第一章 拭えぬ焦燥-1
「……この程度かよ、こいつも」
額に流れ落ちてくる汗をぬぐいながら、琉衣夜は苦々しく吐き捨てる。
彼の足元に倒れているのは、“罪咎の巣”に討伐を依頼された標的。
一時間前までは元気に動き回っていたのに、今となっては呼吸をすることすら難しいほどに衰弱しきっている。
使った手段はいつも通り。
“黒”で生み出した獣を数匹けしかけ、魔導による反撃を吸収・無効化しながら制圧。ただの魔導士であれば、これ以上の手を打つ必要がまるでない。
今回の相手は多少できる方だったようで、その場から逃げ出そうとあの手この手を使っていたが、少し手間取らされた程度で結局何の反撃もできないまま沈んでいった。
そして、その程度で新たな経験を積むことができるとは、まるで思えない。
こつこつ、と足先で倒れたままの体をつつき、反応がないことを確認してからポケットの中に入れていた携帯を取り出す。
数回のコールの後、相手が呼び出しに応えた。
「よぉ。標的の無力化は完了。拘束と輸送を頼む」
『了解しました。すでに回収班は待機しています。五分程度でそちらへ到着するかと』
「そっちは頼んだ。次の標的の情報をくれ」
『え?』
「え、じゃねえよ。まだいるだろ、手配されてるアホが」
『で、ですが、今日一日だけでもすでに三人を確保しているのですよ? それに、もう時間も時間です。これ以上引っ張ると、明日の生活に支障が出るのでは……』
「んなこと気にすんな。あんたはただ、ここから一番近くに潜伏してる危険分子の居場所を俺に教えて、その場所に回収班を向かわせればいい」
『……わかりました。いつも通りの方法で位置情報を送信しますので、そちらの確認をお願いします』
「頼んだ」
連絡係の意見を聞くことなく押し切り、こちらの依頼を押し通す。
彼女からしても、“罪咎の巣”の益になることであれば断ることはない。琉衣夜のことを心配しているようなことを言っていたが、結局心から心配しているわけではない。
なにせ、普段から連絡を取っているというだけで、知り合いでもなんでもないのだ。その程度の関係性に過ぎない相手へ、組織が甘受する益を投げ捨てるような発言などできはしない。
通話の終わった携帯をポケットに戻す。ゴキリと首を鳴らし、面倒臭そうに肩へと手をやる。
(ったく、最初からその結論に至るんなら、心配なんてするんじゃねえよ)
はっきり言って、通信係の心配は琉衣夜からすれば余計なお世話も良い所だ。
彼が望んでいるのは、自らの力をさらなる高みに押し上げてくれるような戦い。通信係の少女がかけている心配は、彼の思惑の逆。琉衣夜にとって、何の利益にもならない。
おまけに、自分の心配を押し通すような意志もない。琉衣夜が少し粘り強く言っただけで翻意したところで、その薄弱さは見て取れる。
その程度の気遣いはいらない。
その程度の思いやりはいらない。
はっきり言って、障害以外の何物でもない。
連絡が来るまでの間、体の動きを確認するかのように首を回しながらそんなことを考えていると、ポケットの中の端末がブルブルと震え始める。
連絡係からの情報かと思ってもう一度手の中に端末を戻すも、表示されている名前はまったく別のものだった。
表示されているのは、栗原美咲である。
面倒くさげに目を細めながら、通話ボタンを押して耳元に当てた。
「……もしもし」
『お疲れ様です、琉衣夜。今は大丈夫ですか?』
「仕事中だがな。なんだよ?」
『通信係のタクトから話を聞きました。四人目の捕縛へ向かう、と』
「ああ。まだ二時だ。これから全速力で向かえば、学校に間に合うようには戻れるだろう」
『それはそうですが……琉衣夜、あなた最近きちんと寝ていないのでは?』
「……お前には、関係ないだろ」
『ええ、私には関係のないことです。あなたがノルマ以上の成績を上げてくれるのなら、まったく問題はありません。ですが、私には“罪咎の巣”以上に心配すべきことがある』
「何のことだよ」
『あなたなら、わかるはずですが』
「…………」
『瑠奈のことですよ』
琉衣夜の沈黙を許さないように言い募ってくる美咲。
それに対して、彼は何も言い返せなくなってしまう。
『彼女から連絡が入っています。最近琉衣夜が深夜出かけ続けている、と。バレていますよ、彼女には』
「……そうかい」
『今からでも遅くありません。朝帰りなどやめて、戻ってあげてください』
「…………」
『あなたに求められているのは、敵を倒す力よりも彼女を収める鞘であり続けることなのでは?』
「……ちっ」
容赦無く言いかけてくる美咲に、何も言い返せずに沈黙する琉衣夜。
一つ大きなため息をつき、ゆるゆると頭を振りながら彼女の言葉に答える。
「わかったよ。通信係にも伝えておいてくれ。遅くまで悪かったな、と」
『わかりました。それでは、良い夜を』
美咲の言葉が終わるかどうかというところで、彼は液晶携帯から耳を離した。
「……くそったれ」
静寂に包まれる夜闇の中、彼は一人誰に言うでもなく呟く。
瑠奈のことを出されてしまっては、何も言えない。彼女に心配をかけていることは薄々気付いていたし、瑠奈をそんな心境に置き続けるのは琉衣夜にとっても本意ではない。
だが、自分の実力を伸ばす機会が手の中からこぼれ落ちていく感覚は、何とも言い難いものだ。今尚自身の力量が足りないと考える彼にとって、成長する機会の損失は痛手でしかない。
ギリギリと奥歯を噛み締めながら、今の状況に嘆息する。だが、現状どうしようもなかった。
「くそったれ……」
もう一度同じ言葉を言い捨てて、彼は家の方角へと歩き始める。
彼の事を待っているであろう少女の元へ、一刻でも早く戻るために。
◆
ゴーレム使いと戦ってからすでに一ヶ月の時が過ぎていた。
暦はすでに六月へと入り、季節は夏へと移り始めている。
以前の戦いで自らの実力不足を痛感した琉衣夜は、あれからほぼ毎夜のように“罪咎の巣”の依頼を消化し続けていた。
魔導の知識を頭に叩き込み戦闘の経験を積み、自らの実力を引き上げるべく日々努力を続ける。貪欲に、がむしゃらに、ともすれば馬鹿の一つ覚えのようにそれを一ヶ月絶えることなく続けてきた。
自分の力が足りずに瑠奈が手を出すしかないような状況なんて、二度と生み出さないために。
だが、そんな生活を送っていれば、部屋に留まる時間は少なくなる。そうなれば、瑠奈と一緒に居られる時間も必然的に減ってしまう。
故に、瑠奈の心配も限界に達しつつあったらしい。彼女から美咲に連絡を取ったという話を聞くのは、これが初めてだった。
(そこまで心配させてしまっているとは、思ってもいなかったが、な……)
懐から取り出した鍵で、音を鳴らさないようにゆっくりと錠を回す。
かちゃり、と普段通りの、しかし静寂に包まれた宵闇にはやたらと響く音が聞こえ、扉がゆっくりと開いた。
「ん……?」
部屋に入ってすぐの所で、琉衣夜はおかしなことに気付く。
玄関のすぐ脇で、壁にもたれかかるようにして寝息を立てる影がいた。この部屋でこんなことをするような人物は、彼の知っている限り一人しかいない。
「zzz……」
「……やれやれ」
呆れたように自分の髪をぐしゃぐしゃとかきながら、琉衣夜は小さく呟いた。
まるで飼い主の帰りを待つ子犬か子猫のように、少女は彼の帰りを待っていたのだ。
よほど眠り込んでいるのか、琉衣夜が入ってきた気配に気づきもしない。
「ごめんな、遅くなって」
「んぅ……」
かすかに肩を震わせながら、それでも自分のことを待ち続けていた彼女の頭をくしゃりと撫で回す。
初夏とはいえ、夜になればそこそこ涼しくなる。
琉衣夜達が住んでいる部屋は全面フローリングなので、そんなところに座っていれば間違いなく体を冷やしてしまうだろう。
夏風邪をひくのはなんとやら、と言うが、このままでは少女がその代表になりかねない。
「ほら、瑠奈。こんな所で寝てないで、ベッドに行くぞ」
「……ん〜」
ポンポンと軽く頭を叩きながら話しかけるが、少女は眠気に脳みそが全て浸かってしまっているのか、普段に比べて反応が悪い。
まるで甘えるかのように撫でている琉衣夜の手に擦り寄りながら、しかしその目が開かれることは全くない。
現在時刻は午前三時過ぎ。
さすがにこんな時間に叩き起こすのは、何というか気が引ける。小さくため息をつきながら、起きようとしない少女の背と足のあたりに手を回した。
「よいしょ、っと……」
俗に言うお姫様抱っこの形で、瑠奈を抱え上げる。
いくつかの戦いを制したままなので汗やその他諸々の匂いが若干気になる所ではあるが、少女の嬉しそうな反応を見る限り杞憂だったらしい。
腕の中で静かに再度寝息を立て始める瑠奈の寝顔に小さな笑みをこぼしながら、彼女を寝室へと優しく運んでいく。
「よ、っと……」
ベッドに少女の体を寝かせ、薄い掛け布団をかけてやる。
離れていこうとする少年の腕を名残惜しそうに掴む瑠奈だったが、ひたいにかかる前髪をのけて少し撫でてやると満足したのかその口元がじんわりと緩む。
かわいらしい表情を浮かべながら寝息を立てる少女にクスリと微笑みながら、琉衣夜は起こさないように細心の注意を払ってこちらの腕を掴んだままの手を外し、一度寝室を後にする。
今来ている服は、汗も返り血も硝煙もたっぷり吸い込んだ状態だ。
そんな状態で布団に寝ころがろうものなら、明日以降の寝つきが悪くなること請け合いである。洗濯は明日に回すにしても、シャワーくらいは浴びておかないとまずい。
眠気でだるくなってきた体に鞭を打ちながら、浴室の方へと向かう。
疲労のせいか急に重たくなった服を脱ぎ捨て、タオルを準備してからシャワーを浴び始めた。
(……さすがに、連日はこたえるな)
ぐったりと体を壁にもたせかけながら、熱湯を頭から被る。
連日の戦闘で筋肉が緊張しきっているのか、普段よりも熱めなはずの湯がちょうどよく感じていた。
ここまで疲労が溜まっているなら、溜めた湯に入った方が良かったんじゃないだろうか。
そんな考えがふと頭をよぎるが、今から湯を張って入るとなると今度は肝心な睡眠時間が短くなってしまう。
明日だ。明日ゆっくり湯に浸かるとしよう。
悲鳴を上げる自分の体にそう言い聞かせて、今日はシャワーだけで済ませることにする。
連日の“黒”の使用と、睡眠不足。戦闘の緊張からくる疲労が蓄積し、さすがにごまかしが効かなくなってきた。
それでも敵に対して遅れを取るとは思わないが、疲労が溜まれば無用な怪我が多くなる。ある程度はきちんと抜いておかなければならない。
怪我をすれば、この部屋で待っている少女が心配することになるのだから。
(とはいえ、止める訳にもいかないんだけどな)
魔導師との戦いから身を引くつもりは毛頭ない。
瑠奈に心配をかけているのはわかっているのだが、今の自分ではまだ彼女を守ることができない。せめて、彼女を守ることができるだけの実力を身につけなければ、少女のそばにい続けることはできない。
深々とため息を吐き、グキグキと全身の関節を鳴らしながら浴室を出る。
あくびを漏らしながら寝間着を纏い、ぼんやりと眠気に巻かれている頭を必死に叱咤しながら寝室へと向かう。
寝室にたどり着き、床に敷かれている布団を目にしたらもうだめだった。
何も考えられないまま、ふかふかの布団に身を投じる。目を閉じると、それだけで眠気の闇に沈んでいきそうになってしまう。
何も考えず、静かに目を閉じて、柔らかい布団に抱かれながら少年は微睡みに落ちていく。
「…………るいや?」
しかし、その眠気はやけに舌ったらずな呼び声で吹き飛ばされた。
半分以上機能停止した脳みそをフルに回転させながら、上半身を起こす。すると、視線の先で同じように上半身を起こしてあちらこちらを見ている瑠奈がそこにいた。
「瑠奈……? どうかしたか」
「んぅ、るいや……」
かすかな声で呼びかけると、ふらふらと彼女の目がこちらを向いた。
ふわふわとした口調で彼の名を呼びながら、少女が四つん這いで琉衣夜の方へと向かってくる。
「ちょ、ちょっと待てあぶな……」
「るいやぁ……ほぇ?」
ぽふぽふとこちらへ向かって来ていた瑠奈は、完全に眠気でやられているのかこちらの声が聞こえていないどころか、周りもきちんと見えていないらしい。
危ない、と声を掛ける琉衣夜の制止にも耳を貸さずに前へと進み、ベッドの端から体を乗り出してしまう。
眠気で周りが見えていない、危険予知など一切おこなっていない状態でそんなことになれば、どうなるだろうか。
想像に難くないだろう。
ぼてん、と鈍い音を立てて少女の体が掛け布団を巻き込みながら、琉衣夜の布団の上に落ちて来た。
それも、顔面から。
受け身など一切取れない状態で落ちたため、おそらく思いっきり打ち付けているだろう。布団の上に着地しているが、相当痛いに違いない。
「だ、大丈夫か……?」
「う、うきゅう……」
琉衣夜の問いかけに、うめき声とも寝言ともつかぬ答えを返す瑠奈。首の角度がかなりまずいことになっている。
大丈夫かと布団から這い出て少女の元へ向かう琉衣夜。
途端、落ちてから身動き一つしなかった少女の体がピクリと動き、こちらに向かって這い寄ってくる。
「……つかまえたぁ〜」
「うおっ」
がばぁっと起き上がり、先ほどの落下からは想像もつかないような俊敏さでこちらに抱きついてきた。
完全に油断していた琉衣夜は、その急襲に何の受け身も取れないまま背中から布団に倒れてしまう。
「……お前な、ちったぁ手加減しろよ」
「…………zzz」
「……ハァ」
ぼそりと呟くも、その時にはすでに意識を手放しているらしき少女の口元から可愛らしい寝息が溢れている。
あまりにもマイペースな挙動に盛大なため息をこぼしながら、彼女をベッドに戻すべくもう一度抱き上げる。
「ん〜…………」
「……お前、起きてないよな?」
しかし、その途端に少女の両腕が決して離れないと言わんばかりに琉衣夜の体にしがみつく。
無意識なのか、それとも何か夢を見ているのか……どちらかは知らないが、このままではベッドに転がすこともできない。
「おい、離れろって」
「…………」
低い声でつぶやきかけるも、反応はない。
どうやら、本気で寝入り始めたらしい。こうなると、瑠奈はめったなことでは起きない。自分からはすっと起きる癖に、他の人間がどれだけ呼びかけても起きようとはしない。
「……やれやれ」
諦めたようにつぶやき、瑠奈の隣に自分の体を横たえる。
これだけがっちり抱きつかれていては仕方ない。それに、琉衣夜自身も寝不足でこれ以上は思考が働かない状態だ。
諦めて、添い寝をした方が手っ取り早い。
何か色々と大事なものを失うような気がするけれど、そんな危機感を放り投げながら琉衣夜も目を閉じる。
隣からほんのりと感じるぬくもりは、外の寒気のせいかひどく心地よかった。
……なお、この数時間後に少女の悲鳴で叩き起こされることを、琉衣夜はまだ知らない。




