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第五章 少年の選択、少女の選択-3


 “黒”で全身を覆った獣が、地を蹴り一気に前進する。

その速度はまさに疾風の如く、音すら置き去りにしたその加速に“東方不敗”は目を見張った。


(早い! 先ほどより出力が上がっているとはいえ、ここまで早くなるものか!)


 残像すら幻視させるほどの速度で直進する“黒翼”。

だが、“東方不敗”とてただの魔導師ではない。見ることができるなら、対応できる。そう判断し、彼女は敵が間合いに入る瞬間刃を振るった。

しかし、手応えはない。


(……っ! どこに行った?)


思考の瞬間、己が神器に指示を出して索敵を行う。

刹那、神器は敵の姿を発見し使い手へと警戒するよう反応を示した。

敵の場所は……。


「上か!」


視線を上げた瞬間、漆黒の手が振るわれた。

かろうじて構えなおすことに成功し、音すら引き裂いて襲い来る魔手を迎撃する。


ゴギィン! というおおよそ拳が発するとは思えぬ衝撃と共に、“東方不敗”と“黒翼”の一撃が再び交錯した。

踏み固められた土地を選んだにも関わらず、両足があっさりと重圧で地面に埋もれるほどの威力が彼女の全身を駆け巡る。が、その程度で潰されるのであれば、この少女はそもそも“東方不敗”などという大層な異名を戴いていない。


「良き一撃じゃ。じゃが、まだ足りんの!」


グッと地面に埋もれる足をさらに踏み込み、振り上げる状態で止まった刀を力ずくで振り抜いた。

腕を引き裂くことは叶わなかったが、空中で足場のない“黒翼”はそのまま弾かれて後方へと着地しようとする。


そこを目掛けて、“東方不敗”は一気に駆け出した。

刀を顔の右側に構え、相手が着地した所を思いっきり袈裟懸けに振り下ろす。

加速も体重も存分に乗せられた斬撃。

当たればまず十二分に敵を切り裂くであろう一撃は、しかし“黒翼”に当たることはなかった。


刀が敵に当たる直前に巻き起こされた爆風によって、両者の距離が強制的に離されたが故に。


(魔力の暴走……? 魔力制御を誤ったか…?)


後方へと飛び退りながらも原因を探るべく思考を展開させる。


しかし、魔力制御の誤りから発せられる爆発とは思えなかった。

暴風で巻き上げられた土煙ではっきりとは見えないが、こちらへ放たれている魔力反応は先ほどまでと変わらず、いや先ほどよりもいっそう強大になってこちらの全身をびりびりと威圧している。

もし暴走からの爆発だったのであれば、これほどの出力を保ち続けるのは困難だろう。


(であれば、意図的に爆発させたといったところかの。何の意図があったのかはわからんが、仕切り直しをさせるには確かに悪くはない手じゃ)


攻撃に失敗し、着地する隙に反撃されないようにするための一手としては、十分といえるだろう。

こちらが下がれば、あちらには体勢を立て直す時間が訪れる。

戦闘中に自分のペースを崩されればそのまま押し切られる事を考えれば、当然ともいえる対応だ。

しかし。


「良き一手ではあるが……こちらを倒す一手ではないの」


シャラリ、と刀を軽く振りながら、“東方不敗”は黒獣へと語りかける。

そう、先ほどの威力では下がる必要があるが、結局はその程度。

雌雄を決するほどの威力はなく、単にうっとうしい程度のものでしかない。

仕切り直しには使えるだろうが、それ以上の何かが出来るかというと怪しい所だ。


薄い笑みを浮かべながら、“東方不敗”は眼前の敵に向かって刀を構えなおす。

それだけではないのだろう? 早く次の一手を見せてみろ。

そう、言外に告げるように。

対して、動き始めてから感情の機微を見せなかった“黒翼”がそれらしき動きを見せる。

その挙動はまるで、


(笑っておる、のか?)


ふるふると首を横に振り、クックッとかすかな笑みをこぼすように全身を漆黒で包んだ敵は体を震わせる。

深紅に輝く目以外が“黒”に覆われているため表情は見えないが、体の動きから見て取れた。


「つまり、まだまだ奥の手があるということじゃな?」


敵の動きに、少女は期待の念を込めながらそうつぶやく。

その問いに“黒翼”は「さあ?」とでも言うかのように肩をすくめ、


次の瞬間、敵の魔力が更に膨れ上がった。


「ッ!?」


 突然の反応に驚きを隠せずにいる“東方不敗”に、“黒翼”は手のひらを向ける。

 瞬間、彼の背から漆黒の何かが噴出され、唸りを上げて怒涛の如く少女へと押し寄せてきた。

形状だけを見れば何百、何千枚もの羽で構成された翼に見える。しかし、うねうねと形を流動的に変形させながら迫りくるその姿は、どちらかといえば触手の方が近いかもしれない。

グニャリグニャリと蠢きながらこちらへと手を伸ばす“黒”に“東方不敗”は小さくため息をついた。


(……これでは、何も変わりないではないか)


何十本もの翼のような何かがこちらへと手を伸ばそうとするのを見て、少女は落胆していた。

初めに戦った時と変わらない動き。であれば、こちらも同じ動きで対応ができてしまう。

おそらくあちらの狙いとしては“黒”の対処に気を取られている所を突くつもりなのだろうが、こちらは“武の領域”が展開できる。

“武の領域”で相殺できるのであれば、“東方不敗”は相手の動きに集中すればいい。そもそもの前提が崩れているにもかかわらず、敵はまだ同じ戦い方を続けてくるのだ。

うんざりしてしまうのも、仕方ないことだろう。


「来るがよい。……先ほどと変わらんだろうがの」


そう囁き、“東方不敗”は勾玉へほんの少し意識を集中させる。

途端、彼女の首元で深紅の輝きが一瞬走り、ただそれだけで準備は完了した。

あとは近付いてきた所をまとめて制圧すれば良い。スウ、とわずかに息を吸って、少女は紫紺の領域を再び展開する。


これであの触手共は砕けるだろう。問題はその後に来る本命をどう対処するかだ。

そう少女は考えていた。故に、次の瞬間目に飛び込んできた光景に目を見開くこととなる。


 “武の領域”が展開され、黒い触手のスピードは確かに落ちた。


だが、それだけだ。

触手が消滅する気配はない。

むしろ、“武の領域”を削り取りながらじわりじわりと前進してきている……ッ!?


「なん、じゃと……ッ」


ギリ、と歯噛みしながら“武の領域”の出力を更に引き上げる。

が、しかしやはり触手の動きは止まらない。

速度は下がっているものの、確かに“武の領域”を削り落としながら百に届くであろう数の黒手がじわじわと距離を縮めてくる。

それは、“武の領域”では止められないことを意味していた。


「ちっ、少しはやるようじゃの!」


舌打ちを隠さず、“東方不敗”は一気に後方へと飛び退く。

しかし、その程度は相手も考慮しているのだろう。

“黒”は鎌首をもたげて少しずつ、しかし確実にこちらへと距離を詰めていた。

紫紺の重圧に圧されて速度は大したことはないのが幸いといったところだろうか。


(であれば、根本を叩くしかなさそうじゃの)


そう思考を切り替え、少女は息を吐いて構えを取る。

が、しかし向けた視線の先に、敵の姿はなかった。


「……? どこに、」


行った。

そう言葉を紡ごうとしたその時、後方からゾワリと背筋を怖気立たせるような気配が現れる。


「させんわ!」


振り向きざまに、刀を振るう。

しかし、神器の一撃は敵を捉えることはなく、空を割いた。


敵が一気に体勢を低くし、あっさりとこちらの斬撃を避けてしまったからだ。

近距離でそれだけの隙を晒せば、どうなるかはわかりきっていた。


ドズン、という鈍い感触と共に、腹部の辺りに衝撃が走った。

次の瞬間、少女の体があっさりと宙へ吹き飛ばされる。

体がくの字に曲がり、呼吸さえも止まってしまう。あまりの衝撃に、痛みさえ遅れてやってくるほどだった。


数瞬吹き飛ばされて、受け身を取ることもままならないまま地面に叩き付けられる。

勾玉の力で衝撃をそのまま体で受けることはなかったが、それでも集中が一瞬途切れてしまう。

神刀が追撃を警戒するよう促してくるが、それが出来れば苦労はしない。

げほっ、と咳き込みながらも立ち上がり、敵がいるだろう場所へと再度視線を向ける。

“黒翼”はだらりと手を下げたまま立っていた。まるで、わざわざ追撃するまでもないとでも言うように。


「……なめてくれたもんじゃの」


軋む体に喝を入れ、少女は再び刀を構える。敵の全身に目を配り、相手がどのように動き始めても対応できるように意識を集中していく。

対し、“黒翼”は構えることすらしない。

先ほどと同じようにふらり、と倒れこむように前傾姿勢を取ったかと思うと、


ドン! という爆音とともにその体が一気にこちらへと前進を開始する。


(こやつ、魔力の爆発を利用しておるのか!)


凄まじい出力で吹き飛ばされるのを利用して、まるで弾丸の如く漆黒の獣が“東方不敗”へと迫る。

タイミングさえ合っていれば、断ち切れる。

そう考え、“東方不敗”は刀を上段に構えて待ち受けた。

刹那、両者の距離がゼロになる。


しかし、敵を迎撃するべく己が刃を振り下ろす少女は、それを確かに目にした。

激突する直前、“黒翼”の足元で再び空間がゆがむ瞬間を。


(まずい……ッ!)


意図を悟り、体勢を変えようとするももはや間に合わない。

衝突する瞬間、再び魔力が爆発して“黒翼”の軌道が変化する。とっさに“武の領域”を全力展開するも、全身に先ほどの触手と同等の力を纏っているのか、その速度は全く変わらない。

敵の体はこちらの斬撃をすり抜けるように位置を変え、そしてその右足が振り上げられた。

その光景はまるでスローモーションのようにさえ見えた。

見えてはいても、それを止めることが出来なければ何も変わらないが。


次の瞬間、みぞおちの辺りに真黒に塗りつぶされた蹴りが突き刺さる。

ゴホォと全身の空気がただの一撃で全て吐き出され、たまらず“東方不敗”は前のめりに姿勢を崩した。

そして、眼前の黒獣はそれをただ見逃すほど甘くはない。


「吹キ飛ベ」


声が聞こえるや否や、風を割く音と共に敵の右足が少女の側頭を捉えた。

激突の瞬間、意識が一瞬真っ白に染まる。


次に視界が戻った時には、既に自分の身体は地面に倒れていた。


(……負けた、のか)


ああ、と口元からいろいろな感情をないまぜにした吐息が零れる。

こうして地に倒れ伏すのはいつぶりの事だろうか。記憶にある限りでは、それこそ遠い昔のような気がする。


(負けた、じゃと。一度叩き潰したはずの奴に、負けたというのか……)


ふつふつと、心の底から感情が沸き上がる。まだだ、まだこのままでは終われない。


(……ま、だ)


震える指を叱咤し、吹き飛ばされても尚離さなかった刀を力強く握り直す。身体は先ほどの衝撃を受けてダメージを受けているが、致命傷という訳ではない。


(まだじゃ……ッ)


まだだ。まだ、このままでは終われない。


「まだじゃ、まだ終われぬよなぁ“黒翼”ゥウウウウウウウウウウウッ!」


高らかに吠え、少女は再び立ち上がる。

異名たる不敗の所以は失われた。

だが、まだ終われない。このままで終わってたまるか。

一度地に伏せたが故に、剣鬼は先ほどよりもどろどろとした気配を漂わせながら敵へと相対する。


このままでは終われない。

その瞳は、ただそれだけを告げていた。


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