第2章 追い縋る者-6
その日の夕方のこと。
ギチギチと悲鳴を上げる筋肉を押して、さらにもう一段階全身を駆け巡る“黒”の出力を引き上げる。
体が無意識にセーブしようとするレベルの、もう一歩先へ。
軋むような感覚と共に、全身が痛みを発する。
普通の人間であれば、すでに筋肉が千切れ飛ぶレベルの過負荷をかけた状態故に、体は遠慮のない文句を言い放つ。
だが、己の限界を越えるにはここで留まっているわけにはいかない。
「ぃ、ぎぁ……い、くぞ、静」
「よかろ、楽しませてもらおうぞ!」
その様子を見ながら、しかし楽しそうに微笑む静。
己の限界にストイックに挑み続けるその姿を前に、昂らない訳がない。
しかも、彼の実力が伸びれば自分との戦闘もより高度なレベルへ到達してくれるのだから、乗らない理由はなかった。
ずん、と強力な踏み込みと共に静の体が駆け出す。
その両手に握られた模造刀は彼女の魔力をまとって鈍く輝いていた。
「せぇいっ!」
裂帛の気合と共に、その刀が振り下ろされる。
魔力によって補強された刀身と、全身のバネを利用して振るわれる威力。
その相乗効果は凄まじく、まさに鋼すら絶ってみせるとばかりに必殺の一撃が放たれた。
そもそも受けることを考えるのが馬鹿馬鹿しい、そんな一撃を前に琉衣夜はされど回避を選ばない。
普段よりも濃密な漆黒の気配を全身から漂わせながら、琉衣夜は静の斬撃を両腕で受け止めるべく両腕をクロスさせた。
刹那、静の渾身の一撃が、琉衣夜の両腕に激突する。
「ぬぅううううううううっ!!」
「お、おおおおおおおおっ……!」
腕をへし折り、そのまま頭蓋を打ち砕かんとばかりにさらに力を込める静。
対し、そうはさせるものかと四肢を踏ん張る琉衣夜。
両者の力は数秒に渡って均衡した。
だがしかし、彼女の打撃が彼を襲うことはなかった。
「ふうぅうっ……! ……くそっ」
「だらぁああああああああっ!」
真正面から受け止められた為に、静の勢いはすでに殺されていた。
それでも目の前の標的を打ち砕かんとさらに力を込めようとしたが、その間隙をついて琉衣夜が模造刀を弾き飛ばす。
苦虫を噛み潰すような表情で静は後方へ飛び退るが、それをそのまま逃す琉衣夜ではない。
ずるずると全身を流れる黒を叱咤し、再び体に魔力を供給していく。
ギシギシと悲鳴を上げる筋肉を無理やり動かし、彼は大きく足を踏み出した。
「うお、おぉおおおおおおおっ!!」
「ぬう、速いっ!」
飛び退る彼女へと追い縋る。
その速度は、まさに風の如し。
後方へと動く静に対し、前へと進撃する琉衣夜の方が進むのは速い。
彼の右腕には既に漆黒の力が宿されている。
拳を握る必要はない。
腹部を狙うなら掌底で全く構わない。
静はその能力こそ絶大だが、耐久力は普通の人間より多少高い程度に過ぎない。
その対策として“武の領域”や“人武共生”を用いているが、この速度であれば起動は間に合わない……!
「もらったぁあああああああああああああ!!」
半ば確信めいた勝利の感覚と共に、琉衣夜は右腕を突き出す。
次の瞬間、どごぉ!! という鈍い音が部屋に響き渡った。
「あ、ぶないの……さすがに、今のは危うかったわ」
「お前、よく反応できたな……っ」
直撃すれば常人ならば即死、魔導師であっても戦闘不能になりかねない威力の一撃を受けたにも関わらず、静はまだ意識を保っている。
見れば、琉衣夜の右手は彼女の腹部には届かず、その直前で構えられた模造刀に止められていた。
「女に対して本当に容赦ないの、おんし……っ!」
「身体能力なら俺より上だろ、テメェ……っ!」
互いの力が拮抗し、拳と刀が鍔迫り合う。
だが、先ほど止まった敵に対し、琉衣夜はまだ攻撃手段が残っている。
「おら、食らっとけ!」
「食らうか!」
左拳を振るうも、跳ねあげられた静の足に弾き飛ばされて琉衣夜は体勢を崩した。
さらに静は頭をぐいんと後方へ下げ、そのままの勢いで琉衣夜の頭へ額を叩きつける。
「うおっ……ぁ」
「むうんっ!」
頭をふらつかせた琉衣夜に対し、静は再度模造刀を振るう。
“黒”がその斬撃を阻まんと地より這い上がるが、その衝撃を食い止めるには至らない。
そして。
「……あー、また負けた」
「ふん、今のはなかなかじゃったの」
ピタリと首筋に添えられた模造刀を前に、琉衣夜は両手をあげる。
それを見て、静はふふんと力無い笑みを浮かべた。
「どうじゃった、“黒”を限界まで引き上げてみた実感は」
「だーめだ、こりゃ。最高出力はもちろん強いけど、全然維持できねえ」
ふへぇ、と息を吐きながら琉衣夜はそのまま座り込む。
その全身はぐったりと脱力していた。
無論、“黒”の回復によって後遺症になるほどのダメージはない。しかし、傷は治っても疲労は蓄積されていくが故に、彼はへたり込んでいた。
「流石に体力はすぐにはつかないな。“黒”の使い方はさておき、筋トレは継続だ」
「それでも随分動けるようにはなったの。初めの頃は十数秒で動けなくなっておったというのに」
「そりゃあ数ヶ月頑張ればな」
両手両足をぐったりと伸ばしながら、彼はヘロヘロと答えた。
対し、静の声も普段より力がない。
全身を“黒”でだぶだぶに浸し切った状態ならさておき、通常の範囲で最大出力を保とうとすると琉衣夜も、相手をする静も疲弊し切ってしまっていた。
「……んで、この部屋に支障が出ないレベルの最大出力は出した訳だけど、これでいいのか」
「ええ、十分です。データはある程度観測できましたしね」
コツコツと靴音を鳴らしながら近づいていくるミランに対し、琉衣夜はぶっきらぼうに問いかける。
“黒”に全身を浸した状態までやらなかったのは、この部屋に張られている観測魔導をぶち壊さない為だ。
無論出力としては全身“黒”に浸し切った状態の方が高いが、暴走した際にはこの部屋どころか建物自体を崩壊させかねない。
彼自身が統制できる最大出力での模擬戦闘が、さっきの一戦だった。
「ふむ、しかし天使の護衛だけあって随分と高出力ですね。うちの研究員として雇いたいところです」
「何するんだよ」
「無論、魔導式を最高負荷でどこまで維持できるか、ですが」
「ざっけんな、やってられるか」
「おや、残念。魔力そのものは地脈から吸い上げられるのでしょう? 君にとっては特に問題もないと思うのですが」
「そもそもこれを使うこと自体が疲れるんだっての」
「ふむ、個人的にはその“形質”自体も非常に気になりますが、ひとまず置いておきましょう。そろそろ夕食の時間ですから、そちらへどうぞ」
「その前にシャワーもらうぜ」
「ええ、構いませんよ。静さんも実演いただきありがとうございました」
「ん、美味い料理を用意しておるんじゃのうな?」
「うちの料理人が用意してますよ」
「ふむ、ならばよしとしよう」
ミランにひらひらと手を振られながら、二人は実験室を後にする。
外は既に真っ暗になっていた。
「静、シャワー終わったら迎えにいくわ。瑠奈にも準備させといてくれ」
「そうじゃな、私も随分と腹が空いた」
互いに疲労困憊状態のために、両者ともに口数が少なくなっている。
なお、この後すぐに部屋の前で待っていた瑠奈に抱きつかれてその場に崩れ落ち、十分ほど離れない彼女をげんなりと見つめる琉衣夜が現れるのだが……。
それはまた別の話。




