第四章 ”黒翼”−1
眠りから目覚めた時、琉衣夜は自分の体の感覚がまだ残っていることに少し驚きを感じていた。あれだけ盛大に“黒”の力を行使し無茶を強いて、挙げ句の果てに何のケアも行わずに眠りについたのだ。
正直、腕が片方動かないくらいのことは覚悟していたのだが、正常に動いてくれるのであれば言う事はない。
上半身を起こし、辺りを見回す。すると、見慣れた寝室の隅っこに見慣れない影が座っていた。
「やれやれ、やっと目覚めたかい」
「司、か。何でここに?」
「お嬢様に呼ばれたからに決まってるだろう。全く、今回は随分な無茶をしたようだね」
こっちのことも考えてほしいものだよ、と呟きながら、司は手に持っていた本をカバンの中へと戻す。
そして、彼はこちらへ視線を返した。
「で、体の調子はどうだい。とりあえず目立つ外傷はなかったから、内部の調整をメインに行ったんだが」
「……パッと見は問題ない気がするけどな。それよりも問題は……」
そこまで言って、琉衣夜は自分の腕に目を落とす。何よりも気になるのは、自分の異能が以前までと同様に機能するのか。正直なところを言うのであれば、“黒”と魔力が使えるのであれば、体が多少壊れた所で何の問題もない。
だが、そのどちらかもしくは両方が使用できないと言うのであれば、事は非常に難解化する。なにせ、その二つは彼にとって戦闘するために不可欠な道具だ。どちらを奪われても彼にとっては致命的である。
それに対して、司は眉をひょいと動かすだけで答える。まるで、使ってみろ、とでも言うかのように。
小さく息を吐き、琉衣夜は目を閉じて意識を集中し始める。すると、これまで耳に届いていた多種様々な雑音がスルリと聞こえなくなり、代わりに自分の鼓動が鳴り響く。
魔導に用いられる魔力の根源は、彼自身の生命力にある。魔力を行使するという事は、すなわち自らの生命を力に変換すると言い換えることもできる。その為、魔力を無理に使えばその後の障害になる事はままあり、程度がひどくなるとその場で命を落とすことさえままある。
そのまま自分の心臓を中心に全身へ張り巡らされる、血管とは別種のルートへ意識をさらに集中させていく。途端、使い手が眠りについていたことで機能停止していた回路が目を覚ます。
瞬間、全身に満ちる生命力を糧として、回路に新たな力が満ち始める。この力こそが、魔力。使い手の生命力を起源とし、世界に変革をもたらす力。
そこまでを確認した所で、琉衣夜はひとまず目を開く。生命力から魔力への変換工程は、特に問題なく行うことが出来た。であれば、あとは魔力のアウトプットができれば、一旦問題はないと言える。
それを察したのか、司がこちらへ一枚の紙を手渡してくる。それを受け取り、琉衣夜はその上に人差し指で魔力の陣を描いていく。数語で構成された簡単な魔導陣を作り上げ、彼は囁いた。
「燃えろ」
瞬間、ボン! という音と共に緑色の炎が紙を炸裂させた。炎は一瞬だけ煌めき、発生の元となった魔導陣が消失すると同時にこの世から跡形もなく消え去る。
どうだ? と問いかけるように司へ視線をやると、司は顎に手をやりながらほんの一瞬だけ考える素振りを見せたが、数瞬の間を置いてコクリと頷く。
自分の体がとりあえず何の支障もなく動いていることに、内心で安堵の吐息をつく琉衣夜。少なくとも、即興とはいえ魔導が使えることが立証されたのであれば、最低限戦闘すること自体は可能だ。その事実に、ほんのわずかに安心する。
問題は、ここからなのだが。
「なあ、司。“黒”の確認、ここでやって大丈夫なのか」
「と言うと?」
ぽつりと呟いた琉衣夜の言葉に、司は首をかしげる。それに、琉衣夜は察しが悪いな、と若干苛立ちながらさらに言葉を重ねた。
「万が一、暴走した時お前一人で対処できんのか、って話だよ」
「ああ、そんなことか。気にする必要はないさ。僕一人でやるつもりもないからね」
ひょい、と司は指を琉衣夜の後方へと向ける。そちらへ何の考えもなしに振り返る少年。
しかし、最初に疑問に思うべきだったのだ。司が当たり前の顔でここに居座っていることよりも何よりも、ここにあるべき影が無いことに。
「やっと起きたね琉衣夜」
「……瑠奈」
視線の先にあったのは、隠しきれない嬉しさを柔らかい微笑に宿す少女。ピョコピョコとこちらへ歩み寄り、ポンポンとこちらの体を軽く叩いてくる。それに琉衣夜が困惑した表情を浮かべると、彼女はニッコリとさらに笑みを深めた。
「とりあえず、痛みとかはなさそうね?」
「ひとまず、な。……悪い、心配かけた」
「本当だよ。今更だけど、ね」
ツン、と唇を尖らせて瑠奈はほんの少し拗ねたような言葉を発する。けれど、その口元からさえ嬉しそうな感情が隠しきれていないのが、この少女の良い所だろうか。ふっ、と微笑みをこぼしながらその頭をわしゃわしゃと撫でる。
「……で、そろそろ話を戻していいかい」
「ああ、そうだったな」
盛大なため息と共にこちらへかけられた言葉に、琉衣夜はほんの少し気だるげに答えて顔を戻す。視線の先では、司が砂糖でも吐きそうな苦々しい表情でこちらを見つめていた。
「ンだよ」
「別に。気を緩めるには、まだ早い気がするけどね。説明を続けようか」
もう一つ苦々しげなため息を吐き出して、司は言葉を紡ぐ。それに、琉衣夜は瑠奈の頭を撫でながら耳を傾ける。
「まあ、見ての通りだよ。僕一人では君が暴走した時に手に余る可能性があるからね。特別に、彼女の力を借りることにした。君と彼女は破れぬ誓いで結ばれている同士だから、干渉もしやすいしね」
「……それ、お前がいらないんじゃないのか」
「彼女は天然で強大な力を持っている関係か、細かい作業が苦手でね。……まあ、君がそちらの方が良いと言うのであれば、僕は帰るけれど」
「チッ、しゃあねえな」
「助けられる身で、随分尊大だね」
互いに貫くような眼差しで相手を見やる。共闘したこともあるとはいえ、根本的にこの二人は気が合わない。とある少女を間に挟んだ時は、なおさら。
今にも殴り合いを始めそうな雰囲気の二人を押しとどめたのは、この場で唯一二人が言うことを聞く少女だった。
「はい、二人ともそこまで。琉衣夜、司さんは私が呼んだんだからあんまりキツイこと言わないの。それと、司さん。今回お願いしたのは確かに私だけど、念のためだってことを忘れないでね」
ニッコリ笑顔のままであるにも関わらず、一切の発言を許さない重圧を放ちながら瑠奈は二人へ語りかける。背後に阿修羅を幻視するようなその形相に、二人は無言のまま顔を見合わせ、小さくうなずいた。それに、「よし」と一言重ねて彼女は場の主導権を握る。
「まあ、そういう訳だから琉衣夜はこれから“黒”の検査。司さんは“黒”が周囲へ影響を及ぼさないように結界の準備。……何か、質問は?」
「司、結界とやらはいつ完成するんだ」
「もう出来てる。君たち二人が良いなら、いつでも大丈夫だ」
「だってさ。じゃあ、始めるか?」
「もちろん」
二人の解答を受けて、司は一つ息を吐いて目を閉じた。瞬間、部屋の中に何重にも重ね合わされた魔導陣が起動する。あまりにも速攻で発動された結界に、琉衣夜は思わず目を丸くした。
「これ……いつの間に準備したんだ」
「昨日今日さ。君が寝ている間に、色々と仕込むことができたからね。それだけ時間があれば、この程度は出来るさ」
コキリと首を鳴らしながら、司は何でもない事のように言ってのける。驚いた表情のままの琉衣夜に、彼は呆れた表情を浮かべてさらに口を開いた。
「展開し続けるのもタダじゃないんだ。納得できたんなら、さっさと始めてくれないか」
「あ、ああ……」
司にそっちそっちと指で示され、琉衣夜は瑠奈の方へと視線を戻す。すると、瑠奈は名残惜しそうに頭の上の手を退けながら、少年に語りかける。
「そのままでいいよ、起きるのはまだ辛いかもしれないから。そのままで、“黒”を使ってみて」
「どのくらいで?」
「あの女と戦った時と同じ感覚で。そうじゃないと、検証にならないから」
「……了解」
何のためらいもなく言い放たれた言葉に、琉衣夜は何も言い返さずに自分の異能へ集中し始める。少女の言葉には一片の迷いもない。ならば、彼女を信じて任せるべきだと判断して。
魔力を精製した時と同じような、しかし全く別の感覚で今度は自らの形質を起動させる。形質、“黒”。その能力は、この世界に眠るありとあらゆる人間の悪意を呼び覚まし、己の手足として使役するもの。だが、それはけして何の対価もなく使える代物ではない。彼自身の肉体・精神は呼び集めた悪意に影響され、酷い時は生命力の一部を持っていかれることさえある。
だが、“東方不敗”との戦闘時に起きた異変は、それとはまた別種の異常だった。まるで、噛み合っていたはずの歯車が欠けてしまったせいで、全体が動かなくなってしまうような、そんな感覚。
果たして、そんな以上の直後に同じように使役できるのか。不安ではあったが彼自身に原因がわからない以上、ここは二人に頼る他の選択肢がない。
形質の起動から秒を待たず、呼びかけに応じた悪意の群れがぞぞぞぞと肌が粟立つような音を立てながら集まり始める。生者への妬みを、生前の恨みを、世界に対する憎しみを叫びながら集う亡者の塊を、琉衣夜はあの時と同じようにその身へ受け入れた。
途端、歓喜の声を上げながら肉を持たないマイナスの想念が雪崩のごとく全身を駆け巡る。始めは足の先から両足を伝って胴体まで駆け上り、そのまま腕の指一本一本に至るまであっさりと泥のような漆黒が覆い尽くしていく。
目覚めたばかりの肉体が軋みを上げ、ビキリビキリとこめかみの辺りで嫌な音が響く。目を開いているにも関わらずその視界は朧げになっており、近くにいるはずの瑠奈でさえ意識を集中させなければ造形をはっきりと視認できない。
「かはっ」
弱々しい、乾いた嗚咽が口元から溢れる。それを見て瑠奈がこちらへ何かをしようとしたが、それに手を上げて彼は少女を押し留めた。
この程度は、序の口だ。このくらいなら、どうとでもなる。そう、弱々しい笑みを浮かべながら、琉衣夜は瑠奈に何もしないように訴えかける。
少女は困惑したような表情を浮かべていたが、こちらの意図を理解したのか小さくうなずいた。それでいい。琉衣夜は目を閉じ、自らの内側で猛り狂う黒の濁流に身を投じる。
このまま飲み込まれれば、この体は悪意の巣となりこの意識はあっさりと貪り尽くされて消失するだろう。だが、そうはならない。これまで何度もやってきたように、負の想念ばかりを吐き散らす汚濁の塊を己の精神ただ一つで屈服させ、自らの力としてその身に吸収していく。
同時に、彼は自らの唇を噛み切らんばかりに噛み締めながら、さらに“黒”を呼び集める。“東方不敗”と交戦した時のように、彼女を叩きのめすための力を再度呼び覚ます。
変化は、そこで現れた。
ガチリ、とそれまで無理やりながらも動いていた形質が、その機能を停止する。途端、彼の内側で力を無理やり掌握していた枷が消失したことで、呼び集めた黒が暴走を始めた。
それまでその場に留められていた鬱憤を晴らすかのように、漆黒の力が彼の内でのたうち回る。その結果、本来影響を受けないはずの魔力回路までが傷つけられ、経路を通っていた魔力までもが“黒”に引っ張られて騒ぎ出す。
こうなれば、琉衣夜に収拾をつけることは不可能だ。本来であれば自分の魔力を用いて退散させることも出来るが、何かに阻害された挙句魔力回路へ傷が入ってしまえばそこから溢れ出る魔力を止めることはできない。さながら、穴の空いた血管から血を止めることができないのと同じように。
「ぐ、ぁっ……」
胸の辺りを抑えながら琉衣夜は苦悶の吐息を零す。
瞬間、流石に見かねた瑠奈がその手を伸ばした。彼の背中に触れ、互いの間に通っている魔力の経路を伝って琉衣夜へ自分の魔力を流し込み、内で暴走している“黒”の力を引き剥がす。同時に、破壊された魔力回路へ変質させた魔力を吸着させ、一時的に損害を受けた部分を塞ぎにかかった。
本来であれば余計に相手を傷付けかねない方法だ。そもそも生命力のパターンは個人によってまるで異なる。そこからそれぞれの過程に応じて精製される魔力はさらに変質するため、例え血を分けた親子であっても魔力を受け渡す程度ならいざ知らず、魔力を相手の体内で動かすなんてことは基本的にはできない。下手をすれば、相手の魔力回路を傷付けてしまいかねないからだ。
にも関わらず瑠奈が何の躊躇もなくこの行動を取ったのは、二人の間に破れぬ誓いによって刻まれた魔力経路があるからだ。
経路を伝って流れ込む魔力は自動的に相手の体に合うよう調整されるが、元々は自分の魔力であることに変わりはない。ある程度の指向性を持たせることが出来れば、この程度の作業は造作もない。
本来、瑠奈の魔力は大天使の封印魔導を維持させるためにある程度キープしておかなければならないのだが、この程度の出力であれば問題にもならない。そう判断し、彼女は目の前で苦しむ琉衣夜の為に自らのリソースを惜しみなく投入する。
その判断が、功を奏したのだろうか。時間にして一分少々で“黒”は暴走を止め、琉衣夜の体そのものも完治とはいかないが回復する。
ゼイゼイと息を切らしながら、しかし琉衣夜は唇の端を釣り上げて瑠奈に微笑みかけた。
「悪い、助かった」
「……大丈夫?」
「もう、大丈夫だ。収まった」
深々と息を吸い、思いっきり吐き出す。それを合図に、彼の体内で再度魔力が再度精製を開始する。それを見て、瑠奈も問題ないと判断したのか彼の背中から手を離した。
「んで……原因はわかったかよ」
「……ある程度、ね。困ったもんだ」
ぐしゃぐしゃと頭をかきむしりながら、司は琉衣夜の問いかけに答える。
「藤崎琉衣夜。もしかすると、この先お前は戦わない方が良いかもしれん」
「……え」




