私たち、最強なんじゃない?
真っ白なキャンバスに慣れない手つきでぺたぺたと絵の具をのせていく。こんなに集中して取り組んだのはいつぶりだろうか、なんて自嘲気味に笑うと、筆を洗い次の色を取り溶きほぐす。
網膜の裏にこびりついた光景はおよそ現実のものとは思えないものだった。色鮮やかな大きな葉を揺らし、その奥で深い緑の大樹が光の粒を携えている。そんな神秘的な様子。それらを余すことなく表現するなんて芸当は到底レイには難しかった。それでもなお、筆を動かす手を止めることはなかった。
何かに掻き立てられるように描き終えると、満足そうな顔を浮かべ道具を片付け始めた。
画板と画材を肩に下げると、改めて木へ振り返る。数秒見つめると、元の見学通路に戻って教室へ歩き始めた。
***
「レイ〜〜!どうだった?」
ぼふ、と音をたててハルカがレイの背中に飛びついた。「わっ」と漏らし少しだけよろめくと背後のハルカの方を見る。
「もう、危ないんだけど……」
「えへへ、ごめんごめん」
レイが抗議の視線を送ると、ハルカは慌てる様子を見せず離れた。ハルカはレイの瞳をじっと見つめると、何かを察したようににっこりと笑う。
「おやおや、うまく描けたって感じ〜?」
レイは視線を泳がせながら、少しだけ恥ずかしそうに「まあ」と呟いた。
「レイの『まあ』は、割と好感触な気がする!見せろ〜!」
再びレイに飛びつこうとするハルカをすっと避け、優しく右手を振り下ろす。とん、と柔らかいハルカの髪に手の側面が触れる。
「い、たくない」
口をすぼめているハルカから手を離すと、レイはその手をひらひら扇のように揺らして先に美術室の方へ歩き出す。
「ほら、置いてくよ〜」
「あ、待ってよ!」
二人は美術室に戻り、作品を提出する。美術担当の教師は前衛的な前髪を揺らして口を開いた。
「ほう、面白いな」
「あ、えと……ありがとうございます?」
「思春期どもはこういった、自分の思いをのせるテーマを避けるきらいがあるからな。もちろん技術面も評価しているが、どう感じ取り、どう思考したのか。私はそれも大事にしていきたいと思っている」
毅然とした態度、とはまさにこのことを言うのだろう。この教師は生まれる時代が異なれば朗々とバルコニーで演説をするタイプだと確信しながらレイは「はあ」と相槌を打つ。
「レイ、こういうの苦手って言ってたのに、ノリノリじゃん」
「うっさい」
ありがとうございました、と妙に姿勢の良い美術教師に会釈をすると美術室を後にする。
「あ〜お腹空いたね。やっとお昼ご飯食べられるよ〜」
教室に着くなりハルカは力なく机に突っ伏す。
「ほんとだね。私も何か疲れちゃった」
「ねえ、レイ」
桃色の毛先を指先に絡めながらぽつりを尋ねる。
「何かあったでしょ」
「え」
悪戯っぽく笑うハルカに戸惑いつつ、諦めたように「うん」と白状した。
「いや、この後ご飯食べながら話そうと思ってたんだけど……」
レイはまだわずかに残っているクラスメイトに聞こえないように、声を落とし植物園での顛末を話した。
「えーーっ!ずっるーい!私も見たかったのに!!」
レイが話し終えた途端、ハルカは全力で抗議する。その声にクラスメイトは振り向く。
「ハルカ。声大きい」
口の前に指を持っていき、ハルカをたしなめた。当の本人はそんなことお構いなしといった様子で、2人分のお弁当を手にして立ち上がる。
「よし!行ってみよう!」
「もう、ハルカってば。最後まで話を聞いてって……」
ため息をつきながら立ち上がると、ハルカを追いかけた。
「それで、ちょっと考えたんだけど」
植物園までの道のりを歩きながらレイは話の続きを口にする。
「教会のときは、私たち二人でいたでしょ?ハルカが何か聞こえるっていって」
「うん」
「今回は私一人だったわけじゃん。もちろん変な映像?みたいなのは見えたわけだけど、誰かと喋ったり、聞いたりはしてないんだ」
ハルカは静かにレイの言葉に耳を傾けている。その瞳は続けて、と言っているようだった。
「まだ2回しか起きてないことだけど……。私たち二人でいないと、全部を見ることはできなんじゃないかなって」
あくまで仮説だけど、という言葉を添えてレイはハルカの方を見る。ハルカは難しい顔をして、うんうん唸ると、人差し指をぴんと立てた。
「わかんない!」
レイはがっくりと力が抜ける。するとすぐにハルカは「でも」と続ける。
「今まで、変な風がしたり、ずばりカンが的中したり。そんなことはいっぱいあったけど、この間の教会みたいなことは一度もなかったもん」
ハルカの淡い瞳はいたって真剣そのものだった。そこに映る自分の姿は、いつもの冷めた様子とは異なり、どこか浮足立っているようにも見えた。
「私たち最強なんじゃない?」
レイは、いつもの熱に浮かされたハルカの言葉に、今日ばかりはのせられてみようと思えたのだった。




