第2章 追い縋る者-8
(どうにも腑に落ちないんだよなぁ)
食事の時間も終わり、それぞれの部屋に戻った頃。
星が瞬く夜空の下、琉衣夜は一人散歩に興じていた。
模擬戦をしていたこともあって本当であればさっさと寝てしまう方が良いのだが、どうしても納得しきれない何かがあった。
(天使の研究をしたいというのは、まだわかる)
ここは“罪咎の巣”の管轄内にある天使研究施設。
故に、瑠奈の中にある力を求めているのは、まだ納得ができる。
(でも、何で俺や静の観測をする必要があるんだ? 俺はまだわかる。でも、静はどうしてだ)
天使の力をほんのわずかなりと宿す琉衣夜を調べたがるのは、わかる。
だが、静まで観測対象になっているのは何故なのか。
当の静は「まあ構わんよ。色々と癖も教えてもらえる訳だしの」とカラカラ笑っていたが、正直琉衣夜はその辺りも含めてミランを信じきれずにいた。
こちらのデータを観測して、何に利用するのかも明確にされていない以上、琉衣夜はミランを無条件に信頼するわけにはいかない。
「……それに、きな臭い感じも消えてないしな」
イタリアに到着して未だ二日目。
襲撃は退けたとはいえ、再度襲ってくる可能性はかなり高いだろう。
……むしろ、再度来てくれることを期待して逃がした部分もないわけではない。
敵がもしも瑠奈を狙っているのだとしたら、滞在期間中に必ず来るはずだ。
そして敵が組織だった相手であるならば、琉衣夜一人に撃退されたことを考えるとより強い、もしくは多くの敵が襲撃に来るはず。
「早めに来てくれると嬉しいんだけどな。楽しみとはいえ、あんまり放って置かれるのも目障りだし」
周りに誰もいないが故に、何の躊躇もなく彼は己の本心を口走った。
宵闇に閉ざされた状態であるが故に、うちに宿す黒き衝動は人目をはばからず彼の影を伝って道路に仄暗い闇を落とす。
漆黒の触手はまるでアンテナのように周囲へと広がり、彼の周りに誰もいないことを確認していた。
故にこそ、彼は誰かに見せることを憚られる言葉さえ、止める必要はない。
「早めに来てくれると、こっちも色々と楽なんだが。……いっそ、こっちから燻り出しに行くか?」
顎に手をやりながら、そんなことを呟く。
以前の襲撃者の魔力パターンは何となく覚えている。
随分とわかりやすい波長を見せていたから、探そうと思えば探せるかもしれない。
それならば、いっそこちらから殴りに行くのもアリかもしれない。
「災いの芽は早めに潰すに限るしな。それも、一つの手か。ただ……」
瑠奈は嫌がるだろうなぁ。
そんなことを考えて、琉衣夜はぐしゃぐしゃと頭を搔く。
瑠奈は彼が単独で敵と交戦することを極端に嫌がる。
それは、静とある程度模擬戦を積んでさらに実力が増した今であっても、変わらない。
彼女は彼が一人で敵を潰しに行こうとしていると知れば、全力で追いかけてくるだろう。
そして、大天使の力で敵戦力を跡形もなく潰してみせるだろう。
ただの、一人で。
「別にそれをしたいってわけでもないしな。……やっぱ、研究に時間を取られてる間に限るか」
今の所朝食を食べ終わってから昼食までの間はほぼ確実にミランの観測に付き合わされているため、彼女の目は確実に届かない。
であれば、単独で動いても咎められることはないだろう。
ロレンツォ辺りに散歩しに行くとでも伝えておけば、問題なく抜け出せるはずだ。
そんなことをつらつらと考えながら、星空の下を歩いていく。
すると、そんな彼にまるで天啓をもたらすようにある気配が現れた。
(……ありゃりゃ、この雰囲気は)
もしかすると、当たりかもしれない。
だとすれば、運命の女神は随分とこちらに対して優しくしてくれるらしい。
ニンマリと口元に笑みを宿しながら、彼は歩いていく方向を気配の元へと変える。
影に忍ばせた“黒”を辺りへ散らしながら、琉衣夜は気配を隠すことなく堂々と近づいていった。
そして、両者は再び相見える。
「よお、襲撃者。いい夜だな」
「……ッ!」
陽気に声をかけると、青年はこちらを振り向いた。
以前よりもその身から発せられている魔力量は抑えられているが、まだ甘い。
とはいえ、前回会った時からそれほど時間が経っていないことを考えれば、まあ及第点といったところか。
「テメェ、何でこんな所をほッつき歩いてやがんンだ……ッ!」
「いやなに、こんなに素敵な星空なんだぜ? 見ない方が勿体無いってもんだろ。それに、随分と生きのいい獲物も引っかかったことだし、なあ?」
「……クソッタレが」
青年は低い声で吐き捨て、こちらをじっと睨め付ける。
しかし、自分から突撃はしてこない。
以前何もできずに殴り倒されたことを覚えているのか、こちらを警戒するのみで自分からは近づいて来ようとしない。
良い判断だ。
前回見逃したのは正解だったと、つくづく自分の考えを褒めたくなる。
この一瞬でこれだけ育つのであれば、いったいどれほど強くなってくれるのだろう。
「良い目をしてるじゃねえか。今回はやたら吠えることもしない。随分と頭のいい犬っころだな、ああ?」
「るッせェな。テメェなんぞを相手にしてる暇はねェんだ」
「でも、俺を殴り倒して先に進むことはできない。だろ? お前の性格なら、それが出来るんならとっくにやってるもんな」
「…………」
返答はない。
しかし、ギリギリとその口元が強く強く噛み締められるのが目の端に映る。
それをせせら笑いながら、琉衣夜はさらに言葉を続ける。
「どうするよ。この前の続きと洒落込もうか? 俺はいたって暇だからな、全然構わないぜ?」
「……テメェ、あのクソヤロォと何の付き合いがあンだ」
「クソ野郎?」
「ミラン。あの研究所のクソッタレだ。知らねェ訳はねェだろ」
「ああ、ミランか。別に大した付き合いはないよ。所属が同じってだけだ」
「だッたらどけ。テメェにアイツを守る義理ァねェだろ」
「お断りだね。あそこには俺の大事な人がいるからなあ。それに手を出すって言うなら……ここでぶち殺す」
笑みをたたえたまま、しかしその声はまるで今にも掴みかからんとするような怒気を孕んでいた。
それに青年の目が一瞬細められる。
が、しかしひるむそぶりも見せないまま、男は言い返してきた。
「俺にとッても退けねェ理由があンだよ」
「そりゃあごもっとも。で、じゃあどうするよ。ここで殴り合うか?」
ほんの一瞬、男の全身から闘気が溢れ出す。
なるほど、と瞬時に判断した琉衣夜もそれに対して自らの殺意をわずかに露わにした。
静寂が辺りを包む中、されどこの空間だけはまるで針のむしろが敷き詰められているように鋭い気配が周囲を圧倒する。
一歩男が動けば、即座に琉衣夜も反応する。
まさに一触即発の状態と言えるだろう。
だが、両者が激突することはなかった。
「……やめだ」
「何だよ、つまんねえな」
「まだ勝てねェことは良くわかってる。だが、次はぶッ潰す」
「そうかよ。……そうだ、おい」
「ンァ?」
こちらに背を向けようとした相手に対して、琉衣夜はポケットから何かを取り出して相手に放り投げた。
それを青年は右手でキャッチし、投げ渡されたものをまじまじと見つめる。
それは、液晶携帯だった。
「ンだよ、こいつは」
「どうせだからそこに連絡先を入れておけよ。相手して欲しけりゃ、いつでも相手してやるぜ」
「ざッけンな!!」
咆哮。
同時に琉衣夜の携帯が風を切り裂いてこちらへとぶん投げられた。
それを琉衣夜は難なく受け取るが、その間に青年はこちらに背を向けていなくなってしまう。
「……つれないなあ」
ぽそりと呟く琉衣夜の表情は、少しがっかりした様子だった。
やれやれと首を振って、その携帯をポケットへ戻す。
「だが、布石は打った。また会おうぜ、襲撃者君」
にぃ、と裂けるような笑みを浮かべ、琉衣夜もその場を後にする。
夜は涼やかな風を運んでくる。
されど、その身に滾る熱は冷めそうにもなかった。




