第1章 手を伸ばす者-4
「着いたー!!」
「ほう、ここがイタリアか。やはり景色は違うもんじゃのぉ」
長い長いフライトと面倒臭い入国手続きを終えて、ようやく彼らはイタリアの大地に降り立った。
空港でも普段とは違う意匠と窓の向こうから見える光景に、柄にもなくはしゃぐ二人。目をキラキラと輝かせて、まるで子供のように辺りをあちらこちらと見渡している。
「はしゃぐのは良いけど、荷物は忘れんなよー」
それに軽く声をかけながら、後ろから追いかける琉衣夜。
ぐぐっ、と一つ伸びをして体をほぐすも、ゆったりしていると置いていかれるかもしれないと再び歩き出す。
そんなことを考えさせるほどに、二人のテンションは上がっていた。
「ねぇ、琉衣夜。何か食べようよ、色々あるみたいだよー!」
「やはり本場ゆえ、イタリアンかのぉ。口にするのは久方ぶりよ」
「……お前ら、仕事のために来たの忘れてないだろうな」
予想以上のうきうき声を発する二人に呆れた表情で答える。
以前の記憶がない瑠奈が胸を躍らせているのは納得できるが、静もはしゃいでいるのは流石に想定外だった。
「特に静、お前乗り継ぎの時にも大量に食ってたし買い込んでたろ。まだ足りねぇのか」
「足りん。一枚ぐらいなら余裕で入るぞ」
「一枚?」
「ピザ、一枚」
「一人で一枚丸々食う気かよ……」
ふふん、と鼻息荒く言いながら胸を張る静に、げんなりしながら返す琉衣夜。
経由した空港もあちらこちらを見て回っては様々な料理に舌鼓を打っていたのに、まだ足りないのか。
「静、本当に食べ過ぎじゃない?」
「そんなことないぞ、瑠奈。実際、体重は変わらん」
「……う、羨ましい」
心配そうに声をかける瑠奈だが、やはり自信満々に返事をする静の答えを聞いてヘニョリと眉を曲げた。
すらりとした細身に締まった筋肉を兼ね備えた静に対し、瑠奈は女性らしい柔らか目の体躯をしている。
そのせいか若干肉がつきやすいらしく、たまに体重計に乗ってはしょんぼりする姿が見られる。
そんな彼女にとっては、静の体質は羨ましくてならないらしい。
閑話休題。
「とりあえず、探さないといけない人がいるから飯は後でな」
「むう? そういえば何か言っておったの。確か、こっちの支部の人間じゃったか」
「そうそう、こっちの案内人らしい。宿泊先まで案内してくれるらしいんだけど……見つかんねぇな」
ポケットから液晶携帯を取り出し、SMSを立ち上げる。
しかし、こちらの案内人からの連絡は入っていない。一応、飛行機を降りた段階でメッセージは送っているのだが、返事は来ていなかった。
車で来ると言っていたので、運転しているのかもしれない。
「とりあえず、合流場所の近くに移ろう。近くに飯買えるところがあったら、そこで買おうぜ」
「ふむ……仕方ないの。そうするか」
「りょうかーい。じゃ、あっちの広場の方?」
「だな。あっちの出口の方で待っててくれって書いてある」
ガラガラとそれぞれのキャリーケースを引っ張りながら目的の場所へと歩いていく。広場のあたりに着くと、ちょうど琉衣夜の携帯が鳴った。
見ると、案内人からメッセージが来ていた。
「外にそのまま出てくれってさ。外側で車準備して待ってると」
「外?」
「A11だから……あれだな」
幸いなことに、彼らのすぐ近くに目的の出口があった。
出口を出ると、何台か停まっている車のうちの一つから誰かがひょいひょいと手を振っている。
「あんたがロレンツォさん?」
「ええ、初めまして琉衣夜さん。こちらの案内を担当するロレンツォです。イタリアへようこそ!」
金髪茶眼の彼は、陽気な声でそう笑う。
ロレンツォは運転席から降りると、笑顔でこちらへと右手を差し出してくる。携帯をポケットにしまって握手をすると、その微笑がさらに深まった。
「初めまして、よろしくお願いします。瑠奈と言います」
「よろしく頼むぞ、ロレンツォとやら。私は静じゃ」
「おお、こんな美人お二人とは思ってもいなかったですよ。こちらこそどうぞよろしくお願いします」
後からついてきた瑠奈と静が挨拶と自己紹介をすると、ことさらに嬉しそうな表情で返事をしていた。
イタリア人はなんとやら、という噂は聞いたことがあるが、どうやら彼はその噂に違わないタイプらしい。
「というか、あんた日本語上手だな。一応英語は喋れるようにしてきたつもりだったんだが」
「はは、日本から来る方もいるのでね。通訳兼運転手ですよ」
もともと日本も好きですしね、とロレンツォはウインク交じりに笑ってみせる。一応、琉衣夜は英語が喋れないでもないが、母国語で話せるのは安堵の限りだった。
「荷物、積んじゃいましょうか。後ろ、開けますよ」
「そうだな。瑠奈、荷物もらうぞ」
「じゃあ、静さんのは私が運びましょうか」
「おねがーい」
「そうか? では頼もうかの」
男二人でバンの後ろに荷物を積み込み、それぞれ車へ乗り込んだ。
琉衣夜が助手席に、女子二人が後ろの席に座ると、ロレンツォはエンジンをかけた。
「じゃあ、出発しますよ〜。我らが本拠地へアンディアーモ!」
「あんでぃあーも?」
「レッツゴー、ですよ」
くっくっと笑いながら、ロレンツォはバンを走らせる。
運転には慣れたものらしくその走りは非常に軽快で、空港のエリアからさっさと外に出ていく。
「ここから本拠地まで2時間くらいかかりますけど、お腹とか大丈夫ですか?」
「どこかオススメの場所があれば、食べていきたいのぉ」
「お前、マジで食ってばっかじゃねぇか」
「何を言うておる、今はちょうど昼じゃぞ。腹が減っては戦はできぬというじゃろ」
「その見た目だったら武士は食わねど高楊枝であってほしいけどな」
「はは。まあお昼時なのは実際そうですしね。レストランに寄る時間はないですけど、テイクアウトなら出来るんでそういう所にしましょうか」
「ふむ、であればそれで頼んだ」
「静、ちょっとは遠慮しようね……」
「本当はちゃんとした所に連れていきたいんですけどね。あまり遅れるとボスに怒られてしまうので」
目をギラつかせる静に対し、苦笑しながら返すロレンツォ。
車はゆったりとした挙動で道路沿いのドライブスルーへ入っていく。
話しかけてきた店員と慣れた口ぶりで話すロレンツォから出てくる言葉は紛れもなくイタリア語で、本当に海外へ来たのだと琉衣夜はようやく実感した。
「今頼んだので、少し待ってくださいね。……琉衣夜さん、どうかしました?」
「いや、本当にイタリアの人なんだなって。日本語ぺらぺらだったから」
「はは、よく言われますよ。日本に来ないか、って誘われることも、よくあります」
「どこで勉強したんですか?」
「元々家の関係で日本の人と付き合う機会が多かったんですよ。で、日本の方がイタリア語で喋ってくれてるのに、こっちも覚えないと不公平じゃないか、なんてね」
「しかし、そこまで喋れるようになるには苦労したじゃろうに。よう続いたもんじゃの」
「ですねぇ。まあ言葉の勉強はあれですよ。……あれ、なんだったかな」
と、そこで彼は言葉を思い出せないのか、ほんの一瞬口ごもる。
しかし、思い出すことに成功したのか、その表情がひまわりのようにほころんだ。
「ああ、そうだ。惰性ですよ、惰性」
「惰性? 継続じゃないのか」
「惰性ですよ。継続、なんてこわばってやってると、いつか無理になりますから」
「……そんなもんかね」
アクセントからイントネーションまで完璧な彼の言葉に、納得いくやらいかないやら複雑な表情をしているうちに、注文した料理ができたらしい。
店員から手渡された二つの袋を受け取り、ロレンツォはこちらへと手渡してくる。
片方には切り分けられてラッピングされたピザが、もう片方にはパッケージに入ったパスタとドリンクが入れられていた。
「好みはわからないので、とりあえず色々と買ってあります。好きに食べてください」
「すまんの、いただくぞ」
「ありがとうございます。いただきまーす」
「これ、代金大丈夫?」
「経費で落とせるので大丈夫ですよ。熱いうちに食べてくださいね」
「ありがとう」
「いえいえ。あとこれからアウトストラーダに入りますから、気をつけてくださいね」
「こっちの高速道路だっけか。了解」
彼らの乗っている車は普通の道路からするりと抜けて、アウトストラーダへの合流道路へと走っていく。
ETCと似たような構造なのだろうか。
料金所はなく、機械の音が聞こえたかと思えば制止用のバーが上がり、高速道路へと車はあっさり侵入した。
「さあ、飛ばしますよー」
「わぁお、早い早い」
間延びした声とは真逆に、アクセルをベタ踏みした車はエンジンを高らかに鳴らしながら一気に加速する。
速度は百キロをゆうに超えているのではないだろうか。
国内では滅多に体感できない速度感に、瑠奈が目を丸くする。
静は言葉を失っているのかと思えば、単に食べる方に夢中になっていて車のスピードなど気にしていなかっただけらしい。
その食べる速度は凄まじく、ゆったりとした所作で食べているにも関わらず次から次へとピザが消失していく様は、古いゲームのバグかとさえ思うほどに不可解な光景を生み出していた。
「っていうか、ちょっと待て。お前、俺達の分残してるだろうな!?」
「むぐ?」
「むぐ、じゃねぇよ。瑠奈、その袋こっちによこせ。こいつに渡しておくと、全部食われっぞ」
「静、一回もらうよ〜……いや、離してよ」
「んぐ〜!!」
「んぐ〜、じゃないの! ほら、離しなさい!」
「犬か、こいつは!」
意地でも離そうとしない静に、無理やり引っ張る瑠奈と呆れて何も言えない琉衣夜。そして、運転席のロレンツォはそれを聞いて大笑する。
そんななんとも賑やかな道中から、彼らのイタリア旅行は幕を開けた。




