困った矢先
ルピアは馬車を学園から少しだけ離れた場所に停めると、御者台から降りて周囲を見回した。
学園はとても大きく、少し離れたところからでも見えているが、道はよくわかっていないらしい。
「……どうしよう、困っちゃったな……ここまでは来れたけど、道わかんないや。道聞けそうな人、いないかな……」
『大通りにさえ出られたら、辿り着けるかも。馬車で通った……よね?』
「通ったよ。通ったけど……馬が案内してくれたから。私、御者しながら学園に行ったことってないし……それに、本当なら馬車で学園まで行っちゃう予定だったの。でも、学園に馬車は停められないから……歩いてあそこまで行かなきゃ」
『そっ、か。……大通りまでの道……わたし、頑張って思い出してみる。一回通ったから……思い出せば、大通りに出られる』
「確かに、そうだね……私もちょっとだけ、頑張ってみようかな。うー……失念してたなぁ。最初からそのつもりでいたら、覚えていられたと思うんだけど……」
ルピアが声を潜めてそんなことを言っていると、馬車がこちら側に走ってきた。
ここは元々馬車を停めるための場所なので、ルピアは特に気に留めず、邪魔にならない位置にいるかどうかだけ確認して記憶を掘り返すことに集中する。
ルピアのすぐ近くに馬車が停まり、ルピアは首を傾げて改めて馬車を見た。
その馬車はなんだかとても豪華で、見覚えのある紋章が彫られている。
「……あれ? これって……」
「ああ、良かった! やっぱりここにいたんだね!」
馬車から少年が飛び出してきて、ルピアは面食らった顔をした。
その少年は美しい容姿をしており、心底安心した、というような表情をしている。
『……みつちゃん、この人……誰?』
「……、……王子殿下……どうして、ここに?」
「もちろん、婚約者である君を案じてのことだ。君の馬車が襲撃されたと、報告を受けてね。怪我はないかい?」
「はい……怪我は、ありません。ご心配ありがとうございます……私のために、わざわざこんなところまで来てくださったのですか?」
「ああ。襲撃があったという場所にも行ってみたのだけれど、そこには襲撃の実行犯がいるだけでね。君の姿が無かったから、もしかしてと思って」
ルピアはその言葉に微笑むと、ありがとうございます、とお礼を言った。
だが、アルテはそんなルピアに違和感を覚え、そっと声を掛ける。
『返事は、今じゃなくていいよ……でも、……みつちゃん、なんだか変。緊張してる? この人、苦手? ……よ、よしよし、がんばれ〜……!』
ルピアの様子が変だが、彼の前でルピアはアルテに返事ができないので、アルテはせめて応援だけでも、とそう伝えた。
ルピアはアルテのそんな行動に、可愛くて笑ってしまいそうになりながら王子に対応する。
「王子殿下……フィレウス様、わざわざ襲撃のあったところまで? フィレウス様こそ、お怪我は……」
「心配ありがとう。私には君以上に護衛が付いているし、襲撃者たちはほとんどが気絶していたからね。問題無いよ。……さぁ、ルピア。困っているんだろう? 良ければ、私の馬車に乗らないかい? 私たちは婚約者だ、一緒に行っても問題は無いだろう」
「……そう、ですね。……またあの噂が広がりそうで、気が重いですが……」
はぁ、と溜息を吐くルピアに、フィレウスという名のルピアの婚約者は苦笑いした。
そして、馬車の扉をしっかりと開け、ルピアに向かって手を差し出しながら頷く。
「すまないね。君と私は……婚約者同士ではあるけれど、そういった感情は持ち合わせていないのに……噂ばかりが、広がっていってしまう。これでも、制御を試みてはいるのだけれど」
「存じております。婚約に関しては、割り切ってもいます。……いますが……あの噂には、辟易しますね……」
あの噂――というのは、婚約者同士であるルシスとフィレウスはとても仲が良く、既に恋人同士である、なんて噂である。
ただ、それは事実無根であり、婚約者ではあれども、ルピアはフィレウスに恋愛感情は抱いていない。
噂だけが、ずっとずっと一人歩きしているのだ。
そして、二人が同じ馬車から出てくれば、きっとその噂は更に広まることだろう。
信じていなかった人も、あの噂は本当だったのだと勘違いしてしまう。
「……はぁ……」
動き出した馬車の中、ルピアがもう一度溜息を吐いた。
そんな様子を観察しながら、アルテは考える。
話を聞く限り、噂というのは恋愛どうこうの話だ。
そしてルピアには、フィレウスに対する恋愛感情は無い。
――そう、ルピアには。
「……」
黙ってルピアのことを見つめるその顔は、優しくてどこか憂いを帯びている。
まぁ、要するに、この男はルピアのことが好きなのだろう。
アルテはもう既にルピアにとても懐いているので、とてもとても不満ではあるが、相思相愛でないのが不幸中の幸いだろうか。
ただ、婚約者なので将来的には結婚するのだろうが。
『……みつちゃん、わたし、この人嫌い』
つん、とアルテがそう伝えれば、ルピアは無言のまま、少しだけ目を丸くした。




