思い出すその日まで、
「こんばんは」
神秘に包まれた教会で、一人ハルカの鈴のような声だけが響いた。
「…ハルカ?」
返事はなく、ただじっと、祭壇に目を向けていた。
(何が、見えてるの…)
レイは半歩ハルカに近づいた。
ハルカはそのことにすら気が付かないようで、祭壇の方を見て頷いたり、時折驚いた顔を見せた。
すると、突然レイの方を向き、その手を取る。
「え、な、何?」
「いいからいいから!」
レイは状況が掴めないまま、祭壇の前までハルカに連れられて歩く。
ハルカと繋いだままの右手はまだ薄ぼんやりと発光していた。
「どうするの?」
レイはおずおずと聞いた。
ハルカは数秒、考えてから祭壇の奥を指差して言った。
「祭壇に触ってみてって言ってるの」
「は?大丈夫なの、それ」
「うん、大丈夫!」
多分、と小さくつけたしてハルカは笑う。
「もう、どうなっても知らないから」
レイは訝しげにハルカを見つめ、ため息交じりに言った。
そして意を決したように祭壇を見つめ、その上に手を置いた。
祭壇のレイが触れいている部分に、様々な幾何学模様と文字のようなものが浮かび上がる。
「また、これ」
レイが呟くと同時に星環は、輝きを放った。
強い光に耐えきれず、とっさに目を瞑る。
再びレイが目を開けると祭壇の奥には、何もなかった。
そこに影はなく、形もない。
ただ緩やかに流れる風と、無数に散る宝石を砕いたような光の粒だけが、そこに『何か』がいると静かに告げていた。
「どう?レイ」
呆然と『何か』を見上げているレイにハルカが問いかける。
「…見えない」
けど、と付け足し、ぽつりぽつりと言葉を拾い上げていく。
「確かに、わかる」
ハルカはほっとしたように笑うと、『何か』の方に向き直った。
「ねえ、教えて。これは何ていうの?」
祭壇に浮かび上がる模様を指差した。
輝きは衰えることなく放たれている。
風がわずかにゆらめく。
『――――星環』
高いとも、低いともつかない、不思議な声が続けて言う。
『我々精霊と人間が、同じ星の巡りの中に存在した記憶――――』
その声は耳から入る情報ではなく、頭の中で響いていた。
「せい…かん…?」
聞き馴染みのない言葉をなぞるように、レイは唇だけを動かした。
「あなたは何者なの?」
ハルカは、まっすぐに風を見据えて問いかける。
『――我々は精霊。どこにでも存在するが、どこにも存在しない』
「どういうこと…?」
風が二人の頬を撫でる。
無機質なのに、どこか温かみを感じる風だった。
自らを精霊と名乗る風は、その問いに答えることはなかった。
それから、レイの手に風が流れる。
『聞け、子供らよ――』
気づけば、少しずつ星環の文字は掠れ、光が弱まっていた。
『――星環は、導』
『導は、終着ではない――』
いつしか宙を瞬く星は消え、教会を纏う空気はうっすらと神秘を帯びた色が滲んでいた。
『――星環を辿る者は、世界の始まりに至る』
『終わりを望むなら門を閉ざし、始まりを望むならその門を開け』
微かに流れる風は、次第にその輪郭をぼかしていく。
『世界は失ったのではない』
『思い出される日を、待っている――』
その言葉を最後に、星環の光は消え、風は止んだ。
レイが再び祭壇に手を触れても、何も答えなかった。
教会を満たしていた輝きは、役目を終えたように静かに解けていく。
光が去るたび、ステンドグラスが、祭壇が、椅子や床が、一つずつ元の姿を思い出していく。天窓から差し込む月明かりだけが残り、教会は再び深い静寂に包まれた。
二人はしばらく祭壇の前に立ち尽くした。
名残惜しそうに祭壇に残るレイの手にハルカは自分の手を重ねる。
レイは、無意識に重なる手を見つめた。
そこにはもう、光はなかった。




