第2章 昏きに潜む-14
(余計な仕事……否、無駄な思考の余地はない)
ヴァーリは自分の思考を律することに徹する。
秋の夕暮れ。
先ほどまで太陽は青い光を放っていたのに、今はもう紅色の光を世界へ投げかけている。
今の彼は、オイゲンが潜んでいた塾へ同じように潜り込んでいた。
彼の姿は普段の黒ずくめではなく、周囲の魔力を持たない人間から見ればオイゲンと全く同じように見えるだろう。
彼の皮膚を一部頂戴し、彼と全く同じ姿に見える呪符を生み出したからだ。
普段であれば鎮痛のための魔導を併用する必要があるが、そもそも今の彼は鎮痛を第一にしないとショック死しかねない状況だ。
皮を一辺五センチの四角形程度剥がれたぐらいでは、激痛に変化はない。
治療も鎮痛も彼やセレナが行なっているものだ。
この程度の治療費は、もらっておいても別に構わないだろう。
というか、この行動自体もオイゲンの尻拭いに近い。
文句を言われる筋合いはないだろう。
(しかし、この一手。この一手のみは評価に値する)
コツ、コツと自らの靴が床を叩く音が反響する廊下を歩みながら、オイゲンの働きの中でほぼ唯一評価できる点を見出す。
すなわち、監視対象を牽制し得る駒へのアクセスをほぼ確立していた事。
故にこそヴァーリは今、ほとんど疑われることもなくここにいるのだから。
このまま駒とアクセスをして、こちらの手元に置いておけば監視対象とてそうおいそれとはこちらへ攻撃をできなくなるだろう。
要は人質だ。
こちらの魔導式が完了すれば、人質にも価値はなくなる。
そうすれば後は解放するだけのことだ。
個人的には非常に好みではないやり方ではあるが、これが最も効率の良い方法であればやる他にない。
手段を選り好みするのは、圧倒的優位性を持つ者のみ。
そして、現状を鑑みて自らが優位性を保持していると考えるほど、ヴァーリは楽天家ではなかった。
(……あれか)
印をつけておいてくれて助かった。
正直東洋人の中でも特にこの国の人種は彼の目では見た目で判別をつけづらい。
そんなことを言うとオイゲンは「おいおいヴァーリ、コツがあるのさ」なんて言いながらしたり顔で話しかけてくるだろうが、生憎とあの男は今動ける状態にない。
目のつけようと言い、きっちりと印をつけておく用意周到ぶりと言い、あいつの仕事ぶりだけは評価に値するだろう。
(さて、昏倒の後連れ去るとしよう)
懐から取り出したのは、携帯……ではなくその裏側に仕込んだ呪符だ。
呪符に仕込まれた魔導は昏睡。
その力は単純明快、呪符の対象を強制的な睡眠へと誘う魔導だ。
欠点は対象に触れさせないといけないことだが、ただの女子高生の体に触れさせる程度ならなんと言うことはない。
そう考えて、そして彼は眼前でこちらに背を向けたままの少女へ呪符を叩き付けようとした。
……そう、しようとした。
その脇を一陣の風が吹き抜けるまでは。
「よう、せんせー。俺、実はこの塾に入りたいんですけど、だーれも何も紹介してくれないんですよねぇ。せんせー、何か教えてくれません?」
「……君は」
見覚えのある人物だ。
にたりと釣り上げられた口元、威勢と実力を感じさせる鋭い瞳。
そこそこに鍛えられているであろう体躯に、全身から仄かに立ち上る魔力。
年齢も、見た目も合致している。
これが、こいつこそが。
「……そうか、君か」
「ね? 良いでしょ、せんせー。お互い、面倒ごとはごめんだろうしさ」
言いながら、眼前の少年は近くの窓へ親指を向ける。
「表に出ろ」、その挙動に込められているのは、そんな端的な意図だろう。
そして、その目はありありとこちらの手を睨みつけている。
呪符を今まさに握りしめている、こちらの手を。
「……良いだろう、案内してやる」
「ラッキー。よろしく頼むよ、せんせー?」
言動の軽さとは裏腹に、その全身から昇り立つ魔力からは明らかな威圧が感じられる。
明確に、明朗に、こちらへの殺意を朗々と語りかけていて。
そのビリビリと皮膚を通り抜ける波動を前に、ヴァーリは深々と笑みをうかべた。
「……楽しませてくれよ」
「……テメェの実力次第だよ」




