お茶にしましょう
シエラは三人の顔をゆっくりと見回した。
レイ、ハルカ、そしてエリオ。
誰と目が合っても、変わらない穏やかな笑みを向ける。
やがて、小さく両手を合わせ、ぱん、と控えめな音を鳴らした。
「せっかくのお客様ですもの」
その声だけで、教会の空気が華やぐ。
「お茶にいたしましょう!」
祭壇から一段ずつ静かに階段を下りる。
石段を踏むたび、礼服の裾がふわりと揺れた。
「シエラ様!」
待っていましたと言わんばかりに、エリオが飛び出す。
「そのような雑用は私がいたします!どうかこちらでお待ちください!」
「いいのよ、エリオ」
シエラは小さく首を横に振る。
「私が淹れたいのです」
胸の前で両手をそっと握る。
お願いというより、「そうしたい」と素直に伝えているだけなのに、不思議と逆らえない響きがあった。
エリオは言葉を失う。
「……ですが」
「エリオ」
「…………」
数秒の沈黙。
やがて大きく肩を落とした。
「……わかりました」
まるで世界の終わりを告げられたような顔で続ける。
「くれぐれもお気をつけください。何かありましたら、すぐにベルを鳴らしてください。床は少し滑りやすくなっておりますし、お湯も熱いですし、棚の上には――」
「ふふ」
シエラは口元へ手を添えて笑った。
「エリオは心配性ですね」
その一言だけで、空気がほどける。
「もう慣れましたから、大丈夫ですよ」
ぺこり、と小さく頭を下げると、奥の部屋へ姿を消した。
エリオはその背中が見えなくなるまで、微笑んだまま見送り続ける。
やがて完全に姿が隠れると、すっと笑みを消した。
そして、ゆっくりと振り返る。
レイとハルカは、黙ってその様子を眺めていた。
「……何だ」
低い声だった。
「い、いえ」
レイは慌てて首を振る。
何か話題を出そうとしどろもどろになる。
「その……シエラさん、素敵な方ですね」
一瞬。
エリオの目がきらりと輝いた。
「そうだろう」
「え」
一歩前へ出る。
「そうだろう、そうだろう」
さらに一歩。
「あの方は、この教会の聖女……」
胸へ手を当てる。
「いや」
天井を見上げる。
「女神だ」
朗々と宣言した。
「貴様らが軽々しく御名を口にすることすら烏滸がましい。シエラ様の慈悲に感謝し、地に伏して咽び泣くがいい。」
決め台詞のように人差し指をびしっと突きつける。
教会に一瞬だけ静寂が訪れた。
ハルカがレイへ小さく顔を寄せる。
「ねぇ」
「ん?」
「この人、毎日こんな感じなのかな」
「さあ」
「シエラさん、大変そう…」
「そうだね」
二人はこそこそと頷き合う。
「聞こえているぞ」
「うわっ!」
エリオがじろりと睨む。
「なんで『見習い』のあんたに、そこまで言われなくちゃいけないのよ」
ハルカがむっと頬を膨らませる。
エリオは鼻を鳴らした。
「学生の分際で、僕を見習い扱いとは不敬な」
「いや、見習いなんでしょ?」
「……」
一瞬だけ言葉に詰まる。
「そ、それとこれとは話が別だ」
「別なんだ」
「別だ」
言い切った。
レイは思わず吹き出しそうになる。
なんだか、この人は胡散臭いのか真面目なのか、よく分からない。
でも少なくとも、悪い人ではなさそうだった。
「シエラ様がお戻りになるまで、勝手な真似はするなよ」
そう言い残し、エリオは腕を組んで祭壇の前に立つ。
その様子を横目に、二人は教会の中をゆっくり歩き始めた。
磨き上げられた木の床に、陽の光を受けて色とりどりに輝くステンドグラス。祭壇の両脇には、季節の花が丁寧に生けられている。
どこにも埃一つ見当たらない。
静かな空間なのに、不思議と冷たさはなく、人が大切に守り続けてきた温もりだけが残っていた。
昨日、星環が現れた祭壇へ近づく。
レイは何気なく一段目へ足をかけた。
「待てぇぇぇぇぇぇぇ!!」
教会中に響き渡る叫び声。
二人は肩を跳ねさせた。
気が付けばエリオが真っ赤な顔をしていた。
「そこは神聖なる祭壇だ!」
腕を大きく広げ、まるで門番のように立ちはだかる。
「お前たちが気軽に上がっていい場所ではない!」
「ご、ごめんなさい。」
「謝るなら最初からやるな!」
「はーい……」
レイとハルカは素直に引き下がる。
少し離れたところまで戻ると、ハルカが小声で囁いた。
「昨日、めっちゃ登ったし」
「うん」
「めっちゃ触っちゃったね」
「うん」
それから二人は祭壇を調べることを諦め、長椅子を一つひとつ眺めながら歩く。木目を指でなぞり、窓から差し込む光を見上げる。
最後の長椅子の背もたれへそっと手を置いた、そのときだった。
かすかな足音が廊下の奥から聞こえてくる。
エリオは誰よりも早く反応した。
「シエラ様!」
さっと祭壇の奥の扉を開け、姿勢を正して待つ。
そのあまりの素早さに、レイは思わず呟いた。
「……忠犬」
「聞こえているぞ」
「ごめんなさい」
扉の向こうから、ふわりと優しい香りが漂ってきた。
カモミールと、ほんの少しの柑橘。
心までほどけていくような香りだった。
「お二人とも」
湯気の立つティーセットを両手で大切そうに運びながら、シエラは柔らかく微笑む。
「ハーブティーが入りましたよ」




