仲良くなれたのが、嬉しくて
「危ない!」
背後からぐっと腕を捕まれた。そのまま身体が引っ張られる。はっとしてレイが振り返ると、目を丸くし驚愕に表情を失っているカレンの姿があった。
「あ、カレンさん……」
「レイちゃん、危ないって」
「え……?」
「そこ、床が崩れてる」
カレンが指さす先を見る。
「――あ」
レイの背筋が凍る。綺麗に舗装された床に見えていた場所。その下は、現実では崩れかけていたのだ。足をわずかに動かすと小石が滑り落ちていく。深い谷というわけではないが、受け身を取らずに落ちたことを想像すると、身の毛がよだつ。
カレンの目には今も古びた駅舎しか映っていない。『綺麗に整えられた地面』に見えているのは、レイとハルカだけだということに、遅れて気がついた。
ハルカもレイと同様にそれに気づいたようで、目をわずかに見開いて動けずにいた。
「……あり、がとう」
ようやく、それだけを口にした。レイがそういったときには、辺りを包んでいた光の糸は、少しずつその勢力を弱めていた。人々のざわめきも遠ざかるように小さくなっている。
「もう、レイちゃんまで……二人のところに行こうと思ったら、ぼうっと歩いてるんだもん。びっくりしちゃったよ」
「はは。つい、景色に見入っちゃって」
レイは笑って誤魔化した。けれど、まだ頭の中は現実へ戻りきっていなかった。夢と現の間にいるような感覚でいる。レイはゆっくりと呼吸をして、少しずつ思考を現実に合わせていく。
「そんなに綺麗な景色に見えるの?」
「え?」
思わず聞き返した。
「ああ、うん。こんな大きな古い建物の中なんて中々入れないから……」
「へえ、そうなんだ」
カレンは首を傾げたものの、レイの言葉に納得したようでそれ以上深く考えなかった。
「ごめん、レイ。私も気をつけて見ればよかった」
ハルカも慌てて二人のとろこへ駆け寄ってくる。
「もう。二人とも、足元ちゃんと見てよね」
「ごめん、気をつける」
「はあい」
カレンは腰に手を当て、口を尖らせた。まるで先生に叱られているかのように小さくなる二人を見ると、くすりと笑う。
「やだ、これじゃ先生みたいじゃん。やめやめ、ほら二人とも疲れてるんだよ。入り口の方に戻ろ」
あちゃあ、と何か内省をして、カレンは首を横に大きくふると、何事もなかったように歩き初めた。
レイはほっと胸をなでおろす。
「危なかった……」
ハルカも「うん」と小さく頷いた。
レイはまだわずかに光っている右手を見つめる。そして、骨組みだけのドーム状の天井へと手をかざした。そこにはまだ、ぼんやりと光の輪が浮かび、陽の光と溶け合っていた。その存在はさらに薄まっていく。
「……委員長には――」
言葉を続ける前に、崩れかけた床の光景が脳裏をよぎった。もしも、あのときカレンが腕を引いてくれなかったら、自分はどうなっていたのだろうと想像し、寒気がする。
「レイ?」
ハルカの声に、レイは我に返った。続きかけた言葉を振り払う。
「……何でもない。ほら、置いてかれちゃう。行こう、ハルカ」
「うん」
二人はカレンの後を追った。
来た道を辿り、入口に戻ってきた。カレンが、がちゃんと鍵をかけ直す。
「カレンさん、今日はありがとう。その、助けてくれたことも……」
「やだなあ、二日間も一緒に遊んでおいて他人行儀な。カレンでいいよ。私も二人の事呼び捨てにさせて?」
鍵を鞄にしまい、振り返ったカレンは、いつもの明るい笑顔を浮かべていた。
「こちらこそ、楽しかった。いやあ、二人共やっぱり面白いね。また何か面白いものあったら一緒に見に行こうよ」
「ええ!? いいの?」
「いいのいいの。この辺りの施設のことなら任せて」
カレンが胸を張る。
「……っていっても私の力じゃなくて、主におじさんから教えてもらうんだけどね」
そう言うと、小さく舌を見せて笑った。
カレンが歩き始め、ハルカとレイはその後を歩く。二人は何度か視線と交わしたが、駅舎を出てしばらくの間は誰もプラットフォームでの出来事について口にしなかった。
前を歩くカレンはその様子を知ってか、知らずか、大きく伸びをする。
「ううん、それにしても疲れたわねえ」
「え、カレンって疲れるの?」
「何? ハルカ私のことなんだと思ってるのよ」
素直に驚くハルカにカレンは睨む。
「まあ、いいわ。私だって人間なんだからこんだけ動いたら疲れるんだよ?」
少し不満そうに頬を膨らませるカレンを見て、レイはくすくすと笑った。
「カレンって、意外と子どもっぽいところあるよね」
「意外とって何よ」
訝しげにレイをじっと見つめる。
「うん。満場一致の推薦で委員長になってたから、ずっとしっかり者でいるのかと思ってた」
「カレンもちゃんと人間で安心したんだな、ってわかって嬉しいんだよね」
ハルカが訳知り顔で言うと、カレンは拗ねたような顔になった。
「ええ……褒めてるんだよね?」
「どうだろ」
レイは朝の仕返しだというように、悪戯っぽく笑うのだった。
「ところでカレンってさ」
ハルカが口を挟む。
「なに?」
「昨日の今日で来てくれたじゃん。こういう古い場所、好きなの?」
カレンはわずかに逡巡する。言葉を選んでいるというよりは、どう伝えたら良いかと考えている風だった。
「うちの親戚ってさ、なんていうか人前に立ったり、引っ張っていったりするのが好きな人が多くて」
語り始めた言葉に二人は「納得」というように大きく頷く。
「子どもの時からいろんな場所に連れて行ってもらってたんだよね。それで古い建物とか、美術品とか、誰が作ったんだろう、何で作ったんだろう、どんなことがあったんだろう、って考えるのが習慣になったっていうか……」
徐々にポカンとし始めるハルカと、徐々に力強く頷くレイ。それを見てカレンは、頬をぽりぽりとかきながら少し照れたように笑った。
「まあ、だから一応好きってことでいいのかな」
そう話すカレンの表情は、学校で見るものとは少し違っていた。委員長として人の前に立っているときより、ずっと楽しそうだった。
「じゃあ、今日読んでくれたのも?」
「半分は、私が見たかったから」
「半分なの?」
「そう、半分。だって一人で行くの寂しいじゃん」
ハルカの質問に、今度はあっさりと答える。
「こういうところって、一人で行くよりも誰かと『すごいね』って言いながら見る方が面白いじゃん」
「なるほど」
「だから、昨日の二人見た時ビビッと来たんだよね。この二人は『何か違う』かもってね」
「それって私たちが変人ってこと?」
レイが眉根を寄せる。
「うん。……え、もしかして『普通』だと思ってる?」
さも当然のように肯定したカレンに、愕然とした表情を見せる。
「嘘……」
「ハルカはともかく、レイって成績トップクラスで良いのに、部活やってないし、サボりもするし……こんな感じで『それ、提出期限いつ?』とか『そこ、違うと思うけど』とか言うじゃない?」
カレンはレイの真似をするように、少しだけ眉根を寄せて声のトーンを落とした。
「……そんな言い方してない」
レイが不機嫌そうに抗議する。
「してるしてる」
「してない」
「してるよね、ハルカ」
そう聞かれたハルカは、お腹を抱えて笑いを堪えていた。
「ハルカに聞くのはずるいじゃん」
「じゃあ、自覚あるんだ」
「してないって」
「わあ、怒ったあ」
三人の笑い声が田舎道に溶ける。
レイは呆れたように息を吐くと、
「カレンも結構失礼。私、帰る」
小さく頬を膨らませて歩調をはやめた。
「ごめんごめん。仲良くなれたのが嬉しくて。……て言うか、今みんなで帰ってるでしょ」
二人はレイの横について歩く。
少女たちの笑い声と共に、街並みは次第に賑やかになっていく。人の声が聞こえ、車が走り、駅前には明るい看板が並び始めた。そして、さっきまでいた古い駅舎とは違う、今の時代の形に建て替えている駅。
レイは、ようやく現実味を帯びてきたように感じた。




