あの時と同じ
「はあ」
大きなため息が晴れ晴れとした空に浮かんで消えた。雲一つない快晴が自分を嘲笑っているように感じている彼女、レイはいつになく気を落としていた。
「美術かあ……」
今日の昼休み前の2時間は美術の授業だった。学習内容は広い校内の中で気に入った場所を選び、そのままを写すのではなく、自分の思いをのせて描くというものだった。現実主義のレイはそのまま写すならまだしも、「なぜその色を、形を表現したのかを考える」ということが苦手だった。
画用紙を挟んだ画板を肩に下げ、とぼとぼを歩く。桃色の毛先を弾ませ、ハルカがレイを覗き込む。
「レイ、絵描くの苦手なんだ」
目をぱちくりさせているハルカの方は、自分の思い通りにできる今日の学習は得意分野のようで鼻歌を歌いながら授業を聞いていた。
「だって、思った通りの色にならないじゃん」
再びため息をつくレイを見つめ、どうにか良い案はないかと思考を巡らせる。
「あっ!ばーっと思いっきり好きな色で塗ってみたら?」
「……はあ、今日ばかりはハルカの勢いが羨ましいわ」
さも名案を思いついたかのように胸を張るハルカは軽く鼻をつままれ、「ふぎゃ」と情けない声を上げる。それを見てレイはくつくつと笑う。
「もう!レイの意地悪!」
「ごめんごめん。ありがと。ハルカはもうどこ描くか決まってるの?」
「うん。グラウンドのほう行こうかなって思って。青春じゃん?」
ハルカはグラウンドで部活動に勤しむ学生や、そこで生まれるラブを想像して頬を赤らめる。今のレイにはその様子に「はあ…」とため息を返すことしかできないでいた。
「レイも来る?」
ハルカの提案に少し悩んだ末、「いいや、何か同じ絵描いちゃいそう」と言って断った。
「そっか、わかった!じゃあまた後でね〜」
ハルカはおでこに左手を当て、敬礼のポーズをして見せると軽快な歩調で去っていった。その様子を見守ると、なんとなく辺りを見回し、もう何度目かわからないため息をついた。
「……はあ。植物園にでも行くか」
この学園の植物園は、広い敷地を存分に使っている。ドーム状になったガラス張りの建物の中には様々な植物が生息地ごとに植えられている。隣の建物は授業もできるようになっており、さながら迷宮のようだった。ここで昼寝してサボっていても授業で使わない限りは見つからないだろうな、などと考えながら、ひっそりと描ける場所を探した。
植物園に入ってすぐは花壇や菜園を中心に栽培されており、職員や委員会の手がよく入っている様子だった。
「ここは結構、人の出入り激しそう……」
特に悪いことをしているわけではないが、腰を低くしながら奥の部屋に進む。
(奥もこんなに広いんだ。こりゃほんとに迷子になるかもしれないな…)
奥の部屋にはビオトープが数カ所あり、それぞれ小さな水生生物や両生類の幼生などが生息しているらしい。生き物と戯れる趣味もないしなと苦笑して、足を止めることなく進んでいくと見学通路から少し外れたところにやや大きめの木が群生している一画があった。
「なんだろう」
足元を確認するとその一画に進む道が生い茂る草の下にあるようだった。
(今は使ってないのかな)
レイは花を踏まないように気をつけて進んだ。太い木の幹の途中から大きな葉が生えていたり、木の幹自体が太い毛糸のように巻き付きながら伸びていたりと、どの木も剪定や温度管理が行き届いているだけでは説明がつかないほど、ど生き生きとしているように見えた。
そんな生命力のみなぎる木の奥には一際大きな木が静かに佇んでいた。この植物園の主だと言われれば誰もが納得せざるを得ないような樹齢を感じる。樹皮は古びた灰褐色をしており、佇まいこそ異様だがどこにでもあるような普通の、少しだけ大樹の様子をした木だった。
「うわぁ」
レイはその木から目が離せないでいた。近くに寄ると木の根本に画材や画板をそっと置いた。
「こんな木がうちの学校にあったんだ」
まだ他の誰もが知らないのではないかという優越感に浸りながら、微かな風に揺られざわめく葉の音に耳を澄ませる。少し前までの不安は音と共に消え、気づけば心は凪いでいた。
目を閉じ、その木へ手を伸ばした。
その時。
「えっ」
指先が木に触れた瞬間、周囲の様相が一変した。
つい数秒前まであった木々の中には、白い遺跡の柱が見え、その柱を深い緑の蔦がまとわりついている。木々も植物園のものより色とりどりの葉や花をつけており、生命の匂いが満ち満ちていた。そして一番大きく変わったのはレイの触れている大樹だった。先程までも十分大きな木であったが、数人、数十人をやすやすとしてしまえそうな太い幹は自ら淡い光を放っていた。そこから小さな光の粒たちが自我をもっているかのように揺らめいては、鬱蒼とした葉の天蓋に吸い込まれて消えていく。
「うそ……」
目の前の光景が信じられず、木から手を放した。目をこすろうと手の甲を視ると教会のときと同じように薄っすらと紋様を浮かべ、発光していた。
(あの時と同じ光……。それに)
再び木に触れる。幹に沿ってなぞろうとすると、途中でふっと手が木の幹と重なった。
(見えてる木には触れない……?)
レイはじっと木を見つめる。それに答えるように葉や光の粒が揺らめいていた。しかし、何も聞こえてこない。
しばらくすると、手の光は薄れ、辺りの様子ももとの植物園に戻っていった。
木の根の方に視線を向けると、自分が置いた画材や画板が目に入ってきた。
(戻ったんだ。今回は、何も聞こえなかったな……)
木の幹に背中を預け、ふうと息を吐いた。瞼を閉じ教会と今回の出来事を一つ一つ頭の中で整理していく。どこからともなく柔らかな風が頬を撫でた。その風に起こされるように再び瞼を開くと、一つの仮説にたどり着いた。
レイは両手を組み伸びをする。逆光になる手の甲を見つめ、諦めたように両手を投げ出すと画板に指が触れる。眉根を小さく下げ、「……やるかあ」と呟くと先程の光景を網膜の裏に映しながら課題に取り組み始めるのだった。




