第549話【清算】
アグリスから抜き取ったドラゴンの心臓。
それは宿主を失ってもなお脈動する。
忌々しく見つめるセレンはそれを潰そうと手に力を入れようとする。
「あ、待ってお祖母ちゃん! その心臓は潰さないで!」
咄嗟にグロリアに止められ、セレンは手の力を解く。
『え、どうして?』
「わかんない! お父さんがそう言ってたの! お父さん!」
グロリアが黒焦げの焼死体になったゼクードへ駆け寄る。
「お父さん! しっかりして! お父さん!」
揺さぶるとゼクードの身体がボロリと欠けた。
あ、とグロリアは揺さぶるのをやめて涙する。
もはや炭同然のゼクードの身体。
これではセレンの血の再生も……
『大丈夫よグロリア。よく見て』
「え……」
セレンに言われ、改めてゼクードを見た。
焼け落ちて炭と化した肉体が、少しずつ回復していっていた。
真っ黒な肉が、赤へ。
赤い皮膚が、黄色へ。
そしてついに本来の肌色へ。
まだゼクードの再生能力は死んでいなかった。
グロリアは慌てて砕け落ちたゼクードの両腕を拾い上げ、破損した箇所にそれを当てがう。
すると血管が伸びて腕を引き付け再生を開始。
腕も真っ黒な肉から肌色へと回復した。
焼け爛れていた眼球も回復し、焼け抜けた髪も再生した。
人間ならば絶対に有り得ない奇跡の再生。
この時だけはドラゴンの血に心から感謝した。
「ぁぁ……良かった……」
父親の再生を見たグロリアは肩の力が抜けて尻もちをつく。
するとゼクードの指がピクッと動いた。
「げほっ! げほっ! は……ぁあ……げほっ!」
「お父さん! 大丈夫?」
「げほっ! はぁ、はぁ! ア、アグリスは!?」
ガバっと起きたゼクードの最初の言葉はそれだった。
上半身は裸のまま。
グロリアは半裸の父に、目のやり場に困りながらも答える。
「大丈夫よ。心臓を抜き取ったら死んだわ」
「心臓は!?」
「あそこ」
グロリアはドラゴン形態のセレンを指差す。
『ゼクード……良かった。回復できたのね』
セレンも安息の言葉を漏らす。
当のゼクードは再生したばかりの身体を無理矢理立ち上がらせ、ふらつきながらセレンの元へ歩く。
「母さん……それを俺にくれ」
『え、何をするつもり?』
「グロリアを人間に戻す」
「「え!?」」
セレンだけでなくグロリアも驚いた。
ゼクードは構わずセレンに手を差し出す。
「そのためには、その心臓が必要なんだ」
『……まさかあなた、この心臓を自分に入れるつもりじゃ』
「ああ。それしか方法がないんだ。その心臓には【浄化の炎】という力がある。それを使えばグロリアも……母さんも人間に戻すことができるかもしれない」
「ちょ! お父さんやめてよ! そんなの入れたらお父さん死ぬかもしれないじゃない!」
父の目的を知ったグロリアは止めた。
対するゼクードは苦笑する。
「お前が戻らないよりマシだろ?」
「マシじゃない! お父さんが死ぬ方がよっぽど嫌よ!」
「まだ死ぬと決まったわけじゃない」
「仮に! 仮に死ななくても頭おかしくなるかもしれないでしょう! ドラゴンの心臓を入れてた奴はみんな揃っておかしくなってじゃない!」
「……その時はカーティスに頼むさ」
「バカ! そういう問題じゃない! ねぇ! お祖母ちゃんもなんとか言ってよ!」
『ゼクード……それだけはやめて。お願い』
「いいや。これだけは譲れない。母さんの頼みでも」
『わたしも譲れないわ。あなたが思ってるほど安い代償じゃないのよ?』
「母さん……その代償ってヤツは、娘を見捨てるより重いのか?」
息を呑み、絶句した顔をセレンはゼクードに向けた。
ゼクードはそんな母の顔を直視せず、焼け焦げた地面を見下ろす。
「俺には……軽く見える」
「お父さん……やめて。アタシ、そんなので人間に戻っても笑えなくなるよ……」
グロリアの言葉に、ゼクードはぴくりと瞼を痙攣させた。
涙で揺れ動く娘の瞳は、それこそ直視できなかった。
『そうよゼクード。あなたが死んだらみんなの笑顔が消えるわ。グロリアだけじゃない。ローエさんも。カティアさんも。フランベールさんも。レミーも。カーティスも。……エルガンディのみんなも』
「……。じゃあどうすりゃいいんだよ。いつ正気を失うか恐怖しながら生き続けるのか? グロリアも。母さんも」
石を放り投げたい衝動の捌け口が、そんな言葉になってこぼれた。
迷う息子ゼクードに対し、セレンは小さく首を振る。
『いいえ。これで終わらせましょう』
セレンは自分の爪を胸に突き刺した。
鮮血が舞い、胸に空いた傷口にドラゴンの心臓を捩じ込む。
「か、母さん!? なにやってんだやめろ!」
「お祖母ちゃんダメ! 早く抜いて!」
『くっ! ぁああああああああああああああああああああああああああああああああああ!』
捩じ込まれたドラゴンの心臓は、セレンの心臓を飲み込み侵食していく。
新たな宿主を得た心臓は歓喜するように血管を伸ばしてセレンの全身を犯していく。
それらは血液を生み出し、いま流動するセレンの血と混ざっていった。
適合しなければここで拒絶反応が起きて、血が石のように固まり死に至る。
しかしセレンにはそれが起きなかった。
「はぁ……はぁ……」
傷が塞がり、人間の姿に戻ったセレンは胸に手を当てて何度も呼吸した。
全身に巡る新たな血がゆっくりと馴染むまで。
「母さん! なんてことを!」
近くまで駆け付けたゼクードに言われ、セレンはゆっくりと俯いていた顔を上げた。
「はぁ……はぁ……ん…………馴染んできた……適合したみたい。良かった……」
「お祖母ちゃん……どうして……」
グロリアの涙顔にセレンは精一杯微笑んでみせた。
「いいの……これであなたとゼクードを人間に戻せるんでしょう?」
「母さん……」
ついにゼクードも涙を流し始めた。
一家の大黒柱の泣きっ面にセレンは苦笑する。
「そんな顔しないでゼクード。あなたが娘を想うように、わたしもあなたを想うのよ」
「でも、母さん……心臓を入れたら……また……」
「うん。きっとまた……心臓の人格に乗っ取られるでしょうね」
「だから! 俺がやるって言ったのに! なんで!」
「息子が死ぬかもしれないのに黙ってる母親がいるの!?」
セレンがゼクードに怒った。
生まれて初めて怒った。
セレンがゼクードに怒ったのはこれが初めてだった。
初めて聞く母の怒声に英雄ゼクードは本気で恐縮し、黙らされた。
「あなたはグロリアのドラゴン化を知った時、代わってあげたいと思わなかった?」
「!」
思い当たるところがあったらしいゼクードは視線を落として拳を握り締めた。
セレンはゆっくりと言葉を紡ぐ。
「それにゼクード……わたしはとっくに死んだ人間なのよ?」
「……っ」
「本来ならここに立ってるはずもない人間。だから……この役目はわたしがやるべきなの」
セレンは本気だった。
親が子を愛するのは当たり前。
親は子の幸せを望むべき。
それはゼクードだけの思想ではなかった。
母であるセレンもそうだった。
「ゼクード……あなたはまだ死んじゃダメ。これからもっとたくさんのことを背負って生きていかなきゃいけない」
「……母さん」
「それに事の発端はあの人……フォレッドがわたしを蘇生させてしまった事だから……その妻であるわたしが清算するべきなの。わかって。ゼクード」
「……」
夫の失態を妻が背負い、その代で終わりにする。
それが自然の摂理に逆らって蘇生した者の役目と末路。
ドラゴンの心臓と血で呪われたフォルス家を救うには、もうこれしかないとセレンは分かっていた。
現在という時を背負って歩くゼクードを。
未来を繋げるために、未来を守る役割を持たされた息子のために命を使う。
ただこうできることが、今は無闇に嬉しい。
「さぁ、戻してあげるわ二人とも。これで全て元通りになる」
セレンは両手から【浄化の炎】を生み出し、
それを未だに泣いているゼクードとグロリアに当てて、
包み込んだ。




