別に言わせとけばいいじゃん
部活動に向かう生徒たちの声も少しずつ遠ざかり、住宅街へ続く坂道は二人の足音だけが響いていた。
夕方の風は昼間よりも少し冷たく、制服の裾をゆっくりと揺らしている。
「タケちゃんってば、本当に容赦ないんだから」
「まあ、寝ちゃった私たちにも非はあるんだし」
午後の授業を寝て過ごした上に、移動教室をすっぽかした罪は想像以上に重かった。
「タケちゃんってば、自分は職員室に残って仕事して、うちらに『あれ持ってこい、これ持ってこい』ってさあ」
眉根をぐっと寄せ、肩を張ってハルカは言う。
「それ、先生の真似?」
「そう。似てない?」
「似てない」
「え〜、厳し〜」
下り坂に差しかかった頃、レイは少し歩調を緩めた。
「昨日のことだけどさ」
レイが前を向いたまま口を開く。
「ん?」
ハルカは首をかしげ、半歩後ろのレイを振り返る。
「昨日、なんか言ってたよね」
ハルカの足が止まった。
「え?」
「風のとき」
返事はない。
ハルカは少しだけ視線を落とした。
「……」
二人の間に沈黙が落ちる。
遠くを走る電車の音がやけに大きく聞こえた。
「なんかさ、」
ぽつりをハルカが口を開く。
「なんか、風が変なんだよね」
「どういうこと?昨日の魔法の話の続き?」
「違くてさ。なんか…超感覚的なんだけど」
言葉を探すように、空を見上げる。
黄昏の風が、ハルカの髪を揺らした。
それから数歩歩いて、立ち止まる。
「例えば、ここ」
ぬるい風が足元を抜けた。
「ほら、この風」
ハルカはゆっくりと目を閉じる。
「なんていうんだろ。告白して振られた〜…みたいな。そんなもやっとした感じ?」
「私に聞かないでよ」
レイは思わず苦笑する。
「レイならわかるかな〜って」
えへへ、とハルカは頭をかいて笑った。
その笑い方を、レイは知っている。
ハルカは困っているとき、誤魔化したいとき、少しだけ傷ついているとき、こうして笑う。
「ハルカさ、そういうこと」
レイが口を開くと、ハルカの肩がぴくりと揺れた。
「そういうこと、私以外に言わないよね」
レイは口にしてから、存外意地悪だなと思う。
その言葉にハルカは目を丸くし、それから静かに目を伏せた。
「……うん」
「なんで?」
「だって、みんな変な子って言うし」
ハルカはまた笑う。いつもの明るい笑顔。
でもその奥にほんの僅かに影を落としていた。
「バカにするじゃん。まあ、バカなんだけど」
風が二人を優しく包む。木々が揺れさらさらを音を立てた。
レイはしばらく黙ったまま歩き出した。ハルカも少し遅れてそれに続く。
そして、レイは徐ろに口を開く。
「別に言わせとけばいいじゃん?」
「え?」
「その、『さみしい風』ってやつ。ハルカにしかわかんないんでしょ」
「…うん」
「だったら、別にいいじゃん」
レイは足を止めて振り返る。
深い藍で縁取られた瞳は、色素の薄いハルカの瞳をまっすぐ射抜いた。
「ハルカにはわかるんでしょ?」
夕日が二人の影を長く伸ばしていた。
「それでいいじゃん」
しばらくして、ハルカは小さく笑った。
「……レイって、たまにすごいこと言うよね」
「たまにだと〜?」
「ううん、いつも!」
夕暮れの空には、いつの間にか藍を混ざり始めていた。ぽつりぽつりを空に白く輝く星が姿を見せる。
夜風をはらんだ空気はわずかに冷たく、それでいてどこかやわらかかった。
「はあ〜〜。すっきりした!」
ハルカは大きく両腕を伸ばした。
ついさっきまで沈んでいたのが嘘のような晴れやかな顔。
「びっくりしたなあ、もう」
レイが呆れたように言うと、ハルカはえへへ、と笑った。
「ありがとう、レイ」
そう言って、ハルカは振り返る。
わずかに残る夕陽の残光を背に笑うハルカは眩しいくらいにまっすぐだった。
「レイと会えて幸せだよ」
一瞬、時間が止まった気がした。
(何でもないことみたいに言うくせに)
「何なの突然…」
レイは視線を逸らした。
「…ほら、今日は駅の中にできた新しいクレープ屋、行くんでしょ」
「あっ、そうだった!」
ハルカはぱっと表情を明るくした。
「シュガーバターだけっていうのがいいらしいんだよね。楽しみだな〜」
軽い足取りでハルカは歩き出す。
レイはその背中をじっと見つめる。
まっすぐで。
危なっかしくて。
どうしようもなく、目が離せない。
「…幸せなのは、こっちの方」
そんな小さなつぶやきは風にさらわれて、消えていった。
「レイー! はやくー!」
少し先でハルカが大きく手を振っている。
「はいはい。今行く!」
レイは微笑み、その背中を追いかけた。




