終章 その牙は未だ潰れず、されど害せず-1
「う、あ……さすがに一日寝ただけじゃ、回復しきらないか」
「そりゃそうでしょ。一回目の時点で私の手がいるくらいむちゃくちゃだったのに」
翌朝、琉衣夜はグロッキーに陥っていた。
瑠奈の調整のおかげで悪夢こそ見ないで快眠できたものの、全身に残る疲労はどうしようもない。
人間一人が扱うことを許されないレベルの魔力を好き勝手振り回したのだ。
むしろこの程度の反動で済んだことを喜ぶべきなのだが……如何せん、人間とは自分に都合の悪いことは気にしないように出来ている。
「一応魔力回路の方は問題ないと思うけど……ご飯、食べれる?」
「……食べれる。準備するか」
「無理しなくてもいいよ? もうだいぶ準備できてるし」
「いや、最近一緒に食べれてないし」
そう言うと、瑠奈は一瞬目を丸くする。
しかし、次の瞬間にはその表情が花のようにほころんだ。
「じゃ、お願いね」
「任せろ」
とはいえ、大したことはできない。
少しでも精密な動作をしようとするとプルプル震える腕では、すでに準備されている皿を持っていく程度しかできなかった。
「……悪い」
「良いよ。こうなるとは思ってたし」
仕方ないね、と言いながらしかし瑠奈は微笑みを浮かべている。
席について食べ始めてからも、その表情は変わらない。
「どうかした?」
「ううん、落ち着いてご飯食べられるの久々だな、って。最近は琉衣夜ずっと心ここに在らず、って感じだったから」
「……そうだったか」
もぐもぐと朝食を頬張りながらすっと視線をそらす琉衣夜。
実際、最近はずっと敵と戦うことばかりを考えていたために、その辺りがおろそかになっていたのは否めない。
きちんと瑠奈と話をしながら食事をとったのは、“東方不敗”との戦闘直前のカフェで甘味を食べたぐらいだったか。
「まあ、これからは少し休むようにするからさ。またどこか出かけようぜ」
「ほんと〜? そうやって言って、明日また出かけたりするでしょ」
「ないない。流石に休むよ」
「なら、期待しておこうかな」
ふふん、と微笑む瑠奈に、どこへ連れて行ってあげようかと悩む琉衣夜。
まあその辺りは龍音にも相談してみるか、と区切りをつけて、ごちそうさまと手を合わせる。
二人で分担して片付けを終わらせ、身だしなみを確認してさっさと登校すべく外に出た。
外は快晴。
夏が近づいてきているのもあって、登校の時間だというのに既に嫌になるような気温になりつつある。
「……太陽なんて登らなきゃ良いのに」
「こらこら、そんなこと言わないの。洗濯物、乾かないよ〜?」
「いや、それ以外にも困ること腐るほどあるだろ……」
「ん〜、まあそれもそうね」
どこかズレたつっこみをしてくる瑠奈に、琉衣夜ははふぅとため息を一つ吐いて通学路を歩いていく。
歩いて行けるのが、うちの学校の良いところだ。
自転車通学が許可されない微妙な距離感ではあるものの、この程度なら歩きでも特に問題はない。
……まあ、帰りに買い物しづらい辺りが若干不便ではあるが。
「瑠奈、今日食べたいものあるか」
「んっとね、ん〜……何でもいいよ?」
「何でもいいが一番困るんだが」
「じゃあ、琉衣夜が食べたいもの。琉衣夜が作ってくれるんでしょ?」
「まあ、そのつもりだけど」
「なら、琉衣夜の食べたいものが良いな。琉衣夜の作ってくれるものなら、何でも美味しく食べられるから」
そんなことを言いながら、ほんわりと微笑む瑠奈。
まるで尻尾を振り回す犬のようにころころと笑う彼女に、琉衣夜も口元に笑みを浮かべながら歩いていく。
冷蔵庫には何が入っていたかな、そんな呑気な思考を進めながら。
しかし、そんな緩やかな思考は学校の玄関で遮られることになる。
玄関で上履きに履き替えていると、先に踊り場で待っていた瑠奈が男子学生に声をかけられていた。
「やぁ、瑠奈ちゃん。おはよう」
「……あ、おはよ」
瑠奈は一瞬誰のことかわからなかったのか沈黙するも、表情柔らかに返事をする。
それに気を良くしたのか、その男子学生は少し距離を詰めながら口を開いた。
「この前は楽しかったね。もし良ければ、また別の機会に遊び行かない?」
「ん〜、どうしよっかな。龍音も一緒なら考えるけど……」
「龍音さんも大丈夫って言ってくれてたから、大丈夫じゃないかな」
「そう? じゃあ、また空いてる日を聞いてみるね」
「僕の方で調整するから良いよ、瑠奈ちゃんはいつ空いてるの?」
「……え〜と、ね」
考えるそぶりを見せながら、瑠奈は困ったような表情を浮かべる。
上履きに履き替えた琉衣夜が近寄ったのは、ちょうどそんなタイミングだった。
「お待たせ、瑠奈。行くか」
「待てよ、琉衣夜。こっちは今話をしてるんだ、邪魔しないでくれるか」
「……誰だっけ、お前」
「国東だ、国東。もう何度も教えてるだろう!」
「……そうだっけか?」
本気で記憶にない琉衣夜は頰を掻きながら記憶を探る。
そういえば、“東方不敗”と夜中に戦闘する際、瑠奈を引き止めておくためになんか適当なやつと龍音にお願いをしていたような気がする。
瑠奈と龍音の二人なら問題も特に起こらないだろう、と割と適当に決めたせいか本当に記憶に残っていない。
同じ学校の奴らしき男子学生……国東といったか、が若干青筋を立てながら言葉を続けてくる。
「とにかく、お前と瑠奈ちゃんは何でもないんだろ。じゃあ、人の話を邪魔しないでくれるか」
「……ちょっと」
「ん〜、そうだなぁ」
国東の物言いに若干気を損ねたらしい瑠奈が少し強めの口調で口を開いたが、それを遮るように琉衣夜は瑠奈の方へと一歩足を進める。
「確かに、前に言った気がするな。何でもないから、好きにしろって」
「だよなぁ。じゃあ、どいてくれるか」
「そうだなぁ」
人を食ったような声音で答えながら、琉衣夜は瑠奈の目前まで足を進める。
瑠奈は驚くよりも琉衣夜の意図がつかめず、「琉衣夜……?」とか細い声で声をかける。
「そのことなんだけどさ。悪い、やっぱ変えるわ」
「……は?」
あっけにとられたような表情を見せる国東の前で、琉衣夜はニヤリと微笑んで行動に出た。
自分のすぐ隣にいる瑠奈の肩へ手を回し、その体をぐっと抱き寄せる。
驚いた色を浮かべて口を開く瑠奈が見えるが、その口を人差し指で抑えて国東の方を見やる。
国東は先ほどまでのアホ面は何処へやら、まるで噴火直前の火山のように少しずつ赤くなっていく。
それに対し、琉衣夜はあっけらかんと続けた。
「悪いね。こいつは俺のもんだから、他を当たってくれ。お前なんぞにやらねぇよ」
そう、堂々と言い放つ。
大勢の学生達が通りすがる踊り場で、隠すようなそぶりも一切見せず。
それに、瑠奈の表情が紅色に染まる。
琉衣夜の行動や言動を訂正するそぶりも見せず、むしろ彼女の方から彼の抱き寄せる手をぎゅっと握った仕草からも好感度の差ははっきりと見て取れた。
そんな彼女とは対照的に、顔を青くしたのは国東の方だった。
先ほどまではトマトと見紛うほどに顔を真っ赤に染めていたのに、その血の気があっさりと引いていく。
傍目から見ても、それは明らかに甚大な衝撃を受けている表情で。
何かを言ってくるかと思っていたのだが、そのまま国東は何も言ってこない。
流石にこのまま固まっているのも何だしと、琉衣夜は浮かべた笑みをさらに深める。
「そういう訳だから、人に声をかけるときは気をつけてな。じゃあな」
そう言い捨てて、琉衣夜は瑠奈に「行こうぜ」と声をかけてそのまま歩き始める。
国東はその背に対して何も言うことができず、その背中が階段の向こうに消えてからようやっと糸が切れた人形のようにその場に崩れ落ちるのだった。
あまりにも動かない彼を心配して誰かが呼んだ教師に、ボロボロの精神状態のまま事情を話したために再び琉衣夜にいろんな意味で疑いの目がかかるのだが……それは、また別の話である。
そして、そんなことになるとは思いもしない二人は、階段を上がって国東の視線が届かない位置についたあたりでようやく少しだけ離れた。
正確に言うと、琉衣夜は手を離した。
しかし、瑠奈は琉衣夜の手を握ったまま話そうとしない。
「おーい、瑠奈さんや。そろそろ話してくれねえか。こんな所を見られたら、奏絵先生に怒られちゃうぞ」
「…………と」
「何て? 悪い、聞こえない」
「…………んと」
「だから聞こえないって。なんて?」
ポソポソと何かを呟く瑠奈に、顔をしかめながら耳を近づける琉衣夜。
すると、瑠奈は再び顔を真っ赤に染めながら、ぽそりと囁いた。
「さっきのって……ほんと?」
「ほんとも何も、本気だけど」
「……冗談じゃない?」
「冗談じゃない」
「嘘でもない?」
「あんな所で嘘なんて言わねえよ」
「でも……だって……」
「いやいや、そもそもさ」
やれやれとでも言いたげな表情で琉衣夜は瑠奈の顔を覗き込む。
両手を頰にやり、信じられないものを見つめる目で瑠奈は彼を見つめるが、琉衣夜はそれを真っ向から見据えながら言葉を続ける。
「あのな、離れないって言ったろ。お前がいやだって言わない限り、俺はお前の傍にいるからな」
そう、何も変わらないのだ。
彼の考えていることは、何も変わっていない。
琉衣夜が力を求めたのも、より強い敵を探して夜毎に戦いへ身を投じていたのも結局のところはそこに終始する。
瑠奈の隣に立ち続けるため。
結局彼が努力する理由など、それ以上でもそれ以下でもないのだから。
「……うん。そう、そうだよね」
「だろ? ……まあ、心配をかけてたから、それは謝る。悪かった」
「ううん……。でもね、すごい嬉しいの」
ぐしぐしと目元をこすり、瑠奈はこちらへ微笑みかけた。
目元の潤みと頰の紅潮も相まって、琉衣夜の喉元がゴクリとなる。
しかし、瑠奈はそんなことを気にもかけずに言葉を紡ぐ。
「ありがと、ちゃんと言ってくれて。とても、とっても嬉しかったよ」
「……そっか。こっちこそ、ありがとうな。待っててくれて」
そう、二人で照れ臭そうに微笑み合う。
やんわりとした雰囲気が広がり、久方ぶりに二人の間に柔らかな時間が流れていた。
……そう、流れていた。
後方からその音が聞こえるまでは。
「る〜い〜や〜!!」
「んあ? なんだ、ってぐほぁ!?」
響き渡る声に振り向けば、腹部のあたりにドシャア! と言う凄まじい音と共に衝撃が走る。
ゴホゴホと咳き込みながら視線を向ければ、ふん、と鼻息荒く仁王立ちする龍音の姿がそこにあった。
「おっまえ、何してくれやがる……っ!」
「それはこっちのセリフよ、何朝から瑠奈を泣かせてんの!」
「違う、勘違いだっつの!」
「勘違いで瑠奈が泣く訳ないでしょ!」
「ああもう、事情もしらねぇくせに……!」
そう、ギャアギャアと騒ぎ始める。
その光景はいつもの日常のもので。
驚いた表情で固まっていた瑠奈も、それを見て薬と微笑んだ。
「もー、龍音ちゃん。私は大丈夫だから、その辺りでやめようね?」
「あ、瑠奈! 何されたの、ちゃんと相談してね。私がちゃんとぶっ飛ばしてあげるから」
「だから何もしてねぇっての」
「んー、まあ話しても大丈夫だけど、後にしたほうがいいと思うよ? ほら、そろそろやばいし」
『え?』
二人の疑問符が重なる。
同時、チャイムの音が鳴り響いた。
「あ」
「やっべ」
「ほらね?」
三人は顔を見合わせ、次の瞬間走り始める。
三人の担任の奏絵先生は時間ぴったりに教室へ来るタイプの教師だ。
教室にいないと、うるうるお目目の担任にしどろもどろ言い訳をする羽目になるだろう。
「お前が絡んでこなかったらこうもならなかったのにな!」
「ややこしいことを朝からしてるアンタが悪いんでしょ!」
「はいはい、二人ともさっさと行くよー」
そんな軽口を叩きながら、三人は廊下を走っていく。
それは、間違いなく琉衣夜と瑠奈が求めていた日常の形だった。
……思った以上に騒がしいような気もするが。




