第2章 昏きに潜む-5
私と弟は、魔導師の一家の元に生まれた。
父と母は自らの研究に没頭していて必ずしも良い両親ではなかったけれど、それでも最低限の愛は注いでくれていた。
衣食住に困ることはなかったし、クリスマスはみんな揃ってお祝いをしていた。
風変わりな両親は近所で噂にされることが多かったけれど、内情を理解している子供たちからすれば科学では説明できない異界の常識を操る両親を、私達姉弟は心から尊敬していた。
両親が普通とは違う世界に属する何かを操っていることは、私が小学生に上がる頃には理解できた。
何せ、普通の家での常識は私たちの家での常識ではなく、私たちの家での常識は普通の家の非常識だったのだから。
小学校で話をするときは、細心の注意を払わなければいけなかった。
私が姉として先に世間に触れることが出来たのは、弟にとって幸いだっただろう。
私がどちらかというと人と距離を縮めるのにあまり苦労を感じないタイプであるのに対し、弟は引っ込み思案で人と距離を取りたがる性格だった。
そんな性格で魔導だのなんだのと言っていたら、間違いなくいじめられていたことだろう。
でも、そんな苦労はどうでもよくなるほどに、魔導の世界は私を抗いがたく魅了していた。
初めて自分の術式の下で火花を起こすことに成功した時は、魔力反応に気づいて父親に怒られるまで延々延々と火花を起こし続けていたほどだ。
私が魔導を使えるようになってから、弟がそれを見よう見まねで模倣できるようになるまではあまり時間がかからなかった。
私がどちらかというと感覚で魔導を使用しているのに対して、弟は術式の意味を理解して使用するタイプだった。
年齢一桁の二人が魔導の式を己の感覚と知識で読み取り、互いに切磋琢磨し合いながらさらなる領域へ次々と足を踏み入れていくのを見ながら、両親は随分と喜んだらしい。
自分達の力量をその内に乗り越え、自分達の研究を引き継いで昇華してくれるだろうと、何の疑いもなく信じていたのだとか。
……あの事件が起きるまでは。
あれは私が五歳のころだっただろうか。
その年は酷い熱病がはやり、多くの人々が感染しては苦しんでいた。
普通の病気が変異した。
ただそれだけの存在なのにこれまでの薬品は全く歯が立たず、数多の人々がこの病気に苦しめられていた。
私もこの熱病にり患した一人だった。
子供故に体力そのものはあったものの、感染病に対する抵抗力は低かったらしい。
り患してからすぐに発熱は四十度付近まで上がり、それが一週間に渡って続いたのだとか。
そして更に悪いことに、この熱病はかわいい弟までもその魔手に捕らえてしまった。
私が発熱したその翌日に早くも微熱が出始め、その翌日には私と同じ高熱状態へと陥ったのを見て、両親は神様を呪うしかなかったそうだ。
だって、そうだろう。
自分の愛娘、愛息子が次々と倒れて薬も効かないまま目の前で苦しんでいるのだ。
自分達が何十年も研究してきた魔導が、何の役にも立たずに自らの無力を痛感するしかできないのだ。
神様どころか、この世の全てを恨んだとしても恨み切れないだろう。
姉弟二人は全身を蝕む熱病に苦しみ。
両親は感染を防ぎながらそれ以上何もできない自分達の無力さを嘆き。
そして、そのまま姉弟は二人とも天に召されると考えられていた。
そう、考えられていた。
「……あ、あ?」
その日、彼女は自分の身体からうだるような熱気と全身に鉛を巻き付けたかのような気怠さが消え去っていることに気付いた。
この数日経験することも出来なかったようなさわやかな朝だった。
もしかすると、私の病気は完治したのだろうか。
だとすればこれが元気な体というものか。
失って初めて気づく大切さというものを、私はこの時初めて知った。
……もっと大切なものが失われているということに、気付かないまま。
「……あれ?」
ベッドの端に随分と重たい何かが寄りかかっていることに気付く。
体を起こせば、それが自分の弟であることをすぐに理解した。
寝ぼけてこちらまで来てしまったのだろうか。
自分も熱病にかかっているのだから、安静にしていないといけないのに。
そんなことを考えて、弟を彼のベッドへ戻してあげようとその体に触れる。
その体は、随分と冷たかった。
「え?」
びくり、と指先が震えて、弟の身体を叩く。
すると彼の小さい体はするりと抵抗なく床へ崩れ落ちた。
その体には一切の力が入っておらず、その胸元は全く動いていない。
幼い自分の目から見ても、その状況は明らかにおかしくて。
「ぱ、パパ……ママぁ!」
震える声で自らの両親を呼び、その部屋から飛び出した。
両親は大声で叫ぶことが出来るほどに突然回復した彼女を見て驚き、そしてその狼狽ぶりに更に動揺していた。
「早く、早く」と腕を引っ張る娘に連れられて寝室へ行けば、そこに広がる光景は冷たい床に力なく突っ伏した愛息子の姿。
素人目から見れば、明らかに力尽きているであろうその姿に、普段から落ち着き払っているはずの両親が更に驚愕へ突き落される。
そんな両親の様子を見て、彼女は自身の精神がへし折れていくのを感じていた。
(……あれから、もう何年たったのだろうか)
最近は自分の年齢さえ把握していないがゆえに、もはや何年経過したのかすらわからなくなりつつあった。
弟からもらった命故に大切にしたいとは考えているのだが、いかんせんその辺りを軽視するのは両親譲りなのだろう。
あの後、魔導師の両親が私と弟を確認した所、弟はどうやら自分の魔力と生命力の全てを私へ委譲したらしい。
回復や治癒ではなく、自らの全てを分与することで彼女の生命力が回復し、その結果として急激に病気が治った、のだとか。
だとか、としか言いようがないのは、実際にそんな魔導を使用したことがある魔導師があまりにも少ないからだ。
魔力と生命力を一部与えることが出来る魔導はあれど、自らの全てを与える魔導など自分本位を史上とする魔導師はそんな魔導を使う機会がほとんどない。
分与魔導も、一部の文献に残る程度の存在に過ぎなかった。
……不幸だったのは、彼女達の両親がそれなり以上に優秀な魔導師だったことだろう。
資料の一つとして分与魔導の文献が存在し、そしてそれは教科書の一つとして姉弟の目が届く範囲に置かれていた。
そして、弟はこの魔導を使ったのだろう。
きっと、姉を助けたいというただその一心で。
「……待ってなさい。あと少し、あと少しでまた会えるから」
再び胸元のロザリオをぎゅうっと握りしめる。
このロザリオは弟が彼女に遺したただ一つの形見だ。
そして、もう一度彼に出会うための、道しるべだ。
あと少し、本当にあと少しだ。
残りは魔力が蓄積されるのを待つばかり。
その後は組み上げた術式を起動すれば、彼への道が開かれる。
「ヴァーリ、オイゲン。時間稼ぎは頼みますよ。この術式が起動すれば、あなた達の願いも叶うのですから」
そう、彼女は誰もいない空間で静かに囁く。
ドロリと沈んだ暗闇の中、響くのは傍らを走る汚濁のみ。
されどその表情は随分と安らぎに満ちていた。
目的の達成まではあと少し。
残りはただひたすら突き進むのみ。




