わからない
レイは自分の胸の鼓動が、静かな室内で大きく響いているような気がしていた。言葉を選ぼうとするほど、何から話せばよいのかわからなくなっていた。
「信じてもらえるか、わからないんですけど……」
少し怯えたような表情を見せるレイを見ると、シエラはお茶を淹れていた手を止め、その瞳をしっかりと捉えた。
「お聞きしましょう」
「……」
エリオもシエラの一歩後ろに控え、二人をじっと見つめる。その視線を感じるだけで肩に力が入っていく。ハルカはレイの背に手を当てると、小さく頷いた。ブレザー越し伝わる温かさに、張り詰めていた心がほんの少しほどけた。
「さあ、立ち話というわけにはいかなそうですから、どうぞお掛けください。ハーブティーも丁度良い頃合いです」
二人はシエラに促されるままテーブルにつく。流れるようなやわらかな手つきで淡い蜂蜜色のお茶を注ぐ。湯気とともに立ち上る芳醇な香りで書庫の空気が和んでいった。
「さて、では伺いましょう。……二人が私にお話をしてくださるなんて、嬉しいです。ねえ、エリオ」
「私は別に……」
「まあ、素直じゃないのね」
くすりとシエラが笑うと、エリオはふいと視線を逸らした。
優しいお茶会の雰囲気の中、声を上げたのはハルカだった。
「ええと、ごめんなさい!」
テーブルに頭をぶつけてしまいそうなほど勢いよく頭を下げる。
あまりの唐突な謝罪に三人は目を瞬かせ、ぽかんと口を開ける。
「ええと、ハルカさん?一体どうされ――」
シエラが困ったように、おろおろと指先をうろつかせていると、今度はガバリと頭を上げた。
「実は二人に会った前の日、私たちこの教会に勝手に入ってしまって……」
ハルカが最後まで言い終わると同時に、レイもすみません、と頭を下げた。神妙な面持ちの二人を見て、シエラは一度首を傾げると、エリオに視線を送る。
「まあ、おかしいですね。私たち礼拝堂を出る時は基本的に施錠をしているのですよ」
「はい。いくら治安の良いエリアとはいえ、普段から必ず鍵をかけています」
ハルカたちの困惑など知る由もなく淡々と、さも当たり前のように話した。
「え、でもあの日、ドアも少し開いていたよね」
「うん。言い訳みたいになってしまうんですけど、それで入っても良いのかなって思っちゃって……」
噛み合わないまま空回りする会話を断ち切るように、エリオの静かな声が落ちた。
「それは事実か?」
問いとともに、眼鏡の奥からハルカとレイを射抜く。レイは緊張を押し返すように「は、はい」と答えた。
「エリオ。……それで、その後なにかあったのですか?」
静止画のように固まる書庫の空気を、シエラの言葉が動かした。
「ええと……綺麗な教会だなって思って、それで中を見て回って……」
「そしたら、急にすごい強い風が吹いてきて……」
レイとハルカは顔を見合わせながら、代わる代わる思い出すように言葉を紡いでいく。今思い返しても、あれが現実だったとは信じがたい出来事だった。
「ちょ、ちょっと待て。教会の中でか?」
エリオは額に手を当て、眉間にしわを寄せる。そして二人を制するように反対の手を出した。彼の様子は疑っているというより、話の内容を整理しきれない様子だった。それでも突拍子もないことだと分かっているレイは「信じてもらえない、ですよね」と呟く。自分が同じ立場だったら、きっと同じ反応をしていただろう。教会の中で突風が吹いたなんて信じろという方が無理な話だ。
「驚くのもわかりますが、お二人の話を最後まで聞きましょう。ね?」
どんな言葉も優しく受け止めるシエラは、咎めるでも諭すでもなくエリオを見る。
「は、はい」
「お怪我はされなかったんですか」
「はい。でも……」
レイの言葉が詰まる。ここから先は、自分にはわからないことだった。先に声が聞こえていたのはハルカだった。どこから、どう話せば良いのか迷い、助けを求めるようにハルカを見た。
「……あの、私が、不思議な声を聞いたんです」
その視線を受け取るように、ハルカ続けた。
「声?」
シエラは首を傾げる。
「教会全体に響いているような、でも耳元で話しているような」
「男のような、女のようなどっちど言えない声でした」
2人の説明を聞いたエリオは腕を組み、小さく息をつく。
「ますますわからんな」
レイとハルカは顔を見合わせた。
「それで、あの、これが一番怒られそうなんですけど」
祭壇に近づいた時の様子を思い出し、恐る恐るエリオを窺う。
「祭壇を触ってしまって」
「祭壇を?」
その声は驚いている様子ではあったが、責めるような声音ではなかった。
「はい。祭壇を触るように言われたんです。はじめはハルカしか聞こえなかった声が、私にも聞こえて」
「そうですか…」
「本当にすみません!大切なものだということは何となく分かっていたんですけど、興味が湧いてしまって!」
「ええ、そうでしたか。もちろん大切なものではありますが、別に触られて困るものでも……」
「え?」
思わずレイとハルカの声が重なる。
「?」
その様子を見てシエラも首を傾げた。
「でも」
二人の視線がエリオに集まる。それを追うようにシエラもエリオを見つめる。
「エリオ……」
「す、すみません。あのときはつい。信用に足る者かどうかも定かではありませんでしたし……」
エリオの声が言葉を続けるほど、細く小さくなっていく。シエラは困ったように微笑み、小さく肩をすくめた。
「二人とも心配をおかけしてしまいましたね。エリオは少し警戒心が強いもので……」
「し、シエラ様」
先ほどまでの毅然とした姿はどこにいったのか、気まずそうに視線を泳がせる。最後には居心地が悪そうに咳払いを一つした。その様子にレイとハルカの方からもようやく力が抜けていった。
「では今のお話を整理しましょう」
シエラはティーカップへそっと視線を落とし、一度思考を巡らせるように瞼を閉じた。
「まずお二人は、施錠されているはずの教会に入りました、そして突然強い風に見舞われた」
指を一本立てて、続ける。
「その後、ハルカさんだけに聞こえていた声が、祭壇に触れることでレイさんにも聞こえるようになった。ここまでは間違いありませんか?」
「はい」
二人が揃って頷いた。そして、レイは「あの」と、遠慮がちに手を上げた。三人の視線を受けると、少しだけ躊躇うように口を開いた。
「実は、その不思議なことが、学校でも起きたんです……」
ハルカが立ち上がる。
「私たちだけじゃ、もうどうしようもなくてお二人に相談しに来たんです」
その声には、安堵とまだ消えない不安が入り混じっていた。




