おかえりなさい
「ただいま戻りました」
静かな教会の天井に、よく通る声が響いた。その涼やかな表情には、シエラのもとへ戻れたことへの喜びが微かに滲み出ている。
蝶番の軋む音に誘われるようにして、祭壇の前に立っていたシエラがゆっくりと振り返った。
「三人とも、おかえりなさい」
穏やかな笑みをたたえる彼女のすぐ傍ら。祭壇の上には、以前ハルカが見つけたあの赤い装丁の本が鎮座していた。
「シエラさん、もう用事は大丈夫なんですか?」
ハルカが尋ねるとシエラは「ええ」と優しく微笑んで返す。彼女に促されるまま近くの長椅子へ腰を下ろすと、エリオは植物園で調べたことの要点をつまんで説明し始めた。
シエラは時々静かに考える様子を見せながら、耳を傾ける。
「――そうでしたか。やはりその木にも同じような刻印が……」
「やはり?」
あらかじめ結果を知っていたかのような彼女の言葉に、レイは首を傾げた。シエラは少し気まずそうに息を漏らすと、祭壇から赤い本を持ち上げ長椅子まで降りる。三人の近くに腰をおろし、本を膝の上にのせた。
「実は先ほどふと思い出して……お二人が見つけてくださったこの本を見ていたのです」
「見ていた……?」
「ええ。この表紙の字、そして中に描かれている挿絵……」
長い睫毛をわずかに伏せると、光を受けきらきらと輝かせた。表紙の金字を一度撫でた後、薄いページを指先で静かに捲っていく。ちょうど半分ほどまで進んだところで手を止め、レイたちに見せるように本を傾けた。開かれたページをじっと覗き込んだレイが、はっと目を見張り顔を上げた。
「もしかして、これ……祭壇と木にあった模様と同じってことですか」
レイが尋ねると、シエラはその碧い瞳をまっすぐ向けた。
「私は、そう推測しています」
これまで沈黙を貫いていたハルカが小さく喉を鳴らした。レイはそれを見逃さずに彼女の方をへ目を向けた。
「ハルカ?」
「……あっ、ごめん。このページなんだろう、ちょっと……」
彼女が独り言のように言葉を漏らす姿に違和感を覚えたのか、エリオとシエラも顔を見合わせて視線を集める。すると、シエラの指先がふわりとぬるい風が抜けた。
レイはハルカの淡い瞳を捉え、「ハルカ、もしかして」と先に続く言葉を見つける前に聞いた。
「何か、聞こえるという話か?」
エリオが尋ねると、ハルカは小さく首を横にふった。
「いえ、聞こえないです。だから、多分ほんとに変なだけだと思います……えへへ、すみません」
ハルカは眉を下げ笑う。それを見てシエラは安心させるように微笑んだ。
「誤魔化さなくても大丈夫ですよ」
そう言うと、レイへ同意を求めるように笑顔を向けた。レイもそれに対して力強く頷く。
「この本見つけたのもハルカだったよね」
「え?う、うん……」
「じゃあレイ、このページを触ってみろ」
腕を組むと、レイを見て言い放った。レイは顔をしかめ、その言葉を手で払うように振り落とすまねをする。
「エリオに言われるとちょっと……」
「何だと?」
「ふふ、エリオも勉強ですね。レイさん、お願いできますか?私もエリオと同意見です。きっとハルカさんが何かを感じ取り、それをレイさんが触れることで奇跡が起きる……もし何も起きなければ――」
「起きなければ……?」
ハルカとレイはごくりと喉を鳴らした。
「また考え直せばいいのです」
両手を握り顔の横に置くと、ぱっと花が開いたように笑う。二人はあっけに取られると、自分の肩の力が抜けていることに気づいた。
「じゃあ、レイ。お願い!多分この絵の方だと思う」
ハルカはいつもの鈴を転がしたような弾んだ声で言った。それに応えるように、瞳を細めると「わかった」と柔らかく微笑むと、本の挿絵に目をやる。複雑に入り組んだ幾何学模様と、その中心にも何かが描かれた跡が残っている。改めて見ると、その褪せたインクと黄ばんだ紙面が歴史の長さを感じさせた。
シエラの抱えた本の前に立つと、ゆっくり右手を開いた。シエラとエリオは固唾を呑んで彼女の一挙手一投足を逃すまいと見つめている。
「じゃあ、行きます」
レイの白く細身の指先が、ざらりとした羊皮紙に触れた。




