エリオ。
「古いとは失敬な。『歴史がある』とか、『趣深い』とか。そういう表現をしていただきたい」
背後から聞こえた穏やかな声に、レイとハルカは同時に振り返った。
そこには、一人の青年が立っていた。
短く切り揃えられたブロンドの髪が、夕風を受けてさらりと揺れる。教会の礼服をきっちりと着こなし、首元まで隙なく留められた襟元には、一切の乱れがない。
小さな顔には少し不釣り合いなほど大きな銀縁の丸眼鏡。
その奥の目は細く柔らかく細められ、口元には三日月のような笑みが貼り付いたままだった。
青年は二人の前まで歩み寄ると、胸に手を添え、ゆるやかに一礼する。
「ようこそ、聖アンジュ教会へ」
(礼儀正しい…けどなんだろうこの人。ちょっと胡散臭…)
穏やかな笑顔のはずなのに、その笑みからは何を考えているのかまるで読み取れなかった。
「えっと……あなたは?」
レイが恐る恐る尋ねる。
青年は丸眼鏡を人差し指でくいっと押し上げ、得意げに口を開いた。
「私はこの教会の神父――」
「見習い、ですよね。エリオ」
鈴を転がしたような澄んだ声が、静かに言葉を遮った。
教会の重厚な扉が音もなく開く。
夕陽を背に、小柄な少女がゆっくりと姿を現した。
ハルカより少しだけ背が低い少女。白を基調とした礼服に身を包み、薄いヴェールが金色の髪をやさしく覆っている。
その姿は幼さを残しているのに、不思議と教会の空気に溶け込み、祭壇からそのまま歩いてきた聖画の人物のようだった。
「シエラ様!」
エリオの笑顔がぱっと明るくなる。
「もちろんです!私はまさに今、そう続けようと――」
「真実ですね?」
シエラは穏やかに首をかしげる。
責めるような口調ではない。
それなのに、その一言だけでエリオの肩がぴくりと跳ねた。
「ここは神と精霊の家です」
「…………」
エリオは固まる。
口を開いては閉じ、何か言い返そうとしては飲み込み、最後には観念したように肩を落とした。
「……失礼しました。」
その姿に、ハルカは思わずレイの袖を小さく引っ張り、二人に聞こえないように耳打ちする。
「怒られてる…」
「なんかかわいいね」
レイも小さく口元を緩めた。
シエラは何事もなかったように二人へ向き直る。
春風のようにやわらかな笑みを浮かべると、胸の前で両手を重ねた。
「迷える子羊が、お二人……」
静かな声が、教会の石壁にやさしく響く。
「我が教会へようこそ。」
そう言って、大きな扉をさらに開いた。蝶番が古めかしい音をたてる。
「どうぞ、お入りください。」
二人は顔を見合わせ、小さく頷く。
「お、お邪魔します。」
教会へ一歩足を踏み入れた瞬間、外の暖かな空気とは違う、ひんやりと澄んだ空気が頬を撫でた。
石造りの床は長い年月を感じさせるほど滑らかに磨かれ、歩くたびに靴音が静かに反響する。
天井は高く、その先には色鮮やかなステンドグラス。夕陽を受けた光は床へ赤や青の模様を映し出し、教会全体を幻想的な色彩で包んでいた。
祭壇の中央には大きな十字架、その姿を見た瞬間、昨日の出来事が脳裏をよぎる。
――あれは夢ではなかった。
レイは無意識に右手を見つめる。
もちろん、今日は何も起こらない。
「さあ、おかけになってください。」
シエラは祭壇近くの長椅子をそっと示した。
「ありがとうございます。」
ハルカは素直に腰を下ろし、長椅子をぺたぺたと撫でる。
「すごい……つるつる。」
「毎日磨いているからな」
「エリオ」
「…毎日磨いて、おりますので…」
エリオが胸を張る。
「もちろん、シエラ様のお力添えあってこそですが」
その言葉にシエラは照れたように小さく笑った。
「本日は、どのようなご要件でしょうか」
一拍置いて、少し困ったように続ける。
「申し訳ありませんが……まだ、お金の用意はできていなくて……」
「…………え?」
レイとハルカは同時に目を丸くし、互いの顔を見合わせる。
「あら?」
今度はシエラが首をかしげる。
教会には、一瞬だけ沈黙が落ちた。
その静けさを破るように、後ろからエリオの深いため息が聞こえる。
「……またですか。」
「えっと、お金って、何のことですか?」
レイがおそるおそる尋ねると、シエラは「あらあら」と目を丸くし、小さな手を口元へ添えた。
「てっきり、とても愛らしい借金取りさんがいらしたのかと……。」
控えめに微笑む。
「本当に迷える子羊だったのですね。失礼いたしました」
(……なんで借金取りだと思った相手を中に入れたんだろう)
レイは心の中だけでそっと突っ込んだ。
隣ではハルカも同じことを考えていたらしく、何とも言えない顔でこちらを見ている。
二人の視線に気付いたエリオは、やれやれと肩をすくめた。
「シエラ様は、どのような者にも分け隔てなく接し、説法を授けてくださる聖女のようなお方なのです」
そこで一呼吸置き、誇らしげに胸を張る。
「たとえ借金取りであろうが、闇金業者であろうが――脳天気な学生であろうがな」
眉間に深い皺を寄せ、二人を指差した。
「エリオ」
名前を呼ばれた瞬間だった。ぴしり、と背筋が伸びる。
薄い唇をぎこちなく引き上げると、露骨な作り笑いを浮かべる。
「……失礼しました。実に愛らしい子羊であっても…」
その言葉を聞くと、シエラは満足そうに小さく頷いた。
「よろしい」
その一言だけで、エリオはどこか誇らしげに胸を張る。
レイはその様子をしばらく眺めてから、ぽつりと呟いた。
「……苦労されてるんですね」
「何をいうか」
エリオは眉をひそめる。
「シエラ様とともに教会で学べるのだ。何一つ苦労などない」
言い切るその表情はあまりにも真剣だった。
迷いも、照れもない。
ハルカはレイの耳元へ顔を寄せ、小声で囁く。
「いや、あんたじゃないし……」
「これは、本物だね……」
二人は思わず顔を見合わせる。
「はあ……」
どちらからともなく、小さなため息がこぼれた。




