今日も、寄り道しよ?
白の流線型の車の扉が開き、レイが足を下ろす。
車の方に向き直り、車内に目を向けた。
「ハルトさん、ありがとうございました」
窓がゆっくりと下り、ハルカが顔を出す。ハルトの方は運転席から笑顔を向けた。
「こちらこそ、いつもハルカのわがままに付き合ってくれてありがとう。本当にこまったらいつでも連絡してね」
「お兄ちゃん!」
困ったような顔をして笑うハルトに、ハルカは抗議するように声を上げた。
「そうならないように気をつけます」
ハルカはレイの方をみると、顔を青ざめさせて、車のシートに沈んでいった。
そんな様子を横目に、レイは続ける。
「…あと、いつも私の分までお弁当、ありがとうございます」
「ああ、いいのいいの。俺が好きでやってることだから!俺とハルカの分作るのに、もう1人分増えるなんて大した差じゃないしね」
片目をパチリと閉じると、シートに沈んで不貞腐れているハルカに声をかける。
「ほらハルカそろそろ車出すぞー」
その言葉を聞くなり、がばっと起き上がり再び窓から顔を出して笑顔を見せた。
「じゃあレイ、また明日ね!」
「うん、また明日。寝坊しないでよ」
「レイこそ、ってレイは寝坊しないか!」
「当たり前」
そう返すと、二人は顔を見合わせて笑った。
「じゃあ、おやすみなさい」
ハルトがゆっくりとアクセルを踏む。車は夜道を滑るように走り出し、やがてテールランプの赤い光は角を曲がり、夜の街へ溶けていった。
レイはその姿が完全に見えなくなるまで、小さく手を振り続けていた。
その手をおろし、そっと右手を見つめた。
(本当に夢じゃなかった)
もう光はない。震えることもない。
それでも、あのときハルカが包みこんでくれた温もりだけは、まだ確かに残っていた。
ゆっくりと右手を握りしめる。
「おやすみ」
誰に言うでもなく、小さく呟く。
夜風が制服の裾を揺らす。
レイは家へ向かって、一歩を踏み出した。
明日になれば、またいつもの学校が始まる。 それでも今日という一日は、きっと二人の世界を少しだけ変えていた。
*
翌朝、教室の窓から差し込む朝日が、机の上をやわらかく照らしていた。
先生の声が静かな教室に響く。
「――ということで、来週までに提出してください」
レイはノートを開いたまま、ほとんど話が耳に入っていなかった。
昨夜の出来事が、何度も頭の中で繰り返される。
星環。
精霊。
――世界は失ったのではない。
思い出される日を、待っている。
本当に、あれは現実だったのだろうか。
そっと右手へ視線を落とす。
光はない。
あの幻想的な輝きも、震えも、まるで夢だったかのように静かなままだ。
「レイ」
小さな声に顔を上げる。
斜め前の席のハルカが、くるりと振り返っていた。
机に頬杖をつき、にこにことこちらを見ている。
「起きてる?」
「起きてる」
「ほんとに?」
「ほんとに」
レイが小さく笑うと、ハルカも安心したように笑った。
その笑顔を見て、レイは少しだけ肩の力を抜く。
(夢じゃない)
昨日のことを覚えている人が、自分以外にもちゃんといる。
それだけで、不思議と胸の奥が軽くなった。
そのとき。
授業の終わりを告げるチャイムが教室に響き渡る。
先生が教科書を閉じると、一気に教室が賑やかになった。
ハルカは椅子ごとくるりとレイの方へ向き直る。
「ねえレイ」
「なに?」
ハルカは得意げに胸を張った。
「ちゃんと寝坊しないで来れたでしょ!」
昨日の帰り道にしたやり取りが頭をよぎり、レイは思わず吹き出した。
「うん。ちゃんと起きられたね」
「でしょ!」
ガッツポーズをするハルカ。
「偉い?」
「うん、偉い偉い」
「なんか子ども扱いされてる気がする!」
「気のせいじゃない?」
「ひどーい!」
二人は顔を見合わせて笑った。
教室には、友人たちの笑い声が響く。窓の外では運動部が朝練を終え、校庭を横切っていく姿が見えた。
昨日までと何一つ変わらない朝。それでも、昨日とは少しだけ違う世界。
「ねぇ、レイ」
ハルカは声をひそめる。
「今日も、寄り道しよ?」
その瞳は、昨日よりもずっと輝いていた。
レイは少しだけ考え、小さく頷く。
「……うん」
その一言だけで十分だった。
放課後の寄り道は、きっと昨日までとは違う。
そんな予感だけが、レイの胸に静かに芽生えていた。




