第2章 昏きに潜む-4
「こちらの術式はある程度整った。あとは無事に術式を起動するだけの魔力を蓄積するだけで終わる」
「構築完了、であれば後は待機か」
「そうだな。……あちら側がただ見逃してくれるとも限らないが」
場所は移って、再び昏き淀みのほとり。
女性は一通り組み終えた術式を前に一つ息をついていた。
これでこちらの組み得る術式は組み終わった。
後は術式そのものがうまく起動することを祈るばかり。
……しかしそれは外的要因がない場合のお話。
別の魔導師のテリトリーで動きを見せているのだから、いつ排除に向かって来られてもおかしくはない。
オイゲンから“虫”の数が増えていることも聞いている。
今は監視対象に接近しようとしているオイゲン周辺を這い回るのみに留まっているものの、これから魔力の蓄積が完了して術式を起動すれば否応なく敵の目を引くことになるだろう。
小さく息を吐き、彼女は胸元のロザリオをギュッと握る。
チェーン自体は随分と新しいが、それにかけられたロザリオは幾分と歴史を感じさせる。
少なくとも十年ほどは作られてから立っているだろう。
これまでも何度か目にしていたものの、少し柔らかい雰囲気を放つ今なら聞けるかもしれない。
「随分と大事にしていると見える」
「……ああ。君にはこれは見せていなかったな」
チャラリ、と音を立ててその手からロザリオがこちらへよく見えるように傾けられる。
物自体に特別な要素は見受けられない。
だが、そのロザリオからはこれまで重ねてきた歴史こそ感じるものの、古さは微塵も見受けられない。
何年、下手をすれば何十年と時を重ねてきているのにも関わらず、そのロザリオにはサビ一つついていないのだ。
銀細工は長く置いておけば置いておくほど錆びやすくなっていく。
にも関わらず錆び一つ浮いていないのは、このアクセサリーに対する思い入れが見受けられる。
……あるいは、執着か。
「私がまだ幼い頃に、弟が見つけて父が買ってくれたものでね。……弟からの、初めてのクリスマスプレゼントだったよ」
「左様か」
「ああ。……最初で、最後のプレゼントだった」
その言葉とともに、ギュウッとその手が力強く握り締められた。
ロザリオが強く、手のひらが赤く赤く変色するほどの強さで握られる。
対して、表情は思ったよりも変わらない。
……いや、変わらないほどその唇は固く、固く噛み締められていた。
「取り戻さなければならないのだよ、どうあっても。私にはそれ以外の熱量が存在しないのだから」
淡々と告げられる言葉。
しかし、その裏側に潜められた熱量はいかほどか。
「……そうか。作戦がうまくいくことを祈らんばかりだ」
「そうだな。だから、君達には働いてもらうぞ」
「構わん。その術式、“根の堅洲国”がきちんと発動するなら」
しかし、ヴァーリとて何もなくこの女性についていっている訳ではない。
ヴァーリにはヴァーリの、この女性にはこの女性の目的があり、互いに互いの利益が被っているからこそ彼らは手を組んでいるに過ぎない。
「……出る。時間は稼いでみせようぞ」
「……そうか。頼んだ」
一言を残し、ヴァーリはその場を後にする。
彼女は静かにこの場を離れゆく男の背中をじっと見つめていた。
(……あの子が何事もなく育っていれば、あのような背格好になっていたのだろうか)
そんなことを考えながら、しかし頭を振る。
たらればには何の意味もない。
この世界には積み上げてきた結果だけが残る。
だがしかし、「もしも」を捨てされうことができずに抗い続けるのが魔導師という存在であることを考えると、この逡巡もきっと間違ってはいないのだろう。
壁に体をもたせかけ、誰もいなくなった暗がりでようやく全身の力を抜く。
自分にできることが一通り終わったからだろうか、ふとした瞬間に随分と懐かしい記憶が滑り込んできた。
……ああ、そうだ。
この記憶を取り戻すために、これまで走り続けてきたのだから。




