第四章 ”黒翼”-3
初めてこれを目にしたのは、いつのことだっただろうか。
源家当主の下に生まれた子供は、代々伝わってきた二つの宝具へ生まれた翌日に拝することがしきたりとなっているが、そもそも兄が先に生まれていたこともあってか少女は数少ない例外となっていた。
元々子供が産まれづらい両親だったこと、母が少女を出産するのと同時期に亡くなったこともあって、源家の当主は兄が引き継ぐことがほとんど確定していたことも重なったのだろう。
もしも、そのまま少女がそれを知ることなく大きくなっていたのなら。
兄が当主を引き継ぐ年齢まで宝具達と相見えることを許されなかったのなら、もしかしたら違う道もあり得たのかもしれない。
しかし、現実は「もしこうであったなら」「もしここでこうしていれば」を許す事はない。
記憶の中に残っているのは、三歳ぐらいの頃だっただろうか。
ほとんど外に出ることが叶わず、神秘の秘匿など知ったことではない静はその日とてつもなく退屈していた。
目付役やそれとなく遊んでくれる相手こそいたものの、それはあくまでもそれぞれの業務の延長線上に過ぎず、遊びたい盛りの子供にとってはとても満足できる代物ではなかったのだ。
故に、その日私は我慢をすることが出来ずに父と兄の元へ赴いたのだ。
きっと二人なら自分を相手してくれるんじゃないか、そんな淡い期待を抱いて。その結果がどうなるかなど、想像することすらせずに。
お目付役の目を盗み、こっそりと常から二人がこもっている修練場へと足を運ぶ。普段は決して入ることを許されない場所だが、その日に限ってはどうしてか道中で足止めをされる事はなかった。
もしかしたら、それさえも運命にお膳立てされていたのかもしれない。
「おとうさまー、おにいさまー……いらっしゃいますか?」
周りに誰もいないことを確認してから、静は修練場の扉を開く。
その小さな目に映るのは、正座にて佇む父親とその目前にて模擬刀を構えた兄の二人。本来であれば、それだけのはずだった。
だが、その日に限ってはそれ以外に少女の目を奪うものがある。
驚いたようにこちらを向いた二人の向こう側に、祭壇に捧げられた二つの何かがあった。
少女がそれを目にするのはこれが初めてのことだが、それでもその何かは静の意識に訴えかけるものをもっている。
「……静、どうしてここに」
「……ふむ、人払いをしておったのが裏目に出たか。お前は儀式を続けなさい」
驚いたように呟く兄のことなど気にもせず、父は目を開いて囁いた。
それに頷く少年を尻目に、父は音も立てずに立ち上がり静の元へと歩み寄ってくる。
「静、今は大事な作業をしている所だ。悪いが、そこらで遊んで来なさい」
そう穏やかな声で語りかけてくる父。だが、静はそちらに目を向けることが出来ない。その小さな両目は、父親のさらに向こう側へと向いたままだった。
その目に映るのは、二種の神器。
左側に祀られているのは、漆黒の鞘に包まれた刀。大きさで言えば、静の背丈よりも大きいくらいだろうか。明かりが灯されているにも関わらず、その周囲だけがまるで光が呑まれているかのように暗がりになっている。それはまるで刀が周囲の光を全て吸収しているかのように。冷たく薄暗い雰囲気を漆黒の長刀は醸し出していた。
対し、右側に鎮座するのは、真紅に彩られた勾玉。麻紐によって首飾りの体をなしており、いくつかの勾玉が同じ紐に飾られてはいるものの、一つだけ存在感が全く違うものが一つあった。刀と相反するようにその紅の勾玉は柔らかい光を放っており、まるで日輪のように暖かな雰囲気を放出していた。
一目で、普通の物とは違うと理解する。
自分がこれまで見てきた物とは一線を画した何かであることが、はっきりと認識できた。
そして、それを理解出来るという事が、既に異常であったのだ。
「……静?」
「お父様、この二つは……?」
「これは我らが源家に伝わる神器だ。……そうか、お前はまだ見た事が無かったな」
ふるふる、と首を横に振る。
それに父はふむ、と顎元へ手をやり、ほんの少しだけ思案するように頭をかしげた。
「幼子が見ていて面白いものでもないだろうが……見たいのか?」
「……はい」
「……本当はあまり良くないのだが、まあ良いか」
そう言って、父は「来なさい」と少女を祭壇の元へと手招きする。
兄は困惑したような表情を浮かべていたが、父は「少し待ちなさい」との一言で押さえ込み、静が祭壇まで歩み寄るのを待っていた。
ごくり、といつの間にか口の中に溜まっていた唾を飲み込んで、静は恐る恐る祭壇へと一歩ずつ近づいていく。
祭壇の元まで近付くと、少女の目からは両方の神器を目に入れることは出来なくなる。それを見て父は見やすくなるように、と静を抱き上げた。
それにより、静は触れる事が出来る程の距離で神器を見つめることになる。
途端、静はその二つがどういうものであるかを、言われるまでもなく理解した。……理解、してしまった。
ほう、とかすかな吐息をこぼす。それに、兄はもちろん父でさえ微かに困惑の表情を浮かべた。
そんな二人の戸惑いなど知らぬとばかりに、静は二つの宝具へと手を伸ばした。すると、神器から放たれていた雰囲気が和らぎ、まるで受け入れるかの如きオーラへと変わる。
「……おいで」
そう、何の躊躇もなく少女は神器へ語りかけた。
途端、神器はそれに応える。
一陣の風が、その場を通り抜けた。
目を覆うほどの衝撃が父の全身を駆け抜け、咄嗟の事に彼は静から手を離してしまう。
(しまった……っ!)
反応してから一瞬で、父は己の失敗に気付く。突然の事に反応する為とはいえ、自らの子から手を離してしまうとは!
すぐ後にごとり、という重い音が響いてもおかしくない。そう、ある種の覚悟を胸に抱きながら、父はその目を強く瞑る。
しかし、いくら待ってもその瞬間は訪れない。
恐る恐る、父はその目を開く。
だが、その目が捉えたのは想像とは遥かに異なる光景だった。
その場にいる二人の男を拒絶するように吹き抜けたはずの烈風は、少女をその場に浮遊させるための揺りかごとなって静を支えていた。
漆黒の鞘が纏っていた冷たい雰囲気は既に失せており、逆に真紅の勾玉から放たれている暖かい光は少女の呼吸に合わせて明滅していた。
まるで、その場にいる男二人など眼中になく、この少女こそが重要であるのだと語るかのように。
「ち、父上……?」
「これは……もしや……」
背後から、少年の困惑した声が響く。だが、父としても目前で繰り広げられている光景を受け入れる事が出来ずにいた。
源家に伝わる神器——草薙剣と八尺瓊勾玉。源平の乱にて失われたはずの二つの神器は、壇ノ浦より密かに源家が回収して以降彼らの家系に代々伝えられてきた。
本来であれば八咫鏡と合わせて三種を保持する事で天の頂に届くほどの力を振るう事が出来るとの逸話があるが、そもそもそれに耐えうるだけの力量を持つ候補者が生まれる事が無かったのだ。
源家に生まれてくる子供達は生れ落ちると共に神器の元へ拝礼に向かう。
しかし、どちらかの神器から認められる者さえ稀であり、ましてや二つの神器から認められた者など父の知る限り皆無のはずであった。
父も、その息子である静の兄も、神器に認められることはなかった。
手入れのために触れることは許されても、力を貸してもらえることはなく。
自らの力量が認められればあるいは、と修練を積んだとしてもその努力が実を結ぶこともなく。
故に、形だけの神器継承者としての儀式を行い、されど神器に真に認められる事を諦めることも出来ず、二人でさらにその力量を伸ばすべく鍛錬を積む。
……そのはず、だったのだ。
にも関わらず、目の前の少女はそんな二人の諦めきれない執念にあっさりと終止符を打つ。
「……下ろして?」
いい加減ふわふわと宙に浮いているのにも飽きたのだろうか、静は誰かにそう語りかけた。途端、彼女を空中にとどめていた力はあっさりとその勢いを失い、静をゆっくりと怪我をさせる事がないよう地へと導く。
その両足が地に着いた瞬間、静を包んでいた風は何処へと消失する。
「ありがと」
そう静が囁きかけると、二種の神器はそれに応えるかのような力場を放つ。まるで、己が支えるべき主人を見つけた獣のような従順さで。
「……父上?」
その、あまりにも理解しがたい光景に気を取られていた父は、静の声へ反応するのが遅れた。その声は、普段通りの声音だった。ほんの少し困惑しているような色こそ混じっているものの、それ以上でもそれ以下でもない。
「静、お前何をしたんだ……?」
「何を、って……?」
「どうやってあんな力を引き出したんだ。お前の力じゃないだろう、さっきのは」
「どう、って……あの子達に力を貸してもらったの」
兄に声音荒く問い詰められ、静はほんの少し怯えたように指を差す。
その先には紛れもない二種の神器が祀られていて、それに兄の表情がさらにグジャリと歪む。
仕方ないだろう。足掻いてももがいても認められず、それでもなお生涯を捧げて練達し続ける事を決めようとした矢先に起きたのが、これだ。
誰も、非難するような物言いを咎めることは出来ないだろう。
「ち、父上……? 兄上は、何を?」
悲嘆に沈む兄に、自分が何をしたのか理解していない少女は父へ尋ねかける。まるで、その声音は救いを求めているかのようで。
しかし、父とてその問いかけに普段通りの答えを返すことは叶わなかった。
「父上……?」
「静。今から一つ質問をするから、正直に答えてなさい。良いね?」
「は、はい……」
戸惑いの表情を隠すことなく、しかし少女はこくりと頷いた。
それに、父は心なしか震える声で問いただす。
「あれに……神器にお参りするのはこれが初めてか?」
「…………」
「どうなんだ」
「は、初めてです。ここに入るのも、あれを見るのも、これが初めてです」
父が何を気にしているのか、本当にわからないのだろう。心の底からわからないという表情のまま固まった少女に、父は少し強張った声で答えを促す。
静はその声に気圧されて、絞り出すように答えるしか無かった。
しかし、父はそれでよしとは思わなかったらしい。
「嘘を言う必要はない。本当のことだけを言いなさい。……本当に、この部屋に入ったことはないんだね?」
「……ない、です」
じっと、目を真正面から見つめられながら、恐る恐る静は答える。
何も悪い事をした記憶はない。本当にこの部屋に入ったことはないし、あの神器に相見えるのもこれが初めてだ。
なのに、どうして父上はこんなにも怖い目で私を見つめるのだろうか。
「……そうか。すまないな、問い詰めて」
唐突に、父は私から視線をそらす。
けれどもその眼差しに込められた力はまったく衰えておらず、静は内心で震える他に何もする事ができなかった。
「ち、父上……それでは」
「……神器は使い手を選ぶ。お前も、それは理解しているだろう」
「し、しかし……」
「十年の時を修練にかけてきたお前でもなく、ましてや私でもない。選ばれたのは、静という事だ。それ以上も、それ以下もないだろう」
「そんな……そんな」
歯を食いしばり、唇の端から言葉をこぼす兄。その目の端には心なしか涙が宿っているようにも見えた。
どんな時でも笑顔を絶やさず、厳しい修練にも愚痴一つこぼさず耐え抜いてきた兄が、人目をはばかる事なく、だ。
それだけで幼い少女には衝撃だった。
「あ、兄上……?」
すがるように、少女は兄へ震える声で語りかける。
しかし、兄がそれに答えることはなかった。
「……っ」
無言のまま、兄は少女に背を向けて歩き去ってしまう。
震える手で模擬刀を握り潰さんばかりに力を込めながら、その背中はどんどんと遠ざかっていった。
「父上……兄上はどうして?」
そう、父に問いかける。自分の瞳にも涙が宿り始めていることに彼女は気付いていなかった。否、気付く事ができなかった。
父から向けられている視線が、余りにも悲しそうで寂しそうなものだったから。
「運命、というものなのだろうな。あやつでは受け入れられまい。私とて、同じ気持ちなのだから」
「うん、めい?」
「……今はわからなくとも良い。今は、あの神器に選ばれた事だけをきちんと覚えておきなさい」
そう言いながら、少女の頭を父はいつものように優しく撫でる。
しかしその手はかすかに、ほんの僅かに震えていた。
少女には、その震えがとてつもなく不吉なものにしか思えなかった。
◆
その想像は、外れていなかった。初めて神器に会い見えてから数ヶ月ほどした時、静はとある儀式を行うこととなった。
それは、継承の儀式だ。
何代もの間真の主人を掲げる事が出来ずにいた神器達へ、正式に持ち手となる事を証明する儀式。
その時静は耳にすることになる。長年の間認められるほどの使い手に出会う事が出来なかった刀が、ようやく自らを十全に振るいうる相手に出会えたという喜びの叫びを。
使い手を守りきる事が出来ずにいた勾玉が、今度こそは己が使い手を守りきってみせると意気込む波動を。
それを目の当たりにして、少女はようやく気付くのだ。
ああ、自分はとんでもないものに魅入られてしまったのだ、と。
それから、少女の日々は一転することになる。
これまで源家には継承の儀式を済ませた者は当主筆頭候補となり、当主から課せられる厳しい修練の果てにようやく当主となるというしきたりがあった。
だが、静にはそのしきたりが一切適用されることはなかった。
なにせ、神器に対する適性は歴代のどの当主よりも高いのだ。それはすなわち、歴代のどの人物よりも神器を容易に扱えるということでもある。
神器を扱うことはおろか起動にさえ手間取るような今代当主の父と、触れることすら許されずにいた兄では、彼女を教導することさえできない。
では、その他の分野であればどうなのか。
……残念ながら、そちらでも静は一線を画していた。
神器に選ばれた逸材が単なる凡人で止まるわけはなく、基礎的な刀の動作を覚えた後はあっという間にその才を伸ばし、齢十を迎えることなく少女は源家史上最強の剣豪として讃えられることとなる。
勉学についても特に問題はなく、魔導に関しては当初不得手とされていたが本人の努力がそれを許さず、時間が経つにつれて次第に使用できる魔力は増大していった。
そうして開花し始めた才能を、二つの神器が全面的にサポートする。
攻撃においては草薙剣が、防御においては八尺瓊勾玉が、それぞれ己の使い手を守るべく全霊で支援するのだ。
並大抵の魔導師では勝負の場に立つことすら不可能。熟練の巧者でさえ既に手を焼くほどの力量を彼女は備えていた。
いつしか静の噂は様々な場所へ伝播していき、強者の証である異名で語られるようになる。
“東方不敗”。それは文字通り、極東圏における最強格の魔導師であることの現れでもあった。
……その頃からだろうか。それとももう少し前だっただろうか。
父と兄がいつも気味の悪い笑みを浮かべ、年下の少女である自分に媚びへつらうような態度を取り始めるようになったのは。
今では主従の礼を取りつつも真っ当に対してくれるのは、沖田以外誰もいない。
その現状が、静にとって言いようのしれないきまりの悪さを感じさせる。
「……それで、何かご用事でしょうか」
「いや、本当に何でもないさ。高みを目指し続けるお前が、まぶしく思えてな」
そう、父は笑みを浮かべたまま言う。
しかし、その微笑は静が小さな頃によく見た優しいものではなく、どこかねっとりとした悪意を感じるもの。
その隣でうんうんと頷いてみせる兄にしても、同じようなものだ。
「……もし良ければ、お二方も一緒に鍛錬をされますか」
「遠慮しておくよ、静。私とお前とでは実力が違いすぎる。一緒に入っても、邪魔にしかならないだろうよ」
であれば、何故話しかけてきたのだ。
そう内心で思い、歯噛みする。もちろんそれを表情に出したりはしないが、心中は気味の悪い感触で苛立ち始めていた。
「であれば、これで失礼します」
「ああ。修練は良いが、怪我などせんようにな」
「……ありがとうございます」
一礼し、静は修練場の中へと体を滑り込ませる。
そうすると、外の音や気配はもう聞こえなくなった。そこでようやく、彼女は深々と息を吐く。
いっそ、こんな身分など捨て去ってしまう事ができれば。ギリと奥歯を噛み締めながら、少女はそんな事を考える。
これまでに何度同じ夢想を抱いたことだろう。実際に行動に移そうとしたことは何度かあった。
神器などに縛られず、源家の名も捨てて、一個の自分として生きる事が出来たなら。
そう幻想を描いて家を出たことは一度や二度ではない。
だが、既に少女はただの人間ではなくなっていた。
“東方不敗”の名はとうに業界の中では有名となっており、元より神器を二つも保有している彼女の生家が持つ特殊性も相まって、少女はとうに有数の実力者として世に認識されていた。
それはつまり、神器を求める人間や強者を求める人間が群がってくる事を意味していて。
一人で外出したが最後、彼女の元に挑戦する者が絶えず現れるようになったのだ。
無論、その程度の相手に負けるような実力ではないが、少女は困惑していた。
自分の生家の特殊性を理解する事が出来ないまま、神器を引き継いだが故に。
元当主の父や兄からは、そういった部分に対する引き継ぎが行われずにいた故に。
持ち主の呼び声に応えて姿を現す性質を持つ神器でなければ、今頃どうなっていたかはわからない。
血の匂いを纏いながら実家に戻った時、あの二人は全く少女のことを気にもしなかった。使用人達は、その濃厚な死の匂いに怯えていた。
心配してくれたのは、普段より少し慌てたように対応をしてくれたのは沖田だけで。
それから、静の世界はごっそりと変わった。
学校に行くことは、無くなった。
学力という観点からは必要がなく、一族の特殊性を理解している傘下の学校へ通っている形を取れば何ら問題なく卒業できることだろう。
そもそも、彼女の現状を鑑みて通学など出来る訳もない。
日中外出する事も、無くなった。
外に出れば、ひっきりなしに敵対者が襲いかかってくるから。流石に昼日中から血の雨を降らせてしまえば、隠蔽が困難になってくる。
攻撃してくる側にとってはどうでもいい事なのかもしれないが、源家は同じ場所に居を構えて十数代をすでに超えている。
どうでもいいような相手に、自分の住まいを脅かされるようなことはされたくない。
幸い彼女の生家は大規模攻撃魔導でも傷付かない程の結界が形成されている。この中にいる分には攻撃される心配はなかった。
「…………」
細めた視界のまま、静は修練場を見やる。
いつもと同じ景色。いつもと同じ雰囲気。いつもと同じ香り。
決して常と変わらぬ、閉じた世界。
少女にとっての世界のほとんどは、この光景だった。
(……それを、嫌がっているわけではないがの)
ふう、ともう一つため息をついて静は自分の感情が落ち着いていく事を確かめる。
常より明鏡止水の在り方を求められるが故に、感情コントロールを容易に行うことが可能だ。
しかしそれだけの境地に至ってなお、静にとって家族との会話は心乱されるものであり続けていた。
これが敵であれば、むしろ昂ぶっていただろう。そんな事で心乱される自分へ苛立ちを覚えていただろう。
だが、身内にこそこうまでも内心を崩されていることに、少女は憤りを感じていた。
「……早めに、日取りを整えるか」
小さく、誰にも聞こえないほどの囁きをこぼす。そうすることで、自分の思考を別の方向へと切り替えるために。
脳裏に浮かぶのは、白い光を纏う天使の少女。
自分と同じように異端の力をその身に宿す、常識の埒外へ至った魔導師。
彼女のことを考えるだけで、口元が歪むのを感じる。それだけで気落ちしていた心が沸き立つのがわかった。
思えば、ここまで気分が舞い上がる機会はとても稀だ。
最近は特に腕が立つ魔導師も少ないため、余計にだろうか。
(“黒翼”なども前評判はなかなかじゃったが。……あれは、とんだ期待はずれじゃったの)
思い返して、一気に気分が冷めるのを感じる。
学校の屋上で戦場へ招待した時は、本気で期待をしていた。
公園で切り結んだ時は、期待がようやく実を結んだと本気で嬉しかった。
だが、河原での戦闘は期待外れも良い所だった。
ようやく神器を二つ解放しての戦闘に耐えうる相手が見つかったと思ったのに、すぐに音を上げてしまった。
期待が積み重なっていたのも相まって、余計に落胆は大きかった。
だが、大天使の方はそんなこともないだろう。そう考えて、ぐちゃりと笑みがさらに深く広がる。
自らの持つ力を十全に振るっての戦闘。これまでそれに耐える人間がいなかったために実戦で試したことすらない領域。
あの少女は、そこまで自分を連れて行ってくれるのだろうか。
「早く、早く段取りを整えなければの」
そう小さな声で囁いて、彼女は刀を鞘から抜く。
まずは、この昂ぶった感情を発散させるところから。そう考え、静は普段のごとく修練を始めた。
常よりも長い鍛錬となったのは、言うまでもない。




