第二章 届かぬ憧憬−1
その日の夕暮れ、琉衣夜はかつて瑠奈と一緒に遊んでいた公園を訪れていた。
既に太陽はほとんど落ちており、今日最後の光を世界に投げかけている。もう十数分もすれば、完全に夜へと変わるだろう。
無論、遊びに来た訳じゃない。
ここでやるべき事は、ただ一つ。獲物を誘き寄せるための準備だ。
「……こんなもんで十分か」
自らの魔力を使って『人払い』の魔導を展開し、その内でさらに結界を生み出していく。
本来、琉衣夜の形質である“黒”とこういった魔導は相性が悪い。
“黒”の特性は、その場に存在する生命力や魔力を貪り喰らって自らの力へ転換するというもの。この魔力とは、魔導式や魔導陣に含まれるものも例外ではない。
また、現時点では問題ないものの、戦闘に入れば琉衣夜も繊細なコントロールを続ける事は難しくなる。
展開、即発動の魔導ならば問題ないが、維持し続ける必要がある結界魔導は“黒”にとって格好の餌食だ。なんせ、餌が常時供給されるようなものなのだから。
では、その致命的なまでの相性の悪さを理解していながら、どうして結界魔導を使っているのか。
理由は単純。
敵に、「ここにいるぞ」と教えるためだ。
ふう、と一息ついて彼はベンチの上に置いていたコーヒーを一口すする。
『人払い』の魔導を張っているとはいえ、何の偽装も隠蔽もかけていない状態で結界魔導を使えば、ある程度の実力を持つ魔導士であれば気づく。
一般的な魔導士にとって、研究拠点は生命線とも言える。その隠蔽は必然最優先扱いとなり、ここまでおおっぴらに結界を作成すれば「ここに何かがあるぞ」と教えるようなものである。
だが、裏を返せばそれは敵に魔導士がこの場にいると教えられるということでもある。
そして、“東方不敗”がもし魔導士のみを狙う辻斬りであるというのであれば。
魔導士がいると明確にわかっている場を前にして、そのまま放置するということがあり得るだろうか。
果たして、砂利を踏みしめる音がかすかに聞こえた。
この辺りの一般人は『人払い』で別の場所に移動しているにも関わらず、だ。
であれば、足音の正体が何であるかは容易に予想がつく。
「随分とわかりやすい結界が張られたから見に来てみたら、何じゃ物騒なもんじゃのう」
のんびりとした調子の声が、足音を連れ立って聞こえてきた。
影が、少しずつ近づくにつれて人の形を成していく。
身長は琉衣夜より頭一つくらい低い。ちょうど、瑠奈と同じくらいの背丈だろうか。
だが、ほんわりした雰囲気を醸し出す彼女に対して、目の前の少女が放つ空気は真逆のものだ。
まるで、刃のように研ぎ澄まされた冷たいオーラ。静かだが、確実に人の生命を刈り落とす刃物。そんな印象を抱き、琉衣夜は体がほんの一瞬ブルリと震えるのを感じた。
「怖い怖い。女を前にそんな笑い方しておったら、さぞもてなかろ?」
「あいにく、これから殺しあう敵を前に口説く気にはならねぇな」
つうか、と言葉を続けながらコーヒーの缶をベンチの上に置く。
少しもったいない気もするが、この先は邪魔にしかならない。敵の実力がわからない以上、両手はフリーにしておきたい。
「人のこと、言えるタチかよ。自分も随分と怖い顔をしてるぜ?」
「はっ、これは失礼したの。おんしのようにわかりやすく招待してくれるやつはおらんかったのでな」
腰ほどまである黒の長髪を揺らしながら、くっくっと少女は笑う。
年頃は琉衣夜とそう変わらないだろうに、随分と老人じみた口調だ。キャラ付けなのかどうかは知らないが、制服を着ていてもおかしくない年齢にしか見えないせいで浮いているように感じる。
まず間違いなく美少女にカテゴライズされる見た目だけに、余計におかしく見えてしまう。
だが、琉衣夜にそんな所を気にするような余裕はなかった。
目前の少女の全身から放たれる雰囲気が全く別のものに変わっていく。
表情は確かに笑っているのに、その身から発されているのは紛れもない殺気。
それも、この一ヶ月相手にしてきた魔導士からは感じたことのない、濃密なものだ。経験の足りない相手であれば、これだけで腰を抜かすかもしれない。
実際、琉衣夜の体もほんの少し震えていた。
ただし、恐怖に起因するものではない。
「あはっ」
楽しげな声が、口元から溢れる。
昼間瑠奈に見せたものとはまた違う。
例えるなら、退屈していた子供が楽しげなおもちゃを見つけた時の表情。
例えるなら、餓えた獣が目前に獲物を目にした時の喜びの表情。
嬉しそうな、楽しそうな、心からの喜びの声が、彼の顔を染め上げる。
やっとだ。
ようやっと、この時が来た。
ようやっと、本気を出すことができる……っ!
「起きろ、“黒”」
喜びに打ち震えた声で、自分の力に呼びかける。
ゾゾゾゾザザザ! と波を思わせる音を立てながら、主の声に応えて漆黒の塊がいくつもいくつも現れ彼の足元へと集う。
それを見て、少女——“東方不敗”はさらに笑みを深くする。
「よい。よいぞ、おんし……。それでこそじゃ、それでこそ私も遠慮なく叩けるというものじゃ……っ」
楽しげに、少女は何かを手繰り寄せるように手を動かす。
すると、虚空から現れた刀が、彼女の手にすっぽりと収まっていた。
少女の身長ほどもある、大太刀。その身には不釣合いにも思える得物だが、その刀を持つ姿があまりにも堂に入っているからか、違和感は覚えない。
黒の鞘がしゃらりと抜き去られ、納められていた刀身が夕陽の名残を受けて妖しく輝く。
その光景に、琉衣夜の背筋をぞくぞくとした感触が這い上がった。
「我が異名は“東方不敗”。いざ参る」
「受けて立つさ、“東方不敗”。楽しませてくれよ……っ!」
互いの足が地を蹴り、同時に前に出る。
次の瞬間、轟音とともに両者が激突した。
◆
時は、少しだけ遡る。
瑠奈は龍音と二人でとあるファミレスに来ていた。
理由は単純なもので、今日琉衣夜が夜帰ってこないのがわかっているから先にご飯を食べておこうというだけのもの。
本当は戦闘を制した琉衣夜がゆっくり出来るようにご飯を準備して待っていたかったのだが、彼はさっさとコンビニで夕食を買ってしまっていた。
ぶんむくれた表情で琉衣夜が先に帰るのを見送った瑠奈を、見かねて龍音が食事に誘ったという状況である。
「アイツも酷いわよね。予定があるなら、早めに言えっての」
「あ、いや……まあ、琉衣夜が忙しいのは知ってるんだけど、さ」
親友に代わって怒りを露わにする龍音に、瑠奈は宥めるように笑いながら返事をする。
それに、事情を知っている瑠奈としては、あまり琉衣夜を責める気にはなれない。彼が戦場に出ているのは、瑠奈を守るためなのだから。
最近は頻度が度を越しているようにも感じるが、そもそもそれも瑠奈が“罪咎の巣”の外側で生活し始めるようになったせいもある。
今こうして瑠奈が生活できているのは、彼女の代わりに琉衣夜が周囲の危険人物を狩り、“罪咎の巣”に自分の価値を証明し続けているからだ。
『大天使』が暴走した時の制御装置であると同時に、『大天使』の器を守る護衛。それが“罪咎の巣”に求められる人材であるが故に。
「アイツ、最近おかしいんじゃない? この頃ずっと眠そうな顔してるし、それに今日も授業遅れて来てたでしょ。授業すっぽかすとか、前の琉衣夜だったらありえないけど……」
「う〜ん、でも意外と琉衣夜は寝ぼすけだよ?」
「……実は瑠奈が甘やかしてるとか?」
「そ、そんなことはないと思うけど」
龍音に、魔導士の世界を教える訳にはいかない。
力を持たない一般人に魔導の世界を見せた所で、余計な火種にしかならない。
だから、琉衣夜がどうして最近やけに眠そうなのかだとか、最近イライラしがちなのかという質問に答えられないのが、何とも歯がゆい所だ。
「……でも、琉衣夜は頑張ってるよ。今日も、いつだって」
故に、瑠奈は微笑みながらそう言う他にない。
ほぼ唯一無二と言っていい琉衣夜の友人を安心させられるように、けれど彼女へ余計な危害が向かないように。
笑いながら、ごまかすしか出来ない。
力がどれだけあっても、今この場においては何の意味もないのだから。
(……琉衣夜は、そろそろ準備が終わった頃かな)
テーブルに置かれたミルクティーを口に運びながら、自らの内に宿されたパスへ意識を向ける。
琉衣夜と繋がれた経路は、今も滞りなく互いの魔力を循環させている。これに異常が出ない限りは、問題ないという認識で間違いはない。
また、何かあってもある程度の位置までは把握ができる。天使の力を使わずとも、瑠奈の力量であればこの街のどこであれ一分以内に到着できる。……周囲の人々に見られないようにしないといけないが。
だから、今日の依頼に関してはそこまで心配していなかった。
琉衣夜は一ヶ月前の戦闘の時からさらに経験を積んでいる。
本人はどう思っているのかわからないが、たった数ヶ月であれほどの実力まで成長したのであれば、十二分と言っていい。
今の彼であれば、大抵の敵は撃退してのけるだろう。
故に、そこまで心配する必要はない。
無いと、そう思っているのだが。
「でも、瑠奈だって不安でしょ。そんな顔しかめちゃって」
「え」
お茶のカップをかき混ぜながらそんなことを考えていたら、龍音にそんな事を言われた。
間抜けな声を出してしまった瑠奈に、友人は鞄から取り出した鏡をこちらへ向けてくる。
「ほら。気づいてないかもだけど、瑠奈も相当顔怖いよ?」
勧められるまま、鏡を覗き込む。
すると、そこには眉をひそめて暗い感情を顔に貼り付けた少女がいた。
知らぬ間にここまで駄々漏れになっていたのかと、自分でも驚いてしまう程に。びっくりした表情で固まる彼女に、龍音は自分のドリンクを一口飲んでから言葉を続ける。
「ね? 瑠奈、自分で言ってる以上にアイツの事を心配してんのよ。だから、予定があるなら言えって言いたいのよ」
「……うん」
こんなにもわかりやすく表情に出ているとは、さすがに思っていなかった。
『大天使』を狙う者達から逃げている時は、この程度の腹芸などいくらでも出来ていたのに。
自分は、こんなにもわかりやすくなってしまっていたのか。
改めて盛大なため息が出てしまう。そりゃあ、龍音に心配される筈だ。
「まあ、アイツはアイツで本当にギリギリまで何も言わないから、仕方ないっちゃ仕方ないけどさ……。しんどいなら教えてくれればいいのに」
椅子の背もたれにだらしなく寄りかかりながら、唇を尖らせる龍音。
わかりやすい友人に、困ったような笑みを浮かべる瑠奈。
元から自分の事を全く話さない性質なおまけに、今は魔導士として活動をしている彼にとって、下手なことはしゃべることができない。
そのせいで、以前に比べて一層無愛想になっているように見えてしまっているのかもしれない。
実際は事情を知っている人に対してはそれなりに話をするし、皮肉混じりとは言え冗談を言ったりもするのだが……。
それを龍音に理解しろと言うのは、酷な話だろう。
瑠奈は微笑を湛えたまま口を開く。
「龍音には、琉衣夜も助けられてると思うよ。面と向かって言えないだけで、さ。琉衣夜、ああ見えて恥ずかしがり屋だから」
だから、ほんの少しでも代わりに伝えられればと言葉を紡ぐ。
互いに不器用故に伝わっていないだけで、琉衣夜は少なからず龍音に対して心を開いている。
それは彼と記憶を共有している瑠奈だからこそ、保証ができる。
全部を伝えてしまうのはさすがにダメだとは思うけれど、このくらいは伝えてあげてもいいだろう。
元々あった関係を、間に割って入ったことで歪なものにしてしまったのは、瑠奈なのだから。
微笑みと共に告げられた言葉に、龍音はそっぽを向きながら「あ、そ」とだけ答えてくる。
龍音がこうして口数が少なくなるのは、照れている時だ。数ヶ月付き合いがある瑠奈にはわかる。
その証拠に、顔をこちらに見えないようにしているものの隠しきれていない頰や、耳のあたりまで真っ赤に染まってしまっている。
わかりやすい友人の挙動に、クスリと笑いながら瑠奈は窓の外を見やる。
既に、陽は落ちきっていた。
夏が近づいているとはいえ、日が暮れればまだ若干肌寒い。
(お風呂の準備、しといてあげなきゃ……)
そんな事を考えながら、瑠奈は再度テーブルのティーカップを手に取る。
そうして、とある少年の事を心配しながら、二人の少女の時は過ぎていくのだった。




