幕間:シエラ様
翌朝、まだ辺りは薄暗く曙光が聖堂の柱を照らし出す頃、私たちは僅かな荷物を手に教会の門をくぐりました。門の前に掛かる橋の先を見ても、星都を抜けるための馬車はまだ来ていませんでした。
「少し早く出すぎてしまいましたかね」
「……ええ。馬車の通れる道は一本しかありませんから。少し下ってみましょうか」
私たちは荷物を抱え、石畳の坂道を歩き始めました。人気はなく、朝靄が街を包みこんでいました。
――カラン。
どこかで小さな金属音がしました。エリオの表情を変え、足を止めました。
「……シエラ様、後ろに」
小さく聞こえる足音は少しずつ迫っているようで、私の心臓は早鐘を打っていました。
「……誰だ」
返事が帰ってきません。私は左右を見回しました。あるのは細い路地の街頭の影。
――違う。
それを人影だと認めると同時に、白く光が閃きました。
「エリオ!」
気がつけば私はエリオに飛びつき、全身で力いっぱい押していました。
「シエラ様!!」
彼の切迫した声が耳に入ると同時に、右足に火傷のような熱い線が走りました。
――っ、シエラ様!!
懐かしい声が遠くへ消えていきました。
温かな風が頬を撫で、花の香りが広がっていきます。
「…シ……ラ…様」
穏やかな声がした。
「シエラ様」
その声に答えるように、ゆっくりと瞼を開く。
***
陶器の触れ合う音と同時にシエラの意識がはっきりとした。
「いつの間にか眠ってしまっていたようですね」
窓の外へ目をやると、辺りはすっかり暗くなっていた。
湯気の立つティーポットを両手に抱え、心配そうにシエラを覗き込んでいる。
「気分が優れませんか?」
「少し、夢を見ていました」
シエラは柔らかく微笑んだ。
「ごめんなさい。お待たせしてしまいましたね」
「いいえ」
エリオは安心したように笑う。
「丁度良い頃合いです」
そう言うと、カップを並べハーブティーを注ぐ。琥珀色の液体がカップを満たしていきながら、心地よい音が書庫に響いた。
シエラはにこやかにその様子を見つめると、思い出したように立ち上がった。
「レイさん、ハルカさん」
優しい声とともに爽やかな甘い香りが広がる。
「一旦、休憩にしましょう」
本棚の影から、ハルカがひょこっと顔を出す。
「えー、もう?」
「集中していると、時間を忘れてしまいますから」
少し離れたところから、本を抱えたレイも姿を現す。
「今日は、エリオがお茶を淹れてくれましたよ」
「ほんと!?」
ハルカは目を輝かせる。レイも本を閉じ、静かに歩み寄ってきた。
二人がテーブルに揃うと、並べられたカップに目をやる。
「これ、なに?」
ハルカはカップの横に置かれたバスケットを指さす。すると、ぐう〜と腹の虫を鳴らした。
「食い意地の張った女子高生だな」
エリオは小馬鹿にしたように笑う。
「なっ」
「ハルカ〜お弁当しっかり食べたじゃん」
レイも口元に手を当て、にやにやと笑った。
「レイまで!」
三人の様子をくすくすと笑いながら、シエラは口を開く。
「エリオが作ったお菓子はパティシエも顔負けなんですよ」
バスケットにかけられた布をひらりと取ると、香ばしい焼き菓子の香りと共に、色とりどりのクッキーがぎっしりと身を寄せ合っていた。
「ええ!?」
二人の視線がエリオに注がれる。その顔はシエラに褒められた嬉しさと、気恥ずかしさが相まって耳まで紅潮していた。
「…………」
努めて不機嫌そうにしているエリオを、二人はぱちぱちと瞬きをさせてじっと見つめる。
「……何だ」
沈黙に耐えきれずにエリオは呟く。
「す、」
「すっごーーーーい!!」
弾むようなハルカの声が静かな書庫に響き渡る。それに続くようにレイもうなずきながら答える。
「うん、ほんとにすごいですね。早く食べたいんですけど」
今にもクッキーに伸ばしてしまいそうな手をもう片方で止めていた。
「そうですね、いただきましょうか」
にっこりと笑うシエラの声を合図にレイたちは腰を下ろした。
「やったー!いただきまーす!」
ぱくぱくとクッキーを口に運ぶ二人を横目にエリオはカップに口をつける。
シエラもカップを手で包むように取る。
「ん〜美味しい!」
「うん。すごい、これもしかしてジャムまで手作りですか」
「…………」
黙っているエリオに微笑み、シエラが代わりに答える。
「そうですよ。これは小さい菜園で育てているブルーベリーですね」
「自給自足すぎるし、あまりにもすごすぎる…」
あまりの衝撃に、二人の開いた口は塞がらない。
「教会とは、そういうものだ」
さも当然のようにエリオは答えた。
「ふふ、こういうときは素直に喜べば良いのですよ」
「シエラ様!別にそのような…」
「そうですよ、こんなに女子高生が褒めてるんですから喜んだら良いじゃないですか」
レイが笑いながらそう言うと、ハルカもうんうんと大きく頷いた。
「お前たち……」
からかわれたエリオは眉をひそめるものの、褒められている手間、怒りをどこにやればよいのかわからないでいた。
結局、不貞腐れた様子をみせ、黙りこくるしかなく、その様子に三人は声を上げて笑った。
穏やかな笑い声が午後の書庫へ心地よくこだまする。 その様子を見つめながら、シエラはそっと右足へ視線を落とした。
――痛みは、もうほとんどなくなりましたね。
あの日の記憶はこれからも消えることはないのでしょう。
それでも、こうして誰かが笑ってくれるのなら。
あの日、私たちが選んだ道は、きっと間違いではなかった。そう、胸を張れるのです。
シエラは静かに微笑むと、湯気の立つカップへそっと口をつけた。




