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ようこそ、聖アンジュ教会へ

 放課後を告げるチャイムが鳴ると同時に、教室の空気が一気にほどけた。

 机を動かす音、友人同士で遊びの約束をする声、部活動へ向かう生徒たちの足音。


 まだ日の高い教室の中で、レイは鞄へ教科書をしまいながら小さく息をつく。


「レイ〜、帰ろ〜」


 間延びした声とともに、ハルカが机にぐでっともたれかかってきた。

 つい数分前まで受けていた数学の授業で、見事なまでの爆睡をかましていた本人である。

 頬には制服の袖口の縫い目がくっきりと残っていた。

 レイは思わず笑みをこぼす。

自分の頬をちょん、と指でつついて見せる。


「ん?」


 ハルカはきょとんとした顔で、同じように自分の頬へ指を当てる。


「痕ついてるよ」


「えっ!?」


 慌てて鞄から小さな手鏡を取り出す。


「うわぁ……最悪〜」


 左右から頬を押してみたり、擦ってみたり。

 まるで何とか消そうと必死なその姿が少し滑稽で、レイは肩を震わせた。


「授業中寝てたハルカが悪い」


「だって昨日いろいろあったじゃん」


 まだ教室には数人の生徒が残っていたためか、言葉を濁す。


「私は起きてたけど」


「レイは寝るとき寝てるもん」


「毎日は寝てないし」


 レイは数学教師の真似をして、人差し指で目尻をつり上げる。


「先生、こんな顔してたよ」


「『授業が終わったとお思いですか?』って?」


 低い声まで真似をすると、ハルカは吹き出した。


「やめて!思い出す!」


 二人は顔を見合わせて笑う。


 窓の外では運動部の掛け声が校庭へ響いている。

 昨日、教会で世界がひっくり返るような出来事があったとは思えないほど、学校はいつも通りだった。


 その「いつも通り」が、どこか心地よかった。

 ハルカは鏡をしまうと、急に目を輝かせる。


「ねえ、レイ」


「なに?」


「昨日の教会、もう一回行ってみようよ!」


 レイは鞄のファスナーを閉めながら、少しだけ笑った。


「それ、実は私も考えてた」


「ほんと!?」


「昨日は暗くてよく見えなかったけど」


 レイは少し考えるように、窓の外を見る。


「もしかしたら、その、『星環』だっけ。痕とか何か手がかりが残ってるかもしれないじゃん」


「だよね!」


 ハルカはこめかみに指をあてて、小難しそうな顔をしてみせた。


「つまりつまり……あれだよ」


「何?」


「パワースポットってやつ!」


「何いってんの」


 レイは堪えきれず吹き出した。


「ハルカ、本当に適当に言ってるでしょ」


「いやぁ、なんかロマンあるじゃん」


「それは否定しないけど」


 昨日見た光景を思い出す。

(あれが何だったのかは、まだわからない…)


 でも、不思議と怖さよりも興味の方が勝っていた。


「……まあ」


 レイは鞄を肩に掛ける。


「昨日はゆっくり見られなかったし」


「うんうん!」


「今日は昼間だし」


「うんうん!」


「寄り道にはちょうどいいんじゃない?」


「やった!」


 ハルカは飛び跳ねるように立ち上がった。


「じゃあ出発!」


「その前に」


 レイはハルカの肩をぽん、と叩く。


「宿題ちゃんとメモした?」


「あ」


 一瞬固まる。


「……してない」


「ほら」


「待って!今ならまだ間に合う!」


 慌てて自分の席へ駆け戻るハルカを見送りながら、レイはくすりと笑った。

 教室を吹き抜ける夕風がカーテンを揺らす。


 昨日までは、ただの帰り道だった寄り道。でも今日は少しだけ違う。

 何かを探すわけでもない。何かを証明したいわけでもない。

 ただ、もう一度あの場所へ行ってみたい。

 そんな小さな好奇心を胸に、二人は再び教会へ向かうことにした。




 教会へ向かう道は、昨日と同じ商店街だった。

 夕方の商店街は昼間とはまた違う表情を見せている。

 パン屋からは焼きたての香りが漂い、惣菜屋では揚げ物の音が軽快に響く。


 昨日なら足を止めていた雑貨屋も、本屋も、今日は横目で眺めるだけ。

 自然と二人の足は教会へ向いていた。


「そういえば」


 ハルカが歩きながら言う。


「あれから魔法って出てこなくなっちゃったんだっけ?」


 レイは確かめるように、自分の右手を開いたり、閉じたりした。

 昨日のような光は現れない。

 それから掌をじっと見つめて、頷く。


「うーん、なんでだろ」


 ハルカは腕を組み、しばらく考える。


「なんか、かっこいい呪文とか唱えてみる?」


「え」


「『我が魂に眠りし炎よ!』…みたいな?」


 ハルカは腕を、ばっと前に構えてみせた。


「絶対やだ。ハルカ一人でやってよ」


「だって私、魔法出してないもん」


 ハルカは口を尖らせる。


「レイ、すごい落ち着いてるよね。私だったら飛び跳ねて走り回っちゃうけどな〜」


「そんなことしてる私が想像つく?」


 ハルカは真剣な顔で考え始めた。

 口元へ指を当て、眉を寄せる。


「思いつかない…」


「でしょ」


 レイは口元だけで笑う。


「でも…」


「でも?」


「ちょっと面白そうだな、とは思ってるよ」


「ノリノリじゃ〜ん。やっぱ呪文考えようよ」


「そういうのは違うの」

 

 二人は顔を見合わせて笑う。

 くだらない会話をしながら歩いているうちに、目的地はもう目の前だった。


 白い壁に深い青の屋根。それから、蔦の絡まる石造りの外壁。

 昨日と何ひとつ変わらないはずなのに、その姿はどこか違って見えた。

 ただ古い教会だった場所は、今では世界の秘密が眠る入り口のように思えた。


「改めて見ると、やっぱり古いよね」


「古いとは失敬な」


 突然、背後から落ち着いた声が聞こえてきた。


「『歴史がある』とか『趣深い』とか、そういう表現をしていただきたいですね」


 二人が振り返る。

 そこには、短く切り揃えられたブロンドの髪を風になびかせ、教会の礼服をきっちりと着こなした一人の青年が立っていた。


 銀縁の丸眼鏡をくい、人差し指で持ち上げる。

 その仕草はどこか知的で、それでいて少しだけ鼻につく。

  口元には、最初からそこにあったかのような細い笑みが浮かんでいた。

  目元まで笑っているはずなのに、不思議と何を考えているのかは読み取れない。

 ゆるやかに一礼すると、柔らかな声音で口を開く。


「ようこそ、聖アンジュ教会へ。」



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