第1章 手を伸ばす者-6
「改めて、ご挨拶をさせていただこう。私はミラン、こちらの研究室で研究長を務めさせていただいてる。どうぞよろしく」
「よろしくお願いします。藤崎琉衣夜です」
「深夏瑠奈です」
「源静じゃ。よろしゅう」
「さて、簡単な挨拶も終わったところで早速話をしようか」
ひらひらと手を振りながらミランは軽薄な笑みを浮かべる。
本当に礼儀として挨拶をしただけらしい。
こちらも開口一番は最低限の礼を尽くしたつもりだが、これなら崩しても問題ないかもしれない。
「そちらが大天使の器か。ふぅん、初めて見るがやはり興味深いね」
「それはどうも」
口元に手をやりながら瑠奈をじっと見つめるミラン。
困ったような苦笑を浮かべながら答える瑠奈だが、その視線を遮るように琉衣夜が一歩前に立つ。
「んで、ここに呼んだ理由は?」
「研究のためさ、当然だろう?」
少し荒っぽい口調で問いかける彼に対して、ミランはにこやかに答えた。
どうやら他人の感情など一切気にかけないタイプらしい。司とはまた別のベクトルで苛立つタイプだった。
「そもそもここは天使の研究所だというのに、被験体が少なくてねぇ。そもそも天使の能力を一部でも継承しているだけでも非常に稀有な存在だ。だというのに、“罪咎の巣”には大天使を完全に身に宿した検体がいるというじゃないか」
ぎらりとその瞳が輝き、再びその視線が瑠奈へと向く。
そのあまりにも鋭い視線に、流石に瑠奈も一歩たじろいだ。
「そもそも、だ。諸君はなぜ天使の力が人間に宿るか、知っているか?」
「いや、しらねぇけど」
「そう、この世界の誰も知らない。天使の力を宿すものは非常に珍しい。数パーセント宿しているだけでも、魔導の世界では天才と言われるほどだ。にも関わらず、どうしてそれほどの力が人間に宿りうるのか、誰も知らない訳だ」
手を広げ宙を仰ぎながら、ミランは熱の入った言葉を続ける。
その目はここではない遠い世界を見つめており、内に秘める熱が全く知らない琉衣夜にさえも伝わってくるような気さえした。
「故に、私は知りたい。何故にこの世界は天使の力持つモノを生み落すのか。そこには何かの意思があるのか、はたまた究極の偶然なのか。それを解き明かしたいのだよ」
「んなもん、わかるのかよ」
「わからないさ。わかっているのであれば、この研究所をわざわざ設立する必要もなかった。わからないからこそ、知りたいと人は思うものではないか、琉衣夜君?」
そうだろう? と逆に問われ、琉衣夜は沈黙する。
理解してもらえたことに喜びを得たのか、ミランはそのまま言葉を続けた。
「そして、その知識を解き明かすことができれば、我々はさらなる領域へと足を踏み入れることができるだろう。例えば……天使の力持つモノを人為的に生み出す、例えばある者の体から天使の力だけを抜き出す、とかね」
「……本当にそんなことができるの?」
「さて、まだ何とも言えないね。それが本当にできるのかを調べるために、君に来てもらったのだから」
天使の力を抜き出す、の所で瑠奈の体がびくりと震えた。
彼女の質問に対してミランはねっとりとした笑みを唇の端に浮かべる。
その笑みは熱を帯びていながら、どこか湿っぽい何かを感じさせる微笑だった。
「という訳だ。君達の滞在時間も無限じゃない。早速色々と調べさせてもらうよ」
「まだ荷物も運んでねぇのに、随分と性急だな。というか、それよりも先に対処しないといけないことがあるんじゃねぇのか」
「対処? ……ああ、外のアレのことか。まあ、放っておいても大丈夫だろう」
「けど、ここは研究施設なんだろ。なら施設を破壊されたら困るんじゃないのか」
「気にする必要はない。上がいくら破壊された所で、本丸には届かないからね」
と、そこでミランは「着いてきたまえ」と言って歩き始める。
扉を開いた所で、彼はロレンツォへと目を向けた。
「君、彼らの荷物を宿泊予定地へ運んでおいてくれ。彼らが下に行ってる間は暇になるだろ?」
「ええ、わかりました。何か用があれば、お呼びください」
「頼むよ」
それだけを告げ、ミランはそのまま歩いていってしまう。
ロレンツォは三人に向かって苦笑を浮かべ、『追いかけて』とミランの背中を指差した。
「ごめん、ロレンツォ。また後で」
「ええ、また後ほど」
「ごめんなさい、ロレンツォさん。荷物、お願いします」
「ふむぅ、私もついていった方が良いのか?」
「静さんも多分ミランさんに指名されてると思います」
「そうか。では、またの」
「ええ、お気をつけて」
「……むぅ?」
さらりとかけられた一言に静は眉をひそめたが、ミランの足取りは存外に早い。追いかけなければ見失ってしまいそうだ。
仕方なく静はちょいちょいと手を振り、先に歩いていった二人の後を追う。
案内された先は、地下に広がる研究施設だった。
「こりゃまた随分と……」
「広いだろう? ここは以前の大戦で軍部に接収されていたらしくてね。爆撃されても大丈夫なよう、地下に広がっていたものをまとめて改造したのさ」
説明をしながら、ミランは廊下を歩いていく。
そして、そのうち一つの扉に手をかけて開いた。
扉の先に広がるのは、幾つもの式が組み合わさって生み出された一つの魔導式だった。
「さて、さっそく色々と確認をさせてもらおうか。瑠奈君、その式の中央に立ってくれるかい」
「何をするんですか?」
「君の中にいるものを確認するのさ。一応、本物かどうかを確認したいのでね」
「まあ、構いませんけど……」
てくてくと瑠奈が部屋の中央に立つと、術式が鈍く輝いて四方八方から幾つもの光が瑠奈を照らす。
幾条もの光が彼女を舐めるように照らし、その全身を余すことなく走査していく。
が、その途中で光がブツブツと勢いを無くしたかと思えば、術式そのものが真っ赤な光を放って途絶してしまった。
それを見て琉衣夜は驚いた表情を浮かべるが、ミランは興味深げな表情を湛え、瑠奈は当然といった表情を浮かべていた。
「何が起きたんだ、今の」
「そりゃあ、魔力測定なんてできる訳ないじゃない。こんな簡単な術式で」
「いやいや、割と強大な術式なんだけどね。やっぱり足りないか」
どうやら、魔力測定術式がオーバーフローしたらしい。
ふう、と小さく息を吐いて“黒”を瞳に宿せば、それがどうにか理解できた。
「……静、今のわかった?」
「いや? 私は魔導の方はよくわからんでの」
「まあ、琉衣夜もそのうちわかるようになるよ。また教えてあげるね」
「うーん……まあ、うん」
魔導師の二人としては当たり前の術式らしいが……琉衣夜は戦闘用の術式を中心に学習している弊害かもしれない。
「ふうむ、大天使を身に宿しているのは本当らしいね。いやあ、天使のかけらを宿している程度なら、今ので魔力量を測れるはずなんだが」
「私の魔力を測りたいんなら、それ専用の術式を組んでもらわないとね」
「さすが規格外の存在。いやはやこれでこそ楽しめるというものだよ」
琉衣夜は“黒”で部屋に刻まれた術式を見通す。
がしかし、その術式そのものが膨大すぎてその全てを即座に把握することは出来ない。
無論、どの式がどのような役割を果たしているのかはある程度わかるのだが、それを組み合わせることでどのような魔導に変化するのかが把握しきれない。
「……まだまだ、勉強しなきゃな」
「ふむ、若人よ大志を抱け、と言いたい所ではあるが、君にも仕事があるんだ」
「……え?」
ひっそりと近寄っていたミランが、耳元でひっそりと囁く。
それに、琉衣夜はぞわりとした悪寒を背中に感じていた。
「天使の護衛たる君達二人にも役割があるんだよ。案内してあげよう」
「えーっと、拒否権は……」
「ある訳ないだろう。君達は“罪咎の巣”だろう?」
「うへぇ……」
嫌な予感しかしない囁きに、しかし断ることを許されない空気。
琉衣夜はげんなりとした表情のままで、ミランの後をついていくのだった。




