新たな日々の中で
時は、少し遡る。
「……何なんだよ、この状況は」
困惑の色を隠せないまま、琉衣夜は呟いた。
視線の先にあるのは、ファミレスならどこにでもありそうな四人掛けのテーブル。だが、そこに座っているメンバーが少しだけおかしい。
向かって右側に座っているのは、制服姿の瑠奈だ。正式に学校へ通い始めて、早一週間が過ぎ、今尚同居を続けているのでもはや新鮮さはない。
だが、異常なのは向かって左側。そこに座っているのは、安斎司と栗原美咲。
片や金髪ピアスの不良少年、片やTシャツジーンズに竹刀を入れるような長い袋を持った女性。それだけで奇異の視線を向けられそうな組み合わせだ。
そして、琉衣夜と瑠奈にとっては二週間ほど前に拳を交わしたばかりの相手である。琉衣夜は殺しあった際に、瑠奈は琉衣夜から一応の説明を受けて誤解は解けているものの、かつて敵だった相手にいきなり「ファミレスでお茶しない?」なんて誘われたのだ。
そりゃあ、警戒もするだろう。
露骨に警戒をしている瑠奈。無言のまま目を閉じている司。そんな状態の二人を見て、オロオロしているかのように視線を右往左往させている美咲。
そんな、カオスとしか言いようがない状況に放り込まれたら、困惑しない方がおかしいだろう。
「えっとだな……瑠奈、飲み物とってきたぞ」
「ありがと」
「やれやれ……。それじゃ、僕らも飲み物を取ってきて構わないかな?」
「……いいよ」
瑠奈が頷くと、今度は司が気だるそうに立ち上がりドリンクバーの方へと向かっていく。美咲はほんの少しの間こちらを気にするように見ていたが、何も言わずに司の後を追う。
始めは琉衣夜と美咲が飲み物を取ってこようと立ち上がったのだが、二人を信用していない瑠奈がそれを止めたのだ。
曰く、「分断してこの前と同じ展開にしてくる可能性がある」とのこと。琉衣夜にしては同じ組織のメンバーを攻撃しても仕方がないし、加えて瑠奈が席に留まっているのならあまり変わらないのではないか、と思うのだが、瑠奈にとっては、そしてあの二人にとってもその意見は無視できるものではなかったらしい。
(“罪咎の巣”は、内部抗争でもしてんのか?)
思わず、そんなくだらないことを考えてしまうほどに、瑠奈の対応は警戒していることが前面に出ていた。
まあ、“罪咎の巣”に所属しているのは世間に馴染めないあぶれ者やはみ出しものが多いと聞いているので、裏切りももしかしたら日常茶飯事なのかもしれない。……いや、本当の所はわからないが。
「おい、そんなに肩肘張ってると、いざっていうときに動けないぞ? リラックス、リラックス」
「……うん、わかってはいるつもりなんだけど、さ」
あはは、と照れたように頬を掻く瑠奈。
自分が彼らを過剰なほどに警戒していることを、彼女とて自覚しているのだろう。普段の瑠奈にはありえない敵意のある目つきをしていたから。
けど、と一拍おいて続ける。
「やっぱり、まだ怖いよ。だって、あの二人は理由があったにしても、琉衣夜を傷つけたから。また琉衣夜と離れ離れにさせられたら、ってどうしても考えちゃう。……そうなるのは、絶対に嫌だから」
「……そっか」
普段と違って、目を伏せながらそう言う彼女に、琉衣夜はふっと目元を緩ませる。
瑠奈は、こういう時とても素直に自分の心情を口に出す。子供のように純粋で、思ったことをそのまま伝えてくるから、聞く側としては非常にありがたい。
……龍音にそう言うと、「あんたの前ではそうなんだ……」と若干呆れ声で言われたことがあったりしたが。
だから、琉衣夜も思ったことをそのまま実行することにした。具体的には、下を向いたままの彼女の頭に、ポンと自分の手を置いてわしゃわしゃとその頭を撫でる。
「ん……?」
「そんなに心配すんなって。あの時みたいにならないように、俺だって強くなってる。それに……」
心配そうに上目遣いで見つめてくる瑠奈に、安心できるように優しい笑みを浮かべながら言う。
「一緒にいるって言ったろ? それを破るつもりはないって」
あの二人が何を言いに来たかは知らないが、彼にとっての最優先事項は瑠奈と共にいることだ。前回は遅れをとったが、今ならおそらく対等に渡り合える。
最悪の場合、ここで戦闘になることまで想定しながら、契約を交わした時の言葉をもう一度繰り返す。そこでようやく安心したのか、瑠奈の表情がほころんだ。
「……二人だけの世界に入っているところ、大変申し訳ないのですが」
「僕らのこと、すっかり忘れてるよね。全くさ」
「ん? おう、遅かったな」
「あ……」
琉衣夜は別に気にもしていなかったが、瑠奈は本気で忘れていたらしい。
一瞬硬直し、次の瞬間ボン! と音が聞こえそうな勢いで顔が真っ赤になった。それを見て、やれやれと呆れたような表情の司と、ほんの少し寂しそうな微笑みを浮かべる美咲。
自分の羞恥心の処理で一杯な瑠奈は気付いていないが、琉衣夜はそれに気づいていた。……とはいえ、彼の方から何かをしてやるつもりはないのだが。
瑠奈という特例ができただけで、琉衣夜の価値観は基本的に変化していない。自分に危害を加える兆候が見えない限り、自分からは他人に関わらない。司と美咲は、琉衣夜にとって友人でもなんでもないのだから。
特に、こういう人間関係は第三者が入ってプラスに傾く時とマイナスに傾く時の差がかなり激しい。下手に介入して関係を余計にこじらせるのも嫌だし、そのせいで瑠奈を傷つける可能性まであるとなれば、余計に間なんか取りもちたくない。
だから、琉衣夜は今日もいつものようにわからないふりをする。
見えているけど、わからない。そう、自分に言い聞かせる。
そんな彼の心の声が聞こえたわけでもないだろうが、司の目がこちらをチラリと向いた。その目は、瑠奈を見つめる時の完璧に感情を制御しきったそれではない。鷹か隼かのような、まるで目前の琉衣夜を親の仇か何かのように見つめる、鋭い視線。
あまり、気持ちのいいものではない。
「何だよ?」
「……別に。ただ、君のどこがいいのかな、と思っただけさ」
「へえ。嫉妬?」
「……さてね」
否定も肯定もせず、司は目を逸らした。
「あっそ」
琉衣夜もそれだけを言って、自分の前に置いていたコーラに手を伸ばす。
そのまま十分ほど、場を沈黙が包んだ。
何も言わずに目を閉じたままの司。それを気にすることなく液晶携帯をいじりだす琉衣夜。女性二人は互いのパートナーを見て、互いに目を見合わせて「どうしよう?」とでも言うように困った顔をするばかり。
(ね、ねえ琉衣夜……)
(ん?)
小声で話しかけてくる瑠奈。それに、琉衣夜は液晶から目を上げた。
(い、いいの? 何も話さなくて)
(さあ? あっちから何も言ってこないなら、別にその程度の話なんだろ?)
正直なところ、琉衣夜は現在絶賛イライラ中だった。
彼からすれば、学校帰りにいきなりアポ無しで誘われ、何か大事な話かと思えば、無言でガンを飛ばされた挙句放置されている状態だ。
失礼にもほどがあるだろう。なぜ、こちらが譲歩せねばならないのか。
そう答えると、瑠奈は眉をさらに深く潜め、しかし琉衣夜の考えていることもできるからか、黙りこくってしまった。
そして、再び硬直する場。
固いままの雰囲気にオタついている瑠奈を横目に留めたまま、琉衣夜はどうしたものかと内心でため息をつく。
なんで自分がこんなところまで気を使わないといけないんだ……。そう嘆く心を必死に奮起させながら、解決策をチラチラと考え始める。
とはいえ、解決方法など一つしか思い浮かばない。さっさと話を進めてしまうこと、それが一番手っ取り早い。
(ああ、なんで俺がこんな役割を……)
内心で盛大にボヤきながら、それでも仕方ないと割り切って顔を上げる。
見れば、司は目を閉じたまま、美咲の言葉を苦虫でも噛み潰すかのような表情で聞いている。
彼も、きっと理屈の上では今の態度が決して良いものではないということは、わかっているのだろう。……だからといって、そうそうホイホイ変えられるものでもないのだろうが。
だから、仕方なくこちらから手を出してやることにする。
「んで? お前らの用件って何なんだよ。まさか、こうして俺達の時間を無駄に使わせるのが、目的ってわけでもないだろ」
意図的にイラついているような声を出しながら、尋ねる。
もしも気を使っている声を出したら、司はきっと意固地になって余計に喋りづらいだろうから、あえてそうする。
その言葉で、司はようやく目を開いた。
「相変わらず、ムカつく奴だなぁ君は」
「そうかい。この性格は元からだ。そのムカつく奴と話したくないなら、サクッと用件だけ話して帰れよ」
「……残念ながら、そういう訳にもいかないんだな。これが」
口元にいつも通りのヘラヘラとした笑みを浮かべて(しかし目は全く笑っていないままだが)、司はようやく話をする気になったらしい。
「まずは前提の確認だ。深夏瑠奈、君の中の天使は消失した訳ではない。これは間違いないね?」
「……はい。以前より反応は弱くなっていますが、一時的なものに過ぎないと思います」
「だろうね。そっちのバカがだいぶとんでもないことをしでかしたから、今は弱体化しているだろうけど……そのままで放置しておく訳にもいかない。これもわかっているね?」
「……はい」
わかってはいても、受け入れられるかどうかはまた別の話だ。
天使の力を封じ込めるには、保有者の肉体へ強力な封印術式を組み込まなければならない。だが、その場合天使保有者にも多大な負荷がかかってしまう。
その影響で、瑠奈は一年以上前の記憶をほとんど覚えていない。封印を施される以前の記憶は残っているらしいが、それも幸せなものではない。
けれど、これから楽しい記憶は創っていける。
そう信じて疑っていなかっただろう瑠奈には、相当ショックの大きい話だろう。
「おい司。その話、俺が何も言わずに通すと思ってんのか?」
低い声でポツリと呟く。
予想以上に暗く、重い声になっていたことに、自分でも驚いた。どうやら、彼は自分で思っている以上に彼女との生活を楽しんでいたらしい。
琉衣夜の一言に、司がこちらを向く。その目は微かな苛立ちを宿していたが、そんなこと御構い無しに彼は言葉を続ける。
「俺と瑠奈はすでに契約を交わしてる。切っても切れない状態って奴なんでな。それを理解した上で、話をしろよ?」
暗に、「瑠奈の不利益になるようなら……わかっているよな?」と脅しをかけていく琉衣夜。隣の瑠奈と美咲が息を飲むのがわかったが、知ったことじゃあない。
『罪咎の巣』? 世界の危機?
その全てがどうでもいい。もうすでに彼は決めているのだ。瑠奈の隣でいる、と。彼女が自分を必要としなくなるその時まで、彼女を守り続けるのだ、と。
目の前でそれが破られそうになっているのを見て、放っておける訳がないだろう。
司は、こちらの目から視線を外さない。まるで、何かを探るようにじっとこちらを見つめている。
それを真っ向から受け止めていると、司は小さく息を吐いた。
「やれやれ……君は本当にムカつく奴だよ、まったく」
言いながら、彼は懐から二組の書類を取り出し、こちらへ渡してくる。
「一つ目は、これまでと同じ方法で君の天使を封じる場合の書類だ。だが、君達はきっとこちらの方法では、首を縦には振らないだろう?」
当たり前だ、と言わんばかりに頷く琉衣夜を見て、一度息を吸ってから再度口を開く。
「だからこそ、僕達は二つ目の選択肢を用意した。……個人的には、非常に気に入らないけどね」
まずは一度目を通せ、と不機嫌極まりない声で言う。
その言葉に従って、琉衣夜は二つ目の書類を開く。途端、隣から覗き込んできていた瑠奈が、ぽかんと口を開いたままフリーズしてしまった。
「……おい?」
ひょいひょいと目の前で手を振っても、まるで反応しない。
どうしたんだろう、なんて考えながら、彼も書類へ目を落とす。
書かれているのは、複雑で細かい魔導陣だ。かつて琉衣夜が戦った天使が扱う魔導陣と考え方や組み立て方は似ているかもしれない。
だが、いまいち何を考えて作られているのかがわからなかった。
琉衣夜が魔導を使うことができているのは、“黒”による解析能力に頼っている部分が多い。しかし、黒い文様が全身を這いずり回ることになるため、昼日中のファミレスで使うのはさすがに抵抗がある。
「なんだよ、この術式」
「ん? 君の目は、あらゆる魔導式を見切るんじゃなかったのかい?」
「こんなところで、あんな目立つ能力使ってられるか」
「ふうん……なかなか面倒なものらしいね」
探るような司の言葉に、「いいから、さっさと中身を教えろよ」と先を促す。
琉衣夜の“形質”である“黒”は、汎用性に優れた能力だが、その分反動もそれなりにきつい。
なにせ、彼の能力の基になっているのは、人の悪意や敵意といったマイナスの感情だ。それらを自分の体に一度取り込んで変換し、自分の力として出力するという力の特性上、彼はマイナス感情の影響を受けやすい状態になっている。
力を上手く使い切れずに体の中に残してしまうと、その夜に悪夢が襲ってくる。それに加えて、悪意は琉衣夜も自分たちを同じ方向へ引きずり込もうとしてくるため、彼の体を容赦なく蝕もうとしてくるのだ。
少し聞けばわかるようなことにまで、そんなリスクは払いたくない。
そんな琉衣夜の言葉に司は普段よりも機嫌の悪そうな、というよりも少し拗ねているような表情を浮かべながら、口を開いた。
「これは、古くから僕らの間に伝わる魔導さ。ずっとずっと昔から伝わる……ね」
「魔導、ねぇ……」
琉衣夜は小さく眉をひそめる。
魔導の強さは、魔導陣に含まれる情報量と使用されている要素で決まってくる。要素の方は使用する魔導によって千差万別のためここでは説明を省くが、情報量に関しては単純に多い方が強力かつ細かい効果を持った魔導になる。
ただし、ただ情報量が多ければいいってものでもない。人間には、魔力や脳の情報処理力の限界といった如何ともしがたい制限が存在するからだ。
これを限られたリソースでより効率的に行使するために、魔導師達は日々研鑽を積んでいるのだが……それでも個人ではどう足掻こうと限界がある。
瑠奈の抱えている問題も、その限界に触れている問題の一つだ。
“大天使”は、人間一人の体が抱えるにはあまりにも強大すぎる存在だ。何せ誤って解放しようものなら、文明が一つ崩壊しかねないと言われるレベルの災厄である。そんなものを一人の体に封じ込もうとすれば、当然凄まじい負荷がかかってしまう。
無論、司や美咲をはじめとした“罪咎の巣”メンバーのおかげである程度は押さえ込めているものの、それでもなお強大な負荷がかかってしまう。
そのせいで、瑠奈は長い間苦しんできた。
司の持ってきた書類は、おそらくその負荷を少なくするための魔導が記されているのだろう。だが、そんなものがあるのならば、なぜこれまで使ってこなかったのか?
琉衣夜の疑問は予想していたのだろう。司はいつものように面倒臭そうな表情で口を開く。
「まあ、なんでこれまで使わなかったのか、って聞きたいんだろうけど……この魔導は、彼女一人では使えないんだよ」
「一人じゃ使えない? 連弾術式でも使ってんのか?」
「……似たようなものだね」
苦虫を口いっぱいに放り込んで噛み潰したような、そんななんとも言えない表情を浮かべる司。
そこで、これまで無言のまま推移を見守ってきていた美咲が口を開いた。
「この魔導は、二人の間に特殊な魔力の経路を作ります。その間で互いの魔力を循環させることで“大天使”を封印する際にかかる負荷を軽減させることができるんです」
「へえ、そんな魔導もあるんだな。けど、それなら余計になんでこれまで使わなかったんだ?」
「それは……その……」
言い淀む美咲に「早く言えよ」と視線を向ける。
それでも何か言いづらいのか、少し間が空いた。
「この魔導を成立させるには、二人の間に幾つかの誓約を作る必要があります。その誓約の数が多い、もしくは条件が厳しいほどに魔導の力が増していく。……もし、“大天使”とそれを封じるための封印の反動を、一人の人間にほとんど負荷をかけないレベルまで緩めるには、かなり厳しい制約を作る必要があると予想されます」
……それこそ、一度契約を交わせば二度とその二人が離れられなくなってしまうほどに。
そう、美咲は言葉を締めくくる。
瑠奈が、口元を抑えるのが目の端に見えた。琉衣夜も、美咲の言葉でこれまでこの魔導が使われなかった理由に納得がいった。
美咲の言っていることが正しければ、それはまさに生涯の契りだ。
一度交わせば、後戻りはできない。この世界には結婚という制度があるが、これはそんな書類上のものじゃない。
文字通り、互いの生命に連なる魔力と魔力を結ばせる契り。体同士の結びつきよりもさらに深く、さらに濃い縁。
美咲の言葉を受けて、琉衣夜は少しの間考え込む。
琉衣夜は人と付き合うのが苦手だ。とかく、人付き合いにいい思い出がないし、そもそも人とは自分に大きな利益があると判断すれば、血が繋がっていようと裏切るものだと、自分の経験からそう考えている。
だから、彼は人を信じない。
そんな彼が、誰かと一生つながり続ける。この体が自分のためだけに存在するのではなく、誰かのために生きていく。……これまで、まるで想像もしていなかったようなことだ。
一月前までは、だが。
「……そうか。それでいつその魔導を使えるんだ?」
「え、ええっ!?」
琉衣夜のその返事に、素っ頓狂な声をあげたのは隣に座っている瑠奈だった。
その声があまりにも大きすぎて、周囲の注意が一気にこちらを向く。だが、よほど動転しているのか今は周りのことなんてまるで目に入っていないようだった。
「る、琉衣夜。本当にいいの?」
「何を今さら」
「離れられなくなるんだよ? 私が作った契約とは違って、ここまできっちり作られた魔導は、それこそ契約を違えれば死ぬことさえあり得るんだよ? 琉衣夜は、琉衣夜は本当にそれでいいの?」
「それこそ、何を今さらって話なんだけどな。瑠奈、もう忘れたのか?」
同じようなことが、少し前にもあったような気がする。
同じような会話を、その時にもしたような気がする。
その時と同じように、その時と変わらない言葉を琉衣夜は瑠奈に向けて繰り返す。
「俺は、瑠奈がそばにいて欲しいと思う限り、そばにいる。例え、その道が地獄の果てにつながっているとしても、一緒にいる」
彼女の目を真正面から見据え、目をそらさないまま言い切る。
そう、琉衣夜の心は雨の下で契約を交わした時から、何ら変わっていない。
琉衣夜は確かに他人と繋がることを嫌っていた。近付いたところで、裏切られるだけだから。繋がったところで、傷つくだけだから。
だが、彼にとって瑠奈だけはどうしてか特別なのだ。
瑠奈のそばにいたい。瑠奈を支えたい。
瑠奈の笑顔が見たい。瑠奈の涙なんて見たくない。
彼女を守るために契約を交わす必要があるのなら、いくらでも交わそう。彼女の笑顔のためにこの身を捧げる必要があるのなら、いくらでも捧げよう。
あの雨の中、一緒にいようと告げた言葉だけは、絶対に守りきる。
そう、彼はすでに自分の心に誓っているのだから。
だから、彼は決してぶれない。その誓いを破った時、琉衣夜は自らが嫌悪する存在と同じ所まで落ちぶれると理解しているが故に。
あとは、瑠奈がどうするか、どうしたいのか。それだけだ。
「だから、瑠奈が俺と一緒にいたいと思ってくれているなら、俺を使うことをためらわないでくれ。必要なら、全部受け入れる。必要なら、何でも手に入れる。お前と一緒にいるためなら、どんなことでも乗り越えてやるさ」
きっぱりと迷いのない口調で、そう瑠奈に答える。目をそらしたりすることもなく、琉衣夜は真正面から彼女に向きあう。
まだ十七の少女にこの言葉は重圧になってしまうかもしれない。けれど、この考えだけは絶対に告げておくべきだと思った。
瑠奈と生きていくなら、このぐらいは覚悟しておく必要があるだろうと琉衣夜は考えている。
なんせ彼が一緒にいたいと願う相手は、“罪咎の巣”なんて未だに訳のわからない組織の五本指に食い込む実力者で、しかも“大天使”なんていう人類が未だ解明しきれていない存在をその身に宿している、なんてとんでもない存在だ。
その隣で立ち続けるには、生半可な気持ちではいられない。覚悟が足りなければ、これから襲ってくる重圧に耐えきれずに彼女を捨てることになるか、その前にどこかで野垂れ死にすることになる。
そうならないためにも力が、必要だ。
形質と魔導を極めていくには時間をかけるにしかないにしても、精神面は今ここでどうにでもできる。あとは、彼が折れなければいいだけの話。
……まあ、それ以前に瑠奈が彼を必要ないと言ってしまったら、そこで琉衣夜はお払い箱になるのだが。
何も言わないまま、瑠奈の返事を待つ。
だいぶ動揺しているのか、その視線はあっちこっちをさまよっていた。
今瑠奈が何を考えているのか、彼には想像もつかない。ただ、彼女の答えを待つほかない。
「……本当に、いいの?」
そうして待つこと数分。
ポツリと、瑠奈が呟いた。
「本当に、私を選んで、いいの?」
その言葉に、琉衣夜は間髪入れずに答える。
「瑠奈が、いいんだ。瑠奈と、一緒にいたいんだ」
その返事を聞いて、ようやく瑠奈の表情がわずかに綻んだ。
再び、言葉を探すように彼女の目が宙をさまよう。けれど、今度は数秒もかからなかった。
「あの……ふ、ふつつかものですが、よろしくお願いします……っ!」
顔どころか耳まで真っ赤に染めて、聞き取るのがやっとなほどの小さな声で、しかし確かにそう言った。
……琉衣夜が求めていた言葉とは、かなり違うベクトルで返事が返ってきたが、しかし瑠奈も覚悟を決めたということだろう。
そう解釈して、琉衣夜は瑠奈の頭を撫でる。その顔に浮かぶのは、瑠奈にだけ向ける優しい笑みだった。
「……君達、僕達がいるのも忘れないでくれよ?」
「瑠奈、さすがに人の目があるところでそれは少しまずいのでは……」
直後、今の今まで状況を眺めているだけだった二人からの言葉が入る。
おそらく、瑠奈は本気で二人の存在や自分が今いる場所といった情報そのものが頭から抜けていたのだろう。その言葉で、瑠奈は錆びた機械のような動きで改めて周囲を見渡す。
さっきの瑠奈の大声から、周囲の興味はこちらを向いたままだったようだ。夕食の時間にはまだ早いこともあって人は少ないが、その大半の視線がこちらを向いている。
その状況を認識して、瑠奈の脳が処理限界を迎えたようだ。
「あ、あうう……っ!」
「勢いで話をすると大抵ろくなことにならないよな、お前」
耳を通り越して首まで真っ赤に染め、瑠奈が机に突っ伏した。
その姿に、さすがになんとも言えないものを感じて琉衣夜はぼそりと言う。琉衣夜の声に「いや、君も大概な気がするけどね……」と司も呟くものの、彼は聞こえないふりをすることにした。
「ま、そういうわけで。やるよ、その魔導。今からでもできるのか?」
「……了解。とはいえ、今すぐにできるような魔導でもないんでね。今日が月曜日だから、今週末にはできるだろう。金曜日にはどこでいつやるのか連絡できるようにするよ」
「オッケー。そのタイミングで場所と時間を聞いて、そこに向かえばいいんだな?」
「ああ、それで頼む」
「こちらで何か準備をしておくことは?」
「ないよ。心変わりをしないようにだけ、しておいてくれ」
「了解」
瑠奈がノックアウトしたままなので、仕方なく琉衣夜が会話の主導権を取る。
とはいえ、ここで何かできるわけではないようなので、これで要件は終了と見ていいだろう。
机に突っ伏したままの瑠奈の頭をペシペシと叩きながら、立ち上がる。ポケットから財布を取り出そうとしたが、司の「ここは出しておく」という言葉に甘んじておくことにした。
「じゃあ、週末に」
「ああ」
言葉短かく司に告げる。これで、ここでする話は終わっただろう。
すると、離れていこうとする琉衣夜に、美咲がこちらを向いて口を開いた。
「藤崎琉衣夜。……その」
「なんだよ」
「……その子を、瑠奈をよろしくお願いします」
深々と、机に接するんじゃないかと思うくらいに深く、頭を下げながら、そんなことを言ってくる。
「……ああ。当然だ」
そう答え、彼女から視線を外す。最初から、彼にとっては言うまでもないことだ。誰に何を言われても、瑠奈を守る誓いだけは決して捨てるつもりがない。
「ほら、帰るぞ」と瑠奈に言ってもう一度頭を叩くと、瑠奈も顔を上げる。彼女が立ち上がるのを待ってから琉衣夜は入り口に向かって歩き始めた。
背後で瑠奈が何かを二人に言っていたようだが、そちらへは意識を向けずに出口へ向かっていく。
ファミレスの出口を出て少し歩いたところで、ようやく瑠奈が追いついていきた。少し急いできたのか、顔が少し上気している。
「もう、早いよ琉衣夜」
「あの二人、あんまり好きじゃないんだよ」
「まあ、それはすごくわかるけどさ」
言いながら、二人で家への道を歩いていく。
学校からの帰り道。もう何度も二人で歩いた道をいつもと同じように、けれどいつもより少し近い距離を保ちながら、帰っていく。
「そういうわけだ。これから、改めてよろしくな」
「うん、こちらこそよろしくね」
言葉を投げると、即座に答えが返ってくる。
視線を向ければ、笑顔が返ってくる。
その距離感に、自然と琉衣夜の口元も緩んでいた。




