第五章 少年の選択、少女の選択-1
隣に立った少女が理解できない、といった表情を浮かべるのを感じる。
それはそうだろう。瑠奈からすれば琉衣夜の力量など取るに足らないものでしかない。
加えて“黒”が使用できないとなれば、少女の戸惑いも宜なるかなと言った所だろう。
それでも、琉衣夜は笑みを口元に浮かべて再度告げる。
「大丈夫、今度は負けないから」
そう、普段通りの不敵な笑みを意識しながら少年は少女に微笑みかけた。
それを見て瑠奈はうーん、と思考を巡らせる。悩んで悩んで……結果、彼女は体に込めていた力を緩めることにした。
「それじゃ、任せようかな。でも、危ないと思ったら介入するから。そのつもりでいてね」
「ありがとうな」
「文句も言わせなから。オッケー?」
「はいはい、おっけーおっけー」
ひらひらと手を振って応え、琉衣夜は改めて視線を向け直す。
その先に立つのは少年が一度敗れた敵。瑠奈と先ほどまで矛を交えていたにも関わらず、何一つ変わらず荒ぶる絶対強者。
その視線はひどく鋭い。
当然だろう。彼女からすれば目の前に見えていた極上の料理を、食す直前で取り上げたにも等しいのだから。
それほどに少女は強敵との戦いに飢えていたのだろう。それはきっと、一ヶ月前の彼と同様に。
そして、今ここに立っている自分と同じように。
「……ははっ」
軽い笑みが零れおちる。
能力差を考えればそんな余裕はないのに、どうしてか湧き上がる微笑を抑えきれなかった。
それを見た“東方不敗”が怪訝そうな表情を浮かべる。
「なんじゃ、おんし。良くこの状況で笑えたもんじゃの」
「いやいや、以前負けた相手にリベンジできると思ったら自然と、な」
「随分と腑抜けたことを言ってくれる」
冷ややかな気配が戦場を駆け抜ける。
“東方不敗”の目はさらに鋭く研ぎ澄まされ、向けられる視線は刃のように鋭利な雰囲気を琉衣夜へ浴びせかけていた。
彼女の目は告げている。『そこをどけ』、と。
きっと彼女にとって自分は目的地への障害物に過ぎないのだろう。越えることはできるけれど面倒臭い、その程度の関門に過ぎない。
であれば、どけたいと思うのが人情ではないか。
……まあ、だからと言ってどいてやる道理など彼にはないのだが。
「無駄かも知れんだろうが、一応言ってやろうか。……そこをどけ。今なら怪我せんと帰れるぞ」
「無駄だと思うなら言うんじゃねえよ」
「……そうか」
口元を釣り上げながら答える彼に、“東方不敗”はそれ以上の言葉をかけない。
戦場で言葉は無粋。
そう告げるように、少女は次の瞬間軽く地を蹴った。
二人の間に存在したはずの空間はただの一跳びで踏み殺され、あっという間に少女の肉体が手の届く範囲まで飛び込んでくる。
「!!」
「遅い」
声が届くが早いか、その足が風を裂いて薙ぎ払われた。
狙うは少年の側頭部。
振り抜かれた足は生身であっても、その速度でもって人の首を刈り取るだけの鎌になる。
その勢いで蹴り倒されたなら最低でも昏倒、悪くすればその一撃であの世へ行くことになっただろう。
……当たれば、の話だが。
ガシッという鈍い音と共に“東方不敗”の足が止められる。
見れば、彼女の足は少年の腕で阻まれていた。
だが、その程度では“東方不敗”は止まらない。
右足を戻す勢いのまま今度は左足を琉衣夜の腹目掛けて蹴り出す。
それに応じて琉衣夜は右手を動かす。
しかし、その直後に予想以上の衝撃が右手を走り抜け、体ごと後方へと吹き飛ばされた。
どうにか体勢を崩さないまま両足で着地するも、“東方不敗”はそれを見てふん、とつまらなさそうな吐息をつく。
「ただの体術でこれではの。やはりおんしではついてこれぬよ」
呆れたような口ぶりでこちらへ言ってくる。
そのまま彼女はこちらから視線を切り、瑠奈へ「続けようか」とでも言うように愛刀の柄へと手を伸ばした。
だが。
そもそも、琉衣夜は止めるなどと言ったつもりはない。
「……随分と余裕だな、テメェ」
低い言葉と共に、琉衣夜が放つ気迫が変質する。
先ほどまでの鋭い気配から、濁りを帯びたドロドロの何かを感じさせる殺意へ。
瞬間、少女の足元から悪意の塊が噴出した。後悔・怨恨・憤怒・悲哀……人間の遺したありとあらゆるマイナスの感情が、間欠泉のように“東方不敗”を目掛けて解放される。
「んっ……まだ、足掻くか」
対して、“東方不敗”は慌てるような素振りさえ見せない。
ふう、とほんの少し息を吐いて、意識を集中させる。
途端、胸元の勾玉が真紅の光を放ち、その力を主の意志のまま発現させた。
刹那、少女を中心に紫の領域が展開される。
瞬時に練り上げられた力は圧倒的な重力へと変換され、“東方不敗”へと接近しようとする存在全てを無造作に叩き潰す。
それが例え現実に肉を持たない力の奔流であろうと、神器の力が無理を押し通してしまう。
本来であれば圧倒的な漆黒の濁流は、しかし少女の“武の領域”によってその役目を果たすことなく押しつぶされていった。
「……これで終わりではなかろ」
ポツリと呟く。
そう、この程度では終わらないはずだ。先ほどまでのやり取りは、以前の戦闘で飽きるほど繰り返したもの。
格付けが済んでいるとはいえ、相手は腐っても“黒翼”。この程度を理解できない訳はない。
(今の一撃はただのブラフ、本命があるのじゃろ?)
口元に余裕の笑みすら浮かべながら、“東方不敗”は琉衣夜へと視線を戻す。
果たして、少年は少女の思い通り次の動きを見せていた。
「い、けぇっ!!」
裂帛の気合と共に、琉衣夜の腕から黒撃が放たれる。
先ほどまでのただ垂れ流された悪意ではなく、方向性を与えられ精錬された殺意の一撃。
ただあるだけで人を蝕むほどの力を持った負の感情が、琉衣夜という生者の意志によって形ある漆黒の斬撃へと変化する。
放たれた斬撃は、二つ。
まずはじめに右手から振り払われた一撃が、さらに一拍置いて左手から解放された攻撃が、漆黒の十字架にも見える軌道を描いて少女へと襲い掛かる。
……だが。
(……それも、この前見たの)
左手に握る刀の柄へ右手を伸ばす。
流石にあの一撃は“武の領域”で止められない。
しかし、この刀なら制することが出来る。この辺りも、以前見たまま。
迎撃範囲に入ると同時に、抜刀の勢いのまま一撃目を迎撃する。縦の黒撃はあっさりと真一文字に引き裂かれて、虚空へ消失していった。
だが、休む間も無く二撃目が迫り来る。“東方不敗”は左手の鞘から手を離し、上段に構えた。
激突の刹那、月光に照らされた銀の刃が怪しく煌めいた。
次の瞬間、振り下ろされた斬撃に黒の横撃は真っ二つに叩き斬られる。
黒い衝撃は一瞬だけぐにゃりと抵抗するような動きを見せたが、しかしそれ以上は何をすることもできないまま空気へと還っていった。
「だが、まだであろう!」
「当然!」
楽しげな笑みを浮かべたまま叫ぶ“東方不敗”へ応えるように、琉衣夜もまた咆哮していた。
少年は既に一歩踏み込めば拳が届くところまで近付いている。
その右手には再び“黒”が宿され、抑圧された力が解放されるのを今か今かと待ちわびていた。
対し、“東方不敗”は自ら一歩踏み込んだ。
振り下ろされたままの刀を返し、踏み込んだ勢いを利用して愛刀を振り上げる。
直後、拳と刃が激突した。
込められた魔力が炸裂し、互いの間で力の奔流が渦を巻く。
衝撃波が戦場を駆け抜け、先ほどまでの衝突でもかろうじて残っていた草花が悲鳴をあげた。
時間にすれば秒に満たないほどの衝突は、しかし互いにダメージを与えることができないまま終わった。
ゾルリ、という気色の悪い音と共に、琉衣夜の腕から“黒”によって形作られた腕が現れ刀を掴もうと手を伸ばす。しかし、届くよりも先に“東方不敗”は後方へと飛びすさっていた。
「ふむ、ここまでは前回の戦いと同じじゃの」
「……確かにな」
「前回は食ろうたが、流石に二度は受けてやらんぞ。……さて、次はどうするつもりじゃ?」
“東方不敗”の口元からは笑みが消えない。
楽しげな、けれど少し退屈しているような微笑は、まるでこちらを値踏みするようにちらちらと浮かんでいた。
対し、琉衣夜の顔にも笑みが浮かんでいるものの、そこに余裕はない。
“黒”は今も稼働を続けている。
全身に宿す力の脈動がそれを物語っているが、一方でそれは今も彼の中で“黒”が満たされているということを意味する。
つまり、いつまた“破れぬ誓い”と衝突を起こすか、わからない状態であることを示していた。
無論、対策は考えている。だが、本当にそれで大丈夫なのかは、試してみなければわからない。
成功すれば、戦闘続行は問題ないだろう。だが、失敗すればまた以前のように倒れるだろう。
本当にできるのか。そんな拭い難い不安が、彼の中でるらるらと鎌首をもたげる。
「琉衣夜」
そんな胸中を見抜かれたのだろうか。
背後から聞き慣れた声が、彼を呼び止める。
振り向けば、いつの間にか瑠奈が手の届く所まで近づいていた。
「……何だよ」
「もう、良いよ。そんなに無理をしなくても良いんだよ」
「……わかってる。でも、やらせてくれ」
「なんで? 何でそんなに無理をしてまで戦うの? 私は戦えるよ。琉衣夜を守ってあげられるよ。どうして、そんなに戦いたがるの」
見かねているのだろうか。普段よりも、少しきつい口調で瑠奈は言い募る。
実際、そうだろう。
瑠奈であれば、“東方不敗”などなんら問題なく制圧できるに違いない。
琉衣夜がこうして戦っているのは、瑠奈の視線から見れば無理、無茶、無謀に過ぎないだろう。
「……わかってる」
もう一度、瑠奈の言葉を肯定する。
それはただの事実だから。反論するすべもない、事実だから。
「でも、ここだけは引き下がれない」
肯定した上で、なお一歩前に出る。
瑠奈の制止を振りほどくように、少年は一歩前へ踏み出した。
なんで、と問いかける少女の声が聞こえる。
どうしてだろうか、と琉衣夜はほんの少し考えて、もう一度瑠奈の方をみやった。
「多分さ、今のままでも瑠奈の隣に居られるのは、理解してるんだ。きっと瑠奈には護衛なんて必要なくて、俺が力をつけようとすることにも、意味なんてないのかもしれないって」
これも、事実。
二人の間にある実力差は果てがなく、埋めようがない程の開きがある。
この差を埋めるためだけに数ヶ月泥にまみれた彼だから、理解している。
きっと、この距離を埋めきることは出来ないだろう。
「でも、それじゃあダメなんだ」
「どうして?」
「俺が、嫌なんだ」
少女の理解できない、という表情に、琉衣夜は真っ向から返答する。
きっと、彼女には理解できないだろう。
それでも、伝えることに意味があるはずだから。
「俺は、瑠奈と同じ場所にいたい。瑠奈の隣で、瑠奈と同じように生きていきたい。お前が困った時に、手を伸ばせる場所にいたい。お前が泣いている時に助けられる力が欲しい」
少女の目をまっすぐに見つめたまま、琉衣夜は自分の心中を吐露する。
結局、彼が足掻いていた理由などそこにしかないのだ。
もっと瑠奈の近くにいたい。
守ってもらう存在ではなく、対等の存在として側に寄り添いたい。
そんな下心の元で、目の前の壁を登ろうとしていただけなのだ。
そうでないと、きっと少女は何処かに行ってしまうから。
瑠奈がそう意図していなくても、周囲の影響でそうせざるを得なくなることだってありえる。
例えば、ゴーレム使いにさらわれた時。
例えば、先ほど“東方不敗”に襲撃された時。
どちらも琉衣夜が力を持っていれば難なく解決できていたはずだ。
そうすれば、きっと瑠奈は彼の元を離れる必要なんてなかったはずだ。
「もちろん、高望みだってこともわかってる。今の俺じゃ届かない場所があるってこともわかってる。けど、手を伸ばさないと一生届かないんだ」
右手を握りしめる。
力が込められた腕には、“黒”が這い回っていた。
主人の感情に共鳴するように、漆黒の斑点がずるずると蠢く。
「だから、今はやらせてくれ。ここで手を伸ばさないと、多分俺はここから先に進めない」
にこりと微笑んで、琉衣夜は瑠奈にそう告げる。
ここで手を伸ばさないで、いつ伸ばすのか。
ここで意地を張らないで、いつ張り通すのか。
きっと、今しかない。
今ここで前に踏み出さないと、琉衣夜はこれまでの琉衣夜ではない何かに変わってしまう。
だから、今ここで我を張る。
たとえ瑠奈に呆れられようと、たとえ敵が自分のことなど視界に入れていなくても、ここで己を押し通す。
もう二度と、悔しい思いをしなくて良いように。
今、ここで、高みに手を伸ばすんだ、と。
対して瑠奈は、泣きそうな顔をしていた。
少年に傷ついて欲しくない。
けれど一方で、少年がこの瞬間を必要としていることは長い時間を共にしているからこそ、否応なく理解できて。
矛盾する感情が、ただでさえ傷ついている琉衣夜を見ることの恐怖に怯える心をさらにぐしゃぐしゃにかき乱す。
本当は傷ついて欲しくない。
戦ってなんか欲しくない。
どんな理由であれ、少年が痛い思いをするかもしれない場所になんか行って欲しくない。
それでも少年の言葉を、それに込められた思いを理解して、咀嚼して、飲み込んで、こくり、と頷く。
納得はできない。
きっと、本当の意味では理解もできていない。
けど、彼にとっては必要なことなのだと自分に言い聞かせて、渋面ながらもそれに首を縦に振る。
「……危なかったら、すぐに止めるから」
「ありがとう」
琉衣夜の言葉は、ただ一言で返す。
きっとそれ以上は不要だからと、最後に微笑んでから視線を切る。
視界に映るのは“東方不敗”。
やれやれと呆れたように首を振る少女は、心底つまらなさそうな声音でこちらへと口を開いた。
「随分と待たせてくれるの。天使が言うように、さっさと退いた方が身のためじゃが?」
「引かねえよ。やっとうちの子が許可くれたんだ、限界まで張らせてもらうぜ」
にやりと微笑んで、琉衣夜は全身に再度意識を張り巡らせる。
途端、力を求める使い手の声に “黒”が再び呼応する。
ずるずると足元から這い出た怨嗟の流れが彼の元へ集い、渦を巻いて力の奔流へと変換されていく。
秒をおかずに、少年の全身に力が満ちた。
今使える手札は、これで全て。
これで、十分だ。
全ての思考を、意識を、感覚を目の前に立つ敵へと集中させる。
知らぬ間に、その口元がぐちゃりと裂けるように吊り上げられた。
いつかのように不敵で、素敵で、大胆な笑みと共に少年は告げる。
「さあ、続けようか。悪いが、とことんまで付き合ってもらうぜ」




