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第四章 ”黒翼”-5

 両者は、以前と同じ河原に立っていた。

 耳に届くのは川のせせらぎと虫の鳴き声だけ。それ以外に二人を遮るものはなかった。

 折しも満月の日だったらしく、夜空には月が真円を描いている。これだけの光量があれば、互いの姿を見ることは造作無い。姿どころか、表情さえも手に取るように把握する事ができた。


「……ようやくじゃ。この時を待ち侘びておったぞ」

「ずいぶん面倒なのに捕まったわね、全く」


 喜悦の色を隠さない相手に、瑠奈はやれやれと頭を振る。

 琉衣夜やこの少女と違い、瑠奈に戦闘を好む気はない。そもそも慣れているだけで、苦労や痛みを好む性質でもないのだ。

 琉衣夜は目的があって自ら戦いに身を投じているのを知っている以上、余計に戦闘そのものに喜色を示す彼女へ、瑠奈は気味の悪いものを感じていた。


「そう言うてくれるな。これでもこの日の為に色々と段取りが必要だったのでな。昂ぶるのも是非無きことよ」

「それはあなたの勝手でしょ。私には関係ないわ」


 どうでもいいと、瑠奈はため息をつきながら意識を一瞬だけ集中させる。瞬間、呼び掛けに応えて彼女の力が目を覚ました。

瑠奈の周囲に、はらはらと淡雪のような光がこぼれ落ちる。それこそが瑠奈の準備が整ったことを示していた。

 対し、それを見た“東方不敗”もにたりと口角を上げながら、何かを手繰るように指を動かす。途端、少女の手に何処から現れた神刀が収まった。持ち主の感情を受けて興奮しているのだろうか、常よりも握った手から感じる波動が激しいものへと変わっている。


「……そう騒ぐでない。これから始めるのじゃから、な」

「随分物騒なものを持っているのね。その刀……そこまですごいのは久しぶりに見るわ」

「さようか。まあせっかくじゃ、身を以て凄みを知ってもらうとするかの」

「はっ、思い知るのはあなたの方になると思うけど?」


 言葉こそ軽々しいものの、両者の間に渦巻く戦意はそれだけで並の魔導士を気絶させるに足るものだ。

 瑠奈が纏う光の鱗片は彼女が目を細めるのと同時に帯電するような音を放ち、“東方不敗”が唇を深く歪めると共にその胸元から淡い真紅の光が溢れ始めた。

 互いにもはや言葉が不要であることは理解している。

 あとはどのように火蓋を落とすか。両者が待っているのは、戦端を開くタイミングだけだった。


 始めに動いたのは、瑠奈の方だった。

 無言のまま右手を薙ぎ払うように左から右へ振るう。その軌道に沿って五つの魔導陣が即座に展開・発動し、目に毒なほど真っ白な光が五本放たれる。


(先ずは小手調べ。さて、どうするのかしら……?)


 そんな思考を巡らせながら、しかし瑠奈は手を止めることなく次の手を準備し始める。

 この程度の力であれば、琉衣夜であっても突破することができる。少なくとも出力的に彼と同等以上であるのならば、このくらいは越えてくるだろう。

 果たして、“東方不敗”はあっさりと光の槍を飛び越えて一気にこちらへ距離を詰めてくる。

 十メートルほどあった距離は、今の跳躍で残り半分程度。魔導士同士の戦闘では、インファイトと形容するべき距離に達している。

 だが、瑠奈は焦らない。この程度の動きは既に想定済みであり、想定できるなら対処するのがそもそも魔導士としての常識である。


 さらに一歩踏み込んだ“東方不敗”の足元で、バチィ! という音が響いた。


(なんぞ踏み抜いたか!)


 把握と同時、さらに次の一歩で“東方不敗”はもう一度跳躍する。

 地面を起点にしているのであれば、ひとまず魔導陣から距離を離してしまえば良い。そう判断しての跳躍だったが、対し瑠奈は呆れたように息を吐いた。


「跳ぶのは良いけど、次は避けられるのかしら?」


 人差し指を“東方不敗”に対して突きつける。途端、その指先に光片が集まり一つの強大な魔力光へと変化していく。


「……吹き飛べ」


 囁くと同時、閃光が空を引き裂いた。

 人一人を丸々飲み込むほどの光が少女の指から解き放たれ、主人の敵を破壊するべく空へと駆け上る。

 放出は秒にも満たないほどの一瞬であったにも関わらず、爆風が戦場を駆け抜け川が波打っていた。

 特別な手段を持っていない限り、人間は空中で移動できない。地面に何かしらの策があると考えさせ、跳躍した相手に本命の一撃を叩き込む。

 下手な相手であればこの一撃で十分勝負が決まるほどの威力を誇る流れであるが……。


「ま、そう簡単に終わるなら琉衣夜が勝てない訳が無いよね」


 予想していた、という声音で呟く瑠奈の目の前で爆風が轟音とともに引き裂かれた。その中からは小柄な少女の姿が何事もなかったかのように現れ、軽やかに再び地へと降り立つ。

 “東方不敗”は瑠奈の冷ややかな態度を見て、さらに口角を上げた。


「この程度は想像していた、という顔じゃな」

「そりゃあ、今のはただの試験だもの。むしろこの程度を乗り越えられないようなら、私の前に立つ資格すらないわ」

「良き言葉じゃ。では、次はこちらから仕掛けさせてもらおうかの」


 くっくっと嬉しそうに笑う“東方不敗”に対し、あくまでも自分のペースを崩さない瑠奈。

 相手がどんな力を持っていようが関係ない。今の所出力は安定している。そもそも彼女の出力は人間一人ではどう足掻いても超えられないだけのものだ。

 少女がどんな魔道具を持っていようが、どんな神器を扱おうが、その程度では瑠奈を超えられない。大天使の名は伊達ではないのだ。

 それを、相手の身に思い知らせてやる。そんな攻撃的な思考の元に、瑠奈は再び指を動かす。

 だが、


「させんよ」


 言うが早いか、“東方不敗”の胸元から真紅の光が溢れる。瞬間、紫の力場が敵を中心に展開され、それに捕らえられた瑠奈の動きがほんの一瞬鈍った。


(重力系……? でも、この程度なら)


 振り切れる。そう判断し、瑠奈は本来展開しようとした魔導を切り替え、カウンターのための術式を組み上げた。

 切り替え作業はものの一秒で完了し、今まさに主人の求めに応えて発現しようとしたその時。


 とん、と地を蹴る音が、やけに戦場に鳴り響いた。


「……んっ」


 術式の起動と共に自由になった体を駆り立て、一歩後方へと飛び退る。瞬間、先ほどまで少女が立っていた場所を銀行が走り抜けた。


「ふむ、傷の一つはつけてやったと思うたのじゃが」

「……甘い」


 “東方不敗”が不要な言葉をこちらに向けた瞬間に、再度展開した術式が起動。一瞬の間を開けて二本の光槍が解き放たれるも、何のブラフもかまされていない一撃程度では少女を捉えることはできない。

 通常の魔導師相手であれば必殺を通り越して過剰火力とも言える魔導は、しかしあっさりと躱されてしまう。


「そちらこそ甘いようじゃの。流石にその程度では捕まってやらんぞ」

「そりゃそうでしょうね。この程度で吹き飛ばれたら、こっちも拍子抜けよ」


 軽口を叩き返しながら、瑠奈は脳内で情報の処理を継続する。

 出力的にはまず間違いなくこちらの方が上だ。さっきの能力に少し手間取った部分はあるものの、次はそうはいかない。

 そもそも、こちらから近付いてやる必要もないのだ。

 あいつに理解させてやる。羽虫は結局羽虫に過ぎず、圧倒的な力を前にしてはただ叩き潰されるしかないのだと。


 そう、ニンマリと口元に笑みを浮かべ、瑠奈は両手を動かして魔導を再展開する。

 それを見て取った“東方不敗”も楽しげな表情を宿したまま、愛刀を握る力をさらに強めた。

 両者の距離は再び開戦時とほぼ同等に開いている。互いに魔導師である以上、どちらも先手を打つことは可能な距離だ。

 どちらが再度戦端を開くのか、対してどのように相手の動きに対応するのか。

 魔力の収束によって生み出された風が戦場に吹き荒れ、今まさに激突しようとする。


 その瞬間。

 黒い波濤が戦場を真っ二つに引き裂いた。


「えっ……?」

「なに……っ」


 とっさに後方へと退いた両名だが、その顔には互いに困惑の色が浮かんでいた。

 こんな力を使うことができる魔導師は、この近辺には一名しかいない。だが、本当にあり得るのか。先ほど何をするでもなく瑠奈を見送ったあの少年が、この戦場に乱入できるのか?

 疑問を拭えぬまま、両者は力の放たれた方へと同時に目をやる。


「よぉ」


 あっけらかんと口を開く少年。

 苛立ちの念を浮かべる“東方不敗”のことなど意にも介さぬように、少年は瑠奈の元へと歩み寄る。


「ごめんな、瑠奈」

「琉衣夜……? どうして」


 ここに、と問おうとして、しかしその言葉は琉衣夜の言葉でかき消される。


「悪いけど、ここは俺にやらせてくれないか」



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