では、また明日
シエラは慎重な手つきで、白磁のティーカップを一つずつテーブルへ並べていく。
白い陶器には、小さな黄色い花が控えめに彫り込まれ、窓から差し込む光を受けて淡く輝いていた。
最後の一つを置くと、ふわりと湯気が立ち上る。
甘く、それでいて爽やかな香りが静かな教会いっぱいに広がった。
「教会の裏庭で育てているハーブを煎じたものです」
シエラは嬉しそうにティーポットを抱える。
「季節ごとに少しずつ香りも変わるんですよ。今日はカモミールを中心に、少しだけレモンバームを混ぜてみました。」
ハルカが目を輝かせる。
「教会で育ててるんですか?」
「ええ」
シエラは小さく頷いた。
「皆さんが落ち着ける場所になりますように、と」
その言葉に、レイは思わず教会の窓辺へ目を向けた。
磨かれた窓。揺れるカーテン。祭壇へ差し込む夕陽。
確かに、この場所にはどこか人を安心させる空気が流れている。
「シエラ様のハーブティーは格別なのだ。」
エリオが胸を張る。
「一滴たりとも残すなよ」
そう言うなり、自分のカップを持ち上げる。
そして――
ごく、ごく、ごく。
一息で飲み干した。
「……」
「…………」
教会が静まり返る。
シエラは頬に手を置き、困ったように笑った。
「エリオ」
「はい!」
「味わっていただいてほしいのです」
「申し訳ありません!」
背筋をぴんと伸ばす。
「嬉しさと美味しさで、つい…」
シエラはやれやれ、と小さく肩をすくめる。
「修行が足りませんね」
何の、と聞きたかったがレイは面倒なことになりそうだから静かにハーブティーの香りを楽しむ。
「精進いたします」
真面目に返事をする姿に、ハルカは堪えきれず吹き出した。
「くくっ……」
レイも口元を押さえ、小さく笑う。
(なんだか、この二人、見ているだけで飽きない)
「お二人とも、どうされましたか?」
「…いえ、素敵だなと思って」
「ふふ、不思議ですね。さ、私たちもいただきましょう」
レイはティーカップを両手で包み込む。指先へじんわりと温もりが伝わってきた。
そっと口元へ運ぶ。やさしい香りが鼻を抜ける。
ほんのりとした甘みのあとから、草花の清々しい風味がゆっくりと広がった。
まるで春の風景を、そのまま飲み込んだようだった。
「……おいしい」
思わず声が漏れる。
ハルカも何度も頷く。
「すごい……」
「これ、落ち着く……」
二人の反応を見て、シエラは嬉しそうに微笑んだ。
「よかった」
その一言だけだった。けれど、本当に安心したような笑顔だった。
しばらく誰も口を開かなかった。
窓の外では木々が風に揺れ、小鳥のさえずりが遠くから聞こえる。
カップを置く小さな音だけが、静かな教会へ溶けていった。
その穏やかな空気の中で、シエラが静かに問いかける。
「さて」
二人へ優しく視線を向ける。
「お二人は、今日はどのようなご用件でいらしたのでしょう」
レイとハルカの視線がぶつかる。
ハルカが困ったように眉を下げる。
ほんの一瞬だけ迷った。
「あの……私たち」
ハルカが口を開く。
その横顔を見たレイは、咄嗟に口を開いていた。
「私たち、学校の課題で地域の史跡を調べていて」
自然に言葉が出た。自分でも驚くほど、すらすらと。
ハルカは一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに話を合わせる。
「そうなんです」
「古い建物とか、地域の歴史とかを見て回ってて」
シエラは疑う様子もなく、小さく頷いた。
「そうでしたか」
穏やかな笑みは変わらない。
「この教会も長い歴史がありますから、何かお役に立てることがあるかもしれませんね」
レイは心の中でほっと息をついた。
隣ではハルカも気づかれないように小さく胸を撫で下ろしている。
その様子を横目で見ていたエリオは、しかめ面のまま二杯目のハーブティーへ口をつけた。今度はちゃんと、一口ずつ。
シエラはそんな様子を見て満足そうに頷く。
「そうだわ」
何かを思い出したように、小さく手を合わせた。
「この教会の地下に、あまり大きくはないのですが、書庫があるんです」
レイが顔を上げる。
「書庫……ですか?」
「ええ」
シエラは微笑む。
「昔の記録や、この教会に伝わる本を保管しています」
「もしよろしければ、お使いになりますか?」
「ごっ、ごほっ!」
突然、エリオが盛大にむせた。
「シ、シエラ様!」
慌てて胸を押さえる。
「よろしいのですか!?」
「何がです?」
「書庫です!」
シエラはきょとんと目を瞬かせた。
「良いではありませんか」
静かな口調だった。
「精霊の家は、いつも開かれているものです」
その一言で、エリオは何も言えなくなる。
ハルカは勢いよく立ち上がった。
「えっ、本当にいいんですか!?」
「もちろん」
シエラは嬉しそうに笑う。
「ですが」
窓の外へ目を向ける。
夕焼けは少しずつ藍色へ溶け始めていた。
「今日はもう遅いようですね」
二人もシエラに続くように外の様子を見る。
「また明日、ゆっくりいらしてください」
カップに残ったハーブティーを飲み干すと、ハルカが立ち上がる。
「ありがとうございました!超美味しかったです」
「素敵な香りでした」
レイもハルカの少しあとに立ち上がって、カップとソーサーを持つ。
てきぱきとテーブルを片付けようとすると、シエラは慌てて止める。
「こちらで片付けますので、お気遣いなく。ありがとう」
レイが持とうとしたトレーをエリオはひょいと持ち上げる。
「客人が片付けようとしなくていい。僕がやる」
「エリオ。私が淹れたのですから、私が最後まで片付けます」
今度の制止は聞き入れられず、エリオは困ったような笑顔で答える。
「シエラ様はこちらでお待ちください。全てなされては、私がここにいる意味がなくなってしまいます」
エリオは深々と頭を下げると、そのまま祭壇の奥へ歩いていく。扉の前でふと足を止め、ほんの少しだけ顔をこちらへ向けた。
「……気をつけて帰るんだな」
ぶっきらぼうにそれだけ言い残すと、返事を待つこともなく扉の向こうへ消えていった。
閉まる扉を見つめながら、シエラはくすりと笑う。
「素直ではないだけで、悪い人ではないのです」
どこか誇らしげな、それでいて優しい笑みだった。
「どうか、あまり悪く思わないであげてくださいね」
「それは、何となくですけど分かります」
レイは苦笑しながら頷く。
「うん。嫌味〜だけど」
ハルカが肩をすくめると、シエラは声を立てずに笑った。
「ありがとうございます」
そう言って、ゆっくりと扉を開く。
「さあ、もうすっかり日が暮れてしまいました。お見送りいたします」
*
教会の外へ出ると、空はすっかり群青色へ染まっていた。
商店街にはぽつぽつと街灯が灯り始め、夕食の支度をする香りが風に乗って漂ってくる。
シエラは教会の前まで二人を見送り、小さく手を振った。
「では、また明日お待ちしています」
「はい!」
ハルカは嬉しそうに大きく手を振り返す。
「今日はありがとうございました。」
レイも軽く頭を下げる。
二人の姿が商店街へ溶けていくのを、シエラはいつまでも穏やかな笑顔で見送っていた。
教会が見えなくなる頃。ハルカがぽつりと呟く。
「……なんか、変な人たちだったね」
レイは少し考えてから、小さく笑った。
「うん」
一拍置いて続ける。
「でも、悪い人たちじゃなかった」
「だよね」
ハルカも笑う。
「エリオさんなんて、絶対シエラさんのこと大好きだもん」
「うん。あそこまでくると、ちょっと尊敬する」
「忠犬だったね」
「聞こえてたらまた怒られそう」
二人は顔を見合わせる。そして、どちらからともなく吹き出した。笑い声は夜風に溶け、静かな商店街へ消えていく。
二人の足取りは、来たときよりも少しだけ軽くなっていた。




