新たな始まり
そんな過去の記憶を、琉衣夜は少し遠くから見つめていた。
儀式場にいきなり光があふれ出したかと思ったら、いつのまにかこの世界に紛れ込んでしまっていたのだ。
ここは瑠奈の記憶の中なのか、琉衣夜の意識は常に幼い頃の瑠奈とともにあった。
(……瑠奈はあんなこと考えてたんだな)
思えば、自分は何と平和ボケした少年だったのだろうか。
よく瑠奈が自分と契約をする気になったものだと、はたから見ていてそう思う。
(けど、これで終わりかな)
琉衣夜の記憶が正しければ、この場面でこれ以上特筆するようなことはなかったはずだ。
おそらくだけど、これまでと同じように次の場面へと移ることになるはずだ。
そんなことを考えながら、もう一度少年時代の自分達へと視線を戻す。
だが、場面はいくら待っても変わらない。それどころか、瑠奈は小さい琉衣夜に何かを話そうとしている。
(……なんだ?)
記憶と違う彼女の挙動に、琉衣夜は耳をすます。
『……でもね。これでお別れなの』
『え? 何のこと?』
微笑む瑠奈の表情は、諦めに満ちていた。
琉衣夜のまゆが顰められる。こんな会話、全く記憶にない。彼女がこんなことを言い出したなら、彼の記憶に残っていなければおかしい。
なのに、彼の頭の中にはこんなシーンはまるで見覚えがなかった。
彼の困惑を置き去りにして、話は進んでいく。
『私ね、もう行かないといけないの』
『……どこに?』
『君の知らない所。遠い遠い所だから、当分来れなくなっちゃうと思う』
『また、会えるよね?』
『もちろん。そのための、契約だから』
そう言いながら、瑠奈は小さな琉衣夜を抱きしめる。
その顔は泣きそうなほどに歪められていた。
『……でもね。今はお別れだから。だから、ごめんね』
その体が青白い光に包まれた。
その光がどんどん広がり、少し離れた所から見ていた琉衣夜さえもあっという間に包み込む。
『大丈夫、次に会うときはずっといっしょだから』
最後にそんな声が聞こえて、琉衣夜は再び意識を失った。
◆
「……や……るい、や……琉衣夜!」
ペチペチと頰を叩かれながら目を覚ます。
視界が霞む。強烈な光を見てしまった時のように、視力がきちんと機能していなかった。
何度か瞬きをして、ようやく視界が戻ってくる。
「う、ん……? 瑠奈、か」
「大丈夫、琉衣夜?」
「……多分」
何が起こったのか、頭が混乱してしまっていた。
ぐしゃぐしゃと乱れた髪をかきながら、体を起こす。目に入ってくるのは、元どおりの儀式場だった。
少し向こうで、司がタバコを吸いながらこちらに視線を向けている。
「気絶してた、のか……」
「君も、瑠奈もね。瑠奈の方が、ほんの少し戻ってくるのが早かったけれど」
「儀式は?」
「終わったよ。君と瑠奈の間の経路も強化してあるし、天使用の封印魔導も調整し終わった。……これで、彼女が天使の負荷に悩まされることもなくなるだろうさ」
深い吐息とともに煙を吐き出しながら、司はそう琉衣夜に告げる。
その言葉に、琉衣夜は安堵の吐息を漏らした。視線を抱きついてきている瑠奈に戻すと、その瞳は心配で潤んでいる。
「……ごめんよ、心配かけて」
「体は大丈夫?」
「大丈夫。変な感じもしない」
立ち上がって、少し体を動かしてみる。
儀式の前とほとんど変わらない。コンクリの床に寝転がっていたからか、若干身体が軋むものの、それ以外はピンピンしていた。
「それよりも瑠奈、気絶していた時に何か見たか?」
自分の体は問題ないことを示してから、瑠奈にそう問いかけた。
気を失っている間に見た一部始終は、全て鮮明に思い出すことができる。瑠奈の少女時代の記憶、それも彼と出会ってからの記憶だ。
しかし、その中に彼の知らない部分の記憶が混じっている。あの青白い光は、琉衣夜の少年時代の記憶にはなかったものだ。それに瑠奈から「さよなら」と明確に告げられたことも、なかったはずだ。
琉衣夜の問いかけに、瑠奈はこちらをまっすぐ見つめながら答える。
「見た。琉衣夜の昔のことだと思う。多分中学生くらい、かな?」
「ああ、あの時のやつか……」
おそらく瑠奈が見たのは十五の時の記憶だろう。
彼女がバツが悪そうな顔をしているのは、見てきた記憶が記憶だからだろう。……まあ、瑠奈が悪いわけではないのだから、そんな顔をされてもこっちが困るのだが。
「俺も、瑠奈の過去を見てた。……俺達が小さい頃の記憶を」
「昔、公園で一緒に遊んでた頃の?」
「そう。その中で、見覚えのない記憶があったんだ」
琉衣夜の言葉に、瑠奈の表情が曇る。
心当たりがあるのだろうか。
「俺の記憶に残っているのは、契約を交わしたところまで。その次の日から、お前が公園に来ることはなかった。けど、さっき見た景色では……」
「青白い光が、琉衣夜を包んでいた……かな?」
「……やっぱり、心当たりがあるんだな」
「もちろん。私がやったことだもの」
息を一つ吐いて、瑠奈が俯く。
自分に何かを言い聞かせるように目を閉じ、開くとともにこちらを向いた。
「琉衣夜の記憶がおかしいのは、私が琉衣夜の記憶をいじったからだよ。私と再会するまでは、私のことを思い出さないように」
「……どうしてだ?」
「そうしないと、琉衣夜が殺される可能性があったから。“罪咎の巣”なら、やりかねない」
そう言って、瑠奈は当時のことを振り返る。
あの時、瑠奈は天使を封印するための魔導を受けることになっていた。しかし、その魔導を受けた際彼女はそれまでにあった全ての記憶を失いかねない状態に陥っていた。
それがどの程度失われるのかがわからない以上、万が一に備えて全ての記憶がゼロに戻ることまで想定しないといけなかった。
仮に瑠奈が琉衣夜のことを全て忘れてしまっているとしたら、琉衣夜が瑠奈のことを覚えているという状態は余計なトラブルを起こしかねない。琉衣夜は当時瑠奈と接点を持っているという以外はただの少年に過ぎなかったが、その唯一の魔導界との接点が世界有数のトラブルメイカーだ。
“罪咎の巣”からしたら万が一の芽を摘むために、他の組織からすれば天使保有者をあやつるために、それぞれ琉衣夜を確保する理由が存在する。
だが、瑠奈が琉衣夜の記憶を、琉衣夜が瑠奈の記憶をそれぞれ失っていたのだとすれば、話は変わってくる。そうなれば、琉衣夜の価値はないも同然だからだ。
だから、琉衣夜の記憶を全て封じ込めた。
もし、瑠奈の方の準備が整ったら、もう一度思い出してもらえるように条件をつけて。
「……ごめんね。何も言わないで、そんなことをしちゃって」
「……まあ、気持ちは悪いけどよ。状況が状況だから、そうしないとどうにもならなかった、っていうのはわかる」
それに、相談されたところで当時の琉衣夜には何もできなかっただろう。
それなら、彼女の賭けが成功し、こうしてもう一度会えたことを素直に喜ぶべきか。
「一応、琉衣夜がもう誰か決まった人がいる状態だったら、思い出さないようにはしてたんだよ?」
「余計な設定を……。つうか、それどうやってわかるんだよ」
「琉衣夜、私の夢を見てたでしょ? その時の反応が、魔力の経路を伝わって私の元まで流れ込んでくるようにしておいたからね」
「ああ、あの夢お前が仕込んだのね……」
瑠奈と出会う直前から、天使と戦う頃までずっと見続けていた夢。
確かに、今にして思い返せばあの夢は瑠奈と遊んでいた頃の記憶そのままだ。言われなければ気付かなかった自分の頭の悪さに、若干げんなりする。
「正直、嬉しかったよ。結構ドキドキしてたからさ。もしかしたら、もう恋人がいるんじゃないか、って」
「そりゃ、十五の時にあんな体験をしたら、大概のやつは恋人なんて作る気にもなれないだろ」
「私にとっては、それも追い風だったのかな。……琉衣夜には悪いけど」
ごめんね? とぺこりと頭をさげる瑠奈の頭を、いつもより強めにぐしゃぐしゃと撫でる。
十五の時の事件が琉衣夜に良い影響を及ぼしているとは、死んでも言い切れない。しかし、それが巡り巡って瑠奈ともう一度巡り合わせてくれる遠因となったのであれば、あの事件にも意味があったのかもしれない。……それでも、今尚思い出すことすら嫌な事件だが。
「まあ、それなら俺と瑠奈の記憶違いも納得できる。……もう、隠してることはないな?」
「もうないよ」
「本当か?」
「ないってば。疑うな〜」
「お前は何かあっても自分からは基本的に言わないからな。天使のこと然り、今回のこと然り」
むう、と頰を膨らませた瑠奈に、そう言いながら膨らんだ頰をつつきながら言い返す。
こいつは他人のことには盛大に首をつっこむくせに、自分に何かあったら何も言わずに一人で背負いこむ癖がある。
それが、琉衣夜にはどうにも許容できなかった。
「昔はどうだったか知らんが、今は違うだろ。俺もそこそこ力がある。解決できるかはわからんが、相談ぐらいはしてくれよ。でないと、どうして契約をしてるのかわからなくなるだろ」
ブニブニと膨らもうとする頰を何度も潰しながら、琉衣夜はそう訴えかける。
隣に立つことを望んでいるのに、肝心の相手がそれを望まないのであれば琉衣夜がそばにいる意味がない。
琉衣夜が力を手に入れたとしても、瑠奈の傾向が改善されないのであれば、何の意味も持たないのだ。
そうなれば、琉衣夜が瑠奈の隣に立ち続ける理由がない。
「う〜……わかった」
「本当に?」
「うん」
「それならいい。いつも晩飯のリクエストは率先して出すんだから、相談事もそのぐらい出してくればいいんだよ」
「……頑張る」
「よろしい」
呻くように引き出された答えを聞いて、ようやく彼は手を離した。
何度も膨らんでは潰されを繰り返したせいか、その頰は少し赤くなってしまっていた。ちょっとやりすぎたかもしれない。
さて、と司達の方へと向きなおる。
案の定、司は白けたような目をしながらタバコをふかしていた。
「何だよ?」
「……別に。仲のいいことだね」
「嫉妬?」
「まさか。こうなるとは思っていたからね。今更何の感情もわかないさ」
言いながら、近くの壁にタバコをこすりつけて火を消す。
深く息を吸い、肺に残っていた煙を全て吐き出すと、司は再び口を開いた。
「これで瑠奈の方にはきっちりと鍵がかけられた。“罪咎の巣”の方も、そこまで口うるさくはならないだろうよ」
「そうかい。そりゃ良かった」
「けど、君の方はもう一つこなさないといけない案件がある」
「……ああ?」
唐突に提示された面倒臭そうな話に、琉衣夜の眉が顰められる。
彼の反応など目にもかけず、司は懐から封筒を一つ取り出した。ほらよ、と言いながら琉衣夜へと投げ渡す。
「何だよ、これ」
「“罪咎の巣”からの指令だ。君宛てだよ」
「ちょっと待て。何で俺ががるてぃあ、だったか。そんな訳のわかんねえ組織の命令を受けなくちゃいけないんだよ」
「不服かい? それなら別にその指令を受ける必要はないよ。ただ、“罪咎の巣”としては命令を受け付けない魔導師なんていらないからね。そうなれば、瑠奈は即時回収。不穏分子の君は、処理されることになるだろうね」
「……ちっ」
司の目に、剣呑な光が灯る。それを見て、琉衣夜は舌打ちをしながら封筒の封を切る。
琉衣夜としては、ここで戦闘に入るのはよろしくない。この儀式場は司の領域だ。おまけに背後には美咲がいる。
美咲一人でも、琉衣夜の手に余る。そんな状況でこちらから相手を煽ることはできない。こちらには、瑠奈という致命的な弱点が存在するのだから。
「……何だよ。この指令」
封筒の中には、数枚の書類と写真が入っていた。
琉衣夜が封筒の中身を取り出したのを見て、司が口を開く。
「んじゃ、説明を始めようか。なに、簡単なことだよ。その中に書かれてある標的を捕縛すればいい。捕縛した状態でこちらに連絡を取ってくれれば、それでおしまい。あとは自分の生活に戻ればいい」
「……拒否権は」
「当然ないよ。当たり前だろ?」
改めて書類に目を落とす。
書類に書かれていたのは、とある魔導師についてだった。犯した罪の内容、現在潜伏していると思われる場所、使用していた魔導、などなど。
写真には本人と思われる顔と、潜伏場所近辺のものだった。
ようは、こいつを無力化しろということらしい。
「俺に任せて大丈夫なのかよ」
「“罪咎の巣”からすれば、この指令で君の実力を測る気だろうね。なにせ、ぽっと出のくせに天使と遭遇して、しかも生存しているんだ。魔導の常識を知っているものからすれば、君は空恐ろしい者に見えているはずだよ」
「……そういうもんかね」
「魔導師は既知を組み合わせて未知を作る存在だからね。理論も理屈もわからない未知を、最も恐れるものなのさ」
散々な言われように、若干ため息をつきたくなる琉衣夜。
彼とて、こんな力が欲しくて手に入れたわけではない。もともと彼の中に眠っていた力が“黒”だったというだけなのだから。
“黒”でなければ瑠奈を助けることは難しかっただろうから、そういう意味ではもっと感謝すべきなのかもしれないが、見知らぬ人々から恐れの目を向けられていると知っては手放しに喜ぶのも難しい。
閑話休題。
「とにかく、この書類に書いてある魔導師を適当にボコして捕まえればいいってわけだよな?」
「身も蓋もないな……その通りだよ」
「んじゃ、今夜にでも行くか……。俺一人でもいいのか?」
「いや、今回は美咲についてもらうよ。一度ここから離れるのなら、彼女とも連絡手段を確保しておいてくれ」
「了解。携帯で大丈夫か?」
「ええ、構いません。……メッセージはできないので、できれば電話でお願いします」
「そういう所はいわゆる魔導師なんだな」
恥ずかしそうに言ってくる美咲に、白い目を向ける。
司は「僕は違うけどね」と梯子をさっさと外して傍観の構えを取っているため、美咲はただ縮こまるしかなかった。
ちなみに、魔導師の中でも昔からの因習に従って電子機器を使うことを拒む者は少なくない。中には、そもそも家事周りを全て魔導でこなすことができる者も多いため、いわゆる電子機器に触れる必要がないのだ。
そう言った事情もあり、魔導師の中には電子機器の類を全く使えない者もいる。……美咲は、形質の影響かただ単純に力加減が苦手で画面を割りがちというだけなのだが。
互いの番号を交換し、出かける時間を指定する。
集合時間は夜の十一時。場所は琉衣夜の家の前というところまでさっくりと決めてしまう。
「んじゃ、ここでの用事は終わりだな?」
「そうだね。君たちにしてもらうことは、もう無いと思うよ。指令の件、よろしくね」
「面倒くせえなぁ……了解。栗原、また夜に」
「はい、また後ほど」
新しいタバコに火をつけ適当な返事をする司と、律儀に頭を下げてくる美咲に手を振り、琉衣夜と瑠奈は帰路に着く。
「ねえ、琉衣夜。夜の件、私がいなくても大丈夫?」
「大丈夫だって。むしろ、お前が出てきたらまずいだろ」
「そうかもしれないけど……。心配だなあ」
「心配すんな。お前は寝とけ」
帰り道、そう不安そうな目で見上げてくる瑠奈に、琉衣夜はいつも通りの笑みを浮かべながらそう答えた。
なお、実際にその夜の指令は特筆することもなく終わったのだが、その後も次から次へと湧いてくる依頼のせいで琉衣夜が睡眠不足に陥り、別の意味で瑠奈が心配することになるのは、また別の話である。
◆
深夜。
とある道路を、一人の女性が歩いていた。
街灯も少ない通りをただ一人、一歩また一歩と進んで行く。その足取りはどこかおぼつかず、その顔はふらふらあちらこちらを見ていて視線が定まっていない。
典型的な酔っ払いの歩き方だった。
そんな状態の女性が深夜に一人で歩けばどうなるか。
「ねえねえ、そこのお姉さん。ちょっと良いかい?」
女性の後ろから声がかけられた。
緩慢な動きで振り向けば、二人の男性が彼女の後ろに立っている。その目は女性の視線がふらついているのを良いことに胸元やスカートの端をジロジロと見つめており、その口元には下卑た笑みが浮かんでいた。
見るだけで考えが透けて見えるほど、彼らの表情には節操というものが感じられなかった。
「……なぁに?」
女性の声は、この状況にそぐわぬほどほんわり柔らかい雰囲気を醸し出していた。
おそらく酩酊していて、目の前の男性の表情など見えていないのかもしれない。そう捉えた男たちの口元がさらに緩む。
「いやあ、お姉さん酔っぱらってるみたいだからさ。もし良かったら、俺達が家まで送っていってあげても良いかなぁなんてね」
「そうそう。もしくはその辺りでご休憩しても全然構わないよ? 良いところ知ってるからさぁ」
自分たちの欲望を隠すことなく、男達は女性に言葉を投げかける。
しかし、本当に耳が聞こえているのだろうかと疑いたくなるほどに、女性からは反応がない。ふらふらと頭を揺らがせて、どこか遠くを見つめている。
これは、話すだけ無駄かもしれない。
そう考えた男二人は目線を交わし合い、一つ頷く。
「お姉さん、酔ってるんでしょ? こっちにおいでよ、ちょっと休んだ方が良いよ〜」
「そうそう、俺達優しいからね。別に怖いこともしないからね〜?」
片割れが女性の右の手を取り、近くの公園の方へと歩き始める。もう片方の男も女性の左に陣取り、猫なで声で語りかけていた。
その状況になっても女性は特に抵抗することなく、引っ張られるまま歩き続けていた。
翌日。
近隣の公園で、血まみれの肉塊が二つ発見された。
犯人、使用された凶器は未だ特定されておらず。現場周囲のアスファルトがいびつに変形していることが報告されているが、この事件との関わりは今の所不明瞭なままである。




