世界が忘れてしまったものが見つかりますように。
レイの指が触れた瞬間、教会の空気に一粒の雫が落ち、揺らいだ。風が吹くでも、地面が揺れるでもなく、水鏡に波紋が広がるように世界の輪郭がぼやけはじめる。
「何だ……これは……」
そう呟くとエリオは自分の目を疑うように、何度も瞬きをした。
本のページから水しぶきのように光の粒が弾け、四人を包むように揺蕩う。レイはその光の粒を指先ですくおうとして空を切った。その様子をシエラはじっと見つめていた。透き通るようなその瞳には、浮遊する煌めきをいくつも閉じ込めている。
「……幻……ということでしょうか」
レイはわずかに青白く発光する掌を、まるで自分のものではなくなってしまったかのように見つめた。
「綺麗……すごい……!すごいよレイ!」
目を輝かせながらレイに飛びつく。それでもレイの視線は自分の手と本を行き来していた。
「ねえハルカ、見て」
呼びかけられたハルカは、落ち着いた口調のレイの横顔を見つめる。透き通る白い肌に青白い光が反射し、神秘的だと思った。遅れてレイの指が示す挿絵へ視線を移した。
「あれ?さっきまで掠れて見えなかったところが……」
ハルカの言葉を受け、レイは小さく頷いた。それが合図だったかのように、エリオとシエラの視線も集まる。
数分前まで掠れたインクで描かれていた模様が水面のような青い光で繋がっていく。やがて複雑な模様と記号のような文字を描き元の姿を浮かび上がらせた。
紋様が完成すると同時にシエラの表情がわずかに曇った。
「……この模様は――」
その声は雨音に流され消えていく。
「え?雨……?」
「ああ、そうらしい。だが、これも幻影か……」
「何か濡れないって変ですね」
「……え?ええ。そうですね。ですが神秘的で美しいですね」
シエラはわずかに遅れて雨の存在に気づく。無数の細い白い糸が、四人の身体を濡らすことなく降り続いていた。それだけで、目の前の光景が現実でないことを強く実感させた。
次第に雨音は遠くなり、レイの掌や紋様を描き出した光は弱まっていった。
光は完全に消えると、四人は胸に詰まっていた息を小さく吐き出した。
「……まるで魔法のような時間でした」
初めに口を開いたのはシエラだった。その表情はいつものように穏やかでありながら、満足げだった。
「疑っていたわけではないが、こうして目の当たりにすると……何というか、形容し難い感覚になるな……」
「お二人とも、ありがとうございます」
シエラは二人に向け、深々と頭を下げる。それに対しハルカもレイも慌てて腕や首を横にふった。
「ちょっと待ってください!」
「そんな、頭をさげられるようなことじゃ……」
「いいえ」
シエラはゆっくりと顔を挙げると、その宝石のような碧い瞳をまっすぐ向ける。
「私たちにとって、とても大切なことです」
静かな声だった。レイはその眼差しに、いつもの微笑みとは少し違う何かが宿っていると思った。
「自分の目で見て、確かめることが何より重要なことなのです。お二人がいなければ、きっと私たちはこの光景を見ることはできなかったことでしょう。だから、お礼が伝えたかったのです」
「そんな……」
ハルカは困ったように笑う。レイもなんて返そうかと視線を泳がせた。それから、一度目をつむると、一つ呼吸を落とした。
「私たちは、まだ何が何だか全然わかってないです。きっとこうして魔法が見られるようになったことも偶然で、すごいことをしてるわけじゃないんです。むしろシエラさんたちがアドバイスをくれたおかげで、ちょっと整理できたっていうか……」
レイはうまく言葉が続けられずに苦い笑いをする。
「ええ。『何が何だか分からない』それを、それぞれが頭を捻って考えて、探すことができる。とっても素敵なことですね」
鈴のような声と春の陽のような笑顔。レイもハルカも自分の心がわずかに高揚したように感じる。
「これからも、お二人と一緒に探してもよろしいですか?」
「こちらこそ、是非お願いします!」
レイは迷いなく頷いた。そして、心の中で小さく呟く。
――世界が忘れてしまったものが見つかりますように。




