砂の門番
「う、あ……?」
暗闇の中、瑠奈は目を覚ました。
胸から腹にかけての辺りがズキズキと痛む。おそらく、その辺りを攻撃されて気絶させられたのだろう。
首は動く。が、地下なのかカーテンで光が遮られているのか、まるで周囲が見えない。腕と足は拘束されているようだ。ちょうど十字の形になるように手首と足首のあたりが縛られている。
台にがっちりとくっついているのだろうか、手首はほとんど動かす余裕がない。
(まあ、魔導師を拘束するならこれ位はやるわよね……。あと思いつくこととしたら……)
試しに声を出そうと口を開く。
しかし、呼吸は普通にできるのに、言葉が音にならない。声が出ないということは、詠唱を必要とする魔導がすべて使えないということだ。
加えて、腕も使えないことから、魔導陣を描く必要のある魔導も使えない。
割と、普通の魔導師なら絶望する場面だ。これ以外にできる魔導といえば、体に最初から魔導式を刻み込んでおく刻印魔導だが、そもそもあの魔導は刺青のように目立つおまけに体の外部に魔力を持った刻印を作る関係上、魔力完治に盛大に引っかかる。
その点を嫌って瑠奈は刻印魔導を使っていないし、魔力感知に引っかからないことから彼女を拘束した相手も持っていないと判断したのだろう。
(さて、どうしよう)
琉衣夜との魔力経路には何も異常がないことから、彼の方に危害は行っていないと判断できる。ならば、彼女が自力でこの場から脱出できれば、何の問題もない。
長くここにい続けると、琉衣夜が無茶をしかねない。
幸い、魔力は豊富に残っている。どうやって魔導を使うかが問題だが、裏を返せば魔導さえ使えれば状況はいくらでもひっくり返せるだろう。
(焦らない。焦ると、可能性が見えなくなる。一つ一つ、思い当たることを試していきましょう)
そう自分に言い聞かせ、深呼吸をする。
捕まったことは一度や二度ではない。そこから自力で脱出したことも、片手では足りないほどの回数経験している。
今回も、乗り越えられる。
そう、案外平常時のままの思考を保ったまま、瑠奈は自分の持っている札を精査し始める。
この時点で、彼女は気づいていない。
自分が予想以上に長い間眠っていたことに。琉衣夜と美咲がすでに救出のために動き出していることに。
そして何より。
彼女がこのタイミングで目覚めることすら、相手の思い通りであったということに。
◆
「天使が目覚めた。まあ、もうほとんど役目は終わってるけど」
グラベルは小さく呟いた。
つつ、と自らの傍らに置いてある魔導結晶を指先でなぞりながら、その目を今度は全く別の方へと向ける。
「そして、天使の護り手ももうそろそろ、と言った所かな」
アッシュグレーの瞳には、こちらへと向かって来ている二人の影が映っている。一人は見覚えがある。“罪咎の巣”に所属している女戦士だ。
だが、もう一人は全く見覚えがない。“罪咎の巣”の戦士と一緒にいるのだから、素人ではないと思うが……。
「まあ、瑣末事でしょ。今更二人程度、来たところで何の問題もないわ」
二人は現在タワーの玄関に来ている。
それ以外に上に通じる玄関はないので順当と言えるが、そんなことはこちらも当然理解している。
「さあ起きなさい、我がしもべ。土を、砂をその身に纏い、不動の壁となりてお前の主人を守るのよ」
詠唱と共にタワーを覆う魔道陣に魔力を注ぎ込む。
途端、二人が侵入しようとした入り口に仕込んでいた魔導結晶に魔力が注ぎ込まれ、彼女が得意とする魔導が起動した。
「さてさて……お手並み拝見させていただきましょう?」
言いながら微笑むその顔には、自らのしもべに対する絶対の信頼がにじみ出ていた。
◆
「昨日に増してえげつない魔力の量だな……」
「これは……流石に予想外でしたね」
二人は瑠奈が囚われているタワーへと到着していた。
一度引き下がって時間をおいたから仕方ないものの、タワーに貯蔵されている魔力が爆発的に増加している。
このまま放っておいたら、まず間違いなく天使一体をまかなえるレベルの魔力は集まることになる。そうなれば、もはや誰も手が出せなくなるだろう。
「……とりあえず、偵察を放つぞ」
あまりに強大な魔力量に若干引きつった顔をしながら、琉衣夜は己の形質を起動する。生み出す形は地を駆ける獣、その数は五つ。今の琉衣夜が遠隔かつ支障をきたさないレベルで同時操作できるのは、これが限界だ。
普段ならば黒鳥も作るのだが、タワーに侵入できるのは今彼らが面している入り口のみ。上階は落下防止のために外へつながる窓が少なく、上からも下からも攻撃されかねないことを考えると、下から順々に攻略していったほうが時間はかかっても危険は少ないと判断して、獣のみを重点的に作った。
「……行け」
命令すると同時、五つの黒い塊が駆け出す。閉じられている玄関へと大挙して飛びかかった。
しかし、その爪牙が扉を破ることはできない。
黒い獣たちが入り口周辺まで到達した途端、不気味に地面が鳴動する。
次の瞬間、ボゴォ! という轟音を放ちながら、アスファルトが数メートルの高さまで盛り上がった。
土の激流に巻き上げられ、黒獣のうち二体が形をとどめられなくなりその場で消失する。残る三体はどうにか逃れたものの、入り口は土砂の柱が邪魔をしてそう簡単には回れそうにない。
そして何より、変化はそれで留まらない。
数メートルまで盛り上がったアスファルトと土砂の入り混じった柱はさらに蠢き、柱の頂点から一メートル程度下の部分から左右に二、三メートル程度新たな土砂柱が突き出した。
それでもまだ足りないのか、周囲の道路を構成する土砂たちを飲み込みながら得体の知れない土塊はさらに肥大を続け、やがてその根本が二つに別れる。
生み出されたのは、高さ五メートルはあるであろう土の人型だった。
「……ゴーレム、ですか」
もはや偽装は不要と美咲は袋から刀を取り出し、いつでも抜けるように構える。
同じく琉衣夜も手加減をして勝てる相手ではないと判断し、己が集められる限界まで“黒”をその身に宿した。彼の全身を黒い紋様が駆け巡り、使用者の意志に従って一部が琉衣夜の両目に集まっていく。
「……やばいな」
目の前に立ちはだかる砂とアスファルトで構成されたゴーレム。
その中身を“黒”で垣間見た途端、琉衣夜の背中に冷や汗が一筋流れ落ちる。
ゴーレムを維持している魔導式そのものは簡単なものだ。今こうして見ているだけでもあっさりと理解できるし、壊し方も何となくわかる。
だが、その魔導式に触れることができるかといえば、それはノーだ。
「あいつの核、胸のど真ん中にある」
そう一言呟くような声で美咲に告げる。
途端、美咲の表情が一気に苦々しいものに変わった。
「つまり、あのゴーレムの魔導核を打ち抜くには、あのとんでもなく分厚い胸板を抜かなきゃならない、ってことだ」
魔導式は単純、それを司りゴーレムを維持している核の位置もすでにわかっている。しかし、そう簡単には触れられない。
パッと見るだけでも、ゴーレムの胸囲は百年以上成長を続けた大樹のごとき太さであることがわかる。
おまけに、肉体部分を構成しているのが砂とアスファルトという所が、彼らの表情を歪ませる要因の一つだ。
美咲の主たる攻撃は、刀をメインにした斬撃系。琉衣夜は相手の魔導式を阻害、暴走させることで相手の武器を奪いつつダメージを与えていくタイプである。
しかし、砂の体に斬撃は通らない。
さらに、琉衣夜の“黒”は魔力を主とする攻撃には強いが、物理的な大質量にはひどく脆い。
つまり、だ。
(弱点が見えてるのに、こっちの攻撃が通らねぇ……! おまけにこっちはあっちの大質量で叩き潰される!)
この言葉に尽きる。
これまでの魔導師がこのような使い魔を使ってこなかったのも、琉衣夜に焦りを抱かせる一因だ。
何をやってくるかわからない、というのはそれだけで脅威だ。それが自分よりも数倍高い身長と、数十倍に及ぶ質量を持っているとなれば、なおさら。
「美咲、一度引いたほうがいいんじゃないのか……?」
小さな声で、隣に立つ女性にそう尋ねる。
悔しいが、現時点で琉衣夜にあの巨体をどうにかできる手札はない。白兵戦に特化している、という話から、おそらく美咲も同じような状態なのではないだろうか。
そう考えての提案だ。
しかし、琉衣夜の思考に反して、美咲は首を横に振った。
「大丈夫。琉衣夜は“黒”を待機させて、横やりが来ないか注意しておいてください」
琉衣夜の言葉に答えながら、美咲は一歩前に出る。
その顔には、先ほどまで浮かんでいた苦い感情はいっぺんも見当たらない。勝機を見出した戦士の顔だ。
「……大丈夫なのか?」
「ええ。一体であれば、どうにかできると思います。ですが、絶対ではありませんので」
「わかってる。必要だと見たら、援護するぞ」
「お願いします」
一言添え、さらに一歩前へ。
美咲の残した言葉に応えられるよう、琉衣夜は“黒”を展開し始める。
後方で味方が援護の準備を始めたことを認識しながら、美咲はさらに一歩前へ進む。
そこは、すでにゴーレムの腕が届く範囲だ。
凹凸まみれの頭(と思しき部位)には目も口もない。だが、その体が確かに楽しそうな揺れを刻むのを、美咲はその目で見た。
次の瞬間、両者が同時に動く。
ゴーレムの挙動は至極単純。
拳を握り、振り上げ、叩きつける。
ともすれば駄々っ子のそれに見えるような動きに過ぎない。だが、握りこぶしだけで大人一人を軽々叩き潰すことができるとなれば、それは立派な凶器になる。
だが、動きそのものは鈍重。その程度の速度では、美咲を捉えることはできない。
「……甘い」
拳が振り下ろされる範囲を見切り、軽やかに駆け抜けた。
後方でずずん、という地響きが轟いたが、そんなものには目もくれずにただひたすら前へと進む。
右の拳が当たらなかったことを悟り、ゴーレムが今度は左手を振り上げた。
しかし、そのまま振り下ろさせるわけにはいかない。
(……今だ!)
瞬間、ゴーレムの接地したままの右拳に、琉衣夜が地中から進ませていた“黒”を絡み付かせ、思いっきり引っ張る。それによってゴーレムの体勢が崩れ、左の拳が全く見当違いの方向へ叩きつけられた。
「琉衣夜、感謝します」
その時、すでに美咲は相手の懐まで潜り込んでいる。
いける。そう判断した瞬間、美咲の踏み込みが加速した。
「行きますよ、“超えし者”」
言葉を発した時には、すでに彼女の体は人間の目では捉えられない所まで加速されている。
狙うは足。
体制を崩せば、相手の動きを制限できる。ただ拳を振るだけでも質量の暴力がこちらを襲ってくる以上、まずは相手が動かないようにしなければ、核がどうのこうの以前にこちらがどんどん不利になっていく。
敵と自分の体が交差する直前、右手を左手で支えた刀の柄へやる。
一つ心配なのは相手の硬度に刀が耐えきれずに折れることだが、見ている限りではゴーレムにはまだ魔力による硬度強化はかかっていない。
今なら、『雷斬』を持ってすれば断ち切れるはず。
(……頼みますよ)
長年多数の敵を切り倒してきた相棒に祈るような思いを込め、抜刀。
体が交差する刹那、全身の勢いとともに刃を敵の塊が比較的小さい部位に向けて切りつける。
そのまま走り抜け、即座に距離を取る。手応えは、あった。
膝のあたりから切り裂かれた右足が徐々に本体から離れ、結合力を失った瓦礫が次々とあたりへ降り注ぐ。
ゴーレムに痛覚はないのだろう。即座に首らしき部分がこちらを振り向くが、片足だけで走れるほど器用でもないらしく、震えるだけで動きはない。
しかし。
「……これは、随分と面倒なタイプの使い魔ですね」
崩れていった瓦礫たちが切り裂かれた部分へと集まり、再び足を形作る。破壊から再生までだいたい三十秒といったところか。
もう一度叩き斬ることは可能だろうが、その度にあのように再生されてしまっては、何の意味もない。『超えし者』による負荷がかかり続ける以上、こちらがいつかは競り負ける。
それを敵も理解しているのだろう。まるで、あざ笑うかのようにその肩がフラフラと揺れていた。
(さて、どうしたものでしょうか……)
現状、美咲と琉衣夜はゴーレムを挟んで反対側にそれぞれ位置している。形としては挟み撃ちだが、実力差を考えるとそれほどこちらに優位には働かないだろう。
むしろ、一度合流してどう動くかを考えなければならない。
“黒”の力があれば、魔導核はどうにでもなる。しかし、あの装甲を貫くことはできないはず。美咲の一撃ならば装甲を貫くことはできるが、そのためにはゴーレムの動きを一度止めなければならない。
(どうすれば……?)
次々と思考を巡らせる美咲の耳に、この場には不似合いな電子音が届く。
それは、彼女の携帯が鳴らす着信音だ。
そちらへと意識を逸らした途端、ゴーレムが動く。先ほどよりも機敏な動きで拳を振り上げ、こちらを狙って振り下ろしてきた。
しかし、その程度では美咲を捉えることはできない。
後方へとさらに距離を取りながら、ポケットから携帯を取り出す。かけてきたのは、琉衣夜だった。
『美咲、聞こえるか?』
「琉衣夜ですか。どうしましたか?」
『ゴーレムをどう攻略するか相談しようと思ってね。あんたの刀、まだ使えるのか?』
「どうにか。しかし、切り裂いた所で見ての通り即座に再生される。あんな状態では、埒があきません」
『それはわかってる。けど、刀がまだ使えるならどうにかなりそうだ』
「……策があるのですか?」
『策なんて呼ぶほど、上等なものじゃない。ゴリ押しもいい所だ』
「……聞きましょう」
ゴーレムの双腕による破壊の嵐をどうにか回避しながら、美咲は問い返す。
琉衣夜も彼女がギリギリなのはわかっているのだろう。早口で自分の考えを告げた。
『さっきと同じやり方で、敵の足をもう一度切りおとせ。相手が体勢を崩したら、俺が“黒”で固定する』
「その後はどうするのですか?」
『“黒”が振り払われないうちに、お前があいつの胸板を削って魔導核に干渉できるようにしてほしい。ヒビさえ入ってしまえば、“黒”を侵入させられる。そうすれば、あいつを倒せるはずだ』
「……また、随分と簡単に言ってくれますね」
言っていることはわかるが、それが簡単にできればここまで苦戦しない。
足は先ほどと同じでほぼ問題ないが、胸の部分はコンクリも砂もかなり密集している。おそらく一撃ではろくにダメージが通らないだろう。
ヒビを入れるにしても、何度も攻撃をしなければ核までは届かないはずだ。自分が言っている無茶振りは理解しているのだろう。電話の向こうから、苦笑が聞こえる。
『あんたが一撃入れてくれれば、“黒”の全力で削ることができる……はずだ。天使と戦った時ほどの出力は出せないが、それでもあんたの斬撃と合わされば、おそらく貫き切れる』
「……不安が残る言い方ですが、それしか方法はなさそうですね」
普段の琉衣夜に比べて、大胆不敵さが感じ取れない。勝利を確信している状況であれば、彼であればこうだと言い切るはずだ。
任務の時だけではあるが、美咲も琉衣夜のこの辺りの性格は理解している。だからこそ、不安を隠しきれないのだ。
……とはいえ、それしか手段がないということも理解している。
「期待してますよ。削った後のことは、任せます」
『了解だ。やれるだけのことは、やるさ』
返事を聴き終えると同時、携帯をポケットに戻して再び美咲は加速する。
再び狙うは敵の足。まずは敵の移動力を削ぎ、次の一手を確実なものとするために、彼女は今一度敵の足元まで潜り込む。
敵も、ただそれを見ているだけではない。こちらに向かってくる美咲を見て、意図は察したのだろう。すぐさま足に力を込め、飛び上がろうとする。
(……まずい)
美咲の表情に緊張が走った。
このまま飛びあがられると、こちらの攻撃が止まるだけではなく着地の際の衝撃と副次損害がとんでもないことになる。
最低限の『人払い』はしてあるものの、それでも建物の中に人は残っており、その人達に被害が出かねない。
(間に合えっ!?)
さらに一段加速する。
しかし、すでに相手は膝を完全に折りたたんでしまっている。このままでは、次の瞬間にも飛び上がられた挙句、そのまま踏み潰されてしまいかねない。
だが、そもそも美咲の心配は杞憂に終わることになる。
「やらせるかよ、バーカ」
言葉と同時、凄まじい数と量の“黒”によって形作られた手が地中から湧き上がり、ゴーレムの足を、手を、腹を、つかむことのできるありとあらゆる場所に摑みかかる。
全身に走る魔力を食い散らかしながら抑えにかかっているためか、ゴーレムが跳躍しようとした直前で、どうにか食い止めることに成功する。
「急げ、美咲っ! あんまり長くは保たない!」
だが、それだけの質量を留めるだけの“黒”を操るとなると、使用者にも多大な負担がかかってしまう。現に、琉衣夜の叫びはいつもに比べて弱々しい。ひたいにも汗がとめどなく浮き上がっている。
琉衣夜が全力をかけて生み出した隙。これを見逃す美咲ではない。
“超えし者”の出力を再び限界まで引き上げ、無理やり押し留められているゴーレムへと肉薄する。
風を切り裂く矢の如く接近し、敵の復元した右足を一閃。
そのまま駆け抜ける美咲を見届け、琉衣夜が抑えていた力をいきなり全てゼロにする。
想像してほしい。押さえ込まれていたバネが急に飛び上がろうとしたら、どうなるだろうか。
「——————ッ!?」
ゴーレムの巨体がバランスを崩し、地響きとともに横倒しになる。
どうにか片足だけでも起き上がろうともがくものの、琉衣夜の力がそれを許さない。再び彼の操る漆黒の腕が大挙してゴーレムに襲いかかり、物理的にも魔力的にも相手を妨害する。
「今だ、美咲! もう一撃、頼むぞ!」
「わかっています!」
息を整え、跳躍する。
一飛びで数十メートルの高さまで舞い上がり、鞘に収めた刀を握る手に力を込めながら美咲は謳う。
「地よ、土よ、父なる大地よ。我を空へ解き放たんとする手から守り、その身元に繋ぎ止めよ」
詠唱と同時、彼女の体が黄色い光を放つ。
途端、彼女の落下速度が一気に加速された。
数十メートルの距離を秒にも満たない速度で詰め、落下による加速すらも威力に変え、美咲はその銀光を解き放つ。
刹那、銀の刃と土の巨体が激突した。
衝撃がゴーレムの体を走り抜け、わずかに残っていた舗装アスファルトにさらにヒビが入って砕け散る。
「くっ……!」
だが、ゴーレムの体は切り裂けない。
ヒビこそ入りはしたものの、土塊を砂でがっしりと固めたその体は予想以上に斬撃に対しての耐性を持っていたらしい。
だからこそ、叫ぶ。
「琉衣夜、とどめを!」
その声に応えるように、琉衣夜が姿を表す。
跳躍のために足に集めていた“黒”を今度は右腕に集め、新たなる姿を形作る。
思い描くのは、敵の装甲を穿つ黒の槍。解き放たれれば最後、そのまま心臓までを侵す漆黒の毒。
「こいつを……」
手の中に生み出された真黒の槍を両手で握り、構える。
見据えるは倒れ臥したゴーレムの中央、美咲が全力で生み出した未だ癒えぬ傷跡。
「食い潰せっ!」
咆哮と共に、全身全霊の一撃が放たれた。
ズン、という鈍い音と共に、黒槍の穂先が半分ほど埋まる。美咲の一撃に比べれば屁でもないようなダメージだが、琉衣夜の攻撃はそれで終わらない。
彼のイメージ通りに“黒”がゴーレムのヒビから流れ込み、その体を神経のように駆け巡る魔力の流れを片っ端から喰らい潰していく。
それが致命の一撃だと気付いたのか、慌てたようにゴーレムの腕が琉衣夜を握りつぶそうと動く。しかし、もう遅い。
先ほどまでは内側を流れる魔力のおかげで、外部から侵入しようとする“黒”を防ぐことができていたというだけのこと。すでに内部へ侵入した“黒”はゴーレムの全身へと駆け巡り、次から次へと外部からの攻撃を防いでいた魔力を食い荒らす。
そして、内部の統制が乱れれば、外部からの攻撃に対抗することはもはや不可能になる。物量で無理やり抑えにかかっていた大量の“黒”が、魔力を失ったことで生まれた穴をついて、次から次へと流入していった。
それはまるで、ヒビの入ったダムが決壊するように。通り道を見つけた漆黒の泥が入り込み、そこら中を好き勝手に荒らし回っていく。それによってまた新たな欠損が生まれ、そこからは別の侵入者が入り込む。
それが核から遠ければ遠いほど、リカバーの難易度は上がる。すでに中央は琉衣夜が新たに生み出す“黒”が侵食を始めており、魔導核が供給する魔力を次々に食い散らしているからだ。
結果、動かそうとした両腕は大した動きをすることもできないまま、ただの土塊へと戻ることになる。
こうなれば、もはや琉衣夜達の勝利は決まったも同然。
「さて、両手両足は奪ったことだし」
だが、戦闘はまだ終わっていない。
琉衣夜の漆黒を纏った目は、ゴーレムの中核がしぶとく抵抗を続け、どうにか反撃できないかと暴れまわっていることを見抜いている。
ここで気を抜けば、規模は小さくなるだろうが新しいゴーレムを生み出されかねない。
「さっさと終わらせようか」
だからこそ、容赦はしない。
食い尽くせ、と自分が呼び出した亡者の群れに命じる。
途端、ゴーレムの全身を蝕んでいた漆黒の流れが一気に魔導核へと襲いかかった。それはまるで食料を探して飛び回るイナゴの大群のごとく。
その流れが通った後には、魔力などかけらも残りはしない。
人間相手であれば手加減させる琉衣夜も、土人形などにかける慈悲はない。
結局、彼の号令から一分も持たずにゴーレムの魔導核は全ての魔力を奪われて沈黙することになるのであった。
「……終わったな」
餌となる魔力が失われたからか、次々と雲散霧消していく“黒”たちを見やり、琉衣夜が一人呟く。
実際、数秒前までは見て取れた敵の魔力が、今は全く感知することができない。ゴーレム自体も完全にただの砂と土の塊に戻っていることから見ても、魔導核が力を失ったと見ていいだろう。
「あいかわらず、あなたの力は魔導師の天敵ですね……」
目の前で繰り広げられた漆黒の宴に、美咲は呆れたような声をこぼした。
自分でさえ一度捕まれば骨の髄まで食いつぶされる、というのが今の戦いを見た感想だった。
今の彼は、かつて美咲が対峙した暴走状態ともまた違うベクトルの脅威である。
避けても避けても次から次へと波のように襲いかかってくることに加え、一度でも捕まれば相当量の魔力を食われる。おまけに、使用者本人もこちらの弱点を見切って嫌なタイミングで襲いかかってくるとなれば、相当面倒だ。
おそらく、美咲が全力で挑んでも、勝率はすでに五分五分になる。今の琉衣夜を見た正直な感想が、それだった。
「そうでもないだろ。今程度の装甲をぶち抜けないのは、明らかに弱点だよ」
そう呟いて、琉衣夜は足元の石を蹴飛ばす。
普通の魔導師相手なら、“黒”に捕まった時点で即終了だ。だが、今の相手のように“黒”が決定打にならない状態になると、途端に琉衣夜の戦闘力は激減する。
相手が自分以上の身体能力を持っていたら、その時点で詰みだ。
(瑠奈のそばにい続けるなら、“黒”だけじゃ足りない、か……)
ふう、と息を吐きながら、そう結論づける。
以前からそうかもしれないとは思っていた。それこそ、天使と戦った時から。
瑠奈の隣に立ち続けるなら、今よりもさらに強くならないといけない。普通では足りない。特別でも、もしかしたらまだ足りない。
彼がそばにいたいと願う少女は、さらに高みに立っていて。
彼女を取り巻く人間たちも、今の自分から見れば届かない場所にいて。
「……もっと」
気づけば、口を開いていた。
目の前にそびえるタワーを見つめながら、少年は心からの言葉を口にだす。
「もっと、強くならないといけない。今よりも、もっと。もっと」
熱に浮かされるように、呟く。
その後ろ姿を、美咲は複雑な面持ちで見つめていた。
◆
「『パリエス』が負けちゃった」
そう、グラベルは驚きを隠せないまま呟いた。
即席とはいえ、それなりの魔力を注いで生み出した魔導結晶だ。どちらか片方は確実に殺してみせると考えていたが、結果は両方ともほとんど無傷で生き残っている。
愛着はないとはいえ、作り手としては複雑な気持ちだ。
俯く彼女を励ますように、腕の中のエメトがかすかに、しかし何度か規則的に輝く。それを見て、グラベルはにっこりと微笑んだ。
「大丈夫だよ、エメト」
ぽんぽんと撫でるように何度か叩くと、安心したのかエメトは発光をやめた。
長い年月を母とグラベルと共に過ごしてきたためか、彼はまるで人間のような挙動を示す。今は体を与えることができていないが、体を手に入れれば人間とほとんど同じ動きをしてみせるだろう。
その時を想像すると、今から頰が緩む。
「私たちが負けるわけないもの。私とエメトが作ったこの魔導陣は誰にも壊せないわ。だから、安心して。ね?」
微笑みを留めたまま、グラベルは己が半身に語りかける。
敵対者はすでにタワーの内部に侵入した。だが、それがなんだというのだ。
このタワーはすでに万に至るほどの数の罠が仕掛けられている。
たとえそれを全て突破してきたとしても、彼女たちにはすでに天使にも匹敵するほどの魔力があるのだ。もはや彼女たちの前に敵はない。
時が来れば、自然と目的は達成される。
「そう、安心してね……」
愛しの彼に指先で触れながら、彼女はひとりごちる。
時は近い。その時が来れば、彼女の目的は自然と達成されるのだから。




