第1章 手を伸ばす者-2
「ってぇ……くそ、今日も負けた」
「はいはい、お疲れ様。相変わらず互いに熱心ね」
「はっはっは、いやはや楽しく打ち合わせてもろうたわ。また明日も頼むぞ」
「わーったよ。またな」
「ではの」
片手を振りながら、静は琉衣夜たちの部屋を出ていく。
右手を痛めた琉衣夜はほんのわずかにほおを膨らませながら、“黒”で治療を行なっていた。
それを見ながら、瑠奈は彼用の食事を温め始める。
最近はトレーニングと擬似戦闘に留まっているために瑠奈の調整はほとんどいらない。
むしろトレーニング後、彼の体を回復させるための手回しがメインになっていた。
「ご飯にしよっか。ケガ、大丈夫?」
「大丈夫、そろそろ終わる」
もともと口数が多いタイプではない琉衣夜だが、最近は負け続きのせいか輪をかけて口数が減っていた。
……とはいえ、それも訓練直後のことだけで少し時間を置けば普段通りに戻ってくれるのだが。
「最近、随分とがんばってるね。体もがっしりしてきたし」
「そうか? ……まあ、あいつとの訓練の成果だろうな」
瑠奈の作ったミートボール入りボロネーゼをもぐもぐと頬張りながら、琉衣夜は半眼で答える。
互いに好敵手を求めていた二人にとって、互いの存在は少なからず刺激となっていた。
琉衣夜は琉衣夜で先達から技術を吸収し、静は静で燻っていた闘志を発散させる良い相手を見つけて楽しそうに勤しんでいた。
瑠奈としては知り合いとはいえ女性と二人きりで励んでいる事に若干の不満を感じないではないが、以前のように深夜まで外出するのに比べれば一緒に居られる時間が増えているので、特に何も言うことはない。
ケガをする頻度も随分と減っているし、何より毎日一緒に居られることは瑠奈の心境的にもありがたかった。
「ごめんな、最近ずっとご飯作ってもらってるだろ」
「良いよ。がんばってるのを知ってるもの。たまに作ってくれたら嬉しいな」
「わかった。何食べたいか、また教えて」
ごちそうさまでした、と両手を合わせて皿を台所へ運ぶ。
食事のコントロールをしてもらう代わりに、洗い物と掃除は琉衣夜の役割だった。
もともと掃除が苦でないタイプなのも、理由の一つである。
さらりと洗い物を終わらせて振り返ると、瑠奈はすでに準備を終わらせていた。
体力トレーニングは静の役割になったが、魔導の授業は変わらず瑠奈の担当だった。
静は神器とのリンクを中心とした魔導をメインにしている関係上、“黒”を除けば一般人に過ぎない琉衣夜にとっては使えない術式が多い。
知識量を増やすには、いわゆる一般的魔導を幅広く覚えている瑠奈の方が教師として向いていた。
「さ、それじゃあ宿題と今日の授業をしよっか」
「だな。今日もよろしく頼むぜ、せんせー?」
「まかせて〜」
やんわりと微笑む瑠奈。
そうして、今日も夜は更けゆく。
◇
「んで? こんな夜中に何の用だよ」
「おや、そっちは夜中か。失礼失礼、時差を忘れていたよ」
「思ってもねぇことをほざくんじゃねえよ」
相変わらずの嫌味ったらしい発言に青筋を立てながら、琉衣夜は司へ本題に入れと促す。
こいつのことだ、わざわざ深夜にかけてくるくらいの意地の悪さは出してくるだろう。
吐き捨てるように告げると、司はおやおやと言いながら言葉を続ける。
「随分と口が悪くなったな。……いや、失敬。元からだったかな」
「喜べ、お前だけの特別仕様だ。未来永劫変わらねぇよ」
「……全く、こんな時間を使ってる暇はないんだがな。本題に入るぞ」
「さっさとしろよ」
「では単刀直入に。お前の学校、確かそろそろ夏休みに入るはずだが」
「あと2週間くらいだな。それがどうした」
「瑠奈と一緒に飛んでもらうぞ。パスポートを用意しておけ」
「……は? なんつった」
あまりにも突然すぎる一言に、琉衣夜は自分の脳みそがバグったのかとさえ感じる。
司から飛び出したとは思えない言葉は、しかしさらに続いた。
「最近加わった“東方不敗”にも同行してもらうぞ。細々とした請求は僕じゃなくて美咲の方に確認してくれ」
「待て待て待て待て、何つったお前」
「やれやれ、君の耳は節穴なのかい。“罪咎の巣”からの呼び出しだよ。安定した天使の力を観測したいんだそうだ」
「それにしたって何でわざわざ海外に行かないといけないんだよ」
「こんな多派閥が絡み合ってる島国に研究施設を建てられる訳がないだろう。全く無神教者が多いとはいえ、面倒なものだね」
琉衣夜達が住んでいる国は他国に比べれば宗教に対しては割と寛容だ。
故にこそ多くの派閥が多種多様な方面から入りやすく、生活するには楽だが本拠を置くには色々と面倒くさい、らしい。
司からの説明だったが、納得できるやらできないやら。
「とにかく、パスポートがないから出国できません、なんて無様な連絡だけはしてくれるなよ。さっきも言ったけど、“東方不敗”にも来てもらう事になっているから、そっちの確認も頼んだ」
「めんどくせぇ……。チケットとかはどうすんだよ」
「その辺も美咲から送るように手配してあるから、そっちに確認してくれ」
じゃあな、と何の愛想もない言葉を残して通話が切れる。
やれやれと首を振りながらリビングへと戻ると、待っていたらしき瑠奈は既に船を漕ぎ始めていた。
「おーい、もう終わったんならベッドに行けよ。こんなところで寝てると、明日が辛いぞ」
「んー……琉衣夜も、一緒ぉ……」
「……やれやれ」
面倒くさげにため息を一つ吐くも、その口元は微笑んでいた。
このほんわかと緩みきった表情を見ることができるのであれば、司から降りかかってくる多少の面倒ごとなど些事も同然。
むしろこの程度であれば対価としては安すぎるだろう。……いや、面倒は面倒なのだが。
ペシリとその頭をはたき、それでも起きようとしない彼女の頭をワシワシと撫でる。
「起きろー。放っていくぞー」
「んやー、起きるぅ……」
ぼんやりとした声音で答えるも、瑠奈の足取りはふらふらと頼りない。
“東方不敗”と矛を交えた時はこちらの背筋が凍るほどの殺意を振りまいていたのに、スイッチのオンオフでこんなにも変わるものだろうか。
ぼふん、と音を立ててベッドに着地した瑠奈は、早くも寝息を立てようとしていた。
(片付けて、俺もさっさと寝るか……)
欠伸を一つこぼし、琉衣夜もテーブルを片付けて寝室へと向かおうとする。
明日は静にもパスポートを持っているか確認しないといけないし、何より自分がパスポートを作れるよう段取りをしないといけない。
生まれてこのかた海外に出ようなんて思ったこともなかったから、一から調べないと何が必要なのかわからない。
しゃーねーな、と区切りをつけてぐぐっ、と伸びをしたところで、はたと思考が止まる。
そういえば。
瑠奈のパスポートはどうするのか。
途端、琉衣夜は背中に嫌な汗が流れるのを感じた。
そういえば瑠奈がうちの学校に転入する手続きは“罪咎の巣”が一通り便宜を図ったはずだが、戸籍云々の話は、聞いてなかった、ような……。
まずいかもしれないと判断すると共に、彼の手は動いていた。
手に取るのはもちろん液晶携帯。
開いた連絡先は連絡なんてしたくもないあの男。
数度のコール音が鳴った後、顔も見たくない嫌な奴は舌打ち混じりで電話に出た。
「なんだい、急に。用件は済んだはずだけど」
「至急確認してほしいことがある」
「……ほう」
「あいつ、パスポート持ってんのか……?」
「…………」
「おい」
「盲点だったね。そういえばあの子は持ってないかもしれないな」
「おいおい、あいつの戸籍がどうとか俺知らないぞ」
「こっちでどうにかする、と言いたいがもしかしたらそっちでも動いてもらうかもしれないな」
「何でもいいけど、早めに頼むぜ……」
お役所は大体の場合土日休みだ。
学校を休んでやることがパスポート申請だなんて、嫌すぎる。
わかったらまた連絡する、と言い残して司からの電話は切られる。声音を聞くに、彼も本当に盲点だったらしい。
「……本当に大丈夫か、“罪咎の巣”」
自分が(一応とはいえ)所属しているはずの組織に対し、ポツリと不安げな声を漏らす。
「……るいやぁzzz」
何も知らない当事者は、ベッドで安らかな寝息を立てるのであった。




