いただきます!
静かな教室にいると鉛筆と時計の秒針の音が、いやに耳に残る。
レイはテストを裏返してぼんやりとグラウンドを眺めていた。外ではどこかのクラスが男女分かれて陸上競技に勤しんでいた。数人の女子生徒が反面で高跳びをしている男子生徒の方を見つめている様子をじっと眺めていると、視界の端でハルカが机に伏せたのが見えた。
(あの様子じゃアウトっぽいな……)
昨日見つけたパティスリーの予約は、学校が終わって少しゆっくり行けば丁度良い時間に設定していた。しかしハルカが赤点を取って補修になってしまうと、確実に間に合わないのだ。そこまで考えてなかったな、と小さく息を吐き出すと「そこまで。後ろから前にプリント回してください」という指示を出した。
*
「ハルカ、どうだった?」
授業が終わると、レイはハルカに声をかけた。ハルカは少し眠たそうにあくびを噛み殺しながら苦い表情を見せた。
「レイ……私やばいかも……」
やっぱりか――と、心の中でつぶやきながら、予約を取り消そうとスマホをポケットから出す前に、ハルカが続ける。
「私……完璧かもしれない……」
「――は?」
レイはうっかりスマホを落としそうになり、慌てて握り直す。苦い表情に見えたハルカの顔は、テストがあまりによくできたことへの動揺だったようだ。
昼休みに歴史の先生が教室に入ってくると、プリントを一枚黒板に張った。
「定期試験まで時間がないからな。40点以下の者は放課後補修をするぞ」
きっちりとした「鉄の女」のような雰囲気を纏う先生の言葉は、昼休みで浮つく教室の空気を引き締めた。他の先生が相手であれば、昼休みにテスト返しをすることへの反感が湧き上がるのだが、生徒の誰も先生に抗議することはなかった。
順に名前を呼ばれていき、レイの答案も返された。
「ま、こんなもんだよね」
そう呟くと、90点のテストを机にしまって、周りを見渡す。
教室の中は頭を抱えたり、大喜びしていたり、いそいそと昼休みに入っていたりと、徐々に騒がしくなっていった。
ついにハルカの番になり、先生からテストを受け取る。レイは二人が言葉を交わしている様子をじっと眺めていると、ハルカは一度礼をしてそのまま駆け寄った。
「レイ!見て!」
「なっ――」
ハルカは破れてしまうのではないかと思うほどに勢いよくテストを見せた。
そこに書いてあった点数を見て、レイは言葉を失った。
「ま、満点……」
「私はじめてだよ!こんな点数!レイありがとう!!」
口をパクパクさせているレイと、飛び跳ねて喜ぶハルカ。こうして、二人は予約を取り消すことなく放課後の寄り道へ繰り出す権利を手に入れたのだった。
*
「それにしても補修免除どころか、大勝利だったね」
放課後、二人は並んで座り電車に揺られていた。ハルカは窓枠に頭をあずけるようにして座りながら、あくびをする。その横顔をオレンジ色の光が照らしていた。
「本当によかった〜」
そういうとまたあくびをした。
「眠いの?」
「ん〜……ちょっとだけ。でもケーキ食べるまで絶対寝ない!」
そう意気込む瞳の下には、うっすらと影が見える。昨夜のハルカの努力する姿を想像すると、レイは眉を下げて微笑んだ。
「倒れられても困るから、着くまで寄りかかっていいよ」
そう言うとレイは少し肩を寄せた。ハルカはその優しさに、甘え「ありがとー……」とふにゃりと口元を緩める。目をとろりとさせ、そのまますぐに寝息を立てた。
「何、食べようかなあ……」
ハルカの体温を感じながら、レイは小さくつぶやいた。
車窓に流れる電線を眺め、いくつか駅を超えると目的の駅に停車した。
「ハルカ、起きて」
ドアが開く前に、自分の肩で眠るハルカを揺らす。
「ん……ついたぁ?」
「うん。立てる?」
レイは先に立ち上がり、手を差し出す。ハルカがぼんやりとしながらその手を握ると、少しだけ引っ張った。
ホームに降り立つと、ハルカは大きく伸びをして「めっちゃ元気になった!!」と、両手を上げて、目をキラキラと輝かせた。
「良かった。じゃあ、行こっか」
二人は駅を抜けると商店街を歩く。目的のパティスリーの前に立つ。白を貴重としたドアのガラスには『Patisserie Etoile』と書かれている。
中に入るとすぐ目の前のショーケースに色とりどりのケーキや焼き菓子が並んでいた。ハルカは更に目を輝かせてケーキを眺めている内に、レイが店員とスマホの画面を見せた。「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」と、予約の札が置いてある二人掛けのテーブルに案内された。
たくさんのケーキの中から、ハルカは『たっぷりベリータルト』を、レイは『チョコレートカフェオペラ』を選んだ。
「うわあ……!すごい美味しそう……!」
目の前に運ばれてきたケーキを前にハルカが喜びの言葉を漏らすと、すぐさまカトラリーに手を伸ばした。
「優雅にいただく……なんて、今の私には無理!!いただきます!」
ハルカはケーキを一口大に切り分けると、口に運ぶ。その瞬間、甘酸っぱいラズベリーソースと濃厚なクリームの甘みが口いっぱいに広がる。思わずそのまま溶けてしまいそうなほどの、幸せな表情を浮かべた。
「もう、ハルカってば。本当に美味しそうに食べるね。……いただきます」
子どものようにケーキを頬張る姿を見ながら、レイも遅れて食べ始める。
「ん、ほんとに美味しい。下の方に焦がしキャラメルが混ぜ込まれてる……」
レイは目を見開いて、口いっぱいに広がる甘くほろ苦いコーヒーとキャラメルの香りを楽しんでいた。
「ね!ここのお店、大当たりすぎる!」
「明日の手土産も決まりだね」
ひとしきり賑やかにフォークを動かしたあと、ハルカは紅茶のカップを置いた。そして満足そうにふう、と息をついた。
「ねえ、レイ。明日のことなんだけど……」
ハルカはテーブル越しに身を乗り出し、少し声を潜めて言った。
「シエラさんたち、やっぱり何か……言えないこととか、あるのかな?」
「どうなんだろう。多分、全部を話してくれたわけじゃないのは確かだと思う」
レイは、残りの紅茶に視線を落とすと静かに言葉を紡ぐ。
「だよね〜……。でも悪い人たちには見えないよね。シエラさんなんてすっごく優しいもん」
「そうだね。……まあ、私たちだって最初は魔法……のこと隠しちゃってたし。きっとあの二人にも何か、簡単には人に言えない事情があるのかもしれないね」
「うん。……でも、一緒に考えてくれて嬉しかったな」
ハルカは椅子に深く座り直すと、小さくつぶやいた。そして、レイの目を見て、「明日、楽しみだね」と笑った。
二人で顔を見合わせて、くすりと笑い合う。甘い焼き菓子と紅茶の香りに満ちた店内で、ゆっくりと特別な放課後の時間を過ごした。




