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追想の中で


 かつて瑠奈は、孤独の中で生きていた。


 普通の魔導師を遥かに上回る才能と、“大天使”なんて規格外の存在を内包して生まれた時点で、彼女は人並みの人生を送ることはできなかった。

 日々増大していく力。小さな器に縛られていることを良しとせずに暴れまわる天使。それを抑え込むために使用される魔導。

 人の理をあまりに外れた存在であったが故に、彼女は家族からさえ疎まれることになった。

 半ば捨てられるようにたどり着いた異端者の集いでさえ、年齢一桁であるにもかかわらず瑠奈は一目置かれていた。

 どんな力で封じても彼女の力はおとなしくならず、どんな魔導を行使しても彼女の天使は一時的に抑え込むのがようやっとという有様だった。

 そんな中、彼女を心から心配してくれるような人間など、どこにもいなかったのだ。


 ……とある公園で出会った、ただ一人の少年を除いては。


「ねえ、大丈夫?」

「え……?」


 ある日、瑠奈は一人公園で佇んでいた。

 どんなに強大な力を持っていても、中身は子供に過ぎない。誰からも愛されることなく、誰からも利用され続け、家族も友人もおらず、ただ一人で生きてきた日々。

 そんな中で、彼女の心は果てしなく磨耗していった。

 いっそ消えてしまった方が、本当に楽なんじゃないだろうかとさえ考えてしまうほどに。


 少年に出会ったのは、そんな時だった。


「大丈夫?」


 夕焼けの光に包まれる世界の中で、少年はもう一度尋ねてくる。

 しかし、瑠奈はこの期に及んでもその言葉が自分に向けられているものだとはっきり自覚していなかった。


「……何が?」


 問いに対する答えとしては、かなりチグハグなものだと自覚している。

 しかし、その時彼女には自分の発言を鑑みる余裕などどこにもなかった。

 そんな瑠奈に、少年はほんの少し言いづらそうな表情をしながら、彼女の頰を指差す。


「いや、その……。泣きそうな顔、してたからさ……」

「私、が……?」

「う、うん」


 言われるがままに頰へと手をやる。

 そこには、気付かない間に流れ出していた涙があった。それは流れ出てから少し時間が経っていたのか、かすかに冷たい。そんなに長い間、泣いていることに気づいていなかったのかと、自分でも驚いてしまう。

 そんな一挙手一投足を少年に見守られていることを察知し、無意識に俯いてしまう。


(あれ、というかこの子なんで、私が見えてるの?)


 彼女は魔導の世界ではそこそこ有名人だ。

 “罪咎の巣”以外に所属している魔導師に所在がバレてしまうと面倒なことになるため、常に『神隠し』という存在偽装の魔導を使っていた。

 それなのに、この少年は『神隠し』の効果をすり抜けて、少女のことを認識している。

 なら、魔導師か。

 そう疑い、餌を撒いてみることにする。


「……おかしいな〜。『神隠し』を組んでおいたはずなのに」


 聞こえるか、聞こえないか程度の声量で言葉を発する。

 その言葉には、言霊の魔導が乗せられていた。秘めた効果は単純、瑠奈が発した言葉に返事をした人間が嘘をついているか、いないかがわかるというだけのもの。

 加えて、彼女は魔力の迷彩や偽装を何ら行なっていない。一般の魔導師でさえ、この程度の魔導なら見切ることができるはずだ。

 つまり、この言葉に対して返事をせずに何らかの反応を取れば、敵対している魔導師だということが確定する。

 もしも敵が瑠奈の言葉に対して不用意に返事をしてきたならば、その言葉の内容に関わらず、相手の真意は彼女に筒抜けとなる。

 返事をしようがしまいが、敵かそうでないかはあっという間に判別がつく。


(さあ、どうするの……?)


 俯いたまま、相手の顔も見ずに反応を待つ。

 この時瑠奈の頭の中では、すでに相手がうろたえた隙をついてどうやって逃げ出すかをシミュレートし始めていた。それが、彼女の日常だったから。

 しかし、目の前の少年は、その想定の遥かにななめ上をいく。


「ヘ? 何か言った?」


 首を傾げ、少年がそんなことを言ってくる。

 その表情はもちろん、その声音も全く他意は見えない。それどころか、彼女が使った言霊の魔導にさえ気づいていない。

 ワンテンポ遅れて言霊が告げた彼の真意は、純然に今瑠奈が放った言葉がわからずに困惑しているだけ、というものだ。


(え……)


 そんな予想外の結果に、瑠奈の頭が一瞬機能停止する。

 これまで多くの魔導師と敵対してきた。これまで多くのドロドロとした後ろ暗い感情を見てきた。

 そんな中で、始めて他意の無い心配の情を受けたのだ。

 理解できないのも、無理はない。


「ん〜ん、何でもない」


 とっさにそう言って、誤魔化そうとする。

 しかし、言葉の上でごまかすことはできても、動揺を隠しきることはできない。まさか、本当に何の他意もなく自分に接触してくる人間がいるとは、夢にも思っていなかったが故に。

 そんな彼女の動転を少年はどう受け取ったのだろうか。

 首を傾げたまま、純粋なままの心でつぶやく。


「??? まあ、いいや。泣きそうな顔してたの、気付いてなかったの?」

「……うん」

「ふ〜ん、変なの」

「へ、変じゃないよっ!」


 あまりにもどストレートに言ってくる少年に、瑠奈も思わず直球で言葉を返す。

 そんなやり取りの中でも、やっぱり少年の心の中にはこれまで何度も見てきたドロドロは全然見当たらなくて。

 なぜか眩しいものを見てしまったように、眉を顰めてしまう。


「ご、ごめん、怒った……?」


 それをどうやら怒っていると勘違いしたらしい。

 少年は明らかに慌てたような表情になっている。彼の心も、(怒らせてしまったかな……)と心配するような混乱しているような声でいっぱいだった。

 そんな裏表のない彼の心に、すっかり彼女の警戒心は緩んでしまっていた。

 いつのまにか、表情がほころぶ。


「ううん、嬉しい。ずっと一人だったから……」

「一人、なの?」

「うん」


 頷くと、心なしか少年の表情が明るくなった。


「じゃあさ、一緒に遊ぼうよ。せっかく学校が早く終わったのに、一人だからどうしようって思ってたんだ」


 そう言って、彼はこちらに手を差し出してくる。

 そのお誘いに、瑠奈の心はさっきよりも揺れ動いていた。


「あ〜、もしかして嫌だった?」

「ううん、そんなことないよ!」


 困ったような顔で聞いてくる少年に、即座に返事する。

 本当に、そんな訳はない。ただ、こんな状況に今まで出会ったことがなくて、困惑しているのは確かだが。


「……私と、一緒にいてくれるの?」

「? もちろん」


 おずおずと、これまでより小さな声で聞く。

 そんな問いかけにも、少年は迷うことなく即座に答えを返してくれた。

 その手は、今もこちらに向けて差し出されている。それを取ってもいいのかどうか、瑠奈は未だに計りかねていた。


「ねえ、私なんかでいいの?」

「うん、一緒にいよう!」


 その返事を聞いた途端、彼女の心が弾んだ。

 もしかしたら、この手を取ってもいいのかもしれない。この手を取ったら、今までにない未来が待っているかもしれない。

 そんな、淡い希望が少女の胸のうちにじわりじわりと広がり始める。

 その時、瑠奈は気づいていただろうか。

 自分の表情が、今まで見たこともないほどに鮮やかな笑顔を浮かべていたことに。



 それから、瑠奈と少年はいつも遊ぶようになった。

 誰かに追われた日、誰かに罵られた日、誰かに疎んじまれた日……。たとえどんな日であっても、どんな時であっても少年はいつも公園に来てくれた。

 時々来ることができない日があったみたいだけれど、それでもほとんどの日々を彼は彼女と過ごしてくれるようになった。

 その頃は瑠奈の中の天使の力が封印されていなかったので、見た目が普通とは違っていたのももしかしたら少年の興味をそそったのかもしれない。

 元々は茶色に近い黒髪に薄茶の瞳なのに、天使の力が解放されている間は銀の髪に紅い瞳になってしまうのだ。力の制御がほとんどできていなかって影響から肌の色も病的なまでに白かったので、黒髪黒目がほとんどの少年からすれば、彼女の見た目は本当に珍しいものだっただろう。

 瑠奈からすれば、その見た目は自分の力を制御できていない証拠だ。おまけにこの容姿のせいで天使を保有していることがバレることもあったので、わざわざ魔導を使って偽装することすらあったのだが、少年が一度褒めてくれてからは彼と出会う時は常に魔導を解除していた。

 そんな細かいことまでしたいと思ったのは、人生の中でこれが初めてだった。それまでの人生で出会った人々は、みんな彼女の力しか見てこなかったから。これまで出会って来た人々は、彼女のことなんて見てもいなかったから。

 そんな人生の中で、彼は初めて瑠奈のことをきちんと見てくれた人間だったのだ。

 そんな少年が、彼女と一緒にいたいと言ってくれたのは、瑠奈にとって天地がひっくり返るほどに衝撃的な出来事だった。



 そして、少年と一緒に過ごすことが多くなってからひと月ほどが経っただろうか。


「……対天使の封印魔導?」

「ええ。あなたにはこの魔導を受けていただきます、とのことです」

 

 手元の書類には、言い渡された魔導についての情報が書き込まれている。

 若干書いた人の癖が入っているのか、細かい上に字がいびつで読みにくいこと極まりない。

 目を細めながら、魔導に使われる術式を読み解いていく。

 七重の結界を連鎖させることでこれまでの魔導とは桁違いの効力を発揮することができるらしい。もしうまくいけば、確かに天使を封じ込めることができるかもしれない。

 だが、これまでの封印魔導に比べて、被験者——つまり瑠奈への負担が増大する。効率化を図っているとはいえ、単純に七つの魔導を常時展開し続けるだけの魔力を消費する必要があるのだ。そもそも彼女が類い稀な魔導の才能と魔力量を持っていなければ候補にすら上がらなかっただろう。

 ため息を一つ吐きながら、瑠奈は年に似合わない皮肉げな笑みを浮かべる。


「“罪咎の巣”も大変ね? こんな訳のわからない爆弾を抱え込んだ挙句、爆発しないように処理しないといけないんだから」

「それだけの価値が、あなたにはあるということです」

「私に、じゃないでしょ。正確に言ってよ。私の中の天使に、価値があるんでしょ」


 返ってくる言葉は無い。下手に何かを言って、こちらの気を損ねるのが怖いだけなのが見え見えだが。

 ふん、と瑠奈は何の薬にもならない自分の秘書から目をそらし、もう一度書類へと目を落とす。


「魔導を執り行う日時は今から三日後、ね。上の人達にしては、えらい急いでるじゃない」

「……それだけ、」

「もう何も言わなくていいわ。求めてないから」


 冷たく言い捨てる。

 正直、“罪咎の巣”がどうなろうが全く関係ないのだ。瑠奈のことをきちんと見てくれるのは、公園で待ってくれているあの少年だけなのだから。

 罵詈雑言もお世辞も、その他諸々含めて彼女の中では等しく意味がない。

 今瑠奈の中にあるのは、少年への思いだけだ。


「けど……この部分だけは、どうにも見逃せないわね」


 瑠奈の目を惹く文章。

 そこにはこう書かれてあった。

『なお、被験者には魔力的にも物理的にも多大な負荷がかかると予想される。魔力的な負荷に関しては一日の精製量の半分程度で済むことから致命的な影響は出ないと思われるが、肉体的な負荷に関してはこの限りではない。

 特に、天使を無理に封印する関係上、この術式を更新するタイミングでその反動が脳を中心に襲ってくると思われる。ここから一度この術式を被験者に施した場合、記憶の障害や思考能力の低下などの影響が長期的に起こる可能性が高い』


「記憶障害に思考能力低下って……両方とも魔導師からすれば致命的なんだけど」


 ぼそりと呟く。

 魔導師にとって知識と経験に基づく判断力は生命線だ。単純に魔導師同士の戦闘でもそうだが、新たな魔導を探求する際にこれまで手に入れてきた情報が成功と失敗を分ける。

 にもかかわらず、“罪咎の巣”はそれを捨てろと少女に要求してきている。

 そこからは彼女を魔導師ではなく、単なる生物兵器か何かのように扱う心算が透けて見えている。

 かといって、瑠奈に拒否権はない。

 これは“罪咎の巣”のトップから直々に命じられた最高機密扱いの任務だ。任務という殻を被ったこの要求を蹴ったら、おそらく組織全体が彼女の敵に回るだろう。

 そうなれば、これまでのある程度平和な時間は失われる。

 今まで“罪咎の巣”の庇護下にあったために手を出してこなかった連中も、機に乗ぜよと大挙して襲ってくるだろう。

 その全てをはねのけて逃げ切れると断言できるほど、彼女は子供じゃなかった。


 しかし、だからといってこの要求はそうそうはいとは言えない。

 何度も言うように、魔導師にとって自分の知識と判断は命綱なのだから。

 加えてもう一つ、彼女にはこの要求をやすやすと飲めない理由がある。


(もし記憶障害が起きたなら……あの子と過ごした記憶も消えてしまうかもしれない)


 それが、何よりも気がかりだった。

 あの少年と出会う前の少女だったら、この要求をさっさと受けただろう。

 魔導師として生きることが難しくなったところで、彼女は何ら気にしない。

 どのみちこれだけの力をもって生まれた時点で、魔導師になろうがなかろうが利用される運命だ。そう諦めきっていたが故に、たとえ使い潰されて死ぬことになっても気に病むことはなかっただろう。

 だが、瑠奈はすでに大切だと思える人間と記憶を手に入れてしまった。

 知らなければ悩むことはなかったのに、偶然にもその幸福を味わってしまった。

 知ってしまった以上、味わってしまった以上、知らなかった頃にはもう戻れない。

 故に、彼女は悩んでいた。

 口元に手をやり無言のまま思考を進める瑠奈に、傍らに立っていた女性はもう一つ小さな封筒を取り出す。


「それと、もう一つございます。こちらも上層部の方からのようですが」

「……ちょうだい」


 封筒を受け取り、ぞんざいに封を開ける。

 中からは、何枚かの写真が出てきた。それを目にした途端、彼女の目がさらに細められる。


 中から出てきたのは、少年の写真だった。


「これは……」


 ポツリと呟いた途端、写真の全てに同じ魔導陣が浮かび上がる。

 解除の隙も与えずに魔導が発動、数枚の写真が写っていた情報の一切を残さずにそのまま灰となって焼け落ちた。

 それだけで、“罪咎の巣”の上役が何を言おうとしているのか、瑠奈にははっきりと理解した。


「今の、見た?」

「……いえ、私には何も。認識阻害の魔導でもかかっていたのだと思います。あの短時間では、解除できませんでした」

「……そう」


 一応少年に使った時と同じ嘘発見の魔道を声に乗せながら、隣でたじろいでいる秘書に問いかける。が、彼女もこんなことになるとは思っていなかったのか、返ってきた反応は本心からのものだった。

 秘書から視線を外し、一つ小さな舌打ちをする。

 上の人間に、少年のことがバレている。

 バレているだろうとは思っていたが、彼らは容赦なく少年を交渉のカードとして使うつもりのようだ。


(鬱陶しい真似を……)


 親指の爪を噛んでイライラする心を少しでも落ち着かせようとするが、あまり効果はでない。焦りがじんわりと胸中に広がっていく。

 彼らはどうして今このタイミングでこんな写真を送ってきたのか?

 決まっている。瑠奈を脅しているのだ。

 もしも彼女が上層部の連中の思惑から外れるような動きをすれば、即座にあの少年を確保、いや連中のことだからそのまま殺してしまう可能性も大いにあり得る。

 今の彼女を牽制するには、十分すぎるカードだ。なにせ、瑠奈の心を動かすような材料は、現状あの少年以外何もないのだから。

 そして、この少年を盤面に出されてしまった以上、彼女はおおっぴらに動くことができない。

 瑠奈が“罪咎の巣”の意向を無視する動きを取れば、その瞬間に少年は確保されるだろう。

 たとえ彼女が確保される前に間に合ったとしても、その時点で二人は全世界から追われる立場になってしまう。そうなった時点で、彼女たちからすればチェックメイトだ。瑠奈はともかく、あの少年は只の一般人。世界中からの敵意にさらされて生きていけるとは到底思えない。


(……どうにも、ならないな。どう動いたところで、“罪咎の巣”を敵に回したらその時点で詰んでしまう。それなら、下手に刺激するより相手の要求をさっさと受け入れてしまった方がいい、か……)


 息を一つ吐いて、状況整理を終わりにする。

 下手に動けば動くほど、藪をつついて蛇を出しかねない。ならば、さっさと状況を受け入れた方がいい。

 問題は、少年にどう伝えればいいのか、だ。

 いきなり少女がいなくなれば、少年はきっと傷つくんじゃないだろうか。少なくとも、自分は少年がいきなりいなくなったらかなり傷付く自信がある。

 自分の場合は傷付くとわかっていることを、少なからず好意を持っている相手にはしたくない。じゃあ、どうすれば彼に衝撃を与えずにいられるだろうか。


(はあ……こういうこと考えるの、初めてな気がする)


 他人のことをここまで考え続けたのは、これが初めてだ。

 存外、自分以外の人間のことを考えるのは疲れるものなんだな、なんて思ってしまう。

 これまでずっと一人で生きてきて、他人のことなんて考える必要がなかったから瑠奈はこういった思考を巡らせることにひどく弱い。


(今日も早く会いたいな〜……まだ、時間が早すぎるけど)


 唇を尖らせながら、部屋の壁に掛けてある時計に目をやる。

 今の時間は十一時。彼の学校が終わるのが、確か午後の三時だったと思う。つまり、それまではあの公園に行っても彼とは会えないわけで。

 

(……この感情も、例の魔導を使った後は忘れちゃうのかな)


 とくんとくんと自分の鼓動が高鳴っているのを感じる。

 この思いさえも、忘れ去ってしまうのだとしたら。


(……それは、嫌だな)


 忘れた時のことを考えて、背筋を冷たいものが走る。

 この思いを捨て去って、何も思い出さないまま生きていくのだとしたら、それはもはや自分ではないんじゃないだろうか。

 そう考えると、やっぱりこの思い出だけはどうあがいても捨てたくはない。

 ……なら、どうしたらいいんだろう。

 まだ彼と出会うまで時間がある。いくらでも考えることはできそうだ。

 一歩後ろでこちらを見つめる秘書には目もくれず、彼女は大人たちの陰謀をどう潜り抜けるかひたすら思考を巡らせ続けるのであった。



 そして、その日の夕方。

 瑠奈はいつもの公園で少年を待っていた。ブランコを揺らしながら、彼が来るのを今か今かと待ち続けている。

 なお、少女は入学していない。魔導に必要な知識として言語も数学もその他諸々の知識もある程度すでに中学生程度までは備えている。

 所属しているのが裏社会に片足突っ込んでいる組織のために堂々と通えないと言うのもあるし、本人がそもそも行く気がないので結局行かないことになっている。組織としても天使を体内に宿す、なんてとんでもない素性の少女を表に出したがらなかったため、積極的に進めていないのも原因の一つだ。

 故に、日中は割と暇になってしまう。

 魔導の研究などもしないことはないけれど、そもそも他の魔導師と比べて出力が桁一つ違うため、小さな失敗だけで部屋が一つ吹き飛んだりしかねない。

 “罪咎の巣”の本部にいるときはそれでも構わないが、彼女が今身を置いているのは支部の一つだ。下手な騒ぎは起こしたくない。

 やれることも少ないし、少年のように話ができる人もいない。

 正直言って、退屈にすぎるのだ。


(……早くこないかなぁ)


 いつのまにか自分の頰が膨らんでいることに気付いて、少しだけ驚く瑠奈。自分にもこんな表情はできるなんて、思いもしていなかったのだ。

 知らない間に自分も変わっていっていることに、ほんの少しドキドキしてくる。


「これもきっと、あの子のおかげかな」

「誰のおかげ?」

「わひゃっ!?」


 ポツリと呟いた言葉に、突然声が響いた。唐突に聞こえたその声に、盛大に驚いてしまう。振り向けば、こちらの声に驚いたらしい少年がそこにいた。


「ごめん……そこまで驚くと思ってなくて」

「私もごめん……まさかこんなに早く来るとは思わなくて」


 どきどきと跳ねる心臓におさまれと命じながら、普段通りの表情を懸命に作ろうとする。

 少年は今も申し訳なさそうな顔をしていた。


「……そんな顔、しなくていいよ。もう大丈夫だから」


 そう言うと、「ほんと?」とこちらをもう一度尋ねてくる。「大丈夫、大丈夫」と手を振ると、ようやく彼の顔に笑みが戻った。

 それにつられて、瑠奈も笑顔になる。


「今日、何しようか?」

「何しようか」


 そんなことを言いながら少年と遊んでいると、ちらちらとこちらを見ていることに気付く。

 どうしたの? と首をかしげると、少年はだいぶ悩んでから口を開いた。


「今日は、どうかしたの?」

「どうかしたの、ってどういうこと?」

「なんか……今日は普段と雰囲気が違うから。何かあったのかなぁって」


 表に出さないようにしていたのに、少年には見透かされてしまったらしい。

 頰をかきながら、地面に視線を落とす。

 どうやって話をしたものだろう。もう既に話そうと思っていることも、やろうとしていることも決まっている。

 気にしているのは、本当にそれを実行に移していいのかどうか、だ。

 彼女がこれからやろうとしているのは、少年を少なからずこちらの世界に巻き込むことになる。

 そのことに、未だ決心がつかないでいた。

 だから、尋ねる。


「ねえ」

「ん? どうしたの?」

「私と、一緒にいてくれる?」

「うん、もちろんだよ」


 少年の即答に、自分の心が小躍りするのを感じる。

 いつのまにか口元がほころんでいた。


「ねぇ、本当に一緒にいてくれる?」

「うん」

「ずっと一緒にいてくれるの?」

「うん。約束するよ」 


 ニコニコ笑いながら、彼は右の小指を少女の方に突き出してくる。

 それは確か約束を交わす時のおまじないだっただろうか。しかし、少年のその提案に瑠奈は首を横に振った。


「ううん。約束じゃあ、ダメ。約束だったら、破るかもしれないでしょ?」

「じゃあ、どうすればいいかな?」


 困ったような顔で聞いてくる彼に、瑠奈は少しいたずらっぽい笑顔になりながら答える。


「契約するのよ」

「けい、やく?」

「そう、契約。私たち二人の身体と魂を合わせて作るモノ。約束よりも強く心を縛って、身体の奥深くにまで刻まれるモノだから」


 言いながら、瑠奈は彼のすぐ近くまで歩いていき、その顔を覗き込む。

 そう、それが瑠奈の出した結論だった。

 契約を交わすことで、瑠奈と少年の間には魔力の経路が生まれる。それにより生み出される繋がりは、他者がどれほど介入しようとしても消し去ることができない。

 そう、それがたとえ“罪咎の巣”であっても、だ。

 たとえどれだけ離れても、二人の間に生み出された契りは失われることはない。どれだけ年数が経っても、二人の間に作り出された繋がりが二人を結びつける。

 瑠奈は自分の手で少年の頰に触れる。

 太陽に当たり続けているからか、少年の体温はかなり高めに感じる。つつ、と肌の上を滑る指がくすぐったかったからなのか、彼は体を強張らせた。

 その反応が愛おしくて、瑠奈はクスリと微笑む。

 右手をそのまま彼の目の上まで滑らせ、優しく閉じさせた。今からすることは、さすがに目を開けたままでいられると恥ずかしい。


「いくよ?」


 ぎゅっと目をつぶったままの少年にそう一言告げて、瑠奈は彼の唇に自分の唇を重ね合わせた。柔らかくて感触とほんのりと感じられる暖かさが、彼女の全身に電流を走らせる。

 “罪咎の巣”に余計な刺激を与えたくないため、通常の契約魔導は使用できない。魔力を察知されれば、それが後々面倒なことになりかねないからだ。

 そういった事態を回避するために魔導師たちは通常、結界系の魔導を用いて自分たちだけの世界を作り上げてから目的の魔導を使用することが多いのだが、それをするには時間が足りない。

 だからこそ、この方法で契約を交わす必要があった。

 互いの魔力を口移しで交わし合い、互いの想いを告げることで成立する最も簡単な、しかし単純であるがゆえに強力な契約。

 時間がない、魔力の反応を他に漏らすわけにはいかない彼女にとってはうってつけの魔導だった。

 全身から口へと集まった魔力が、互いの口を通って彼の体へと伝わり全身へと浸透していく。それを確認してから、瑠奈は唇を離す。

 顔が熱い。もしかしたら、真っ赤になってしまっているかもしれない。


「はい、私からはこれでおしまい。これが完成すれば、私たちはどこまでも一緒だよ」


 そう言って、彼に向かって微笑みかける。

 その言葉を聞いて、少年はやっと目を開いた。少年の顔も耳まで真っ赤になってしまっている。その顔があまりにも可愛らしくて、彼女の頰がさらに緩む。


「これでおしまい……?」

「私からは、ね。その……」


 どういう風に言えば良いだろう。

 して欲しいことは決まっているのだが、それを口に出すのは憚られる。

 でも、口に出さなければ、話が進まない。意を決して、瑠奈は口を開いた。


「あのね。この契約はお互いがその……し、しないと成立しないの。だから……」


 そう言われて理解したのか、少年の目が見開かれた。

 心なしか、その顔がさらに赤くなっている気がする。


「そ、そんな」

「え〜。なんでそこで戸惑うのよ。さっきの言葉は嘘だったの?」

「違うけど。で、でも……」

「いいからその……してよ。それとも、私のこと、嫌い?」


 唇を尖らせながらそう言うも、内心は不安でいっぱいだった。

 もしも、彼にそれだけの想いがなかったら、この契約はそもそも成立しない。瑠奈からの一方通行では、何ら意味がないのだ。

 戸惑っている彼の姿が、その心配を加速させる。

 ぷくーっと頰を膨らませることでごまかしてはいるが、それをしていなかったら泣きそうな顔になってしまっていたかもしれない。

 それから、数秒の時が過ぎる。


「……わかった」


 意を決した表情で、少年が彼女の前に立つ。

 自分の鼓動が高鳴るのを感じた。どくどくと早鐘のようになり続けるそれが自分のものだとは、にわかに信じがたい。

 そんなことを考えている間にも、彼の顔が近付いてくる。

 自然と、目を閉じていた。

 次の瞬間、トンと再び互いの唇が繋がった。

 一瞬置いて、彼の口から魔力が流れ込んできた。少年の暖かい心が染み渡っていくようで、彼女の目頭が熱くなっていく。

 永遠とすら思える一瞬があっという間に過ぎ去り、少年が唇を離した。

 ぎこちなく微笑む彼に、瑠奈は微笑みを返す。


「これで完成。これで私たちはいつも一緒。離れていても、どんなに時が経っても、この契約がある限りまた逢える。大好きだよ、琉衣夜」

「うん。僕も……」


 その言葉を聞いた時。

 彼女の物語が真に始まった。



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