悪意の巣
「これは……流石に……多すぎるだろ……」
ゼイゼイと疲労を隠すことができずに肩を揺らす琉衣夜。その後方で、美咲も壁に体をもたせかけながら答える。
「流石に……ここまで仕掛けられているとは、予想外でした」
これまでに処理した罠の数は、数百を越える。途中から数えるのが困難な状態になってきてしまったため、正確にはわからない。
なにせ、不用意に一歩踏み出せばいくつか同時に起動し、処理しなければ二人まとめて死にかねない。おまけに、ここで働いていたと思しき人間たちまで、こちらを認識した途端わらわらと襲いかかってくる。
美咲が人間達を、琉衣夜が罠解除を担当することになったものの、物量が物量だ。
琉衣夜が予想していた通り、このタワーには百人単位で勤めていたらしい。その他からも手段はわからないが集めていたらしく、相当な数が彼らの前に立ちふさがってきていた。
また、罠も予想通りと言うかなんというか……タワーの壁から床から大量に描きこまれている魔導式を参照にして恐ろしい数が次から次へと生み出される有様。
“黒”を総動員して片っ端から破壊しにかかっているのだが、どうやらあまりに膨大な情報を内包しているが故に魔導式そのものが一つの方向性を獲得してしまったらしい。
その結果が、自動的な侵入者の排除。
はっきり言って、笑えないレベルの質と量だ。
「これは、放置していたツケってわけか」
「人間の方はそのうちいなくなるとはいえ、こうまで次から次へと魔導式を生み出されるのは、流石に厳しいですね」
「かといって、一気に上に行ける方法もない。地道に敵の罠を潰しながら登っていくしかない、ってわけか。うんざりだな」
「……否定できませんね」
げんなりした表情を互いに隠さない二人。
現在二人がいる階層は五階。あと半分残っているという状態だ。“黒”は今も元気に這い回り、次々と見境なく魔導式にかじりついているが、それでもこのタワーを埋め尽くす魔導式も魔力も一割すら減っていない。むしろ、地脈から魔力を注ぎあげる動きが止まっていない関係上、逆に増えているのではないだろうか。
これ以上“黒”を増やすこともできない以上、この魔導式を維持している当人を倒す他にこの魔導式を無力化する方法はない。
一応最初は地脈干渉に関する魔導を探しながら進んでいたのだが、あまりにも情報が膨大すぎて投げざるを得なかった。
「これでもだいぶ削ったつもりでいたんだが……“黒”が好き放題食い散らした状態でこれだ。敵の弱体化は見込まない方が良さそうだな」
「魔導式破壊の方はどうでしょうか?」
「正直、壊しても壊しても量が多すぎて減らしてる実感がわかない。壊した端から周りの魔導式が補強してる可能性すらある。……下手なAIよりよほど賢い対応かもしれないな」
“黒”を通して魔導式を解析、破壊し続けているだけあって、琉衣夜の言葉はほぼ的中している。……的中しているが故に、そびえ立つ困難を目の当たりにしてうんざりしているわけだが。
「さて、休憩は終わりだ。行けるか?」
「ええ。私はあなたほど消耗していませんから」
「ちぇ。羨ましいぜ」
唇を尖らせる琉衣夜に、美咲は申し訳なさそうに頭をさげる。
実際、美咲は琉衣夜に比べて体力をほぼ消耗していない。が、それは彼女が現状対人戦闘に特化しているからである。
対魔導となると、彼女の能力は並よりも多少能力が高い程度のものでしかない。そのレベルでは、この量と質の魔導式には対応しきれない。
それを理解しているからこそ、美咲は頭を上げることができない。
琉衣夜もそれをわかっているから、皮肉を言うのみでそれ以上は何も言わない。
コキコキと首を鳴らしながら、新たに出現する魔導に対応を始める。
すでに右目だけでは応じきれないと判断したため、“黒”は両目に集められている。負の感情から生まれた漆黒の力が二人に対して敵意を向ける魔導式を感知し、琉衣夜に向けて警告を送った。
感知した数は前方に三つ、後方に二つ、それに下方向から二つが起動準備に入っている。この程度の数なら、起動しきる前に破壊すればどうとでもなる。
トン、トンと靴のかかとで何度か床を鳴らす。すると、その音に集められるかのようにいくつもの黒点が彼の足元に集まり、一つの大きな塊へと変わっていく。
その間にもう一度視界に入る全ての魔導を再確認、式と魔力の変化速度から優先順位を割り出す。その時にはすでに、今集められる最大量の“黒”が彼の元に集まっていた。
「……行くぞ」
呟き、三つの塊に分けた“黒”を放つ。
まずはコンクリートに阻まれて侵食が遅くなることが予想される下方向からの二つの魔導に向けて、二つの黒塊を向かわせる。彼の元を離れてわずか二秒で魔導の元まで“黒”が到達、式へと侵攻を開始した。
同じタイミングで前方へと放った黒の波が前方の三つに着弾し、魔力及び魔導式を食い荒らしてあっさりと無効化する。
魔導が無力化されたことを確認した瞬間、今度は“黒”をさらに小さい二つの塊に変え、後方から襲いかかる攻撃に対応させる。
そうこうしている間にも新たな魔導が生み出され、彼らを飲み込まんと起動されていく。それに対応すべく、漆黒に染まった目を四方に走らせ、リアルタイムで優先順位を組み上げながら“黒”を走らせる。
その間にも、歩を進まなければこの濃密な攻勢から抜け出すことができない。多方向から迫り来る攻撃を全て認識、必要なものに対応しながらかつ自分の体を動かし続けなければならない。琉衣夜が美咲以上に消耗しているのは、これが唯一にして最大の原因である。
そして、それをただ見つめているような敵ではない。
五百メートルほど進んだ先で、少し広い場所に出た。琉衣夜の記憶が正しければ、ここを抜けた先に階段があるはずだ。
しかし、目を向けた先から十数人ほどがフラフラとこちらへ向かってくるのが見えた。
胡乱な目つきの男達は、二人を目に入れた途端どこぞのゾンビ映画かと疑いたくなるようなうめき声をあげながら、こちらへと向かってくる。
琉衣夜はそちらへ目を向けない。そんな余裕はないし、向ける必要がない。
「あれは、私が」
仕事を見つけた、とばかりに美咲が前へ出る。
トン、トン、と数メートルの距離を二歩で詰め、鞘に納めたままの刀を振り回す。一撃で右側に出ていた男を殴り飛ばし、その勢いで体を回転させて左の人を蹴り倒した。
どういう魔導なのかはわからないが、彼らに与えられている命令はひどく単純なものらしく、また魔導による身体補強もかかっていないようなので“超えし者”を使用せずとも美咲一人で十分渡り合える程度の実力でしかない。
この程度の敵をいくら殴り倒した所で、琉衣夜のしている仕事に比べればあまりにも簡単すぎる。
結局、一分も経たない間に全員を気絶させ、一息つく美咲。
振り返れば、琉衣夜の方はまだ襲いくる魔導に対応し続けており、こちらに到着するのにはもう少し時間がかかりそうだ。拘束しようにも手持ちの拘束具はすでに尽きており、かといってこのまま放置しておくのも怖い。
「琉衣夜。この近くに、拘束具の代わりになるような物を置いてある部屋はありませんか」
「そんな物、探す、余裕は、ねえっ!」
尋ねかけるられるも、琉衣夜にはそれにまともに答える余裕はない。
そう返事している間にも起爆しようとした魔導を一つ叩き潰し、同時に下から伸びてくる魔手を“黒”を纏う右足で踏み潰して無効化する。
そこから連鎖して起動した別の呪いを、右足で“黒”を蹴り飛ばして叩き込むことで無力化した所で、ようやくひと段落ついた。
このわずかな間で、数十の魔導が襲いかかってくるのだ。おまけに、進んだ距離は数百メートル程度に過ぎない。あと五階登るのにどれだけの労力が必要なのか、想像するだけで血の気が引いていく気がする。
「最悪、出てきた奴ら全員両手両足へし折っておけば、とりあえず大丈夫なんじゃないのか。全部終わった後で、この騒動を起こした奴に直させれば何の問題もないだろ」
「……荒っぽいですね」
「正直、そこまで他人のことを気にしてられる状況じゃねんだよ」
ほんの一ヶ月前まで一般人だったとは思えない発言に目を細める美咲に、吐き捨てるように答える琉衣夜。
たっぷり休んで多少復調したとはいえ、本質的に今の琉衣夜には余裕がない。
自分にとって唯一と大事と言える存在をさらわれているのだから、仕方ないのかもしれない。むしろ、そんな状態の彼に他の者まで背負わせるのはアンフェアと言える。
「……すみません、軽率な発言でした」
「……そこまで気にしなくていい。自分でも、余裕がなくなってるのは自覚してるんだが、どうにもならない」
苦々しげに呟くその表情には、瑠奈が隣にいるときの不敵な笑みが浮かぶことはない。彼にとってどれほどあの少女が大きな存在であるかを端的に示す一面かもしれない。
いつも底の見えない笑顔を浮かべ続けていた彼が、こんな表情を見せたのは天使と対峙したとき以来だろうか。
それほど、目の前の少年は追い詰められていた。
「行きましょう。そこまで手助けになれるとは思いませんが、露払いは任せてください」
「ああ。助かってる」
早く、瑠奈を助けだす。
それが、この事件を収束させると同時に、琉衣夜の平穏を取り戻すことにもなる。
そう再認識し、美咲は刀を握る手に一層の力を込めながら、歩を進めて行く。
◆
(……やっぱ、これが一番の障害か)
相変わらず何も見えず、何も聞こえない空間の中、瑠奈は、頭を悩ませていた。
両手両足の拘束は、未だ解けていない。まずはそれを解除するべく魔力を少しずつ空間に放出していたのだが、小さな儀式場を生み出すレベルの魔力を感知するとこの部屋の防衛機構が働くようで、魔力が拡散されてしまう。
かといって、拡散されない程度の魔力量では、この拘束具を破壊できない。
異空間に封印されているわけではないようだから、とりあえず動くことができるようになればどうにかこの部屋から脱出するための目処も立つのだが、それさえもできないとなると、脱出の可能性が潰されてしまう。
ちなみに、一通り無詠唱で発動できる簡単な魔導で破壊できないかはすでに試してみたのだが、あっさりとキャンセルされてしまった。
(やっぱり体も口も使えないってなると、あれしかないかな……)
一つ、おそらくほぼ百パーセントこの状況を打破できる方法が一つある。
ある、のだが。
(使ったら、何が起こるかわからない。制御しきれる自信も、ないなぁ……)
その方法とは、
(やっぱ、天使なんて体の中にいても、いいことないんだよね……)
自らの体内に封じ込められた、“大天使”の力を部分的に使用するというもの。
封印されてこそいるものの、天使の力は強大だ。完全に解放されれば一つの文明を軽々滅ぼしうるだけあって、一部開放であっても壮絶な威力を発揮する。彼女の拘束具も破壊できるはずだ。
しかし、どうしても気は乗らない。
理由は簡単。自分で生み出す魔導と違い、百パーセントの信頼を持って使うことができないからだ。
(万が一暴走なんてことになったら、琉衣夜と一緒にいられなくなる。でも、このままだったら、結局琉衣夜が危険にさらされちゃう……。どのみち、悩んでる時間なんてないってわかってるけど……)
わかっているものの、決心がつかない。
決断に踏み切れず、他の方法を延々と試していた、という側面もある。しかし、思いつく方法を全て試した上でこの方法しかないという結果が出てしまった以上、他にできることもない。
あとは、瑠奈が決心するかしないか。それしかない。
(ええい、女は度胸!!)
深く息を吸い、目を閉じる。
最後にこの力を使ったのはいつだっただろうか。意識的に使用したのは、高校生になった琉衣夜と再開する少し前だった気がする。
四ヶ月か、五ヶ月か、そのぐらいは使っていない。
にも関わらず、改めて封印されているにも関わらず、彼女の意識と天使の力のリンクはあっという間に完了する。あれだけ心配していたのは、ただの杞憂だったのかもしれないと拍子抜けしてしまうほどに、あっさりと。
(ううん、でも最後まで気を抜かない……っ!)
最後の最後に大ポカをやらかして、この空間どころか周囲の建物全てを爆砕する、なんてことも大天使の力を持ってすれば簡単なことだ。
そんなことが起きないよう、必要最低限の力だけを天使の領域からくみ上げ、自分の体に移していく。
それを感知したのだろうか。拘束具から感じる圧力が倍増する。
おそらく、こちらが体内で異常なレベルの魔力を生成した場合でも反応するようになっているのだろう。
けれど、もう遅い。
(ここまでくれば、もうこちらのもの!)
体の隅から隅まで駆け巡る充溢した魔力を感じながら、そう確信する。
あとは、両手両足の拘束具にこれをぶつけるだけ。それだけで、彼女の体は自由になるーーっ!
「こわ、れろっ!」
声は響かないとわかっている。
だが、瑠奈は喉も裂けよとばかりに吠えながら、自らの中で暴れまわる力を、その意のままに発動させた。
途端、閃光が彼女の全身から解き放たれる。
抗うように拘束具の表面に文字が現れて放出される魔力を吸収しようとするも、暴れ狂う波を前に人ができることなど何もないのと同じように、すぐに限界量を突破した。
時間にすれば、たった数秒程度の出来事。しかし、それだけあれば十二分。
ボロボロになった拘束具が、音もなく崩れて虚空へと霧散していく。それを確認してから、瑠奈は起き上がる。
「……声が、出る」
起き上がる時の衣擦れの音を聞いて、もしやと思いながら口を開く。
どうやら、今の一撃でこの部屋の魔導も焼き切れてしまったらしい。もしかしたら、拘束具と同じ式に描かれていたのかもしれない。それが、過剰な魔力に耐えきれず自己崩壊したのだろう。
どうでもいいことだ。
ここを無事に脱出できなければ、無価値に等しいのだから。
「光よ」
魔力を込めた言葉を発すると同時、思い通りの事象が発現する。
いくつかの魔力の光が暗闇の中に浮かび上がり、彼女の周辺を照らし出す。
「……気持ち悪い部屋」
ぐるりと見渡して、そう呟く。
内装は別になんてことのない部屋だ。白っぽい灰色に塗られた壁に、ガラス窓がいくつか設けられただけの簡素な部屋。
だが、るらるらとその壁を這い巡る魔導式が、この部屋を非常識漂う儀式場へと変貌させる。……瑠奈からすれば、まだこちらの方が近い日常だが。
あまりにも乱雑に描きこまれている魔導式に、瑠奈は目を細める。
ここまでぐちゃぐちゃに書き込まれた式は初めてだ。これでは意味が重複干渉しあって、魔力は増幅されても魔導としては大した意味を持たせることができないはずだ。
この部屋のみならず、他の場所に書き込まれている式もこの調子だとすれば、天使級の魔力は集まっているかもしれないが、複雑な魔導を行使することはできないだろう。
「……いや、むしろ、それでいいのか」
だが、もう一度部屋を見渡して、術者の意図を把握する。
複雑な要素など、必要ないのだ。
この式を作り上げた者は、決してそこまで難しいことをしたいわけではない。だからこそ、ここまで乱雑に式を描きこむことができる。
ここに描かれている式に求められている要素はただ一つ。魔力の増幅のみ。
そして、この式で増幅された魔力をたどっていけば、おそらく元凶の元へたどり着けるだろう。
「琉衣夜も、向かってきてる」
感じ取れる魔力の位置が、随分と近づいていた。
多分、彼も元凶の元へと向かっているのだろう。それならば、こちらからも向かえば、合流できるに違いない。
「……けど、まぁそう簡単には行かせてくれないよねぇ」
こちらが拘束を破壊したことを感知したのだろう。部屋全体の魔導式が鈍く輝き、描かれた文字に魔力が注がれていく。
攻撃が、くる。
「こっちもそう簡単にはやらせてあげないけど、ね」
にいっと唇の端を釣り上げる。
それは、琉衣夜には見せたことのない、悪意に満ちた笑みだ。敵が目の前に迫っていることを自覚し、戦うことを決めた時の、笑顔。
妙な結界も、彼女を縛っていた拘束も、もはやない。
ならば、楽勝だ。
「さあ、来なさいな」
へらへらと何処かの誰かに似た笑みを浮かべながら、瑠奈もまた己の戦いを始めるのであった。
◆
「……来たね」
小さく呟いて、少女は部屋の入口へと目を向ける。
その視線の先に立っているのは、二人の魔導師。
一人は全身に黒の紋様を這わせた少年、もう一人は刀を携えた女性。両方ともこれまでの戦いを見るに、相応以上の実力者であるということがわかっている。
特に注意すべきは、少年の方。単純な白兵戦特化型の女性に比べ、少年の持っている能力はこちらの魔導を直接妨害してくるタイプのものだ。
先に狙うは、少年。そう、結論づけながら、少女は椅子から立ち上がる。立ち上がってもなお、その右手は魔導結晶——エメトに置かれたままだが。
「ああ、来てやったぞ。随分と歓迎してくれたな、え?」
「日本の方々は、丁重におもてなしをするのが通例なんでしょう? こういうのには慣れてないのだけど、気に入っていただけたかしら」
「おもてなしの言葉の意味を、もういっぺん調べなおしてこい」
対する琉衣夜の言葉に容赦はない。
これまで散々妨害をしかけてきた相手が、自分と同じか少し上くらいの少女であることには少し驚いているが、だからと言ってやることは変わらないのだから。
隣に立つ美咲は、二人のやりとりを聞き、逡巡してから口を開く。
「見知らぬ魔導師よ。私たちは“罪咎の巣”に所属する魔導師です。何を目的にしているのかは知りませんが、投降する気があるのならこれが最後のチャンスです。今即座に降伏し、術式を全て解除した上で捕らえた人々を解法すれば、殺しはしません」
「あはは。面白いことを言うんだね、おねえさん」
「投降の意思はない。そう捉えてよろしいですか?」
「当たり前じゃない。どうしてわざわざ作った物を壊さないといけないの?」
まるで幼子のように首を傾げて、問いを返してくる少女。
その様子に、美咲も打つ手なしと首を振って刀を握る手に力を込める。こちらの殺意を見て取ったのか、少女はくすくすと笑いながら両手を広げた。
「では、ここまでたどり着いた方々に、とっておきのおもてなしを。……来なさい、『マルス』。我が前に立つ者を排除せよ」
刹那、少女の前方に黄色で描かれた魔道陣が展開される。その内容は、入口前でゴーレムが現れた時のものとほとんど変わらない。
すでに少女の一声だけで起動するように組み込まれていたのか、異様なまでに起動が早い。秒にも満たない間に、新たなゴーレムが産声を上げようとしていた。
「藤崎、妨害は?」
「間に合わない」
囁く美咲に、一言で返す。
“黒”はこの階層に存在する罠を無効化し続けるために、一定以上の量を常に回さなければならない状態だ。今彼の体内にとどめている量と足元に集まっている量では、あの速度で展開される魔道式には対応できない。
故に、後の先を取るために琉衣夜は“黒”を自分の周りから動かすことができないでいた。美咲もそれを理解してくれたのだろうか、いつでも刀を抜くことができるように腰を落としながら魔導式の動きを見つめている。
警戒したまま動かない二人の挑戦者に、少女は目を覆うほどに長い金髪を揺らしながら笑う。
「さっきは私の子をよくもあっさりと殺してくれたわね。今度の子は多分、簡単には行かないよ?」
「私の、子……?」
「ええ、そうよ? この子達はみ〜んな私の子供、私の家族。私とエメトの間に生まれた、大切な子供たちなんだから」
虚ろな瞳でこちらを見つめながら続ける彼女に、美咲は思い当たる記憶があった。
「顔を覆い隠すほどに長い金髪、エメト、それにゴーレムを子供達と呼ぶ……あなたは、グラベル・ラビですね」
「あら、まだ気づいていなかったの? 私ほどのゴーレム使いはなかなかいないと思うのだけれど」
「ゴーレムを使役する者は数多くいますが、子供と呼ぶほどに没頭しているのはあなたとあなたの母だけでしょうね」
「褒め言葉ね、ありがたくいただいておくわ」
意外そうに首を揺らしながら、あっさりと肯定するグラベル。
その言葉に小さく頷く美咲に、琉衣夜は横目を向けながらささやきかける。
「おい、あいつはそんなに有名人なのかよ?」
「グラベル・ラビ。おそらく、今現在生存している魔導師の中で、最もゴーレムを使役する魔導に長けた魔導師です。噂には聞いていましたが、まさかここまで若年だとは思いませんでした」
「……つまり、ゴーレムがあいつの十八番なわけか」
「そういうことになりますね」
ただでさえこの二人で相手をするのが難しいゴーレムを使役するのが相手の十八番だと言う。端的に言えば、相性最悪である。
おまけに、生み出されるのはゴーレム一体とは限らないだろう。今は他の魔導反応は無いものの、状況が悪くなれば二体目三体目が現れかねない。
つまり、求められる戦術は。
「速攻、か」
「あは、そっちのお兄ちゃんも面白いね。できるの?」
小さく呟いた琉衣夜の言葉に、ケラケラと楽しそうに笑うグラベル。
その瞳には自分の創造物に対する絶対の信頼と、こちらに対する嘲りの色が浮かんでいた。
敵の魔導師の言葉に、しかし琉衣夜は何も答えない。
ただ、産み落とされた目の前のゴーレムに視線を向け、静かに戦う準備を整える。
こちらの戦意を受け取ったのだろう。形が定まったゴーレム、『マルス』と呼ばれていただろうか、が入口で戦ったゴーレムにはなかった目と口を開き、威嚇するように巨大な二足を踏み鳴らす。
「さあ、始めましょう」
少女の一言と共に、戦いの火蓋が切られた。
初めに動いたのは、美咲だった。
目の前に元凶がいる以上、これ以上出し惜しみをする必要はない。そう判断して、“超えし者”の力を初めから開放する。
人間の目では反応すらできないほどの領域まで強化された身体能力を用いて、彼我の距離を一瞬で詰め切ってしまう。
「まずは、一撃!」
言葉と同時、一閃。
相変わらず体躯が大きいために、まずは足を狙わなければこちらの攻撃のタイミングが来ない。そう考えて、左の足を切断する。
(何か自信があるようなそぶりでしたが、入り口のものとほとんど変わりませんね)
断ち切った時の感触から、そう結論づける。
つまり、きちんと加速して切りつければ、彼女の技量とこの刀ならまず間違いなく切断できるということだ。
(ならば、先ほどと同じやり方で行けば……!)
「美咲、左に逃げろ!」
わずかに浮かれる思考を中断させたのは、少年の声。
背筋をぞっと粟毛立たせる予感に従い、左へと体を転がした。刹那、先ほどまで彼女が立っていた場所に巨大な鉄槌が叩き込まれる。
「なっ……!?」
「惜しい、もう少しでミンチだったのに」
凄まじい衝撃に目を見開く美咲に、少女の無邪気な声が響く。その無垢な声が、この場では恐ろしいほどに違和感を発していた。
(どうして……?)
どこから、どうやって攻撃が、と態勢を即座に立て直し周囲を確認する。
その正体は、すぐに知れた。
「切断面が、即時再生したというのですか……」
どうやら、入口で戦った時と同じようには行かせてくれないらしい。
上から降ってきたのは、相手の体勢から考えておそらく『マルス』の右腕だろう。追撃がきても対応できるように警戒しながら、美咲は思考を巡らせる。
斬撃によって生まれた傷をあの速度で再生してしまうということは、一撃入れた程度では相手の動きを止められないということになる。
相手が動いている時に切断することができれば、切断した部分と元の体の部分が離れて分離させることも可能かも知れないが、相手の大きさと質量から考えてそれをやるのは自殺行為になりかねない。
かといって、静止している時に切断した所で、先ほどと同じように再生されてしまう。
つまり、この時点で美咲ができることは、敵の動きに合わせたカウンターか、敵に隙を作って回復が追いつかないレベルの連撃を叩き込むこと。この二つ以外にない。
どちらがより勝率が上かを考えるならば、打つ手は一つだろう。
あとは、彼女の思考をどうやって琉衣夜に伝えるか。先ほどのように携帯を使うことはできない。さっきは術者にも声が届かない状態だったからできたこと。今回は声をそのまま聞かれてしまっては、どうにでも対応されてしまう。
「近寄って直接言うしかありませんか……」
暗号も、今の状態では難しい。
美咲と琉衣夜はそこまで長い間意思疎通をしてきたわけではない。美咲の言動行動の意図まで、百パーセント理解し切ってくれる、なんておこがましいことは言えない。
そんな状態で暗号を飛ばしても、伝わらない可能性が高い。それどころか、敵の魔導師に解読されて利用されかねない。
振り回される敵の剛腕を避け、もう一度足元を潜り抜けようと一歩前に出る。
だが、何度も同じことをやらせてくれるような簡単な相手ではない。彼女が駆け寄ろうとした途端、『マルス』は腰を落として迎撃体制を取ってくる。おそらく、今相手の足を切断しても、その次の瞬間美咲は上から降ってくる大質量に叩き潰されて終わるだろう。
だが、忘れてはならないことがある。
この戦場にいるのは、美咲とゴーレムだけではない。
「おいおい、俺をほったらかしにしないでくれよ?」
囁くと同時、『マルス』の足元から無数の亡者の手が現れる。生命持つ者全てを恨む負の想念たちは、我先にと生命力から生成される魔力に群がり、ゴーレムの動きを妨害していく。
「このゴーレム、随分と手を入れたようだが……残念だな、それが魔導由来のものである限り、俺には何の意味もない」
人差し指を立て、口元には歪んだ笑みを浮かべながら、琉衣夜はグラベルを見据える。
対する少女の顔には、何の表情も浮かんでいない。そう、焦りや困惑といった色すら、浮かんでいないのだ。
「その程度なら、問題ないわ。やっちゃえ、『マルス』」
「ち……っ!」
ゴーレムの虚ろな目が、ぎらりと赤く輝いた。途端、拮抗していた“黒”とゴーレムの力比べが、ギチギチとかすかな音を立てながらゴーレム側に傾いていく。
「こんのやろう……っ」
(単純に、馬鹿力でふりきろうってのか。“黒”の物理的な拘束力がそこまで強くないってことを見切ってやがる……!)
琉衣夜も、黙って振り切られそうになっているのを見逃しはしない。すぐさま追加の“黒”を投入し、どうにか拘束を掛け直す。しかし、少しずつ力を増す敵からの抵抗に、ジリジリと余裕がなくなっていくのを感じていた。
しかし。
今この瞬間、ゴーレムが動きを止めていることには、何の変わりもない。
数少ない好機を前に、美咲は臆することなく刀を抜いた。
「はぁあああああああああああああああああああああっ!」
裂帛の気合いと共に、刃を振るう。
狙うは敵の右腕。振り回されるだけで凶器と化すその剛腕を、ただ一撃で切り落とす。
痛みがなくとも、喪失感はあるのだろうか。自らの体から離れた腕に、『マルス』の視線が移る。
そして、それが美咲にさらなる攻撃の機会を与えた。
「! 『マルス』、避けなさいっ!」
狙いを読み取った主人が叫ぶ。しかし、琉衣夜がそれを許さない。すでに右腕を狙っていた“黒”は、次なる箇所へと食らいついていた。
「せぇりゃあああああああああっ!」
再度吼え、刀を真横に一閃する。
イメージと寸分違わぬ位置を刀が通り、ゴーレムの首が胴から離れた。
「『マルス』っ!?」
主の悲鳴が響く。
だが、まだ終わらない。右腕、頭を叩き切り、それでもなお美咲は止まらない。
崩れ落ちようとするゴーレムの体を足場に、一気に跳躍する。
その目が見据える先は、未だ動こうとする左腕。これを断ち切れば、敵の動きはかなり制限される。
「おぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
三度、咆哮が轟いた。
刹那、ガキィン! という耳障りな音と共に、ゴーレムに残されていた最後の腕が地に落ちる。
時をおかず、バランスを失った巨体も地響きをあげながら地面に伏した。
そこへ、ハイエナのように漆黒の波が襲いかかる。三面が断ち切られたことで、本体にもそれなりの衝撃が入ったらしく、いつのまにかゴーレムの体には微細なヒビが大量にできていた。
そして、その傷を無理やり広げるかのように、“黒”の流れが次から次へとゴーレムの体内へと侵入していく。
こうなれば、もはやグラベル側に打つ手はなかった。
数秒を待たず、『マルス』の内に秘められた魔導結晶が全ての魔力を貪り取られて核としての機能を停止する。そうなれば、もはやゴーレムは動かない。
「……さて。手間取らせてくれたが、この程度かな?」
“黒”を油断なく部屋全体へ送り込みながら、琉衣夜はグラベルへと視線を戻す。
だが、グラベルは琉衣夜の言葉を聞いていなかった。……否、聞くような余裕など、なかった。
「よくも、私の可愛い子供を……っ」
鬼気迫る表情で、二人を見据える。
その声に共鳴するように、部屋全体ががたがたと震えだした。まるで、泣いているように。
「許さない、絶対に許さないから……っ!!」
地の底から響き渡るような、女性のものとは思えない壮絶な言葉と共に、さらに部屋の振動が強さを増した。
美咲はかろうじてバランスを保っているものの、琉衣夜は体を支えきれずに片膝をついてしまう。
(なんだ、この感覚……タワーそのものが、生き物みたいに動いてるってのか……?)
「わかっているでしょう? この塔は、私の魔導式と魔力が刻み込まれている。私の儀式場であり、私の子供なのよ。その中にいるあなたたちは、果たしてどうなるか……身を以て知るがいいわ!」
ケラケラと両手を広げ、涙を流しながら絶叫するグラベル。
だが、琉衣夜にも美咲にも、もはやその声を聞いているだけの余裕はない。
「藤崎、これは……?」
「このタワーそのものがゴーレム化を始めてやがる……だめだ、“黒”でも止められるような規模じゃない!」
逃げなければ、まず間違いなく取り込まれる。
だが、ここにきて彼らは進退どちらもできない状況に陥ってしまっていた。
「けど、瑠奈を放っておくわけにもいかない……。ここに置いていったら、まず間違いなくあいつも取り込まれちまう!」
琉衣夜の言葉に、美咲の顔から血の気が引いた。
このまま自分たちが逃げ出した後に友人がたどる末路もそうだが、琉衣夜が言ったことが正しければ、“大天使”の力を取り込んだ超巨大なゴーレムが生まれかねないということだ。
そうなれば、まず間違いなく世界の誰にもどうしようもできなくなってしまう。
そんなものを、グラベルに渡すわけにはいかない。
だが、現状ではそもそもグラベルを止めることすらできない。
そんなことを考えている間にも、タワーのゴーレム化が進行していく。
「あははははっ! 私たちの子供を殺した罰よ。死んで贖いなさい」
「くそったれ……。一か八か、本体を叩くしかないか……」
「それしか、ないですね」
成功率は、おそらく限りなく低い。
まず間違いなく、この儀式場の主人たるグラベルはこのタワーの中で最も厳重な守備を受けているはずだ。それをゴーレム化していくこの状況下で倒すのは、ほぼ無理としか言いようがない。
だが、現状それ以外に方法がない。
ない以上、絶無の可能性にもかける他無かった。
「美咲、俺がありったけの“黒”を叩き込む。少しでも相手の魔力が減衰したら、突っ込んでくれ。後ろは見るな」
「……了解です。お互い、生きて帰りましょう」
「それ、死亡フラグなんだけどなぁ……」
天然でフラグを立ててくる美咲に半眼で言い返しつつ、自分の意識が飛ぶすれすれまで“黒”をかき集めていく。
濃密な魔力を前に亡者たちは沸き立っており、声をかければかけるだけ光に集まる虫のようにわらわらと集ってくる。これであれば、消し飛ばされても次から次へと消耗戦を挑むことくらいはできるかもしれない。
「……行くぞ。合図をしたら、飛び込め」
「ええ」
緊張で焼けるように乾く喉を必死に震わせて、美咲に準備が整ったことを告げる。
答える声がかすかに震えているのは、気のせいだと思うことにした。
「い、けぇええええええええええええええええええええええ!」
かき集めたありったけの“黒”を、惜しげも無く敵へ向けて解き放つ。
その様はまさに漆黒の津波の如く。その姿はまさに世界を飲み込む濁流の如し。
生を恨み、自分たちと同じ地の底へと引きずりこまんとする負の感情たちが濃密な魔力をほとばしらせる魔導式に次から次へと大挙して、
……一秒と持たず、消失した。
「……は?」
目の前で起きた事象に、頭が追いつかない。
今の一撃は、正真正銘琉衣夜が今現在使いうる最大最高の攻撃だった。
己の体が蝕まれることすら考慮せず、ただ集められる漆黒を集めに集めて濃縮し、解き放ったのに。
それが、何の成果を残すこともなく、あっけなく消滅した。
その意味を、脳が理解できなかった。
もし。
もしも、今の攻撃が何の意味ももたらすことができないというのであれば。
それは単純に、琉衣夜の全力でさえ、目前の魔導師に傷一つ付けることさえできないということで。
それはつまり。
二人はおろか、このタワーに囚われているはずの瑠奈も、助けることができないということを意味していて。
それは、
それは、
「嘘、だろ……」
それしか、言うことができない。
それ以外に、何も考えることができない。
そんな彼を嘲笑うように少女の笑い声が高鳴っていく。
目の前で、いくつもの魔導陣が輝きを増していく。
彼の隣で悲痛な声が聞こえた気がしたけれど、それにさえ意識を向けることができない。
ただ、彼の脳裏をよぎるのは。
「瑠奈、俺は……」
何を言うこともできないまま、魔導式が光を放つ。
その光に飲み込まれる直前に至っても、琉衣夜は動くことができずにいた。ただ、呆気にとられたように目の前で起こることを見つめるばかりで。
光が、彼らを包み込んだ。
「……大丈夫だよ、琉衣夜。私が、守るから」
そんな声が、聞こえた気がした。




