第2章 昏きに潜む-6
「……そんなことを言われた所で、僕は僕自身の望みの為にしか動かないけれどねえ」
くっくっ、と微かな笑みを浮かべながら、オイゲンは雇い主の言葉を静かに嘲る。
あの女がどうしてあんな術式を組み上げようと考えたのか、そんなことはどうでもいい。
結論として自分の目的へ至る助けとなればそれで十二分。
それ以上をあれに求めるつもりはないし、求める方が酷だろう。
実力自体は十分に一級品だが、それを求める理由があまりにも短絡にすぎる。
しかし、念の為とネズミを拠点周辺にも放っておいたのは正解だった。
ここまで面白い話を拝めるとは思ってもみなかった。
あれほどの魔力と術式を操る魔導師が求めるのが、ただ一人の少年の蘇生。
ただそれだけの為に死者の国を開こうというのだ。
世界を変革しうるだけの力を持ちながら、その力をただ一人の欲望のために使おうとする愚か者。
これが面白くなければ、何が面白いと言えるのか。
「侵入者を事前に察知するために、って理由でネズミを置いたのは正解だったね。これほど面白いものを見せてくれるとは思いもしなかった」
くすくすと笑いながら、オイゲンはいいものを見せてもらったと独り言ちる。
「……それで」
しかし、彼の雰囲気は急激に変化した。
先ほどまで凪いでいたはずの潮が一変して嵐へと変貌するように、そのまなじりはきつく釣り上げられながら突然の来訪者へと向けられた。
「君は、僕に何の用なのかな」
招かれざる来訪者への言葉は冷たい。
一般人であればこの一言で無言のまま距離を取るだろう苛烈さだが、しかしその程度で引き下がるならそもそもこの部屋を訪れていないだろう。
なにせ、彼が今いる場所は階数にして十五階。
一般人がエレベーターを利用せずにたどり着くには少々難しい高さだ。
おまけにその来訪者は窓側からやってきている。
見れば、鍵の部分だけきっちりと割られていることから、音も立てずに叩き割った挙句堂々と侵入してきたのだろう。
その挙動だけを見れば、盗人以外に思いつく職はない。
だが、オイゲンはさらにもう一つ、思い当たりがある。
「おや、随分と侵入されるのは慣れておるようじゃな。夜這いはさほど好かぬタチかの」
「あいにく、こちらへ殺気を飛ばしてくる女性は好かないな。……まあ、そういう女を屈服させるのは嫌いじゃないが」
「ほぉ。では、少し私で試してみぬか? おんしが私をへし折れるというのであれば、この身を好きにするが良いさ」
唇の端を歪ませながら、侵入者の少女は自らのスカートの端を指先でひらりと揺らす。
ふわりと舞うスカートの下から覗く太ももは締まってこそいるものの女性らしい柔らかさを感じられ、「へえ」とオイゲンは手元のグラスを机に置いた。
「驚いた。この国の女性は奥ゆかしい性質の人が多いと思っていたけど、君のようなタイプもいるんだな」
「人並みに興味はあるさ。おんしの手に収まるかどうかは別の話じゃがの」
「なるほどねえ、そういう女性はタイプさ。ぜひ手折りたくなってくる」
そう言いながら、オイゲンは椅子から立ち上がった。
なるほど、見た目は年相応の少女にしか見えないが、放ってくる闘志はまるで野生の猛獣かのように剣呑だ。
こいつが監視対象の一人、“東方不敗”だろう。
“黒翼”に比べれば危険度は低いと認識していたが、まさか単独で飛び込んでくるとは思いもしなかった。
それに、随分と自分に自信があるらしい。
そんな少女を手折って愛でることができるなら。
……何とも、これまでとは違う趣向の楽しみができるじゃあないか。
「とはいえ、場所が悪いな。ここは持ち主に借りている部屋でね。あまり荒らす訳にもいかない」
「屋上でも構わんぞ? 部屋を荒らされる女もたまらんじゃろうて」
「そうかい。それじゃあ、招待することにしよう」
「む……っ」
オイゲンの笑みが鋭いものへと変貌すると同時に、その指がパチリと鳴らされる。
途端、開かれた窓から飛び込んできた三羽のカラスが、その全身からドス黒い魔力を迸らせながら侵入者へと襲いかかった。
侵入者はほんのわずかに驚いた表情を浮かべていたが、その身をひらりと翻して腹部の辺りを狙って飛び込んできたカラスを蹴り落とす。
更に二羽がそれぞれ頭と足の辺りを狙ってくるが、制服をまとった少女は窓の外へと飛び出していく。
かと思えば、少女はこちらを向いてひらひらと手を振ってきた。
「屋上で待っておるぞー?」
「やれやれ、せっかちな子だ。せっかく僕の方からお誘いしようと思ったのに」
「カラスなんぞけしかけてくる野郎のお誘いなど受けられるものか」
ケラケラと笑いながら、少女が跳躍する。
その一飛びで屋上まで到達したのだろうか、その気配はあっさりとその場から消え失せた。
「本当にじゃじゃ馬だなぁ。まあ、術式が起動するまで退屈だったのも事実だ、遊んでやろう」
その後を追って、オイゲンもまたベランダから屋上へと向かう。
すでに空は宵闇に沈んでいるが、季節としては秋だというのにどろりとした熱気が彼の全身を包んでいた。
「……さて、じゃじゃ馬さん。随分と手荒なお誘いをどうも。ここで舞踏会でも開くのかな?」
「そうじゃの、おんしとて素性の知れぬ女を寝室に連れ込みたくはあるまい?」
「いやいや御高名はかねがね伺っているよ、“東方不敗”」
「おや、私のことを知っているのか」
「そりゃあね。君ほど有名な魔導師がいると聞いたら、現地入りする前に多少は調べるだろうさ」
「そうか、知らぬ間に随分と名が売れたようじゃの」
自分の名が知られていることは知らなかったらしい。
あれだけ派手に動いておいて、随分と呑気なものだ。
数々の魔導組織に所属していた魔導師を無差別に攻撃し、一時期相当に名を馳せていた魔導師狩りの魔導師。
超速での白兵戦と、魔導を使用しての制圧戦を得意とする、戦闘特化の鉄砲玉。
“大天使”、“黒翼”に比べれば警戒レベルは低いが、単独交戦能力では決して“黒翼”にも劣らない。
否、“黒翼”とは別のベクトルでアンチ魔導師と言えるだろう。
……とはいえ、この事態も想定しなかった訳ではない。
むしろ、こちらに殴り込んでくる敵がいるとすれば、こいつが一番に来るだろうと考えていた。
「さあ、せっかく夜の時間なんだ。踊ろうか、“東方不敗”。僕に君の魅力を教えてくれ」
「随分とキザな奴じゃな。悪いが、趣味じゃないんでさっさと終わらせてもらおうかの」
呆れたような声で返してくる“東方不敗”に対し、オイゲンは再びニヤリと微笑んだ。
途端、屋上に仕込まれた術式が起動する。
さあ、夜の舞踏会を始めよう。




