていた。
別段来たくて来ているわけではない。
こいつからの要請があるから。それ以上の理由は存在しない。
「時間通りですねぇ。それでは早速今日の実験を始めましょうか」
「はいはい。で、今日は何をするんですか」
「単純です。あれを相手していただきたい」
指さされた方向を見やれば再び巨大な魔導陣が輝き、その中心からグジュグジュと音を立ててナニカが姿を現す。
普通の女性ならそれだけで嫌悪感に身を凍らせるだろうが、あいにくと彼女は普通から程遠い。
それに、この程度の相手ならこの数日で見飽きるほど見て来た。
呆れたような口調で、瑠奈はミランに告げる。
「まーた対魔導スライム? 昨日も相手したと思うけど」
「昨日の結果から修正したので、昨日よりは手強いはずですよ。まあ、百聞は一見に如かず。試してみてください」
「はいはい」
やれやれとため息をつきながら、瑠奈は産み落とされた怪異に真正面から向き合う。
レトロなゲームのイラストをそのまま現実に引きずり出したらこんな姿になるのだろうか。
そんな感想を抱くほどに、それはわかりやすくそしてチープな見た目をしていた。
ドロドロとした表面に、ヌタヌタとした動き。
こちらへと腕らしき何かを伸ばそうとしている鈍い動作は昨日までと何ら変わりない。
その速度は、“黒”を纏わない琉衣夜でも余裕でかわしてみせるだろう。
そもそも、彼女であれば動く必要さえない。
「……好きにしてもいいのね?」
「ええ、構いませんよ。研究所ごと吹き飛ばなければ、特に問題ありません」
「了解」
ふう、とひとつ息を吐いて、瑠奈は内に秘められた力を解き放つ。
琉衣夜と交わした“破れぬ誓い”のおかげで随分と安定したその力は、意外にもすんなりと宿主の声に応えて起動する。
大天使の力はあまりにも膨大故に、ひとつ制御を間違えれば暴走に至る爆弾のようなものだが、それも昔の話。
今では不必要に巨大な力を使役しようとしなければ、ある程度は融通が利く。
「……やるよ」
囁くと同時、瑠奈は天使の力を放出する。
刹那、燐光がハラハラとその全身から放たれ、魔力の風に乗ってふわりふわりと彼女の立つ部屋へと広がっていく。
それは、スライムのいる場所も例外ではない。
キラキラと明滅しながら漂う光はスライムの不定形な肉体へと付着し、
ドゴン!!
瞬間、凄まじい爆発が起こる。
それも一つでは収まらない。
ふわふわと風に舞う羽のような輝きは、しかし敵対者の体に触れた途端凄まじい威力を放って炸裂する。
炸裂したそばから新たな燐光が到達し、まるで傷跡を抉るかのように爆発した。
そして爆発は連鎖し、爆風がさらなる光を招き寄せ、スライムを動くことすら許さないままに連撃を叩き込む。
そうして。
百ほどの爆発が収まった頃には、もはや液状生物は動くそぶりさえ見せなくなっていた。
「……で、昨日のやつと別に変わりないんだけど。これで終わり?」
「いえいえ、耐久限界を迎えていたら昨日と同様に蒸発しますよ。まだまだこれからです」
「本当に? もう動きそうにないんだけど」
それ見たことかと研究者に声をかけるも、研究者は表情を変えていない。
どうやらこの程度はすでに想定済みらしい。
でも、すでに動かなくなっているのにここからどう巻き返すというのか。
ほんの少し呆れたような表情のまま、瑠奈はスライムへと視線を戻す。
と、そこで違和感を覚えた。
彼女の放った燐光が、すべて消えている。
スライムの体を吹き飛ばしたものはもちろん、それ以外の部屋を照らしていたはずの輝きの一部が消え失せていた。
天使の力を纏った光であるにも関わらず。
(……だとしたら)
思考に要する時間は一瞬。
されど状況はそれよりもさらに早く変化する。
グジュリ、と音を立ててスライムが形状を変化させたと思えば、その全身から数十にのぼる触手が放たれた。
うねりながらこちらへと十重二十重に襲い来る水色の触手に、瑠奈の動きが一瞬だけ固まる。
されど、その腕が彼女を捕らえることはない。
「……近付くな」
嫌悪感もあらわに、瑠奈は眼前に三つの式を展開する。
琉衣夜がデチューンした『殲光』という魔導。
その、オリジナルたる輝きが使い手の意思に導かれ発現した。
それは天使のみが使役することを許された、神の光。
それは決して人が用いることを許されざる天の雷。
それが、三つ同時に展開され、発動された。
刹那、景色さえ歪んで見えるほどの光量が部屋を覆い、
瞬間、純白の輝きとなってスライムへと襲い掛かる。
広がろうとしていた触手は進撃する輝きを食い止めるべくそれぞれ光へと距離を詰めるが、触れた途端にじゅわっという音を立ててあっさりと消滅した。
一つ一つでは到底太刀打ちできないと判断したのか、今度は複数もの触手が一本の槍へと束ねられて神光へと立ち向かう。
されど、じぃわあああああああああああ!! という油を敷いたフライパンに水が撥ねたような音を立てながら、三連の輝きはじわじわと本体へと距離を詰めていく。
そして。
その光がスライムの本体へと直撃する。
バヂィ!! と甲高い音を立てながら、光がスライムを呑み込んだ。
これで終わり。
この一撃は琉衣夜であろうが、美咲であろうが受け止められない。
無論回避すれば話は別だが、受け止められる相手はこの世界にほぼいないだろう。
ふう、と一息つくがしかし瑠奈はかすかに首を傾げた。
直撃してから十数秒。
にも関わらず、神光は未だ消えることなく敵を滅さんとばかりに進撃を続けている。
……そう、未だに進撃をしている。
すなわち、そこには敵がまだいる訳で。
「……随分と、タフなやつを作ったものね」
「流石に何度も一撃で消し飛ばされれば、改良しますよ。言ったでしょう、昨日よりも手ごわいと」
「まあ確かに昨日に比べれば手ごわいけど」
果たして神光が消え去った後にも、未だ敵の姿はそこに留まっていた。
先ほどのミランの言葉があっているのであれば、耐久限界を迎えれば崩壊するらしいので、未だ耐久限界には届いていないのだろう。
なるほど、確かに耐久面だけを考えるのであれば随分と強力な敵だ。
だが、それでもまだ届かない。
「でも、私の足元にも及ばない」
ゾン! という轟音が響き、真紅の剣がスライムを貫いた。
瞬間、体内の核を貫かれた軟体生物が声にならない絶叫を上げながら、その身がざらりと崩壊して何ともわからぬ粉塵へと変わっていく。
耐久限界を超えたのだろう。
ようは、その程度だ。
神光だけが瑠奈の力ではない。
天使の力が、その程度で留まるわけがないだろう。
「てな訳で、一つ目終わったけど。どうするの?」
「いやはや……かなり強くしたはずなんですがね。では次を出しましょうか」
「ほんと、毎日毎日飽きないわね。調整も楽じゃないでしょうに」
「天使の力を目の前で計測できるのですよ? これに勝る喜びはないでしょう」
呆れたような声で言う瑠奈に、ミランは当然のように答える。
それにこの程度の相手なら調整もそこまで手間ではない。
単純な肉体に、魔力の核を埋め込むだけ。
耐久調整は魔力の核をどれだけ強くするか調整するだけ。
それだけの手間で、目の前で伝説の天使の力を見ることができるのだ。十分すぎる費用対効果と言えるだろう。
「そう言う訳で、次のやつを出します。準備はいいですね?」
「はいはい、どうぞ。どうせすぐに消えるけどね」
「構いませんよ。その為に作っているのですから」
再び光を放つ魔導陣にため息をつく瑠奈と、その横で嬉しそうな笑みを浮かべるミラン。
実験は、まだまだ始まったばかりだ。




