何かわかったの?
レイとハルカの通う学校は、一歩足を踏み入れれば容易に方向感覚を失ってしまうほどの広大な敷地を誇っている。緑豊かな学び舎になるようにと多くの植物や木を植えたようで、中等部と高等部は小さな林を境に地続きになっている。大通りを二本挟んだ向かいには系列の大学施設が鎮座しており、ハルカの兄もここに通っている。
そのため中等部、高等部それぞれに正門があり、東門や西門、職員用通用門など複数の入口があった。そのあまりの複雑さに、着任したばかりの教師がいつになっても道を覚えられないということは常だった。さらには迷い倒れてノイローゼ気味になった新任教師がいるという噂もまことしやかに囁かれている。
レイたち三人は高等部用の部活棟にほど近い裏手の門から入った。すでに昼休みを少し過ぎた時間帯ということもあり、立ち並ぶ部室の窓に人の気配はなくあたりはしんと静まり返っている。
「……なぜ正面から入らないんだ」
足を止めたエリオが解せないといった表情で眉をひそめた。
「…………」
二人は静かに彼の全身を上から下までじっと見つめる。そして示し合わせたように揃って小さなため息をついた。ここに着くまでの道中、すれ違う女性の黄色い視線がどれほど痛烈に突き刺さっていたか、当の本人には全く自覚がないようだ。グレージュのカーディガンを品よく着こなした彼は、落ち着いている裏門から入らなければ余計な騒ぎを引き起こしかねない。
「人の顔を見てため息をつくな。正当に入る理由なら用意していたというのに……」
「はいはい。行きますよ〜」
部活棟とは反対の道に抜け、校舎裏にある植物園へと足を進める。
ハルカは慎重に植物園の扉に手を掛けると、ガラスの扉はガチャリと音をたてて開いた。
「不用心だな」
「手入れをするから休みの日も空けてるんだって」
「それは勤勉な」
植物園の中に人の姿はなかった。区画を分ける部屋を通るたび、エリオは珍しい植物に興味を惹かれるのか「ほお」と息を漏らすと足を止めかけた。そのたびに二人は彼の袖を引っ張り半ば引きずるようにして先を急いだ。
「ここか……」
目的の区画には、木々の隙間から差し込む木漏れ日が踊るように揺らめいていた。人目につきにくい木々の先には巨木だひっそりと佇んでいた。
「この木は、また随分と古いな……」
エリオは大樹を眺めると感嘆の息をもらした。
見上げるレイに向かい、ハルカが確認するように視線を送った。
「えっと、たしかここに立って、この木に触ったんだよね。そしたら周りの景色が変わって……」
レイが木に触れ、指示を仰ぐようにエリオへ目をやる。エリオは腕を組んでわずかに思考を巡らせていた。やがて木の幹を隅々まで見ていく。周囲をぐるりと一周した彼の足が止まった。そのまま見上げると、人一人分ほどの太さの幹が大きく二つに捻じれながら分かれている部分があった。
数歩下がると、ぐっと足に力を込めた。それからとんと飛び出し、幹の出っ張っている部分に手を掛ける。
「うぇ!?何やってんの?」
ハルカの声など耳に入っていないかのように、エリオはひょいひょいと軽快に指や足を引っ掛けて登っていく。あっという間に二股に分かれている幹のところまで登り詰めると、彼は木肌の手触りを確かめるように手でなぞりながらまた観察を始めた。少し目線を上げ、めくれた木肌の隙間を覗き込んだエリオは、そこに何かを彫った不自然な跡があることに気づいた。
「やはりか……」
下で待つ二人は、どんどん木の上に登っていくエリオを眺めていた。そのあまりの機敏さに開いた口が塞がらないでいた。
「うわあ……」
「あの感じで野生児とは……」
「エリオ〜〜危ないから早く降りてきなよ〜〜」
下からハルカが声を掛けると、エリオは返事代わりに躊躇いなく足場を離れ、とんと飛び降りてみせた。
「うわあ!」
ハルカは引きつった叫び声をあげた。
「結構な高さだけど……この人ほんとに人間なの」
二人の背を軽く越す高さからの着地にも関わらず、当の本人は涼しい顔のままスラックスについた木屑を払っている。
「……それで何かわかったの?」
あまりにマイペースなエリオに半ばあきらめた様子で、ハルカが尋ねる。エリオは「確証はないが…」と前置きをして口を開いた。彼の視線が静かにレイへと注がれる。
「お前が一人の時にこことは違う景色が見えたんだな。そして、後から二人で来ても何も起きなかった」
「そうだけど……」
「レイがこの刻印がある物に触れることで、この現象が起きるということだ。そして、それに再現性はない」
エリオは淡々とした口調のまま言葉を重ねる。
「現に、お前は何も聴くことはできなかったんだろう」
「う、うん」
「そうとわかればすぐにシエラ様に報告に戻るぞ。一分一秒でも惜しい」
言い切るやいなや、エリオはすたすたと踵を返し、迷いのない足取りで来た道をもどり始めた。




