第2章 昏きに潜む-15
「“人払い”はこっちでしておいてやるよ。……テメェの情報隠蔽能力を信じるほど、信用もしてねえしな」
「そうか、感謝しよう」
眼前の黒ずくめの男は、そうボソリと囁いた。
琉衣夜は敵から視線を離すことなく“黒”を展開し、魔導式を構築・起動する。
刹那、彼らのいる場所から半径五百メートル程が人間の興味を失わせる空間へと変貌した。
今この場において一般人の衆目は存在せず、この場を感知することができるのは魔導師のみ。
……だが、魔導師とてこれから始まる戦闘にわざわざ首を突っ込みたくはないだろう。
“人払い”を拠点に仕込む際、通常の魔導師は基本的に隠蔽のための魔導を同時に展開する。
“人払い”の魔導自体を感知されて他の魔導師に襲撃されては、元も子もないからだ。
だが、琉衣夜は今回一切隠蔽の魔導を展開することなく、魔導反応をこの場に撒き散らしている。
これはすなわち、今この場において魔導師が存在していることを周囲の魔導師達に全力で流布していて。
「これで他の魔導師達も距離を取るだろうさ。わざわざ戦闘に巻き込まれにくるようなアホもいないだろうからな」
「即ち、互いに横槍を気にせずに良いと?」
「もちろん。テメエの方は知らねえが、俺は元々一人で全員叩き潰すつもりだったからな」
言いながら、彼はだらりと両腕を広げる。
まるで目の前のヴァーリを受け入れるかのように、その手が開かれて。
「つう訳だ、さっさと始めようや」
「……然り」
ぐちゃりと引き裂けるような笑みを浮かべる琉衣夜に対し、ヴァーリは微笑を持ってそれに応える。
ここに、互いの合意は成った。
後は、殺しあうだけ。
それを認識した途端、琉衣夜の広げられた両掌からぼごりと音を立てて漆黒の柱が現れる。
まるで人の臓物を無理やり柱に形どり真っ黒に染め上げたかのようなその柱は、ヴァーリを貫くべく一直線に空間を駆け抜けた。
その速度はまるで疾風の如く、瞬きの間に距離を殺しきった黒柱に対し、ヴァーリはだらりとその全身から力を抜く。
刹那、二柱の影に身を滑り込ませたヴァーリが、一気に琉衣夜の方へと前進を開始した。
「シッ……っ!!」
「うお……っ!?」
人間の目では影を追うのがやっとの速度で互いの距離を詰めきったヴァーリが構えるのは単純にして明快。
岩の如く硬く握りしめられた、その右の拳。
「ふぅうううううううううっ!!」
「んなっ……!!」
呼吸はただ一度きり。
対応しようとするも間に合わず、握られた拳が銃弾を感じさせる速度で琉衣夜の腹へと叩き込まれた。
メリメリメリメリ! と肉の潰れる音と骨の軋む感触が肌を通じて伝わってきた次の瞬間。
琉衣夜の全身が、爆弾のように弾け飛んだ。
「むぅ!?」
流石にここまでの衝撃とは想定していなかったヴァーリは、破裂する刹那の間際に全力で後方へと飛び退る。
人の物とは思えぬ漆黒の液体とるらるらと黒めかしい肉を受けることなく一息をつけば、重い一撃を受けたはずの琉衣夜は飄々とした表情のままそこに立っていた。
「使うのは初めてだが、存外実戦でもうまく使えるもんだな」
「……ダミーの肉体か」
「せいかーい。いやぁ、こんなにすぐに使わされるとは思ってなかったよ」
ぐっぐっと自らの拳を握り直しながら、ヴァーリは先ほどのやり取りを思い返す。
彼の拳は直撃していた。
ただし、当たったのは琉衣夜の体ではなく、彼の全身をずるりと纏っている漆黒のヴェールだろう。
インパクトの瞬間に膨れ上がるようにあの黒い何かが全身から一点に集まり、攻撃を受け止めると同時に反撃までしてのけた。
便利な魔導だ。いや、あれは魔導だろうか。
だとすれば随分と使い良い式だ。
もし味方であれば、教示願いたいくらいだ。
「随分と良い魔導だ。……否、“形質”かも知れんが」
「どっちだろうな? わざわざ敵に教えるほど、俺は優しかねえよ」
煽るように意地の悪い笑みを浮かべる琉衣夜。
しかし、彼も同様に敵の攻撃を受けて思考を巡らせていた。
随分と威力のある打撃だ。
外から見る限り、拳自体には何も仕込まれていない。
しかし、ただの拳の一打で人は殺せない。
距離を詰めてきたあの速度といい、先ほどの異常なレベルの痛打といい、あちらはあちらで何かしらの魔導を己に使っているらしい。
それが魔導か“形質”かはまだわからない。
むしろ、どちらであっても現状において差異はない。
こちらがやることは変わらない。
(“黒”で、一つ一つからくりをむしり取ってやればいい……!!)
再び彼の笑みが深々と刻まれる。
凄絶に陰惨な、歪に崩れた少年を前に、対するヴァーリは表情を変えない。
敵が便利な魔導なり“形質”なりを持っているとしても、この場においてやるべきことは変わらない。
即ち、敵を討つ事。
この瞬間において、両者の思考は経過こそ違えど同じ結論へと辿り着いた。
そして、二人の魔導師は即座に行動を開始する。
眼前に立つ相手を討滅する。
ただ、それだけを最優先事項として、己が生命と魔力を燃やしつつ進撃を開始した。




