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第2章 昏きに潜む-18

「……この感覚は」


 戦場から少し離れたマンションの一室。

 相変わらず復調しない静の元で看病を続ける瑠奈も、その気色の悪い魔力を感じ取っていた。

 おぞましいと言う他にないその感触を前に、眉をひそめながら窓際へと駆け寄る。


 外の風景に別段変わりはない。

 夜景の中で特に変わった様子はなく、街は普段通りの様相を見せている。

 だが、明らかな異変が発生しつつある中で、普段通りの光景が広がっていることこそが異常の証でもあった。


 そして、それからほどなくして彼女の体内を駆け巡る魔力がドクリ、と音を立てて明確な異変を示す。

 それは琉衣夜との間に循環している魔力に、変異が発生している確かな証拠で。


「琉衣夜が、本気で戦ってるんだね」


 ほんの少し濁ったその魔力は、以前も感じた事がある。

 琉衣夜が“黒”を使役するのみならず、自身と同一化させた時に起こる現象だ。

 ありったけの悪念と汚穢を全身に取り込み、己が全てとして動員した時に起こる、生命と肉体を染め尽くしたが故の反動。

 琉衣夜側からこちらへ経路を通じて魔力が送り込まれる際にフィルターがあるにも関わらず、濾過しきれない状態にあるという紛れもない証明。

 “黒翼”が今まさに命を賭した戦いに赴いている。

 それなのに、今自分はこんなところで何をしているのか。


「…………」


 叶うなら今すぐにでも飛び出していただろう。

 実際、その体は即座に玄関へ向かい靴を履いて外へ出ようとしていた。

 それほどの強敵を相手に、援護もせずに見捨てることなんてできないと、瑠奈は駆け出そうとした。


 その時、背後でごほっ、という力無い咳がこぼれた。

 ぎぎぎぎ、と油をさしていない古びた機械のような挙動で、瑠奈は背後を見やる。

 視線の先では、静が脱力したまま横たわっている。

 その口元から、その鼻から、つつっとわずかに赤い何かが溢れ始めていることに気付き、瑠奈は自分の背から冷や汗が湧き出るのを感じた。


(嘘でしょ。この魔力、体力が落ちている相手に対して毒性を出すの?)


 外へ飛び出そうとした勢いのまま静の元へ駆け寄り、改めてその全身をくまなく観察する。

 遠くから見ていただけでは気付かなかったが、その全身は小刻みに震えていた。

 口と鼻から溢れた血液は止まることを知らず、むしろ次から次へと流れ落ちていく。

 このまま放置しておけば、衰弱死までありえる。

 そう判断し、瑠奈は即座に自らの魔力を持って魔導式を編み始めた。


「清らかなる風よ、場を織り成す守りとなりたまえ。毒の吐息に苦しむ哀れなる者を安らかなる眠りへ導きたまえ」


 力もつ言葉を詠唱すると同時に、瑠奈の魔導式と呪文によってイメージを増幅された魔力が魔導となって起動する。

 その場を緑色の光を伴う風が吹き抜けたかと思えば、光は渦巻く輝きとなりて彼女ら二人を世界から断絶した。

 外部からの悪意ある魔力を遮断し、内に留まる者へ回復と治癒を与える結界だ。

 簡素なものではあるが、今の状況を鑑みれば最適な手段と言えるだろう。

 並大抵の魔導師が起動すればこれほどの力を発することはないが、大天使に端を発する膨大な魔力を注ぎ込めば、この新緑の輝きは外界と内界を完全に途絶する結界へと変貌する。

 だが、これにはもちろん問題もある。

 簡易展開できる結界の最大の難点、それは術者そのものがその場から動く事ができないというポイントだ。

 独立した魔力源を用意したわけではないこの結界は、瑠奈からの魔力供給が絶たれれば即座に消失する。

 瑠奈がこの場を離れれば数秒の時を待たずに結界は空へと搔き消えるだろう。

 そうなれば、静の状況は逆戻りする。


 かといって、魔力源を用意するのもそれなりに手間がかかるのだ。

 瑠奈の手際を持ってしても、一日程度自己保存を可能とする魔力源を組み込んだ術式を用意するのに二時間はかかる事だろう。

 それだけの時間があれば、今戦場にて発生している事柄などあっさり終わってしまうに違いない。

 それがどちらの勝利かは、関係なく。


「…………ッ!」


 自らの不甲斐なさに、ぎりぎりと自らの奥歯を噛みしめる。

 しかし、どれだけ思考を巡らせようと少女の脳に思い浮かぶ方法はそれきりだ。

 であれば、逡巡している時間こそ絶対的な無駄であり、彼女が迷えば迷うほど救援に向かう事ができる時間は削り取られていく。


「……琉衣夜、お願いだからそれまで負けないでね」


 祈るようにポツリと囁き、瑠奈は意識を集中させ始める。

 魔力こそ瑠奈は豊富ではあるが、ただそれだけでは魔導の世界を押し通すことはできない。

 頭の中に浮かぶ幾つかの方法から最速の手段を取り出して手を動かし始める。

 寝室へ魔導式を刻み始め、魔力をふんだんに注ぎ込みながら彼女は早くならないと知りながらも可能な限り最速で手順を完了させるべく己が全身を高速で駆る。


 “黒翼”の元へと至るべく、大天使は己が全霊を賭して眼前の難題へと挑むのだった。

 それが、手遅れになっているかもしれないと、頭の隅で理解をしながら。


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