第2章 追い縋る者-9
「それじゃあ、琉衣夜に静。またお昼の時間にね」
「うむ、頑張っての」
「食堂で合流な」
「はーい」
こちらへちょこちょこと手を振りながら瑠奈はいつもの研究室へ歩いていった。
その表情は嫌々らしい色が浮かんでこそいるものの、三日目にもなるとある程度割り切ることはできるらしい。
……まあ、同室の静は随分と愚痴を聞かされるらしいが。昨日もそれで静は若干寝不足気味らしい。
「んで、そっちは寝直すのか?」
「悩んどるところじゃ。今寝ると、昼前の訓練に支障が出そうでの」
「体調が万全じゃない状態でやるのも、な。せっかくだし、寝たら?」
「うーむ……。そうするかのぉ」
「じゃあ、また後でな」
「部屋に戻るのか?」
「ああ、別にやることもないしな」
相変わらずベタ甘な朝食にも辟易していたところだ。
ちょうどいいから、この際外に食べに行くのも良いかもしれない。
そんなことを考えながら食堂を後にし、ぐぐっと伸びをする。
ロレンツォに聞いた所、近くの町までは割と遠いらしい。
車を出そうか質問もされたが、車で行くよりも黒翼と屈折の魔導を利用して飛んで行く方が速い。
色々と探索をしてみたい所もあるので、丁重にお断りさせていただいた。
ロレンツォとしても移動手段を持っている魔導師は初めてではないらしく、「バレないように気をつけてくださいね」と密やかに囁くのみで、それ以上の追求はされなかった。
「せっかくの旅行だ、観光も楽しまねえとな」
とりあえず財布と携帯をポケットに詰め、日光よけの薄いパーカーを羽織って準備は完了。
言葉は英語ベースで伝わらなければ翻訳ソフト、最悪魔導を使えばどうにでもなる。
ゴキゴキと首を鳴らし、足りないものが無いか確認をしてから外用のシューズを履き直した。
準備は整った。
さて、出かけるとしようか。
内心少しワクワクしながら自室の扉を開くと、眠たげな声が彼を出迎えた。
「ふわぁ……ようやく準備が終わったか。待ちわびたぞ」
「静? 寝るんじゃなかったのかよ」
「おんしが一人で何処かに行こうとしていたからの。つれない奴よな、本当に。声ぐらいかけてくれれば良いものを」
「いや、そもそも一人で行くつもりだったからな」
「ふぅむ、本当にいけずよな。そんなことばかり言っておると、こわぁい天使様に告げ口してしまうぞ?」
「ぐっ……」
「ふふん、わかったのであればさっさと行こうぞ。瑠奈とていつまでも研究者に捕まっておる訳では無いからの」
「……しゃあないか。行くぞ」
「おうとも」
憮然とした表情でそう告げる琉衣夜に、打って変わってニコニコ顔の静は鈴を転がすような声で答えた。
……予定は狂ったが、彼女なら邪魔になることもないだろう。
「忘れ物はないか。戻ってくるのは面倒だから、何か忘れてたら放っていくぞ」
「ん〜、パスポートいるかの?」
「コピーで良いだろ。取られたりはしないと思うけどな」
スリやコソ泥がいるとは聞くものの、静に触れられる奴はそうそういない。
自分でもその可能性に思い至ったのか、「では特にない」と微笑んだ。
「そうかい」とそっけなく答えて、琉衣夜は階段へと歩いていく。
この建物にも屋上がある。
屋上から飛び出す形を取れば、多少は時間も力も節約できるだろう。
屋上でぐぐっと体を伸ばし、「んじゃ、行くか」と静を見やると、彼女は首を傾げていた。
「おんし、どうやって行くつもりじゃ?」
「どう、って空からだけど。俺達じゃ、運転はできないだろ」
「どうやって?」
「……もしかして、お前飛べない?」
「飛翔の魔導なぞ知らんぞ。跳躍はできるが」
「……ちなみに、どれくらい跳べる?」
「流石にキロ単位は難しい。私の体は問題ないが、着地点が保たん。姿を隠していても衝撃は隠せんじゃろ」
「あー……」
頭をかかえる琉衣夜。
確かに彼女の覚えている魔導は白兵戦に特化している節がある。
それを考えると、応用したとしても難しいかもしれない。
高速で走ることはできるだろうが、跳躍と同様に隠し続けることに無理がある。
この状況で出し得る解は……。
「仕方ない、ロレンツォに頼んでくるか……」
「うん、何でじゃ?」
「何でって、このままだと行けないだろ」
「いや、行けるじゃろ」
「行けるってどう、やって……」
静の方を向くと、静はむふん、と自信ありげな笑顔を浮かべながら両手を広げていた。
まるで抱きしめろ、とでも言わんばかりの挙動に、琉衣夜の目がジト目になる。
「……抱いて行け、と?」
「おぶっても構わんぞ?」
「背中から翼出すのに、どうやっておぶるんだよ」
「じゃあ抱えてもらうしかなかろ」
「お前、実は馬鹿だろ」
「私はどちらでも構わんぞ? ただ、おんしが私を置いていくというのであれば、私にも考えがあるがの」
「どうする?」とにやける静に、口一杯の苦虫を噛み潰したような表情を向ける。
……が、他に方法も思いつかない。
「……後ろ向け」
「ん? こうか?」
「ああ、それでいい」
「それは良いが、何を」
するんじゃ、と言おうとした所で、少女の膝ががくんと折れた。
後ろから琉衣夜が膝カックンをしたが故に。
流石の静もあまりに唐突すぎたが故に態勢を崩してしまう。
受け身すら取れない状態でその体が後方へと倒れようとし、
そして、ふわりと静の体が宙に浮いた。
「……お?」
「これなら、まだマシだろ」
琉衣夜の腕が静の首の下と膝の下に通され、倒れようとした彼女の体を持ち上げていた。
いわゆる、お姫様抱っこの態勢で。
「……!?」
「暴れんな。見られても面倒だし、さっさと行くぞ」
「……ぬぅ」
文句の一つも言ってやろうと口を開いたが、琉衣夜ににべもなく言い切られて何も言えないまま静は口をつぐむ。
両腕がふさがっているため、“黒”に命じる形で魔導を発現。
周囲の屈折率が歪められ、二人の体が見えなくなる。
「んじゃ、遊覧飛行と参りますか」
「そ、そうじゃの。……よろしく頼む」
「お、おう。頼まれた」
随分としおらしくなってしまった静に調子を狂わされながら、琉衣夜はその背から真っ黒な翼を生み出し、一気に屋上から飛び出した。
その体が空を裂いて、あっという間に建物が点になるほどの高度まで翔け上がる。
もともと高山地帯なのもあって、調整用の魔導を使っているにも関わらず肌寒い。
「静、寒くないか?」
「だ、大丈夫じゃ。大事無い」
「顔真っ赤じゃねえか。強がらなくて良いんだぞ」
「き、気にするでない。すぐに戻る」
「……そうかよ」
口では強がりを言っているが、顔が赤らんでいる辺り早めにどうにかしてやった方が良さそうだ。
「仕方ねえな」と呟きながら、琉衣夜はほんの少し速度を緩めながら高度を落とす。
「少しゆっくりで行くから、きつかったら早めに言えよ」
「……うむ、助かる」
「テンポ狂うな……」
普段の快活なありようは何処へやら。
蚊の鳴くような声で細々と答える静に何か狂わされるものを感じながら、琉衣夜は普段よりもゆったりとした速度で空を行くのだった。




