第五章 少年の選択、少女の選択-2
「さあ、続けようか。悪いが、とことんまで付き合ってもらうぜ」
「よう吼えるではないか。満身創痍のくせに、の」
琉衣夜の威勢のいい啖呵に、“東方不敗”もまた煽りで応える。
「先の一撃、以前やり合うた時は一度が限界じゃったの。その身体、既に限界が近いのではないか?」
「はっ、馬鹿言うんじゃねえよ」
琉衣夜はぐにゃりと歪んだ笑みを浮かべたまま、“東方不敗”へ語りかける。
「まだまだやれるっての」
その声は背後から少女に耳に届く。
ぞわり、と背中に沸き立つ悪寒に従い、“東方不敗”は瞬時に“武の領域”を展開した。しかし、予想に反して手応えはない。
「おいおい、どこ見てんだよ」
嘲笑うような声が響く。
目を向けた瞬間、黒の一閃が視界を埋め尽くした。
「ちっ」
舌打ちと共に、少女は上方へと跳び上がる。先頭の経験に任せたままの、反射行動。
とっさに体が動くことは戦闘において必須とも言えるが、時としてその反射が仇になる。
具体的に言うのであれば、横に広い一撃を避けるために、彼女は上へと跳んだ。なるほど、確かにこの一撃を避ける手段としては最適だろう。
だが、さらに次の一手は?
「喰らえ!」
そして、それを見逃すほど“黒翼”は甘くない。
再び放たれる黒の攻撃。空中では回避行動が取り辛いことを考慮しながら、なお一撃で止まらず二撃目を叩き込む。
これまでの動きを見るに、“東方不敗”に能動的な飛行能力はない。あくまでも跳躍に基づく空中戦が可能なだけであり、空中での移動手段には乏しい。
だからこそ、虚をつく一撃でありながら、跳躍を選択させる攻撃が必要だった。
果たして、敵はこちらの思惑通り空中へ逃げ、追撃を今まさに受けんとしている。
「甘いわ!」
放たれた二重の黒撃。一撃目に対し、“東方不敗”はその神刀をもって迎え撃つ。
ダチュリ、と言う妙に生々しい感触と共に、真黒な一撃が両断された。
しかし、本命は次の一撃。既に刀を振り抜いた体勢を取り戻すには、時間が足りない。そして、直撃すれば間違いないく少女の体を蝕むだろう。
「墜とせ、“武の領域”!」
対し、“東方不敗”は自らの領域を再展開し、黒撃へと叩きつける。
命に応えて発動された紫紺の力場は、主に弓引く敵対者を撃墜すべく、黒の一撃へと襲いかかった。
しかし、それだけでは足りない。
そもそも琉衣夜がこの一撃を生み出したのは、“武の領域”を突破するためだ。である以上、“武の領域”で止められないのは自明の理。
無論、“東方不敗”とてそれを理解していない訳ではない。彼女とてこの程度では止められないことを理解しているし、そもそも彼女の狙いはそこにない。
空間が歪んで見えるほどの重力を、“黒”は真正面から踏破していく。しかし、削れど削れど限界し続ける力場に、その速度はほんの僅かに鈍り始めていた。
おそらく得られた時間は秒にも満たないだろう。だが、“東方不敗”にとっては十分に過ぎる。
その力が時間を稼いでいる間に体勢を整えた少女は、愛刀を構え迎撃の動きを取る。
刹那、あっさりと二撃目が叩き斬られた。琉衣夜が少なからずリソースを注いだであろう攻撃が、あっさりといなされる。
その事実を前に、“東方不敗”はふん、と息をついた。
「やはり、時間の無駄じゃったか」
「誰が、時間の無駄だって?」
……え?
認識が、ずれる。
瞬間、腹部に凄まじい衝撃が走った。
まっすぐに降りるはずだった軌道が曲がり、まるで円筒のような放物線を描いて細身の体が宙を舞う。
「もう一度言ってみろよ」
その挙動を生み出した主、琉衣夜は拳を振り抜いた体勢のまま吼える。
その背には“黒”が渦を巻き、夜闇を引き裂く翼となって戦場を駆け出した。
向かう先はただ一つ、“東方不敗”の落下地点。吹き飛んだ敵を追撃するべく、猛り狂う力を噴出させながら、空を征く。
「誰が、何だって、言ってみやがれっ!!」
咆哮。同時に彼の背から溢れる漆黒の衝動が、主の怒号に導かれるように分かれ離れて攻撃を始めた。
幾百幾千に分かれた“黒”の翼が今まさに地へ落ちんとする少女を貫くべく、四方八方から大挙して波濤の如く押し寄せる。
無論“東方不敗”とてそれを唯受けるわけではない。再び真紅の光が戦場を照らし、紫紺の力場が展開される。
“武の領域”に阻まれた黒手は次から次へとすり潰され、雲散霧消していった。
「それだけでどうにかなるとでも?」
呆れたような口調で問いかける“東方不敗”に、にんまりと微笑んだ琉衣夜が一気に加速する。
それは、まるで流星のように。
宵闇を切り裂き、少年は一条の黒矢となりて、敵の元へと辿り着く。
「……おんしこそ、それでどうにかなるとでも?」
小蝿のように群がる“黒”の襲来を“武の領域”で叩き潰しながら、少女は神刀を構えた。
あの速度と威力であれば、おそらく彼女の領域を貫くことは可能だろう。
だがしかし、“東方不敗”の本領はそこに無い。超重力による力場を超えた先には、本命の剣撃が待っている。
互いに退く選択肢はなく、互いの眼に映るのは眼前の敵のみ。
であれば、次の行動は眼に見えていた。
直後、互いの一撃が激突した。
先刻の衝突以上の衝撃が発生し、爆発じみた暴風が戦場を駆け抜ける。
漆黒に染まった拳と銀光を放つ刀は数瞬の間拮抗したが、直後魔力が収束し弾け飛んだ。
爆風に吹き飛ばされ、再び両者の間に距離が生じる。
刹那、両雄は再び地を蹴り、再度激突した。
“黒”が浸透した漆黒の拳と、旧き世の魔力を宿した神刀が寸瞬と間をおかずに相見える。
悪魔のごとき純黒の波動が相手を貪り尽くさんと組み付き、御使を幻視させる透き通った武威がそれを押さえ込んだ。
解き放たれた力のみならず、使い手の二者は戦場の中心で鍔ぜり合う。ギリギリと拳と刀が己が意を通さんとしのぎを削り、目前の敵を打ち砕かんと力が集中される。
瞬間、互いの魔力が限界点を超え、暴発した。
その威力で二人の手が離れる。
しかし、今度は両者共に一時後退を選ぶことはなかった。
二人は同時に地を蹴って前へ出る。零されるは一呼吸。しかし、力の交差は七度繰り返された。
一般人では最早目で追うことすら出来ない速度で、攻撃が交わされる。
衝突の瞬間、お互いの体から放出された魔力が吹き荒れ、地を川を空を薙ぎ払い、次の激突の刹那生まれた力に引き込まれ、熱渦となりて両者の肌を炙った。
(それでも競り合ってる……それもかなり思った以上に)
神器の力に目を奪われそうになるが、それをいなして対等に戦り合っているのはそもそも異常の域だ。“黒”の運用を変えたのが一番の理由だろう。
己の身に溶け込ませ、研ぎ上げて放出する。ただ“黒”に任せて貪らせるよりも、効率も威力も上がるのだ。
一方で敵に対する為とはいえ、負の感情を身に染み込ませる負担は非常に大きくなる。表面をなぞらせるだけでは無い。肉に、骨にまで悪意の塊を浸しているのだから、当然だろう。
今は先頭に集中しているが故に気づいていないが、それは表面に出た途端体の自由を奪い始める。
ビキリ。
嫌な音が、琉衣夜の右足から響く。もちろん表情一つ変えないまま戦闘を続行するが、その音は止まらない。
グチュリ。
左肩から妙な感覚と共に、腕が一瞬動かなくなった。“黒”の力で瞬時に回復するも、痛みは失われない。当然だ、痛覚を遮断すれば触覚も失われるのだから。
そして“黒”の出力も落とせない。ここで力を落とすと、一気に持っていかれる。
せっかく主導権を持っているのに、奪われてしまう……!
(させるか、よぉ……っ!)
両腕の“黒”を奮起させ、凶撃と為して解き放つ。生み出された二つの攻撃を受けるよりも避けるべきと判断した“東方不敗”は刀を構えたまま背後へと跳躍した。
追撃の好機。だが、琉衣夜は追撃を仕掛けなかった。
否、仕掛けられなかった。彼の全身が、それを許さない。
グチュリと自らの内で鈍い音が響いた。途端、途方もない吐き気が少年を襲う。
深く息を吸い込んで堪えるも、絶え間なく込み上げてくる嘔吐感に冷や汗が一筋こぼれた。
しかし、笑みを一つ零しながら琉衣夜は敵の少女を見据えた。
「でかい口を叩いた割に、拮抗しているじゃないか」
「……なんせ、一度潰した相手じゃ。気が乗らんでの」
応える少女の声には、気が乗らない色がありありと見て取れた。本当に先の言葉に嘘偽りはないのだろう。
「戦法が新しい訳でも、何ぞ強くなった部分がある訳でもなし。正直、何を楽しめば良いやら」
「言ってくれるぜ。でもよ、そんな俺を潰せていないお前はどうなんだよ」
「わざわざ潰すまでもなかろうよ」
やれやれ、と“東方不敗”は吐息をこぼし、こちらを見据える。
「そのうち、おんしの方が勝手に潰れてくれるだろうからの」
まるで突き刺すような視線がこちらを捉えた。少年の表情は変わっていない。だが、これまで数多くの魔導師を手にかけた経験が少女に告げている。
こいつは最早死に体だ、と。
必死に隠してこそいるが息は上がり始め、汗が少しずつ滲み始めている。極め付けは先ほどの交戦。
ほんの一瞬だが、動きが確かに鈍くなった。
そして、それを誤魔化すように打たれた攻撃と、こちらが後退したにも関わらず追撃しに来ないこと。
この二つを更に加えて考えると……。
「おんし、最早限界なのではないか?」
口元を歪ませ、「つまらない」とでも言うように吐き捨てる。彼女が求めているのは、同格以上の強敵。
ガス欠するような低能に、用は無い。
(……まあ、そうだよな)
ニンマリと、琉衣夜は笑みを深める。
相手の考えているだろうことは、こちらも想像できる。実際に体力が落ちているのは事実だ。“黒”の使い方を変えたとはいえ、相手から直接体力を奪えていない関係上、普段よりも継戦時間が落ちているのは否めない。
仕掛けるとすれば、そろそろ思いっきり攻めに出る必要がある。
だが、“黒”の出力をこれ以上上げれば、また例の競合が起きるだろう。
(でも、やらないと勝てない……!)
深く深く息を吸い、己が“形質”に意識を集中させる。
地に眠る亡者の嘆きを、空を漂う死人の叫びを、束ね引き寄せ呑み込んで自らの力へと変換していく。
ずるずるずるずると自分の体へ無造作に取り込み、四肢の先まで力を通す。頭の上から指の先まで魔力で満たし、それでもまだ足りないとただひたすら力を練り上げる。
体に収まりきらない力が背中から渦を巻いて翼の形を為す。
……それでも。
「まだ、足りねえよなぁ……っ!」
吠え、さらに己が“黒”に命ずる。
これでは足りない。まだ足りない。目の前の壁を越えるには、この程度では不十分。
「テメェを潰すにはこれじゃあ足りてねぇよなぁ、“東方不敗”!」
「まだ向こうてくるか。うっとうしいやつよの」
こちらへ目を向ける“東方不敗”の目は、しかし先ほどよりもその瞳には力がこもっている。まるで目の前の玩具が立ち上がるのを興味深げに観察するように。
「見せてみよ、おんしの限界とやらを」
「……見せてやるよ、望み通りになっ!」
咆哮。
同時に全身からこれまで以上の威圧感が放たれる。
まだだ。もっと、もっと必要だ。
今の領域では届かない。目前の敵を越えるにはまだ足りない。
こいつを、“東方不敗”を越えるには足りないーーっ!
形質の力をさらに拡大させ、琉衣夜は一歩前に踏み込む。これまでの枷を全て踏み抜いて、これまでの自分を超えていく。
瞬間、ガギリ!と己の中で何かが阻害されるのを感じた。
これまでぐるぐると回っていた歯車が突然噛み合わなくなったように。己の中にある二つの力がせめぎあって、自分の中で空転しているのを感じる。
“黒”と“破れぬ誓い”。
二つの力が自分の中でギリギリと対立し、互いの役割のためにこれだけは譲れぬとしのぎを削り合う。
“黒”は世界に漂う負の想念を琉衣夜の身に宿し、彼の力へと変換する形質。
“破れぬ誓い”は瑠奈との経路をつなぎ、互いに魔力を循環させることで瑠奈の封印を安定化させる魔導。
この二つの力が競合するのは、“黒”によって体に吸収するマイナスの感情が琉衣夜を、ひいては瑠奈へ循環する魔力を食い荒らすからだ。
故に“破れぬ誓い”に敵性分子と判断され、妨害される。
だが、それさえももし“黒”の能力範囲であり、魔力のハンドリングさえも仕様であると誤認させることができれば、どうだろう?
この身の内に巡る力の全てが琉衣夜の形質によるものであり、貪られることさえも瑠奈を守るために必要なのだとしたら?
果たして瑠奈を守るために作り出された契約魔導、“破れぬ誓い”は彼を阻害するだろうか?
(それに……今のままじゃまだ、足りない……っ!)
初めは己が内を悪意が這いずることに怯え、体の表面を覆うに留めていた。
だが、それでは足りない。
次に力を求めて腕や足といった限定的な部位に留めて肉や骨、血管や神経に至るまでを“黒”に染め上げた。
しかし、それでも目前の敵には届かない。であれば、更に深い所まで進む必要がある。
今のままで届かないというのなら、先へ進もう。よりこの力を使いこなそう。身体の全てに“黒”を浸し、この力全てが己のものであると抱きしめ、目前の敵を越えるためにひた走る。
骨肉の果て、細胞の一片に至るまでもが“黒”に満たされていく。それが必要である故に。
体を蠢く悪意の群れも、己の魔力を食い散らかさんとする負の想念も、自らに必要なものであると受け入れて、それでもなお瑠奈の隣に立つには必要なのだからとただひたすらに突き進む。
刹那、カチリと少年の中で何かが噛み合う感覚があった。
瞬間、これまで責めぎあっていた力の空転がなくなり、効率良く動き始める。
途端に琉衣夜の体へ変化が訪れた。これまでは皮膚の上を蠢くに留まっていた“黒”が、一片の空きもなく彼の全身を覆っていく。顔も腕も足も、その全てが寸分なく黒い力に纏われる。
それはまるで、漆黒の皮膚のように。
やけに生物らしい柔らかさを見せる表面には、血管を想起させる真紅の線が走っていた。
ガパリ、と口を大きく開く。深く、深く息を吸い込んで。
「お、ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
吼える。
まるで月光の下で己の存在を誇示するように、全身に漆黒を纏った獣が高々と咆哮した。
雄叫びにさえ凄まじい魔力が乗せられており、風圧となって“東方不敗”の肌をビシビシと叩いて通り抜けていく。
その光景を前に、彼女は深い深い笑みを浮かべていた。
「おお……正直に言おう。期待以上じゃぞ、おんし。まさかこれほどまでに伸び代を残しておったとはの」
刀を握る手に、自然と力が込められていた。喜悦の色が、否応なく少女の顔を動かす。
これこそまさか、だ。以前自分が叩き潰した敵が、これほどの力を持って立ち上がってくるなど予想もしていなかったのだ。
そして、目前に立つ黒獣は明らかに自分と比肩するほどの力を見せている。
「良かろう、認めてやる。……おんしは、我が前に立つべき強者であると!」
高らかに叫び、“東方不敗”は再び刀を構える。
対し、琉衣夜はだらりと両腕を下げ、軽い前傾姿勢を取るに留まった。一方、その身から放たれる魔力は、不変の繊維を否応なく少女へと悟らせる。
そして、地を蹴る音と共に、両者が交錯した。




