第2章 昏きに潜む-16
モンク僧、という存在をご存知だろうか。
極東においては古くから存在する、自らに厳しい戒律を律し己が肉体を鍛え上げることでさらなる高みへと至らんと目指す者である。
彼、ヴァーリがそれを知ったのは幾つの頃だっただろうか。
物心ついてそうは立っていない時期だったに違いない。
親に連れられてとある国を訪れた際に、彼はそれを見たのだ。
まるで舞うかのように互いの手足を捌き合い、さらなる高みへと自らを磨き上げんとする二人の僧侶。
着ている物は周囲の者と大差ないはずなのに、太陽の輝きを宿してひらめいた黄色のゆったりとした衣を振り払いながら互いの武を繰り広げる両雄。
後から聞いた話によれば、彼らは武闘の際に自らが纏う衣にすら魔力を通し、それを維持し続けたまま数時間にわたって演武を続けていたという。
ただの演武でさえ数時間と継続するのは非常に困難であるにも関わらず、常に魔力を放出し続けながら彼らはそれをやってのけるのだ。
子供ながらに魔導師としての己の在り様を捉えた気がしたヴァーリは、その場で即座に自分も弟子入りをしたいと申し出た。
両親は突然のお願いに驚愕をしていたようだが、師範と呼ばれた老齢の男性は柔らかく微笑んでこれを受け入れてくれた。
滞在期間は一週間。
この間の修行に耐えることができれば、正式に弟子入りを認めると。
両親も渋々ながらこれを了承した。
そして、ヴァーリは喜び勇んでモンクとしての生活に身を投じることになった。
修行は決して楽ではなかった。
後から聞いた話ではあったのだが、初めの一週間は数年訓練を積んだ者にのみ許されるトレーニングだったらしい。
流石に師範としても年齢一桁の少年を訓練の道に引きずり込むつもりはなかったらしく、初めの一週間にへし折れれば引き続き訓練をしたいと言う事もないだろうと考えていたようだ。
だが残念と言うべきか天啓と言うべきか、ヴァーリは凄まじいほどの適性を持っていたらしい。
体力こそギリギリだったものの、一週間目の訓練を全て無事に終わらせて二週間目の訓練を受けることを許してもらえるか相談に行った時には、両親はおろか師範代さえも驚いた表情を隠せずにいた。
そして、その場で改めて一年の訓練時間を両親からも師範代からも許可をもらい、ヴァーリは初めから幾段かすっ飛ばした状態で訓練を始めることとなった。
師範代から教えを請うことができた時間こそ一年だけだったが、その間に基礎の訓練は一通り習得が完了していた。
そして、そこからは自ら築き上げる時間だった。
幸いなことに、両親の研究している分野は肉体強化を主とするものだった。
魔力纏衣と肉体強化。
内面と外面の両方から己が肉体を強化し、自らの四肢でもって対峙する敵を打ち砕く。
それこそが彼の基本であり、そして最大の奥義だった。
あれから十数年の時を経た今も、それは変わらない。
そしてきっと、これからも。
「……だとしても、解せねえな」
「何が」
「テメエの戦法はある程度理解できた。けど、テメエが今回の騒動に関わる理由が思い当たらねえ」
幾度かのやり取りの末、琉衣夜は眼前に立つ男へそう語りかけた。
対するヴァーリは、口の中に溜まった血を唾と共に地面へと吐き捨てる。
両者互いに疲労こそ蓄積しているだろうが、致命の一撃は受けていない。
お互いに顔こそ紅潮しているものの、未だ体力の果ては見えない。
“黒”をばら撒いて注意が拡散した所に本命を叩き込むスタイルの琉衣夜に対し、最速最短のルートを駆け抜けて渾身を注ぎ込むヴァーリは、両者ともに相性が良いとは言えなかった。
琉衣夜は近〜中距離での戦闘を可能としているものの、相手を打ち倒す威力の一撃を魔導で現出させようとすれば、その隙をヴァーリに刈り取られる。
対するヴァーリの攻撃は、琉衣夜が回避と牽制に徹する限り形勢を傾けるほどの威力に達し得ない。
されど中距離以遠の攻撃では、琉衣夜の攻撃はヴァーリを削ることすら難しい。
無防備に受けてくれれば流石にダメージは通るかもしれないが、全身に張り巡らせた魔力と闘気のせいで“黒”が有効な打撃を与えられないのだ。
二種の互いに相反する濃密なオーラがまるで装甲の如き挙動を見せ、“黒”の侵食を阻害するどころか弾き返す始末である。
一点集中して装甲を貫き通し、肉体そのものから魔力を貪ることが出来れば一気に形勢は傾くことだろうが、果たしてその有効打を叩き込むまでの間に何発の痛打を受けることか。
一撃や二撃は、どうにかなる。
だが、三発四発と重ねられれば、こちらの手持ちが尽きることだろう。
おまけに相手は一呼吸の間に何発もの打撃を繰り出すことができる。
互いに有効打を出し難い状況の中で、しかし琉衣夜は未だに眼前の敵がどうしてこの場に立っているのか解せずにいた。
「この前の男はわかりやすかった。絵に描いたようなゲス野郎だったからな。だが、テメエはそうじゃねえだろ。やり方こそ選んじゃいないが、その拳は紛れもなく本物だ。鍛え込んだ果てに手に入れた、本物の一撃。そんな拳を打てる奴が、なんでこんな所に立ってる」
「……言葉が必要か?」
琉衣夜の問いかけに対し、ヴァーリは表情をまるで崩さない。
眼前の敵に対して一切の緩みを見せず、かと言って極端な緊張もしていない、フラットな状態のまま再び足を前に出す。
刹那、激突があった。
まっすぐに飛び込んでくるヴァーリに対し、琉衣夜は漆黒の波濤を巻き起こす。
だが、信じ難いことにヴァーリは握りしめた拳一つで黒の大波を叩き割ってしまう。
二つに分かれた波の間を縫って進撃してくる相手に対し、退く事に活路を見出せない琉衣夜は深く息を吸い込んで己もまた拳を握りしめる。
瞬間、ごっぎぃいいいいん!! と骨同士が激突する鈍い音が周囲に鳴り響いた。
両者の右拳が互いの中間でギシギシとせめぎ合う。
そんな状況の中でさえ、ヴァーリは冷静沈着だった。
「この戦闘に対する理由を語って、お前は満足するのか」
ぞわり、と両者の間で膨れ上がった魔力が互いを打ち滅ぼすべく干渉し合い、遂には爆発へと発展する。
両者の間にわずかな距離が生まれるが、しかし奥歯を噛みしめる琉衣夜に対してヴァーリの表情はやはり崩れない。
ひゅう、と息を吸い込む音が聞こえたかと思えば、次の瞬間には爆発音すら伴ってその体が再度こちらへと飛び込んでくる。
対する琉衣夜はその場から少しでも距離を稼ごうと全力で跳躍する。
“黒”の修復こそ行なっているものの、右手はただの一撃で骨にヒビが入っていた。
魔力と“黒”でガチガチに固めたとて、次の一撃を真正面から受け止められる自信はない。
こちらへと向かってくるヴァーリを飛び越えるような挙動を描いた琉衣夜に対し、ヴァーリは左手を振り抜いた。
刹那、轟!! という音と共に爆風が吹き荒れる。
左腕が生み出した風を魔力で増大させ、指向性を伴わせた烈風。
目に見えぬ嵐の刃が空を舞う少年を捕らえんとその指を伸ばすが、琉衣夜の背から生み出された漆黒の翼はそれを意にも介せず暮れなずむ空を駆け抜けて再び地へと舞い降りる。
「よしんば正当な理由があったとて、お前は納得するのか」
「…………」
「俺の理由が正しいと解すれば、あの少女へ手を出されることを良しとするのか」
「……ッ!!」
ぎしぃ、と少年の拳が固く、硬く握りしめられた。
それだけは許さないと言外に告げる眼前の敵に対し、ヴァーリはやはり声色一つ変えないままに言葉を続ける。
「戦場での会話に意味などなかろう。理解した所で平行線に違わぬ。なれば、言葉に意味はなく、まして説得など望むべくもない」
声は静かに。
されど、踏み込む足は影を落とす世界へ確かなヒビを生み出しながら前進を開始する。
「見せてみろ、少年」
言葉が風に乗って届くのが早いか、再び両者は互いの拳が届く射程圏へと突入していた。
「戦場へ足を踏み入れる覚悟があるのだろう。なれば、その維持と覚悟を見せろ」




