すごい…!
エリオは祭壇の脇にある装飾の施された木の扉へ歩み寄る。
古びた真鍮の取っ手に手を掛けると、小さく振り返った。
「こちらだ。……シエラ様、足元には十分お気をつけください」
「ええ、ありがとう」
シエラは礼服の裾をそっと摘み上げる。
白いレースの奥から、小さな靴先が控えめに覗いた。
どうやら建物を後から増築したらしく、扉を境に床の高さが少しだけ変わっている。
シエラは慣れた様子で一歩踏み出した。
「ふふ。本当に心配性ですね、エリオは」
振り返り、優しく微笑む。
「ありがとう」
その一言だけで、エリオの表情は少しだけ和らいだ。
「私たちには『気をつけろ』なんて一言も言ってくれないのにね〜」
ハルカが唇を尖らせる。
エリオはちらりと一瞥した。
「何か言ったか、ゆるふわ女子高生」
「なにそれ!? 私のこと!?」
ハルカは目を丸くする。
「私にはちゃんとハルカって名前が――」
「ふん」
エリオは話を最後まで聞こうともしない。
「書庫はこの先だ。置いていくぞ」
「あっ、ちょっと待って!」
軽く受け流され、ハルカは慌てて追い掛ける。
レイはそんな二人を見て、小さく肩をすくめた。
扉の先には、地下へ続く螺旋階段が伸びていた。
年季の入った木造の階段は、人が一人通れるほどの幅しかなく、壁に取り付けられた小さなランプだけが足元を照らしている。
一歩踏み出すたび、ぎし、ぎし、と乾いた音が静かな空間へ響いた。
「結構長い階段だね」
ハルカが身を乗り出すように下を覗き込む。
螺旋階段は何度も何度も回り込み、下の様子はよく見えない。
「落ちるなよ」
「落ちないもーん」
「その台詞を言う者ほど危ない」
「う……」
ハルカは素直に手すりを掴んだ。
レイは思わず吹き出す。
「これでも、一応何度か修繕しておりますので、安全かとは思いますよ」
シエラが穏やかに言う。
そう話しながらも、自身も一段一段、足元を確かめるようにゆっくりと階段を下りていた。
その歩調へ自然と合わせるように、エリオも少しだけ歩く速度を落としている。
本人は気付かれていないつもりらしい。
(やっぱり心配なんだ)
レイはその背中を見つめ、小さく笑みを浮かべた。
「わっ」
ハルカが急に声を上げる。
「書庫って、あれじゃない!?」
階段の先。地下の広間には、一際存在感を放つ大きな扉が静かに佇んでいた。
深い茶色の木材には蔦や星を思わせる繊細な彫刻が施され、中央には古びた真鍮の取っ手が鈍く光っている。
「そうだ。……おい、女子高生。そんなに急ぐと――」
ハルカは返事も待たず、小走りで駆け出していく。
「急ぐと、どうしたのです?」
シエラが首を傾げる。
どこか悪戯を見つけた子どものような表情だった。
「みんな、早く早く!」
扉の前で手を振るハルカ。
シエラは優しく笑った。
「ハルカさんは、私とは違いますから」
少しだけ目を細める。
「そんなに心配しなくても、大丈夫ですよ」
「……別に、心配などしておりません」
そっぽを向いて答えるエリオ。
「あまのじゃく」
レイがぽつりと呟く。エリオはぎろりと振り返った。
「聞こえているぞ」
「わざとだもん」
「開き直るな」
そんなやり取りをしているうちに、四人は大きな扉の前へ集まった。
エリオは腰から下げている鍵束へ手を伸ばす。十数本ある鍵の中から一本だけ細長い鍵を選び出すと、ゆっくりと鍵穴へ差し込んだ。
かちゃり。続いて、がちゃん。
重厚な錠前が外れる音が、地下へ低く響く。
エリオは両手で扉を押した。
ぎい、と長い年月を感じさせる音を立てながら、ゆっくりと扉が開いていく。
「わあ……」
ハルカが思わず息を呑んだ。
目の前には、想像を遥かに超える景色が広がっていた。
床から天井まで届く背の高い本棚。
そのすべてに隙間なく本が並び、古びた革表紙や布張りの背表紙が幾重にも連なっている。
天井近くに設けられた細長い窓から柔らかな午後の光が差し込み、舞い上がる小さな埃を金色に染めていた。
紙の匂い。木の香り。長い年月を閉じ込めたような静かな空気。
まるで、この部屋だけ時間の流れがゆっくりになっているようだった。
レイは思わず辺りを見回す。
「すごい……」
その言葉しか出てこなかった。
シエラはゆっくりと本棚へ歩み寄る。
並ぶ本の背表紙を、懐かしい友人へ触れるように優しく指先でなぞった。
「こちらには、教会が代々保存してきた書物の写本や、この地域の歴史を記した記録が収められています」
一本の本をそっと撫でる。
「中には、昔ここで暮らしていた教会員の私物や日記なども混ざっているそうですよ」
ハルカの瞳がさらに輝く。
「日記まであるんですか!」
「ええ」
シエラは微笑む。
「ただし、とても古いものばかりですから、どうか優しく扱ってくださいね」
二人は揃って大きく頷いた。
「ありがとうございます!」
その声は地下書庫へ柔らかく響き、静かな本たちが新しい来訪者を迎えるように、どこか嬉しそうに聞こえた。




